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2013年2月23日 (土)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(4)

ここで、私たちの世代における価値観の内面化がどういう環境で進行したのかを振り返ってみます。団塊ジュニア世代~ロスジェネ世代は、伝統的な地域社会に育った人も多少はいたにせよ、首都圏に代表されるような、都市とそれを取り囲むニュータウンで子ども時代を過ごす人の割合がかなり増えた後の世代でした。他の親族から遠く離れた大都市圏で、ニュータウン暮らしをする核家族というライフスタイルは、高度成長期以降、そう珍しくなくなっていましたが、70年代にもなると一層一般的なものとなり、団塊ジュニア世代以降のかなりの割合は、地域的な人間関係や共同体意識の希薄な、ニュータウン的空間に生まれ育つようになりました。高度成長期以前の地域社会では、比較的近い距離に親族が住んでおり、個別の家庭だけでなくその地域そのものが家父長的な性格を帯びていました。地域の人間関係は濃密で、良い意味では互助的な、悪い意味では拘束的・抑圧的な性質だったとも言えます。そういう性格のコミュニティのなかで子ども達は、遊ぶにしても親の手伝いや地域行事に参加するにしても、一人だけで好きなことをやる頻度は比較的少なく、多くの営みが非個人的で集団的でした。対して高度成長期以後のニュータウンでは、両親以外の親族は遠方に住んでいることが多く、子どもの価値観やパーソナリティ形成に関与する余地は小さくなりました。出身の異なった者同士が集まるニュータウンの性質上、地域社会のような濃厚な人間関係は過去のものとなり、良い意味では自由な、悪い意味ではどこにどんな人が住んでいるのか不透明な状況下での生活が当たり前のものになりました。ここでまず注目したいのは、従来の地域社会に比べると、ニュータウンで育った子どもは、より少ない大人や年長者としか知りあう機会がないということ、言い換えれば、ニュータウンではより少ない大人しか生育環境に含まれないということです。地域社会においては、両親以外の親族はもとより、近隣住民や町内会の大人達は全くの他人というより、ちょっとした身内のようなものでした。両親以外にも「この人の言うことは聞かなければならない人」が両親以外にも複数名存在したという意味でもあります。対してニュータウンでは、「この人の言うことは聞かなければならない人」は両親以外には殆ど存在しません。近隣住民の殆ど、少なくとも多くは他人であり、子供としては両親の意見や価値観に左右されやすくなります。それゆえ、親の価値観や常識が極度に拘束的だったりエキセントリックだったりすると、子どもの価値観の内面化過程にとって致命的な打撃になり得ますし、もしそうなっても、周りは皆赤の他人である以上、両親以外の保険になるような年長者はどこにも存在しません。つまり、地域社会では地域社会の質や拘束性の大小が子どもの価値観やコンプレックス形成を大きく左右し、ニュータウンでは核家族内の両親の質や拘束性が子どもの価値観やコンプレックス形成を大きく左右しやすい、ということです。この両者の、子どもの価値観の形成や規範意識のインストール、そしてそれらに関連したコンプレックスが形成される際に問題となる大人が「どこの誰なのか」が大きく異なっているのは間違いありません。そして、生育環境のニュータウン的な度合いが強まるほど両親の性質や振る舞いの占めるウェイトが大きくなる、という点こそが、団塊ジュニア以降の世代を理解する鍵となります。

 

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