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2013年2月 9日 (土)

ルートヴィヒ・クラーゲス「リズムの本質について」(3)

第3章 分節化された連続性としてのリズム

ギリシャ語のレイン=流れるに由来するリズムの語を文字通りに受け取るなら、それは何か流れるものであり、したがって途切れることのない連続性である。規則の現象は均等に分節化された系列というかたちをとる。そしてこのような系列には連続性が欠けている。庭の垣根の規則的に並んだ支柱は、それらの間の空間を隙間に変化させる。この垣根の格子にもリズムが現象しうることは否定できない。しかしこのことを基礎づけることができるためには、その前にリズムが現象するのは確かに隙間それ自体の中にではないことを確認しておかなければならない。

しかしここで、リズムの意味を規定するためには単に連続的であるというだけでは少なくとも不十分であると先に言及したことが否応なく浮かんでくる。壁の板が平面的連続性を示しているからといって、それをリズム的とは言わない。

水の波はまずは目に止まり、二番目に初めて耳に聞こえる。しかしそれは運動であり、そしてどんな運動も時間の中で推移している。池の波の一つない鏡のような水面を思い浮かべてみよう。その中心に石を投げ込み、広がる波紋を見ないで、例えば浮かんでいる木片が運動しているその場所に目をとめてみる。その運動はどこで二拍子と同じであると言えるであろうか、どこでそれと異なるのであろうか。強音節に弱音節が続くように、波の山に谷が続く。山と谷とは境界づける打音に相当するが、しかし打音を標示するようなものはない。無数の中間状態の交代に媒介されて上昇は下降へと滑らかに移行し逆もまたそうである。したがって上と下の転換点でも決して尖った角ができることはない。角のない円弧の現象には、見間違いようもなく分節化された運動が途切れることなく連続していることが感知的に現われている。つまりこれは静止状態が互いに反対方向に振れながら絶え間なく交代する結果生じるのである。我々の考察は振り子時計の拍子を打ちながらの歩みの現象と波の現象との本質的相違に迫ろうとするものである。このような考察を追いそしてまたそれを自分のものにできるためには、ここで問題にしているのは物質ではなくもっぱら現象であるということだけを常に忘れてはならない。

打拍を聞くことは打拍が生じたことを確認することである。それに対して波の転換点の知覚は、波の山や波の谷の知覚に続いて生じる。それは、どちらの場合もごく短いがしかしはっきりと気づかれる時間によって波の山や谷の知覚とは切り離されている。この過程の境界はそれが始まる瞬間に意識もされ、まさにそれゆえに枠となって過程を切り離す。この枠によって過程自体が我々にわかりやすく強められて現象するようになる。それに対して、この過程の推移のかたちは境界のような補助線がないのでつねに後からはじめて評価されるよりない。打拍の境界という意味が精神によって時間現象の中に持ち込まれたものであるとしたなら、われわれの把握する能力は波の現象に後からやっとついて行くものである。この事情が教えるのは、境界づける標識のないあらゆる分節化は非精神的な起源をもつことである。

どんな拍子にも始まりと終わりがあるが、しかし波には始まりも終わりもない。そして波に始まりも終わりもないとすれば、それは文字通り何か「無限のもの」である。とらわれなくそのような波の連なりに見入る人は決して波が始まりそして終わったとは言わないであろう。そうではなく波は寄せては返したというであろう。この過程を何か分節化されたものにしているのは常に同一の性質をした境界ではなくてこの過程自体において区別することができる方向の対立である。しかし無限もの把握することができない。もしそれに対して我々は無限のものという概念をもっていると主張しようものなら、こう反論しなければならないであろう。どんな概念も把握的判断と指示的判断という二つの判断様式の基盤となり得る、と。赤と青という概念の助けを借りて我々は赤いものと青いものとを区別する。しかしその際前提されている赤と青という二つの現象は把握することができない。生来盲目である人は、赤と青という名が二つの意味単位を表わしていることを非常らよく理解していても、概念がただしめしているだけのもの、赤という現象と青という現象を見出し、示し、区別することはあきらめなければならない。これらがただ体験されるよりないものであるのと同様に、連続性の現象は体験内容であって把握能力によっては到達できないものなのである。リズムと拍子との混同に現われているのは、生命と精神との太古の混同の何千ものあり方の一つに過ぎない。

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