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2013年2月22日 (金)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(3)

第2章 われわれはなぜ、どこで躓いたのか─団塊ジュニア~ロスジェネ分析

ここでは、団塊ジュニア世代~ロスジェネ世代に的を絞って、この世代が特に大きく抱えている問題や、その問題が起こってきた由来について掘り下げてみたいと思います。

団塊ジュニア世代~ロスジェネ世代は学生時代に想像していたものとは全く異なる就職氷河期に直面し、終身雇用制はバブル崩壊以前に就職した人々と、それ以後では一部のどうにか正社員として就職できた人びとだけに適用されるルールになりました。残った人々は、収入と雇用の将来性がハッキリしない、非正規雇用という流動的な立場で働くことになりました。団塊ジュニア世代~ロスジェネ世代は、この変化をモロニ蒙ったといえます。団塊ジュニア世代~ロスジェネ世代は、心理面でもかなり困難な、前後の世代とは毛色の違った立場に立たされています。というのも、この世代はバブル以前の価値観の影響を色濃く蒙っていながら、なおかつバブル以後の生活や境遇を余儀なくされているからです。高度成長期を生きた親達に育てられ、バブル景気の華やかな気分と、そうした諸先輩の背中を見て育った私達は、年長世代の価値観を内面化しながらも、しかしその価値観を実現できないという葛藤を抱えながら生きることになったわけです。この矛盾に由来する心理的葛藤は、恵まれた上の世代にも、恵まれないことを前提に育った下の世代にも共有されておらず、それゆえ理解も共感もされずにスルーされやすいように見受けられます。

 

そんな私達の世代の中でも特に悲惨なのは、親達の価値観を忠実に内面化し、その価値観の通りに生きようとした挙げ句、時代の変化に取り残された人達です。人口ピラミッドの関係上、私達の世代は最も熾烈な受験競争を潜り抜けなければ大学に入れませんでした。そんな情勢下、親は子のためと思って高い月謝を払って子どもを塾や予備校に通わせ、子は親の期待通りにやれば幸せになれるとぼんやり信じて、一度きりの思春期を受験勉強の背伸びに費やすという親子が珍しくありませんでした。ところが、大学を卒業して見る頃になると、そうした処世術が的外れだったことが明らかになってきます。それなりの大学を卒業していても就職先がなかなか見つからない、という事態が多発しました。そして企業側から期待される能力も違っていたのです。受験勉強の延長線上として講義の最前列でノートを取るような勉強中心の大学生活を送っていれば、座学はしっかり身につくのかもしれませんが、企業はそんなものを新卒者に期待してはいません。企業が期待していたのはコミュニケーション能力や協調性といったもので、要は、社会に出てすぐに使い物になりそうな能力や経験を重視していたのです。しかし、コミュニケーション能力も協調性も、座学で身に付くものではありません。親の言いなりに勉強ばかりしていた人間は、指示待ち人間とか自発性を欠いた人間、応用のきかない人間という誹りを受けることにもなりました。

 

こうした親の言う通りに勉強ばかりしてきた人たちに残されたのは、大学の卒業証書と、その学歴に見合わぬ就職先でした。もちろんこうした受験神話に忠実な人達ほど自分には高学歴に相応しい収入なりステータスなりがあって然るべきという思い込みを内面化していますから、学力に相応しくない就職先では働くモチベーションが得られません。「こんな職場は僕には相応しくない」という思いを抱えていては、職場のストレスは過大に感じられますし、第一、そんな鼻持ちならない意識を持っていては、職場の人間関係の中で浮いてしまうのがオチでしょう。しかし、バブル崩壊後に就職した私たちの世代には、こうした、頑張って手に入れた学歴に相応しくないという思いを抱えながら生きている人間がたくさんいるのです。

 

90年代~21世紀初頭にかけて、個性的であることはいいことだと、やたら個性が礼賛された時期がありました。個性を追求し、自分らしさへと突き進んだ青少年の多くは、その個性を賞賛されることみないまま、自分は個性的だという不良債権と化した自意識を胸に、平凡な日常をのた打ち回っています。個性が生かせない仕事したくない、働いたら負けだと思っている、個性を大事にしない社会が悪い、自分の才能を見抜けない上司が悪い…。そういう怨嗟をオーラのようにまといながら、心のどこかで本当の自分が開花する日を待ち望んでいる男女が、今、どれだけ存在するでしょう。現実を見るに、彼/彼女らの思うところの個性が、スポットライトを浴びる日が来るとは思えません。世の中の仕事の大半は、没個性的なものであったり、巨大なプロジェクトの歯車の一つだったりもしますから、自分らしさを開花させるとは無縁のものばかりです。結局、ビジネスの世界でも、プライベートの世界でも、個性が無条件に礼賛されているわけではなく、現実に礼賛されているのは、使える個性や欲しい個性であって、使えない個性や欲しくない個性ではありません。数多のライバルを蹴落としてナンバーワンを目指すのか。それとも個性をむしろ殺して店先に並ぶ普通の花を目指すのか。個性を手放しで礼賛した時代のなか、そのどちらにも属さないような個性を身につけてしまった人達は、本当は礼賛されるべき自分の個性が全く評価されていないという葛藤を抱えながら、これからも生きて行かなければなりません。

 

報われてしかるべきと思っていた努力が報われず、認められてしかるべきと思っていた個性も認められない現実を前にしても、私たちの世代はそれなりに社会に適応しようと努めてきたと思います。それも、20代の若いうちなら、さまざまなトライアンドエラーを繰り返しながら自分可能性を模索することができますが、30代ともなれば、これからどのように生きていくのか、ある程度の見通しが欲しくなってくるようになります。昭和の両親とバブルな諸先輩を見上げながら育った私たちの世代は、こうした従来的な価値観をある程度内面化しており、いい歳になったら定職に就かなければならない、結婚しなければならないといった価値観に囚われがちです。内面化された価値観は自分自身のものですから、逃げられるものではありません。

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