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2013年2月 6日 (水)

山への思い出

突然ですが、カミングアウトします。このブログのアクセスが10万件を越えたということで、何か記念に書きたくなりました。実は、今を去ること20年以上前、大学に入ったのを機に山登りを始め、以後10年間続け、その後は全く山に行かなくなりました。徒然に、山の思い出などを書いてみたいと思います。このような場合は、馴れ初めとか事の始まりに言及してから始めるのがオーソドックスなあり方と思うので、その辺りのことを思い出して見ようと思います。

こういう思い出というのは、今があって、その前提に敢えて思い出させるという手続きをとるので、必ず、今を肯定した上で操作が加わるというのか、その時のことを今の自分の都合の良いように。意識的にか無意識にか、つくってしまうものなので、そういうものとして読んでください。例えば、その過去の事例の中で、どんな出来事を思い出すかの取捨選択がどこかで為されているようで、フロイトの用語でいう検閲が為されているということです。そして、今回、これで思い出の物語を、つくって形になって、それを私が記憶すると、それが思い出の物語という事で固定されて、以後は、思い出はこの物語に準拠してものに再構成されていく、そういうものでしょうか。それを大掛かりにしたのが歴史っていうものでしょうか。

というわけで、私が山登りを始めたきっかけは、1年の浪人生活を終えて大学に入った途端に、そういうサークルに勧誘されたためです。もともと、小学校の頃から遠足が嫌いな筈だった(バスに乗ると車酔いをして、長時間歩くとへばった、そして何よりも出かけるとか、非日常的な時間が好きではなかった)のに、どうしてそんなサークルに入ったのか今以って分かりません。サークルに入ってからも体力作りのトレーニングではへばる、本格的な山行への準備のためのトレーニング山行では他のメンバーについて行けない。当時、一緒に入会した1年生の中では、私がおミソのような存在で、そのうち辞めるだろうと思われていたようです。1年生で最初にやめるのは目立つので、そのうち、アイツが辞めるから、そのあとやめればいい、と当時の1年生は思っていたようで、意外なことに、その私が辞めないので、やめるにやめられず、その年度は退会者なしというサークル始まって以来の出来事となってしまったそうです。そのサークルは今も続いていて40年近い歴史のなかで、そんなことは1度しかなかったそうです。ちょっと自慢しました?

そして、大学1年の夏、7月に前期試験が終わり(私のいた学校は夏休み前に前期試験を終わらせるシステムになっていました)生まれて初めて、北アルプスに行くことになりました。行ったのは、表銀座と呼ばれる超初心者むけのコースでした。何と言っても登山道に「銀座通り」しかも「表通り」という名が冠してあるくらいですから、電車通りというのか対面6車線とでもいうのか、整備されての登りやすい道だったわけです。

初日は稜線までの約1000メートルの高度差を一気に登ります。私が、トレーニングでいつもヘバるのはサークル内のみんなが知っていましたから、テントとか鍋といった装備を背負う分担については、私は記録用のカメラという最低限で、持ち寄った食料は私が分担して背負う分から優先して供出ということになり、前日に麓で一泊した時に米とか野菜はあらかたなくなっていました。登り始める直前に同じ1年生どうしで、それぞれの背負うリックサック(当時はキスリングという布製の重くて大きな代物でしたが)を比べて見ましたが、私のリックが想像通り明らかに一番軽く、それで何とかなりそうと、変な安堵をおぼえたものでした。パーティで1列になって登り始めると、私はセカンドの位置。これは、先頭のすぐ後ろで、私が遅れ出せば先頭が直ぐに気付いて全体のペースを落とすことができるからです(こんなことは、当時の私が知る由もなく、このことを理解したのは3年生になって、私がパーティーのリーダーを務めるようになってからでした。当時、リックサックの重さを比べた他の1年生がどう思ったか等は、当時の私は考えることもできませんでした)。最初のうちは何とかついて行けました。最初の休憩、みんなで私の水筒から水を飲んで、少しでも私の荷物を軽くしようとしてくれました。そして1時間もすると苦しくなりはじめ、そのあとは、とにかく、ひたすら目前の地面をみつめ右足の次は左足と、足を前に出すことしか意識にのぼりませんでした。苦しいとか考える余裕もなくなってしました。私の知らないうちの私の装備分担であるカメラはリーダーの3年生の首にかけられていました。今、思い出すと、その時の上級生たちは「ガンバレ」というような月並みに言葉の激励もかけることなく、ただだまって、私の様子を見、前に進めるペースを維持して、多少の時間がかかっても辛抱強く前進していました。おそらく、ガンバレ、などと発破をかけられていたら、私は無理をして途中で動けなくなっていたでしょう。しかし、上級生たちは私のペースに合わせ、しかし決して止まらせずに、辛抱強く前進させたのでした。今思えば、良き先輩に恵まれたと思います。ガンバレを連呼するようなサークルだったら、私は潰れていたと思います。それでようやく稜線の小屋に辿り着いてテントを張り、到着は最後だったので空いたスペースがなく、端の不便な場所しか残っていませんでしたが。サークルに自分でもわからずに入って、何度も思いましたが、その日は痛切に「オレ、何でこんなこと、やってんだろうか?」という疑問に強く捉われました。よく、山に登るなどというと、「何で山に登るか」などとカッコいい、ちょっと哲学的に響くような問いがあって「そこに山があるから」などと答えるとサマになるのですが、この時は、そんなものではなくて、後悔以外の何ものでもありませんでした。翌日、本来ならば景色のいい稜線の展望コースを行くはずでしたが天気は、あいにくの雨。3000メートルの稜線で雨に降られるというのは、雨が下から降ってくる、という初めての体験をしました。ちょうど山の稜線にかかっていた雨雲の中を歩いていたようで、雨が上から下から、横から降ってきている。そのうちに雷の気配がして、雷も落ちて来るのではなくて近くで発生するというような感覚を初めて体験しました。このコースは一旦稜線に出てしまえば、アップダウンの比較的少ないコースだったので、普通のペースで歩けていましたが、このような天気の真っただ中にいて、初日に続き散々でした。そんなことを感じる余裕は、その最中にはなかったのでしたが。そして、北アルプスの象徴、槍ヶ岳への登りが、このコースの難所で、岩稜帯の急峻なのぼりがつづき、時には岩登りのようなことが必要な所もあるというところで、上級生は心配だったと思います。実際、それまでで、私は完全にメゲてましたから。慎重にいこう、そして絶対に気を抜くなということでスタート、私の前後に上級生がつき、前後を上級生に挟まれる形で登り始め。最初はおっかなびっくりだったのが、何とか登れてしまったのでした。途中危ないところもあったようですが、槍ヶ岳の肩と呼ばれるところ。その名の通り、人間の肩のような感じのところに立っていました。そこから穂先よばれる槍ヶ岳の頂上はすぐ先のところ。その時には、雨雲が晴れて一面遮るもののない大展望(ポスターやガイドブックにあるような)が眼下に広がっていたそうです。

それで吹っ切れたかといえばそうではなく、その後も合宿というような山行ではいつもみんなのお荷物でした。そのたびに「オレ、何でこんなこと、やってんだろうか?」と思いました。誰も、答えてくれないし、自分でも答えは分かりませんでした。実際のところは答えを考える気もありませんでした。

そして、学期末試験も終わった春休み、1年生最後の春合宿でした。いつもの通り、出発前に1年生どうしでリックサックの重さを比べてみたら、私のザックの重さが他の1年生たちのザックと変わらなくなっていました。他の1年生たちはニヤニヤ笑っていました。その時、私は、そのことに初めて気が付いたのでした。

私が、合宿という、サークル内での参加が義務付けられた山行だけでなく、個人が自主的に計画して山に行く個人山行に参加するようになったのは、そのあと2年生になってからでした。

なんか、スポ根ストーリーをつくってしまった観もあります。もう少し続きそうな雰囲気ですね。この後、続くかどうかは考えていません。思いついたら書くかもしれません。

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コメント

何度か爆笑しました~フロイトとかでてきちゃうのはさすがCZTさん。私も数少ない山登り経験でオシッコ漏らしそうになった話とか書きたくなっちゃたワァ・・・すいません、下品で。CZTさんのキャラが伝わるすばらしく面白い出来のブログに対抗してやろうかとひそかに闘志を燃やしております。

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