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2013年2月20日 (水)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(2)

もうひとつ、個人と社会との相互作用がこんがらがっている例を挙げてみます。モンスタークレーマーな人達と社会との関係です。自分の欲求を充たすためなら常軌を逸した要求やクレームをも辞さない振る舞いは全体の中のごく少数ではあっても、社会構造に大きな影響を与えるようになっています。というのも、こうした無茶な要求をする人が1万人に一人程度だとしても、その1万人の一人に出会った時に対応できないようなサービス業は、たった一人のモンスタークレーマーによってシステムダウンしてしまうからです。このため、現代のあらゆるサービス業は、平均的なお客のニーズに合わせてではなく、1万人に一人のモンスタークレーマーに合わせる格好で、サービス内容やリスク対応を考えなければならなくなっています。見方を変えるなら、「モンスタークレーマーによって、現代のサービス業やサービス従事者の質は規定されている」とも言えるかもしれません。モンスタークレーマーにも耐えられる事業者と人間だけが生き残り、そうでないものが淘汰される社会になった結果、消費者としても、私たちは大きすぎるコストを支払い、高すぎるハードルを超えなければならなくなっています。

そんな難しい社会に適応できなかったと感じている人達は何を思い、どのように生きているのか?かつてのサラリーマンの居酒屋とか主婦の井戸端会議のようなストレス発散の場はインターネットへと変貌しました。ネット上に他人の不幸を喜んで憂さを晴らしたい人が集まって、“自分は生活が充実していない”と思っている人達にとって“自分よりも生活が充実していそうな人”が引き摺り下ろされるさまを眺めながら、ルサンチマンを共有する同士で一体感を体験することでカタルシスを感じる。ネット炎上も、これに近い性質があります。ここには、さきの居酒屋や井戸端会議とは違ったインターネットならではの特徴があります。①日本中から不特定多数が集まって来る。②目に見える形でいつまでも履歴が残る。③書き込まれた場の怨恨が独り歩きし始める。④正義感を伴っている。⑤ターゲットが無尽蔵に供給され、終わりがない。以上のような特徴を持っているが故に、エスカレートしやすく、しばしば個人の意志やコントロールを越えた事態に発展しがちです。このようなつもりに積もった悪意は大きな力となって簡単に個人を押しつぶしてしまいますし、ガス抜きと称して日常的に罵倒を繰り返している人は、いつか自分自身が悪意に呑まれてしまうでしょう。

では、“生活が充実している”人達なら、悪意に溺れることなく、満足に暮らして行けるでしょうか。20代の人ならバブル的な物質的充足を幸福の条件としていませんし、何より、まだ若いのです。若いということは、まだ変化する可能性があるということです。しかし、団塊ジュニア世代の場合、もう30~40代にさしかかっているわけで、“リアルが充実”している人でも肌の容色が衰えたりとか、可能性に夢を見ることが段々難しくなってきます。そして現代社会に浸透している価値観においては、「若いということは素晴らしいこと」なのですから、若さを維持できないという一事が、不幸感に直結するかのように感じられる人がゾロゾロ出てきてしまいます。「いつまでも若者のままでいたい」そう言った願望に応えるべく、近年は、中年男女が若作りするためのアイテムが一大市場を形成しています。しかし、若作りが強引であればあるほど歪みが生じずにはいられません。若いライフスタイルに固執し過ぎて神経をパンクさせてしまった人を見かけることがあります。考えようによっては、現代人は社会的・心理的には、老いも若きも「歳をとらなくなった」と言えます。さりとて、いざ歳をとったライフスタイルに移行しようと思っても、成人式や還暦などは通過儀礼としての意味をほとんど失って形骸化していますし、世代間コミュニケーションの少ない昨今、“格好良い年長者”のロールモデル的な人物に出遭うチャンスもあまりありません。私たちは、人生のギアチェンジも為し得ないまま歳をとっていく時代にいるといえます。

かくして、大勢の人が他人の痛みも他の世代の都合も考えず、一生懸命に自分の快楽やストレス解消や若さを求めてやまない21世紀がやってきました。見ようによっては、個人の自由と自己選択を尊重するような社会が生まれたからこそ、自分の快楽や若さに夢中になれるようになった、ともいえるかもしれません。しかし、仕事の配偶も自由に選べるようになったということは、自由競争に打ち勝った上で選ばなければならなくなったということでもあります。自由競争に打ち勝てるような人には天国でも、自由競争について行けない人は、どこかでウサを晴らしワーキングプアな独身生活を続けるしかない、そういう社会だったわけです。また、自分自身の自由と欲望を優先した結果の一面として、大家族は核家族化し、その核家族すらしがらみと感じる人々は、当然のように単身住まいを選ぶようになりました。異なる世代・立場同士の断絶は進み、互いに非難し合ったり貶め合ったりすることこそあれ、相手の価値観や隠れた技能を垣間見るチャンスも失われました。結局、どこまで自由を謳歌しているのか、自由と裏腹な孤独に疲れているのか分らないような人たちがごまんと存在しているのが、私たちの世代の現状ではないでしょうか。しがらみと責任を回避し、自由と可能性を追い求め続けたスタンドアロンな人々が、このような死屍累々の様相を呈している現状を見ていると、私は、高度成長期以来のライフプランニングはもはや時代遅れ、と思わずにはいられません。“終わりなき思春期モラトリアム”的なメンタリティを抱え続けたまま歳を取った挙句、孤独を誤魔化すためのあれやこれやに奔走し続けるような生き方は、私たちの世代でもう終わりにすべきではないか、と思うのです。

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