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2013年2月 2日 (土)

チャールズ・ローゼン「音楽と感情」(3)

Ⅲ 対立し合う情緒─古典派

1770年以降、音楽様式には劇的な区切りが不可欠になった。

「ハイ・バロック」の波瀾のない継続性はもはや流行後れだった。ソナタのような二部形式の前半を、18世紀はじめの二部形式の舞曲形式のように、単純に属調の半終止や完全終止で終わらせることはもはや出来なかった。楽章前半のまんなかで起こる属調への転調はただではすまなくなり、きっかけとして属調としてのドミナント上で先行する半終止をもちいることもあった。リズムがしばしば崩れ、新しい主題が使われたりした。ハイドンの交響曲の多くがそうだが、新しい主題をもちいずに継続性が勝るときでも、属調は以前よりはっきりと確立され、より活発でエキセントリックなリズムの質感によって新調の領域をきわだたせるようになった。私たちが子どものころの音楽鑑賞の授業では、ソナタ形式には対照的な二つの主題があり、最初のテーマは男性的、二番目は女性的だと先ず教わった。これはたいていの場合に通用する。

ここでもっと実りの多い議論は、内蔵された対比の問題、対立する情緒がまるで大きな形式を映し出す鏡の中のミニチュア画像の様に表現される主題や動機そのものの問題である。こういう主題は頻出こそしないものの、まれというわけでもないので、一考に値する。これによって、数十年つづく音楽様式のなかで機能した情緒表現の方法に鋭く焦点をしぼっていけるからだ。ある有名な例をあげよう。モーツァルトの「交響曲第41番ハ長調ジュピター」の冒頭主題である。音楽の情緒表現は新しい技法になった。情緒は静止したものではなく、活動しながら、競い合うなかで生まれる資質になった。器楽音楽は新たな次元に入ったのである。

数小節後にあらわれるジュピターの主題の対抗提示はこの革新についてさらに明らかにしてくれる。もとの動機の前半と後半はいずれもまだ存在しているが、対立は消えている。フルートのオブリガートによって統一されたのだが、これは最初の対比と同じくらいに重要なプロセスだ。ここで私は「命題─反命題─統合」というヘーゲルの弁証法理論との類推を大まじめでもちだそうとは思わない。対立の提示とその解決は、すべてとはいわないまでも大半の劇的な形式にとって必須であり、モーツァルト時代の劇場にとってはもちろん基本中の基本だった。18世紀後半のドイツ音楽の器楽様式はオペラの劇的効果の一部を発展させて、より凝縮された効率的なものにした。

 

 

もしクラシック音楽が今あるようなかたちで生き残るなら、私たちはこれから十年が二十年のうちに、これら競い合う独断論の断片が魅力的で首尾一貫したものであり続けるようなアイデアを思いつけるかもしれない。情緒表現はこれら競い合うトレンドすべてにおいて等しく効率的なわけではないが、そのすべての内に存在する。しかし私たちはここで少しへりくだって、人々の感受性に働きかける音楽の力は、作曲というより演奏の方に多く依存していることを思い起こす必要がある。1820年に詩人のジャコモ・レオパルディはこうのべた。

音楽の奇跡、私たちの感情に働きかけるその生来の力、それが自然に呼び起こす歓び、やる気や想像力などを目覚めさせる力といったものは、音響や声が心地よい限り、正しくもその音響や声に宿り、音響や声のハーモニーの混合物が自然に耳を楽しませてくれる限り、その音響や声のハーモニーに宿るのであって、メロディに宿るのではない。つまり音楽とその効果の本質は美そのものの理論以上に、香り、味、素朴な色といったものに属する。…こういう考察にのっとって考えれば、野蛮人や獣すらもが私たちの音楽にこれほどの歓びを見出すのも驚くにはあたらない。

音楽芸術を料理や香水調合の技法になぞらえて、音楽が最も卑しく、最も知性の劣る人間の本能に訴えるとほのめかしたあと、レオパルディは説得力をもってこう付け加える。美しいメロディもひどい歌い方をすればほとんど歓びをあたえず、ひどいメロディでも楽器や非常に心地よい声で演奏されれば大きな歓びをもたらす。これが示唆するのは、作曲家が私たちを感動させ、これほど多様性に富んだ情緒を創りだす方法についてこれまでのべてきたたくさんの事例が、平均的なコンサート常連客の経験とは、私たちが信じたいと思うほど関係していないということだ。とはいえ、私たちの音楽経験が豊かで深いものになればなるほど、演奏家がただ心地よいだけのサウンドをつくるだけでなく、音楽スコアのなかで一番重要なものに光をあて、浮き彫りにして私たちを感動させてくれるにちがいないと期待をふくらませて、みずからを慰めようではないか。

 

今年、最初の読書メモということになります。音楽の感情表現について追いかけていますが、途中から個別のケース分析を次から次へという読み物に変わってしまっています。それはそれでいいのでしょぅけれど、『音楽と感情』というよりも感情表現という切り口の楽曲紹介というものになっています。そこで音楽の感情表現がどのように推移してきたのかという史観とか、そもそも音楽における感情表現とは、といった考察が展開されているわけではないので、どうしてその楽曲がとりあげて紹介されているのかがハッキリせず、音楽雑誌のよくできた連載コラム程度のものでわざわざ本にする意味を感じることはできませんでした。残念。

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