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2013年2月25日 (月)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(6)

第3章 ミソジニー男とクレクレ婚活女の織りなす空前のミスマッチ

いつの間に、結婚はとても難しいものになってしまったようです。こうした「結婚できない理由」としてよく挙げられるのは、経済的な問題です。しかし、結婚率の低下をすべて経済問題のせいとみなし、あたかも単一原因のように論じる向きには、私は賛成できません。バブル以前を振り返ってみれば、貧乏人でも大体結婚していたわけですし、現在の年収400万円以上の男女にしても、結婚しない人や出来ない人がいるのですから。経済的な問題にプラスαするような、心や価値観の事件において男女の仲を妨げる要素があるとしたらどうなのか?

イソップ物語の「酸っぱい葡萄」という逸話をご存知でしょうか。高い所に実っている葡萄を欲しいと思った狐が食べようとしても手が届かない。その悔しさと腹立たしさに、最初は欲しかった葡萄を「高い所の葡萄は酸っぱくてろくなもんじゃない」と思い込むようになるというお話です。精神分析の世界では防衛機制のひとつ「合理化」とも呼ばれています。防衛機制とは、心に備わった自動ブレーキのようなメカニズムを指す言葉です。人間の心には、認めてしまうと都合の悪い欲求、思い出すと動転してしまいそうなトラウマといった、直視すると強いストレス状態や葛藤状態に陥りそうなものから心を守るためのメカニズムが備わっていて、無意識のうちに作動し心の安定を維持するようにできています。防衛機制というメカニズムには幾つかのバリエーションがありますが、「合理化」は、充たせない欲求を諦める際、葛藤に心を乱されないようにするために、後付け的に「あれは最初から手を出さなくて正解だった」と自分自身に無意識で言い聞かせるようなパターンを指します。「女なんてろくなもんじゃない」といった言動を繰り返して、脱価値化することによって、女性に手が届かない欲求不満やイライラを軽減させている・させざるを得ない男性がいる、という事です。「手が届かない異性は酸っぱい葡萄」に考えが切り替わっておけば、異性絡みの願望を充たしたくても充たせない葛藤によるストレスを最小化できます。それが証拠に、「異性なんてろくなもんじゃない」と口で言っていた人が、ある日、間近に異性が現われてコミュニケーションが始まってみると、「異性なんて…」とはピタリと言わなくなって、有頂天になってしまうケースがあります。そもそも「異性なんて…」と言及を繰り返していること自体が、異性に何らかの関心がある証拠です。好悪の別はさておき、言及するからには異性に何らかの関心があるか、そうでなければコンプレックスが存在する筈で、本当に異性に無関心なら、自分からわざわざ言及を繰り返しはないでしょう。「女性が好き」の反対は「女性が嫌い」ではなく「無関心」でしょう。

そして、私たちの世代の特に男性は、団塊世代やバブル世代に比べて、こうした「女性は酸っぱい葡萄」に陥りやすいと言えます。団塊世代以前であれば、恋愛結婚よりも見合い結婚が優勢で殆どの男女が配偶しましたから、自分が女性に手が届かないと端から諦めなければならない人はいませんでした。しかし、団塊ジュニア~ロスジェネ世代の男性の場合は、バブル世代のような経済的恩恵も、団塊以前の見合い結婚的な配偶システムの恩恵も受けられませんから、異性に全くアプローチしようのない層がどうしても増えてしまいます。しかも同世代の女性は経済指標で男性を選びがちですから、不況の煽りを受けて収入面で厳しい男性は、よほど甲斐性や魅力がなければ女性に選んでもらえません。まして、出会いの場も無い・コミュニケーション能力もない・自発性もないと三拍子揃ったような男性の場合はどうしようもありません。そうやって同世代女性から不可触民扱いにされてしまった男性が、それでも異性への願望を抱き続け、絶望し続けるのは心理的に非常にしんどいでしょう。そのような境遇に立たされた男性が、付き合いもしないのに「女なんてろくなものじゃない」と思い込み、自分の心を挫けさせないように立ち振る舞うのは、心理的にはすこぶる合理的です。

 

「女性は酸っぱい葡萄」は、異性への願望に完全に蓋をしてしまうわけで、そこまで強固に異性を遠ざけようとする人は多数派を占めるほどではありません。実数としてそれよりずっと多いのは「めんどくさい」という処世術です。「女性は酸っぱい葡萄」とは違い、「めんどくさい」人々は、異性への願望を諦めきっているわけではありません。しかし異性を求めて得られないストレスに直面するかというと、案外そうでもないのです。なぜなら、誰かに恋しているわけでも、誰かに好かれるために努力しているわけでもない限り、本気で異性を求めた時のように「ああダメだったんだ…」と失望せずには済みますし、「いつか本気で異性を求めれば何とかなる私」という気持ちも手放さずに済みます。この構図は、第1章で紹介した「全能感を維持するために『なにもしない』人達」に似ています。この「めんどくさい」という処世術を採る人は、異性との縁が得られる確率より、異性に本気になってアプローチして、それが失敗に終わって自分が傷ついてしまう事態を回避するほうを優先するのです。アニメでも車でも何でもいいのですが、異性以外の分野で自分の好きな事を好きなようにやって、なおかつ、「本当に頑張れば異性に好かれる私」という幻想も捨てることなく、なんとなく自惚れていられればそれで十分じゃないか、ということです。家族を心配からせず済むというメリットもあります。

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