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2013年2月18日 (月)

ルートヴィヒ・クラーゲス「リズムの本質について」(10)

第10章 展望

リズムの「喜び」は何に基づくのか。どんな自然の造形、同じようにまたどんな人の手になった造形でも、感知される価値はその造形がもつリズム的内実と一致しまたそれに尽きる。それ以外になお疑問の余地があるとすればそれは技術についての疑問であり、本質についての疑問ではない。

現象として把握すると、世界は現象するものの現象あるいはそれゆえ表現である。世界現象のリズムは何の表現であるのかということについて至る所で様々なことが論争されてきた。そして情動、「アフェクト」、激情について繰り返し語られた。しかし、同じような技倆の二人の練達踊り手がいたとしよう。二人が踊り始めたが、一人はいままさに激しい怒りに捉えられており、一方でもう一人は素晴らしい幸運に出会っていたとする。二人のうちどちらがそのような状況でよりリズム的に踊ることができるであろうかと、自問してほしい。答えるまでもないことであるが、しかしなぜ幸運に恵まれた人の方がよりリズム的に踊れるのかという疑問については答える必要がある。この怒りに比べた喜びと同じように、老人に比べた若者、しらふに比べた軽い酔いに共通するもの。抑制的感情からの自由あるいは解放である。それゆえ情動がリズムを生み出すのではなく、特定の激情、状態、人生段階と結びついてそれと対立する人生段階、状態、激情につきまとっていたある種の抑制が解除された後にリズム的に拍動することができるその抑制されたものとは何なのであろうか。すなわち生命それ自体が抵抗を乗り越え優勢になるにつれて、過程や形をリズム化するのである。したがってリズムの中で振動するということは生命の拍動の中で振動するということを意味する。したがって人間にとってはさらにその上に、精神が生命の拍動を抑制している枠が一時的に取り払われることを意味するのである。

リズムの中で振動するということとは、心情によって境界を打ち破ることそして生命の大海に浸されることによって心情が更新されることの一つのありようである、ということだけで十分である。しかしここには何かめくるめく展望が開かれている。それを示すことで我々に十分としてよい。

この研究は水の波から始まった。そして水の波について認めたと思うリズムは、水の波に内在するのか、あるいはその現象によって我々の中に引き起こされるだけなのか、そしてわれわれがまだその源や動きを知らない内的な強要によって水の波に転嫁しているかは、未解決のままであることをはっきり述べておいた。見るところ我々の精神には、確かにこのような転嫁を行うことはできない。しかしひょっとして心情にはそれができないであろうか。精神には出来ないとしたらそれではこの心情が、波の現象のリズムを、個体的生命的世界あるいは四大的世界の周期的流れの中のリズムをでっち上げたのであろうか。あるいはごく普通の言い方で言えばリズムを現象界に「感情移入」したのであろうか。そうであるとすると生命の大海に浸されることは、文字通り想像あるいは幸せを感じさせる一種の幻想ということになるであろう。そのように理解したなら、我々は次のような疑問に、つまりどんな主観主義者もその回答を見出したことのない疑問によって、途方もない困難に巻き込まれるかもしれない。この困難は無視することにしよう。その疑問とは、無数の交代的過程現象を通じて心情に強要されて引き起こされるリズム的振動が、非常な幸福感を伴って生じ、例えば不快な妨害された感じを齎すことが多いのはなぜかという疑問である。ここでは次のことを示唆しておく。波のリズムを、宇宙の運行の大小の周期のリズムを感じる人は、地球それ自体を荒らしや洪水や雨風とともに心情をもつものと見るであろう。そして地球を心情をもつものと見る人は次に我々の太陽系を心情を持つものと見る人は次に全宇宙を心情をもつものと見るであろう。宇宙が心情をもつ、全思想史を通じてこの言葉で理解されてきたことは、宇宙が精神を持つとする生命敵対的な脳の紡ぎ出す幻影以外の何ものでもなかった。ここでは四大心情を想定することから行き着かざるをえないただ一つの結論だけを挙げておくことにしたい。

それはロマン主義の予感と同様に宇宙の極性を要求するであろう。それに従って月は地球と、地球は太陽と、太陽は銀河系と、そしてまた製紙は運動と、熱は輝きと、むろん空間は時間と互いに連関することが体験されるであろう。そのほかのすべての極性を包み込んでいると思われる最後に挙げた空間と時間との極性についてだけもう一度見ておこう。現実とは生起の現実のことであるとするなら、現象の空間性も絶え間ない変移を免れない。そして生命をもつと言われた宇宙において形象の空間極と時間極とは肉体と心情の関係にある。現実空間は現実時間の心情であることになるであろう。しかし心情はリズムにおいて無制限に現象するとすれば、リズムの本質の鍵となると思われる去来の交代は時間性に特有のものであろうし、ただ測定機器や線形の時間しか知らない物理学者にはどれほど神話めいて聞こえようと、リズムの意味のもっとも基底的な根拠は、現実時間の拍動する歩みにあるのである。したがって個体心情がリズムの中で振動すると、たとえどんなに短い瞬間であろうとも、生起の双極を結合しているものつまり過ぎ去りと生成とを結合する永遠と一つになるのである。

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コメント

ゲーテと三木成夫氏の生命形態学を読んでいた関係でクラーゲスのリズム論にも興味を持っていましたが、大変勉強になりました。ありがとうございます。

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