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2013年2月26日 (火)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(7)

そして、異性への願望を充たしてくれるメディアコンテンツがものすごい勢いで発展しているため、そちらで満足している人も増えてきています。この20年ほどでコンテンツは一転充実し、その発展と普及によって、少なくとも二種類の「コンテンツでなければ異性を愛せない男女」が出現しているように見受けられます。一つめは、①現実の異性の代用品としてではなく、美少女/美少年キャラクターに心奪われる人々です。近年は、思春期前半から魅力的なキャラクター達にドップリ浸かって育つ人が珍しくありません。その結果として異性に対する魅力の判断基準が現実異性ではなく、架空のキャラクターの方になってしまっている人が現われています。魅力には混じりっ気がなく、怒ったり拒絶したりすることもありません。そんな、安全で純度の高いキャラクターに馴染み続けてきた人達にとって、現実異性とは、魅力の純度が低くノイズだらけのうえに、危なっかしい存在と感じられるのかもしれません。そういう人達にとって、キャラクターは現実異性の代用品ではなく、キャラクターこそが「本命」になり得る、というわけです。二つ目は、②セクシャルなメディアコンテンツがさほど発達も普及もしていなかった頃に思春期がスタートし、まずは現実異性に心惹かれ、その後、現実異性の代用品としてアイドルやキャラクターを消費するようになった人達です。このような人達にとって、現実異性にアプローチするのに比べると、コンテンツを消費するのはお金も時間も低コストということです。そのうえ、アイドルやキャラクターは傷つくようなことは言いませんし、全能感を折られるリスクもありません。しかし、こうした人達にとってアイドルやキャラクターは「本命」ではありません。心の中では現実異性への未練を残しています。②の人達にとって、所詮ディスプレイの向こう側は都合のいいつくりごとの世界でしかないのです。結果として、②の人達は中途半端な境地に留め置かれることになります。そのうえアイドルやキャラクターに親しんでいれば、異性を見る目が無駄に肥えていますから、異性に対して高すぎる理想を期待してしまいがちです。男女双方が、アイドルやキャラクターといった本来あり得ないほどの「魅力の塊」を知ったうえで現実異性を眺めるようになったら、異性を好きになる際の採点基準が辛くなって、その分異性に惚れにくくなるでしょうし、異性に好かれる際の採点基準も厳しくなって、それだけハイレベルな自分を繕わなければならなくなってしまうでしょう。これでは、現実異性に未練が残っていようとも、なかなか恋なんて出来ませんし、前述の「めんどくさい」処世術の人達が一層めんどくさがることになってしまいます。こんな具合に、百花繚乱な日本のセクシャルメディアコンテンツは、①の人達では直接的に、②の人達では間接的に、男女がお互いに恋する可能性を遠ざけています。

 

この①②の人達は男女交際のノウハウも、異性とのコミュニケーションの呼吸も、いつまで経っても身に付きません。そして、男女の恋には「年齢相応」というものがあります。そもそもパートナーの意志を汲み取りながらの対等な男女交際という結婚する二人にあって然るべき態度を身に付けるだけでも実はかなり大変で、それなりに修練や経験蓄積を必要とするものではないでしょうか。以降錯誤と幾らかの苦い経験、そして経験や修練を教訓へと生かすことも無しに「パートナーの意志を汲み取りながらの対等な男女交際」に到達できるとは思えません。ということは結婚適齢期の頃になって望ましいパートナーシップを構築できるようになるためには、多少とも男女間のコミュニケーションや恋愛経験を積んでいなければ難しい、考えられます。①②の人達はこうしたノウハウの蓄積がありませんから、齢をとって急に婚活を始めても年齢不相応な振る舞いしかできず失敗に終わってしまう可能性が高いでしょう。

 

この観点から少子化・非婚化について考えてみると、なぜ、少子化・非婚化対策として若い頃からの男女交際を奨励しないのか、私は不思議な気持ちになってきます。現代の男女の配偶が男女間のコミュニケーションを介した合意のもとで行われる以上、男女交際のノウハウを誰もが相応に詰めるようなパスウェイは社会に必要な筈です。にもかかわらず、そうしたパスウェイに相当するシステムが世の中には存在していません。全体として、思春期が始まっても全員一律に男女交際のノウハウを蓄積し始めるわけではなく、自主的にエネルギーを差し向けた人だけがノウハウを蓄積することになります。このためスポーツや学問に打ち込んでいたような人は、それがために男女交際に関しては最低限の蓄積すら経験できないかもしれず、大人になって恋愛や結婚を考え始めた頃になって困り果てる、という事が起こり易いのです。

 

もっとも男女交際のノウハウ蓄積と言っても、「モテるためのテクニック」みたいなものばかり熟達するのも考えものです。本来、恋が始まるからには、誰かを好きになって、その誰かに対して自分自身が関わって良好な関係を構築していきたい、という願いがあるものです。「この男(女)が欲しい」という、その異性に拘っている自覚が多少ともありそうなものですが、今風の「モテたい」には、これが無いのです。そこにあるのは、「異性に好かれる自分になりたい」といった異性を介して自惚れたい願望だけです。このような人達にとっての異性とは、自惚れるためのアクセサリや勲章としての異性ということでしょうから、自惚れさせてくれるなら誰であっても構わないのでしょう。いずれにせよ、「モテたい」は「惚れる」とは対照的な気持ちです。実際、ひとたび意中の異性に惚れ込んだ男女は、その思いを果たすためにはリスクテイクしないわけにはいきません。しかし、「モテたい」人はまだ誰も好きになっていませんし、異性が欲しいのはあくまで自惚れを充たすためですから、自分が崖から落ちて怪我をするようなリスクテイクができません。もし恋が始まるにしても、そのリスクテイクなりは、まず異性の側が支払うべきで、自惚れが折れてしまうような事態は絶対避けなければならないのです。まとめると、自分が傷ついても構わないから誰かを好きになりたいのが「惚れる」であり、自分が傷つくのが絶対駄目で誰かに好かれたいのが「モテたい」となるのでしょうか。自分は自惚れが折れるのを回避しつつ、白馬に乗った王子様(お姫様)にはリスクテイクして貰いたいと願望する人が、まともに恋愛できるでしょうか。

 

とはいえ、そんな傷つきたくない自分大好きっ子な人でも、傷つかないように食指を異性に伸ばすことがあります。「ダメな俺を受け容れてくれ症候群」です。好意を抱いている女性に、自分の欠点や駄目な点を延々とプレゼンするといった特徴的な行動は、普通の恋愛からすれば異常です。ですが、自分自身の心理的な傷つきを回避しながら、自分自身の承認欲求を充たす機会は捨てずに狙い続けるしたたかさが含まれています。具体的には、①ダメな自分をありったけ曝け出すことによって、拒否された時の痛みを減弱、②だけど、もし上手く行ったら丸ごと承認してもらおうという魂胆、③誠意という名の免罪符、④自分語りの快感、などです。この①②③④のように、自分が傷つきたくないという事を優先させる点では多くのメリットがあります。とはいうものの、これらのメリットは、あくまでダメ語りする側の心理的メリットばかりですし、それを聞かされる異性側にはなんらメリットはありません。ダメ語りは、自分さえよければ異性の快不快は忖度しない、デリケートな自分の心が傷つかない安全圏からことを進めたいという自己中心的な視点から見て合理的・合目的的なのであって、異性を楽しませたいとか幸せにしたいとかいった願いとは対極の態度です。

 

ここまでを振り返ると、現代の男女関係の最大の問題は、「私が愛されたい」「私を幸せにしてほしい」という受動的な欲求ばかりを男も女も抱え過ぎている、ということに尽きると思います。自分が傷つくリスクを冒してでも、この人の幸せに何か自分に出来ることが無いかと思い悩んでみるような、そういう瞬間が、男女双方あまりに少ないのではないでしょうか。「あなたは誰かを幸せにしたいと願ったことはありますか?」先に問われるべきは、こちらだと思います。恋愛にしても、結婚にしても、異性に幸せにしてもらうものではありません。お互いに助け合って、お互いに相手を幸せにしたいという気持ちがなければ、どんなに良い異性に出会っても幸せは長続きしませんし、相手に愛想を尽かされるか、相手が疲れてしまいます。にもかかわらず、メディアが婚活に触れる際には、異性を釣るテクニックにばかりスポットライトが当たるのは、本来物凄く偏った事であり、そのことを誰も不思議に思わない世の中も、物凄く偏っているのかもしれません。

では、どこでどうやって「誰かを幸せにしたい気持ち」を育めばいいのでしょうか。この実践の場は、いくらでもあると思います。日頃、自分がポジティブな気持ちで接している人や、世話になっていると感じている人との日々のやり取りの中で、「相手を幸せにしたい気持ち」の種が育つのだと思います。ちょっとだけ親切を実践しようとか…その程度のレベルの方がウソくさくありません。相手を幸せにしたいというのは祈りのようなもので、必ず相手を幸せにするものでも、義務として行うものでも、必ず相手に届くものでもないでしょう。けれども、その祈りや願いの有無が、人間同士の関係に何かしら影を落とすとも思うのです。

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