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2013年3月19日 (火)

ウォーレン・バフェット「株主への手紙」2012(9)

我々は新聞社を買収しました。新聞?

過去15カ月の間に、我々は、3億4400万ドルを費やして28の日刊紙を買収しました。このことは、2つの理由で皆さんを当惑させてしまうかもしれません。第1に、私はこの手紙や年次総会で新聞業界の環境、広告事業、利益は確実に下落すると、長い間お話ししてきました。そのような予測については、いまだに持っています。第2に、我々が取得した資産は、我々が獲得の際に必要条件とするサイズをはるかに下回っていたことです。

我々は、2点目については容易にお話しすることができます。チャーリーも私も新聞かせ好きで、彼らの経済性が意味をなすのであれば、我々が購入する場合に要求するサイズの閾値を充たさない場合でも購入するでしょう。第1の点を説明することは、いくつかの歴史を含む精巧な説明を必要とします。

ニュースとは、簡単に言うと、人々が自分の知りたいことを知らないということです。人々はニュース、つまり、彼らにとって重要なこと、を直接的、アクセスの容易さ、信頼性、包括性、低コストの最高の組み合わせを提供する情報源から探しています。これらの要因の相対的重要度は、ニュースとそれを望む人の性質によります。

テレビとインターネット以前、新聞は素晴らしい種類のニュース、人口の大部分にとって不可欠な事実、の主要な源でした。皆さんの興味が、国際状況でも、国内状況でも、ローカルでも、スポーツでも、金融相場でも、新聞は常に最新の情報を最初にもたらしたのでした。確かに、あなたの特定の興味に応えるページがほんの少ししかなくても、新聞は、金額に相応に知りたいことを教えてくれるものを持っていました。さらにまた、広告主は、一般的に製品コストのほとんどを支払い、読者はそれに乗りました。

さらに、より多くの「ニュース」を提供している影響で、広告は多数の読者の関心に必要な情報を発信しました。編集者は考え方で委縮していました。しかし、どんな仕事やアパートが活用できるか、週末にスーパーマーケットが何を特売するか、どんな映画がやっているか等を知りたい多くの読者にとっても、社説のページに乗せられる見解よりはるかに重要でした。

次に地方紙は広告主にとって不可欠でした。シアーズやセーフウェイがオマハに店舗を建設したら、彼らは町の住民に、今日、なぜその店に来てほしいかを話しかける「メガホン」を求めるでしょう。たしかに、大きいデパート食料雑貨商は複数の見開きページに彼らの競争を大声で競いました。彼らの広告する商品が棚から飛び出しことを知ってもらうために。新聞のそれに相当するほど遠くに届くメガホンもなく、広告は自身を宣伝しました。

新聞が、その地域で唯一だった限り、マネジメントの巧拙によって差が生じるかどうかに関係なく、その利益は驚異的であったことは確かです。(ある南部の出版社が言った言葉は有名です「私は人生において高い地位にあるのは2つのアメリカの機関のおかげで、それは縁故採用と独占である。」)

長年にわたって、ほとんどの都市は新聞を1つ擁している町となりました(あるいは一つの経済ユニットとして2つの競合紙が力を合わせていることを隠しました。)。大部分の人が一つの新聞にしか購読料を払おうとしなかったので、この収縮は回避することはできませんでした。競争が存在していた時は、市場の優位を殆ど自動的に得た新聞は、最も多く広告の依頼を受けました。それは、広告が描く読者と読者が描く広告を残しました。この共生のプロセスは弱い新聞にとって運命を意味し、「もっとも肥沃なものが生き残る」として知られるようになりました。

今、世界は変わりました。株式市場の相場や国際スポーツ大会の詳細は報道が始められるずっと前からの古いニュースです。インターネットは今現在の仕事や家庭に関する広範囲な情報を提供しています。テレビは国内政治や国際政治のニュースで視聴者を狙い撃ちします。従って、相次いで新聞は関心分野でのトップの座を失いました。そして、聴衆が落ち込んだので、同じように広告も落ちました。長い間、新聞の巨大な収入源であった新聞広告欄の「求人広告」からの収入は、過去12年で90%も落ち込みました。

しかしながら、新聞はローカルニュースを送り届けることについては支配的であり続けています。皆さんの町で何が起こっているか知りたなら、そのニュースが市長や税金や高校のフットボールについてであっても、それに応えてくれる役割を果たしているのは地方紙以外にはありません。カナダの関税やパキスタンの政治的情勢についてのちょっとした文章にふれても、読者の眼は生気を失うかもしれません。しかし、彼ら自身や隣人の話なら終わりまで読んでくれるでしょう。全面的な共同体意識が残っているところでは、そのコミュニティの特別な情報のニーズを満たす新聞は、そこの居住者のかなり部分にとって不可欠であり続けるのです。

しかし、価値ある製品でさえ、不完全な経営戦略のせいで自滅してしまうこともあり得ます。そのようなプロセスは、バッファローのバークシャーを含む出版のあらゆる規模のすべての新聞で進行中でした。物理的な紙にお金をかけている間に、インターネットにより紙を用いずに提供されてしまう。これが、どのように印刷された製品の売上高の急激で一方的な低下を導き出すのでしょうか。さらに、この環境を断ち切ることは広告主にとっても新聞の必要性を失わせてしまいます。これらの条件下では過去の好環境は逆転します。

ウォールストリートジャーナルは、早いうちに支払モデルに移りました。しかし、地方紙のための主な模範となるのはウォルター・ヒュスマンによって発行されているアーカンソー・デモクラット紙です。ジュニア・ウォルターは初期の支払いシステムを採用し、彼の新聞は過去10年間以上、国内の他の大きな新聞よりもよい環境を維持してきました。ウォルターの強力な例にも拘らず、バークシャーを含む他の新聞の支払い準備を調査したのは、昨年になってからでした。まだ、答えは明らかではありませんが、最も働くものが広くコピーされるのではないでしょうか。

 

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チャーリーも私も、包括的で信頼できる情報を限定されたコミュニティーに届けていて、賢明なインターネット戦略がある新聞は長く生き残るであろうと思っています。我々は、ニュースの内容や発行の頻度をカットすることで成功できるとは思っていません。確かに貧弱なニュース報道は、ほぼ間違いなく読者数の減退に繋がります。また、今、いくつかの大きな町や都市で試みられている毎日でない発行は、短期的には利益を改善するかもしれませんが、時間とともに新聞に関わる人々を減らしてしまうことは明らかです。我々のゴールは、読者の興味ある内容の記事を載せ続け、それが彼らがインターネットで入手できる情報であるかどうかに関わりなく、有意義だと気付いた人から適切な対価を支払われるということです。

我々の信頼は、オマハ・ワールド・ヘラルドにおけるテリー・クルーガーの素晴らしいマネジメント・チームの働きによって強められました。このチームには大きな新聞のグループを監督する能力があります。しかし、個々の新聞は、それぞれのニュース対象や編集意見においては独立しています。(私はオバマに投票しましたが、12の日刊紙の大統領支持は、うち10紙がロムニーでした。)

我々の新聞は収入を下方に押し下げようとする力から離れることはできません。しかし、我々が2012年にずっと所有した6つの日刊紙は年間で不変の収益を維持しました。それは大都市の日刊紙よりもはるかに大きな結果です。さらに、我々が年間を通じて関わった2つの大きな新聞、バッファロー・ニュースとオマハ・ワールド・ヘラルド、彼らにとって平均を上回る3%の利益率を維持しました。アメリカ最大の50の大都市の新聞の中で、バッファローとオマハの新聞は、そのホーム地域の地域への浸透でトップ近くに位置しています。

この人気は突然のことではありません。これはニュースのマーレット・ライリーとワールド・ヘラルドのマイク・ライリーというこれらの新聞の編集者がコミュニティの利害関係を持っている読者に不可欠の情報を新聞の発行により届けたことによるものです。(マーガレットは、最近、我々のもとを去り、ニューヨーク・タイムズに移りました、と残念なことを言わねばなりません。この新聞は大きな雇用をしました。彼女なら最高でしょう。)

その新聞社からのバークシャーの現金収入は、時間とともに間違いなく低下していくでしょう。賢明なインターネット戦略さえ相応の浸食を止めることはできないでしょう。しかし、我々の払っているコストではこれらの新聞社が獲得するものが我々の経済テストを充たすか上回るものと信じています。結果は、いまのところ、我々の信頼を裏切っていません。

しかしながら、チャーリーも私も経済原則11条(99ページで詳述されている)に従って動いており、果てしない損失へと運命づけられているビジネスを続けることはないでしょう。我々がメディア・ゼネラル社から一括取得で得たある日刊紙は、その会社の傘下にあった時はまったく利益が出ませんでした。その新聞の業績を分析した後で、我々は損失の救済をあきらめ、しぶしぶ閉じることにしました。しかし、残りの日刊紙は長期的には利益を上げられるようになるでしょう。(それには108ページにリストアップされています)適切な価格、あるいは経常利益の最低線であれば、我々は好きなタイプの新聞社を、獲得したいと思っています。

 

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スタン・リブシーがバッファロー・ニュースの出版者を引退した昨年末、バークシャーの新聞事業にとっての大きな節目となりました。スタンがいない今、報道が滅んでしまうかもしれないと私がいっているのは、あながち誇張ではありません。

チャーリーと私は、1977年4月にニュース社を獲得しました。それは夕刊紙で、平日は発行して、日曜日は休刊していました。国中で市場のトレンドは朝刊に傾いていました。その上、日曜日は首都の日刊紙の収益にとって極めて重要でした。ニュース社は、日曜日の発行がないため、膨らんだ形式的な朝刊を出している競争相手に負ける運命にありました。

したがって、我々は1977年の終わりに日曜版を発行し始めました。そして、それから地獄が始まりました。我々の競争者は我々を告発しました。チャールズ・ブライアント・ジュニア地区判事は我々の新聞の発行を差し止める厳しい判決を下しました。彼の判決は17か月という長い期間の後に、第二巡回控訴裁判所の全会一致の判決により覆されました。その訴えが審議中の間、我々は市場を失い、現金を失い、絶え間ない倒産の危機に直面していました。

スタン・リブシーは夫人とともに1960年代からの友人の一人で、バークシャーにスモール・オマハ・ウィークリーを売却しました。私は、スタンが市場、生産、販売、記事の全ての面について知識豊富な素晴らしい新聞記者であることを発見しました。(彼は1973年に週刊紙がピューリッアー賞を得た時のキーパーソンでした。)それで、ニュース社が大きなトラブルに見舞われた時、私は彼にその快適な生活をバッファローからオマハに移すように頼んだのでした。

彼は躊躇いませんでした。我々の記者であるマレイ・ライトとともに、スタンは1982年にニュース社が厳しい競争に勝つまでの4年間の非常に苦しい日々を耐えました。それ以来、バッファローの経済は厳しい状態にあるにもかかわらず、ニュース社は素晴らしいパフォーマンスを残しています。

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