無料ブログはココログ

« 熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(11) | トップページ | 熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(13) »

2013年3月 5日 (火)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(12)

第7章 私達の義務と責任─次世代に何を残せるか

私達は過去によってつくられた産物であるとともに、大人としてこれからの未来をつくり出していく材料でもあります。昭和後期~平成時代にかけては、私達がどのように育てられ、どのような世代になって行くのかが問われなければなりませんでした。しかし、私達が大人になった21世紀においては、次の世代にどのような身振りを見せ、どのような贈り物を残して行けるかが、より問われるのです。私たちの世代の思春期は、今終わりを迎えようとしています。既に思春期の終わった人も多いでしょう。しかし、次世代を育てはぐくむ再生産のフェーズとしての私達は、今始まったばかりです。「それなら誰の親にもならない、子育てに関わることのない大人には関係ない話だ」と反論する人もいるかもしれません。しかし、子どもをもうけていない大人が次世代育成から切り離される生活環境と、切り離されて当然という常識感覚そのものも、そういう大人達を見上げながら育っていく子ども達の価値観や処世術形成に間接的な影響を与えるのではないでしょうか。「親にならなかった大人は次世代の育成から切り離される」という風景を見た子ども達が、そこから何を内面化していき、大人になった頃に何を思うのか─少なくとも、「親にならなかった大人も次世代の育成に何らかの形で参与する」という風景を見て育つのとは違った何かを学び、内面化していくと推測されます。反対に、現在子育て中の人達の中には、「独身の連中は負担を免除されている」といった風に、次世代の育成に関わることのない人達を怠け者的に看做す人もいるかもしれません。しかし私は、逆に発想してみるべきではないかと思います。子供をもうけない限り次世代の運命に関われないという情況は、本当は、気の毒な事ではないのか、と。じかに子供を育てるほどではないにしても、関わりのある少年が成長していくのを見守ること、その成長になんらかのポジティブな足跡を残すことは、本当は大きな喜びだと思うのです。若さが衰え始め、自分の能力的追求に限界を感じるようになってからは特にそうではないでしょうか。ところがニュータウンや都会のマンションに暮らし、親類筋や近所の子どもかに隔絶された状態で生活し続ける大人には、その機会が失われてしまっています。

心理学者のエリク・エリクソンは、壮年期を迎えた大人の発達課題として生殖性なるものを挙げています。この生殖性という概念は、「自分以外の誰かに熱意を傾け、誰かを育てることに喜びをかんじるということ」「自己充足だけに満足する境地から、自分を必要とする人達の成長や達成に満足する境地にギアチェンジすること」といったニュアンスになります。エリクソンは、こうした喜びのギアチェンジが起こるためには、ある程度の心理的成熟に加えて、誰かに必要とされたり頼られたりする機会が必要、と書いています。誰かを育てる喜びに目覚めるためには自分一人では難しく、育ててもらうのを待っている子供や年少者に出会わなければ難しいんじゃないか、というのです。生殖性という心のギアチェンジが起こるきっかけとしては、子育てを始めるのが一般的なのは言うまでもありません。ただしエリクソンは、生殖性への目覚めは実子が相手でなくても起こり得るとしています。子どもをもうけていない人でも、他人の子どもの世話に参加したり、次世代のための社会の建設に参加したりすることで、生殖性が芽生えていくことがある、というのです。少子化問題が叫ばれる中、親が核家族単位で子育てを引き受けなければならないのは大変なことだと思います。ですが問題はそれだけでなく、子どもをもうけていないほとんどの未婚者が次世代の育成に関わる機会を持てず、生殖性という、壮年期以降にようやく開花する喜びにアクセスしにくいことも、隠れた不幸ではないでしょうか。もちろんこれは、次世代の子ども達にとっても不幸なことだと思います。

 

思うに、産業構造や雇用システムにしても、都市空間やニュータウンといった生活空間にしても、人生のフェーズの中でも思春期のライフスタイルばかりに便宜を図り、そのメリットを最大化するような社会になってしまっているのではないでしょうか。ここでいう思春期へのメリットとは、職業や居住地を自由に選べるおかげで思春期モラトリアムをやりやすくなった、しがらみが無いお蔭で自己充足やアイデンティティ探しに集中しやすくなったという意味だけではありません。移り気な流行・社会情勢・テクノロジーに素早く適応できる人間にこそ大きなチャンスが巡って来るという意味でも、現代社会においては思春期心性が有利と言えます。

しかし、若者には最適な現代社会も、幼児期~学童期の子ども達や、子育てをしている父母や、子育てを終えて歳を取っていく人達にとって最適とは思えません。現代のニュータウン的な子育て環境は、子育てをする親の経済的/心理的負担を大きくしやすく、大人に管理された暮らしは、子どもの自発性を膨らませるよりは受動性へとなびかせやすいものです。また、人的流動性の高さも、引っ越しに伴う親自身/子自身へのストレスや単身赴任の可能性といった形で、思春期の頃にはさほど気にならなかった負担として牙をむき始めます。環境変化に適応するのが難しくなった老年期の人達も、故郷を離れて自己愛を充たし合える人間関係を再構築するのは大変です。また一方で思春期を捨てようにも捨てきれず、「チョイ悪オヤジ」「40代女子」といった思春期ゾンビになってしまっている人達のことも忘れるわけにはいきません。彼らは思春期の自由そのままに暮らすすべは教わっても、自分の自由を二の次にして次世代の育成に心傾けて行く機会に出会えなかったという意味では、なかなか不幸な人達だと思います。思春期的なライフスタイルがしんどい年ごろになっても自己充足にしか心を砕けず、若作りに固執しなければならない心境も、それはそれで辛いに違いないでしょうから。

« 熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(11) | トップページ | 熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(13) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(11) | トップページ | 熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(13) »