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2013年3月17日 (日)

「エル・グレコ展」(7)~クレタからイタリア、そしてスペインへ(おまけ)

Bb6066b2ece4ac0c5404184ffc922688私が、イタリア時代のグレコの『受胎告知』を見て感じた違和感として、前回書かなかったことがあります。それは、グレコと言う人は、空間ということをあまり考えない人ではないかということです。画面が平面的で奥行を感じることが無いのです。実際に作品を見てみると、床が幾何学タイルになっていて、透視図法になっていることは分かるのですが、じゃあ画面全体がされに則って遠近法的の空間を構成しているかというと、そういう描かれ方がされているようには、見えません。床の幾何学タイルは、たんにそういう模様であるとしか見えません。そして、奥行のない真っ平らな平面の上に、マリアと天使が野っている。いわば同格となっています。以前、カタログの解説で見えるものと見えないものを同じ画面で同居させているとグレコの特徴を指摘していましたが、この作品を見ると、ひとつの平面の上に、あらゆる要素が並べられていると言った感じです。それは、例えば、幼稚園児の昨日遠足で行った動物園のお絵かきをしましょうといったら、画用紙にクレヨンで、自分とママとお友達とライオンや象が手をつないで並んで立っているお絵かきをする子がいるのと同じようなものではないかと思います。グレコというひとは、そういう見方をするように、私には思います。イタリアの絵画では当然といえる、三次元を平面である二次元に移し替えるという視点、それを前提にして書き割りとか、あるいは人を物体として捉えるとか、そういう視点がグレコの絵には希薄です。

そういう視点が画面構成を構築していくからこそ、スペイン時代のような、解説のいう“神秘主義的”な『受胎告知』の構成が可能になったのではないか、と思います。この作品の平面には、マリアも天使も雲もひかりも、たんに並列されています。これは、先ほどの幼児のお絵かきと本質的に変わらない。もうひとつ身近な例をいえば、まんがと言う表現をみると、例えば、ストーリーの中で登場人物が実際に話すセリフと、声として外に出てこない人物の思いのような内面の声、あるいは状況を客観的に説明するようなト書きのような言葉が、それぞれの文法はあるのでしょうが、一つの平面に同じように並べられています。そこには、実際に耳で聞き取れるものともそうでないものを峻別するという、視点は限りなく希薄です。

Grecoannuncation4だから、スペイン時代の『受胎告知』を見ていると、神秘主義的というような思想上のことではなくて、画面に思いついたものをあれもこれもと入れて(だって、見えるものと見えないものとを区別するという視点ではないのだから)、それらを限られたスペースの中でパズルのように最適な納まりの良いように並べて見た結果だったように見えてしまいます。思いついた要素をあとからあとからぶち込んで、あとは何とかできる限り整理して見せた。しかし、ゴチャゴチャした感じは抜け切れない。しかし、それが逆に、それぞれの部分が画面からはみ出してしまうような、それぞれが仮面上の存在を競い合うような、迫力を生み出しているのです。それが過剰感というのか、仮面からエナジーを放射するような力強さを生み出しています。これは、幾何学的に整理されたイタリア人画家の作品からはついぞ感じられないものです。

それが全体に暗いグレーを基調として各々の要素のつなぎは陰影深く彩られていると、異様な感じがするほど暗さが突出して来るのです。このような異様さ、日常的な世界とは全く異質な世界が展開されるという点においては、グレコの右に出る画家はいないのではないか。そこに、当時の人々は超俗的なものを強く感じ取れたのではないかと思います。時代を見れば、カトリック教会に対して、ルターをはじめとしたプロテスタントが異議申し立てで対抗させて、教会の存立が危機にさらされている時代、信仰に人々をつなぎ留めなくてはならないという危機感がカトリック教会に強かった。当時のスペインからのドミニコ会という異端審問官を多数輩出させる峻烈な修道会が生まれ、イエズス会という軍隊のような修道会もでてくるという反宗教改革の根城でもあったわけで、そのお膝元として、強い地盤固めが行われたわけです。そのときに、異様な迫力をもったグレコの『受胎告知』のような作品、ここに描かれている登場人物は、マリアとお告げの天使(ミカエル)を別にして絶叫しているようにも見えてきます。そういう強烈さというのは、グレコは意図していたとは言えないでしょうが、そういう時代のハイテンションな空気にマッチしたと想像してしまいます。

Grecoizenこの時代には、ドイツで30年戦争が始まり、宗教の名のもとに、庶民をも巻き込んだ根こそぎの殺戮が起こります。そこでは、グリューネバルトの描く凄惨なキリスト像やハインリッヒ・シュッツの甘美なメロディを封印したマタイ受難曲のような峻烈で異様な表現が生まれましたが、グレコの作品も、そのつらなりで考えると、当時の人々に受け入れられる要素がたぶん強かったと思います。しかし、先に例として挙げた諸作が後世にはそのまま伝わらず、長く忘れ去られたのと同じように、グレコの作品も画家の死後に急速に忘れられてしまいます。それは、そういう異様な時代の記憶とともに、人々に無意識のうちに封印されていったのではないか。

それは、後の時代、第一次世界大戦という戦闘員も非戦闘員の区別なく皆殺しの殺戮が広大な地域で展開され、人々が不安と恐怖に陥れられ、世紀末を引きずった異様な芸術が出現したような時代に改めて再発見されたということですから。グレコを再発見した人の中には、近代絵画の中でも、ことさらに不安や不安定な感情を論ったような作品が多数発表された影響がないとは言えないと思います。

例えば、グレコ独特の粗い筆遣いやひょろ長い人物表現は、表面的には、近代の安定な人間の描き方とよく似ているではありませんか。エゴン・シーレの描く骨と皮だけの自画像やムンクの描く幽霊のような人々。こじつけかもしれないかもしれませんが、似ていると思います。そういう空気の中で再び見出されたということは、後付けのこじつけかもしれませんが、あるいは、のちのゴヤの晩年の版画作品が生まれるようなスペインという土地と時代の要請と、グレコの奇妙な個性がうまくはまった一時期があったのではないか。それを偶然にか、何か運命のようなものに引っ張られて(何か小説みたいな書き方です)スペインという地に導かれていったと想像を逞しくして、後世の鑑賞者としては楽しむことができるのではないでしょうか。

肝腎の『受胎告知』という作品そのものについて、あまり語らずに、周辺の物語ばかり語ってしまっています。もともと、私の志向性がそういうところにあり、絵画のことを語る際にはできるだけ禁欲しているつもりですが、グレコと言う画家は物語を語りやすいタイプの画家のようです。展示は、この『受胎告知』のあたりから、核心部、いわば最盛期のグレコといえばこう、というイメージの作品が量産される時期の展示に入ります。そこで、実際の作品を禁欲的に語って行きたいと思います。

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