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2013年4月23日 (火)

宮川壽夫「配当政策とコーポレート・ガバナンス~株主所有権の限界」(4)

企業価値式の議論は客観的にも合理性が高い。しかし、現実の世界はこの理論の通りにはなっていない。そこにコーポレート・ガバナンスの問題を議論する余地が存在している。

帰郷価値が将来キャッシュフローを割り引いた現在価値によって計算される以上、企業価値を拡大するためには、企業は事業に必要な投資金額とその事業から得られる予想フリーキャッシュフローの現在価値血を比較して現在価値が大きい事業のみに投資を行うということになる。現在価値から必要な投資額を差し引いたものをコーポレート・ファイナンス理論では純現在価値と呼んでいる。伝統的な経済学の理論では、企業は一旦様々なインプットさえすれば、後はひたすら財とサービスというアウトプットに変換して市場で販売を行う存在であるとみなされてきた。これは企業を単一の経済主体と見なし、企業が完全に合理的な行動を採ることが可能であるとの前提に基づいている。新古典派経済学の市場理論による企業を「完全合理的」に「利潤最大化」する単一の経済主体と単純化して捉えるもので、コーポレート・ガバナンスの問題はここでは生じない。しかし、実際には企業は所有と経営が分離し、様々な利害を持つ参加者の連合体であることから利潤最大化を行うことは不可能であり、企業行動は完全合理的ではない「限定合理性」である。すなわち人間は従来の経済学で仮定されてきたようなで完全合理的な経済人ではなく、人間の情報収集、処理、伝達能力は限定的であるため、限定された情報の中で意図的に合理的にしか行動できないと考えられるに至ったのである。さらに経営者が裁量可能な範囲に限定して利益を最大化するという経営者の「効用最大化」により株主の利益を犠牲にする可能性も指摘されている。このような仮定に立てば、従来の市場機能に関する理論にも限界があることになる。

企業を単一の経済主体とみなすのではなく、企業内部の複雑な組織制度の形成や発展に着目することが必要になってきた。それが組織の経済学といわれるものである。組織の経済学によって、限界ある情報と能力により完全に合理的な行動を採れない

企業は、経営者、株主、債権者、従業員、取引先などのステークホルダーによって構成される共同組織である。これらステークホルダーは別個の利害を持ちながら企業活動に参加し、それぞれの目的を達成する。このように企業を契約関係の集合体として理解する限り、企業を単一の経済主体とはみなさない。企業の一定の行動とは、これら経済主体がそれぞれの目的を持って行動した結果の均衡ということになる。エージェンシー理論では企業をこのように理解し、さらに各経済主体間の契約関係をエージェンシー関係として把握する。即ち、ある経済主体が自らの利益のために自分に代わって特定の業務を遂行するという契約を他の経済主体と締結しているとき両経済主体はエージェンシー関係にあるという。例えば、株主と経営者の間には契約関係が存在するとはいえ、通常エージェントである経営者に一定の自由裁量権が与えられているため経営者の採る行動の結果が、必ずしもプリンシパル(依頼者)である株主にとって常に望ましいものとは限らない。これは株主にとっては企業価値の低下と捉えられるものもある。このようにエージェンシー関係によって低下した企業価値を回復させるための方策に必要とするコストの全てをエージェンシーコストと定義している。

このようなエージェンシー理論では、企業価値の拡大について大きな鍵を握る経営者は株主と異なる利益を追求する独立した経済主体と解される。そりため経営者の行動を株主の利害と一致させ、企業価値最大化に向かわせる仕組みが必要となる。コーポレート・ガバナンスの目的はエージェンシーコストを如何に削減できるような仕組みを作るかということになる。エージェンシー理論では、経営者の行動を企業価値最大化に向かわせるため経済活動全体における株主の役割が重要である。そのため株主には企業の所有者として法的にも強い権限が与えられている。株主には経営者に対する自身の交渉力を高める選択肢を与え、経済全体の効率性を目指しているのである。

コーポレート・ガバナンスの目的は企業の所有者である株主の利益を最大化する仕組みを検討することにある。この場合の「所有」は法学で定義された意味合いとはやや異なる。経済学における所有権理論では所有権を財の物理的側面ではなく、財が持つ特性に着目する。そこから、所有権には、財の所有者には財を自由に使用する決定権を持たせる役割があるという考え方が生まれた。

では、株主は企業の何を所有しているのだろうか。株主は企業資産そのものを所有しているわけではない。株主が企業を所有しているというのは、資産そのものの所有権ではなく、企業に帰属する資産の使用についての決定を行う権利(残余コントロール権)と企業に発生する純収益を受け取る権利(残余請求権)の二つの権利によって裏付けられている。

しかし、株主は企業の所有権を持っているとしても、常にその権利を適切な形で行使することが可能かどうか、あるいは妥当かどうかの疑問がある。企業の資産といった場合、物的資産のみではなく、人的資産や知的資産などの目に見えない無形資産も含まれている。このような資産の使用方法を株主が決定するのは困難である。つまりは株主に企業の所有権があったとしても、現実的には株主がその権利を行使して企業を完全にコントロールすることは不可能な場合が多い。ただし、どのようなケースが可能で、どのようなケースが不可能かという取り決めが事前になされているわけではない。そのため株主と経営者との間には所有権の行使をめぐって様々なコンフリクトや外部性が生じるのである。両者は交渉を行う必要があるが、まず交渉にかかるコストが企業価値を毀損し、両者の交渉は必ずしも企業価値にとって効率的な意思決定には帰結しないことが多い。このようなプロセスによってコーポレート・ガバナンスの問題はさらに複雑化することになる。所有権理論を背景とすれば、企業の所有権を株主に完全に帰属させ、株主の支配力を強化するという方向性が必ずしもコーポレート・ガバナンス制度として効率的とは言えないことが明らかなのである。

一方、取引費用理論にとって重要な前提は、先の合理性に加えて特に機会主義という人間の行動特性である。機会主義はこれまで述べてきた個人効用最大化という概念に異なる視点をあてている。人間はしばしば自分の利益を実現するために意図的に他人の不利益を引き起こしたり、社会的規範を無視したりする。このような人間の自己利益追求の仮定を機会主義という。機会主義的な人間の行動が市場取引におけるコストとなり、本来市場が持つべき資源配分の場としての機能を他の組織が代替するという考え方が取引費用理論の骨子である。エージェンシー理論では企業を経営の束という概念で表現した。取引費用理論では、企業を価格メカニズムに取って代わる存在としている。つまり、市場はより中の資源を価格メカニズムによって配分する場として存在しているが、時として企業は市場と同様に資源配分を行うシステムとして機能するというのである。重要なことは、市場と企業という資源配分システムにはいずれもそれを利用するためも費用が掛かり、取引の都度いずれか費用が安い方のシステムが利用されると考え点である。市場における価格メカニズムを利用するためには個別に取引相手を探索する費用や個別に契約を締結する時の費用が掛かる。さらに契約を行った場合には、個別に相手を監視し、また個別に税金を支払うことも費用となる。このような費用を組織化することによって節約することが企業の存在理由である。もちろん企業を組織化し、経営者が従業員を配置することにも様々な費用が掛かる。そこで経営者は組織内で生じる費用を最小限に節約することを目的に企業の適正規模を調整する。このように、市場の取引費用と組織化する費用を比較しながら科ずれかを選択するため企業を「価格メカニズムのとって代わる」存在とし、取引費用の側面から企業の行動を観察しようとしたのが取引費用理論である。限定された合理性の仮定では人間には情報の収集、処理、伝達の能力に限界があるため、取引を行う場合に費用が生じることが説明できる。さらに機会主義的な人間行動を仮定すれば、限定合理的で機会主義的な人間同士が取引を行うためには、お互い相手に騙されないよう取引相手を調査しなければならないし、慎重な契約内容を取り決め、契約後も取引相手を監視しなければならない。これら一連の手間を取引費用発生のメカニズムとするところに取引費用理論の特徴がある。

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