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2013年4月 7日 (日)

「ラファエロ展」(4)~フィレンツェのラファエロ(2)

今回のラファエロ展ではポスターやチラシで目玉として聖母像がフューチャーされていましたし、ラファエロのブランドの一つが聖母像というこがあったり、レオ10世等といった当時のローマ教皇に信頼されていたことからヴァチカンの壁画を多数手がけたということから、そういうレッテルも貼られていたと思います。「アテネの学堂」のような壁画が美術とか歴史の教科書に載せられたというこが、ラファエロという画家の一般的イメージが作られているのではないかと思います。今回の展示では、そういう壁画のコピーや模写が展示されていましたが、画集のような複製でなく実物で見ると、ラファエル本人による自筆の聖母像やその他の作品の筆遣いや色遣いの微妙なものと比べてしまうと平版で、勢いというのか覇気が見えてこず、単に構図を確認するのが精一杯という印象でした。ラインアップとしてフューチャーされて、それなりに紹介されていましたが、私なら見ても素通りしてしまう程度のものでした。

Raffarirattoそれよりも、今回の展示で印象深かったのが肖像画でした。とくに、この後のローマ時代のものに印象深い作品がありましたが、それはその時ということにします。このフィレンツェでの作品にも印象深いものがありました。ラファエロという画家は肖像画でも、上手い画家だったということが、あらためて印象付けられた次第です。ラファエロの肖像画を見ていて特徴的なこととして見つけたことは、この時、彼が多くのことを吸収したであろうレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロといった巨匠たちに比べて、細かいところまで丁寧に細かく描かれているということ、というより細かいところの描写とか表現の比重が、他の2人に比べて高い、というよりも突出して、時には作品全体が細部に引き摺られてバランスを失するギリギリのところまで行っているようなものもあるということです。

例えば『リンゴを持つ青年』と題された作品。全体をみていて何か変です。人物のバランス、というのか辻褄が合っていない感じが強くします。なんか左右の釣り合っていないし、顔と首と胴体の位置関係がちぐはぐだし、手と指が不釣り合いに小さい。多分、こんなデッサンを描いていたら、現代の美術学校では及第点をもらえないのではないか、石膏素描からやり直せといわれるのではないか、と思うほどです。当時は、ダ=ヴィンチ等の解剖学の要素を取り入れたデッサンといったような写実の手法は一般化していなかったという状況だったと思います。しかし、赤系統の衣装で茶の毛皮との取り合わせの色遣い、とくに赤地に金色の小さな四角の柄の鮮やかさの、その描き方、またそれぞれの生地の柔らかさの違いを描き分けてみせる所などは、この画家の真骨頂が出ていると思います。そして、リンゴを持つ手とその指を丁寧に描いているのは顔と同じくらい力が入っているかのようです。

Raffaelisaそして、すごいのは『エリザベッタ・ゴンサーガの肖像』です。まず、モデルの四角い顔の輪郭を強調して、そして着ている衣装の四角を組み合わせた模様もそうなのか、長方形をベースにデザインしたような作品全体の画面構成になっていること。モデルの顔のつくりが四角い輪郭で彫が浅い平面的なものであるのを、真正面という角度で、しかもデザイン的にデフォルメしたような描き方で、さらに平面的にして、額にサソリの飾りを配することでアクセントをつけるという演出を施している。近代の画家の手法で描いたら抽象画かデザイン画のようになりそうな構成をしているように見えるのです。このような平面的なアングルを選んで、しかし顔を描くのに、図案化とは程遠く顔になっているのは、色遣いと細かなデッサンによるものとは思いますが、すごい力技を見せつけられた思いです。これに対して、髪の毛は様式化され。図案化されたように描かれているではありませんか。たとえば、型に被さっているところなどパターン化されています。また、首から下の肌が露出している胸部にかけての身体の凹凸を正面から見て肌の色の変化と首飾りの曲線の変化だけで表現してしまっている、微妙な細かさ。おそらく、モデルの女性は豊満な胸を強調できるような体型ではなかったでしょうが、首から肩そして胸にかけての曲線がこれだけで想像できる。そして、衣装の肌触りの描き方、肌との質感の違いの描き分け。その丁寧な仕事ぶりというのは、実物を見て初めて分かるもので、群を抜いています。今回の展示を見ていて、強く感じたのは、ラファエロ自筆の作品と、他の模写やフォロワーの画家たちとの違いは、この展示を見る限りでは本人自筆の圧倒的なほどの丁寧さ、細かいところまでの気遣い、労力のかかっているところです。これは、うまい下手という質的な違いというよりも、手を抜くなどいう次元ではなく、単位面積当たりに筆が触れた回数がけた違いに多いという量的な違いです。これを見ていると、ラファエロという人が37歳の若さで身体を酷使して疲れて亡くなったというのは納得できるほどです。こんなに丁寧すぎる仕事をずっと続けていたら、そりゃ体だった壊すと思えるほどの愚直さといっていいものが見て取れます。

Raffamutaそして、『無口な女』という肖像画。レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ=リザ」とよく似たポーズで、ラファエロがダ=ヴィンチをよく勉強した成果がよく現われているという作品だそうです。「モナ=リザ」と比べて背景は『大公の聖母』と同じように黒く塗られています。しかし、こちらは幻想的にならずに現実の女性が描かれています。しかも、美人ではない。さっきの『エリザベッタ・ゴンサーガの肖像』のそうですが、決して美人ではなく、美人に描かれてもいない。当時は、現代の写真のようなリアルさは求められてはいなかったでしょうが、聖母像で定評ある画家ですから、モデルの女性をそれになぞらえて描くこともできるでしょうに、そういうことはされておらず、注文した側も、それでよかったのか、ラファエロというビッグネームだから文句を言えなかったのかは分かりませんが、そんなものなのでしょうか。この作品では『リンゴを持つ青年』にあったアンバランスさやちくはぐさは消えて、しかも、立体性が増して人物としての存在感の表現が大きくなってきています。相変わらず細部の丁寧さは変わりませんが、それが作品全体の中で突出せず、うまく納まっている感じです。ラファエロに特徴的な手の丁寧な描き方ですが、これは実用的要素もあって、手そのものの美しさを表現するものであると同時に、精妙に描写された宝石をはめ込んだ指輪を誇示するための手段ともなっているということです。つまり、富と地位を象徴するものとしての指輪を丁寧に描き込んで誇示したい、そしてそこに注目してもらうために、指輪が嵌められた手、指に見る人の視線を集める必要があった。そのためには、手が表現豊かに、丁寧に描かれるニーズがあった。ラファエロは、図らずも、そのニーズに最も応える画家の一人であったということでしょう。

そして、この3点の肖像画がわずか2~3年の中で描かれていたということなので、ラファエロが肖像画において短期間で長足の進歩を遂げたということが分かります。

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