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2013年4月 5日 (金)

「ラファエロ展」(2)~画家への一歩

Raffayoungラファエロのウンブリアでの時代の作品を集めた展示ということでした。以前にも書きましたが、私は絵でも音楽でも、取敢えず作品を単独に取り出して見たり聞いたりするアプローチをする人です。ただし、作品の背後の情報を切り捨てるつもりはありませんが、作品を成り立たしめている背景くらいにしか考えていません。だから作者という存在は、一連の先品の系統をまとめるブランド程度のものと考えています。ここで言えば、ラファエロと言う人物の伝記とか、エピソードから人物像を推測して、そういう人の作品だからと、エピソードを作品に投影して、それを確認するような見方をしていません。だから、美術館でも、レシーバーで説明してくれる機器を借りることはありませんし、展示についている作品解説は、作品タイトルと製作年代と素材の材質以外は見ません。そこで、実際の作品を見てみて、印象とか感想が浮かんでくるのを後で思い出して、ここに描き込むと言うのが基本的姿勢です。

展示の目次の順番に書き込みをしているのは、もう一つ、展示の切り口というのか、美術展では作品の展示について、ひとつのプログラムをたててそれに基づいて展示しているわけです。それを見る私は、無意識のうちに、その視点の上で作品を見ていることになるので、それについても、私が違和感を持つこともあれば、自然に受け入れることもあるわけです。それは、ここに描き込んでいるのは画家に対する私の考えではなくて、あくまでも美術展の印象だからです。だから、ここで私が書いているのは、作品に対する感想であり、そこから演繹される画家のイメージ、そして展示への感想でもあるわけです。そして、無意識のうちにあらわれてくる、そういう私自身の絵画へのアプローチということになると思います。少し読みにくいことを書きました。このことは、私としても、上手く説明できるほど自分を掴み切れていないので、徐々に考えをはっきりさせたいと思っています。

Raffaperuj_3『若い男の肖像』(左上図)と言う作品です。前回の『自画像』とポーズなどがよく似ていると思います。自画像と同じように何かアンバランスな印象を受けます。顔ですが左側の輪郭を見ると瘠せているように見えますが、右側は面積が広くふくよかです。このアンバランスさは長い髪の毛が耳を覆うように描かれているので、それほど目立つことはありません。しかし、その髪の下の首は極端に太く長くなっています。その首の下に肩がハッキリせず、さらに左腕は肘の位置が不明です。つまり、リアルな人体としての辻褄が合っていないと言えます。これは、ダ=ヴィンチ的な解剖学に則ったような写実ではなくて、肖像画の型に従い従来の手法での効果にのっとったためかもしれません。ここでは、それよりも男性の赤い衣装と背景の青を主体とした色調とのコントラストといった色の効果的な使い方が魅力なのかもしれません。展示にはありませんでしだが、当時のラファエロが一時通っていた、師匠の一人にも数えられるペルジーノの若い男性を描いた肖像(右上図)も比較のために見てもらうと、一応、ラファエロは師を超えて巨匠になっていくことになっていますが、二つの絵を見比べてみて、どちらが生き生きとして写実的かと言えば断然ペルジーノの方です。若描きの作品で比べられてはラファエロも可哀そうですが、早熟で若いころから天才的な絵を描いたという伝記を取り上げるつもりはありません。ま、そういうこととして、ここで両者を比べて見ると、薄ぼんやりながらラファエロの志向しようとする方向性のようなものが薄々感じられるような気がします。「優雅」と一言でいってしまえばそれまでですが、ラファエロなりの見えないものを形にしようとしていた努力が見えてくる気がします。それは、色の使い方だったり、女性っぽい男性の雰囲気だったりなどとしか言えないのですが。

Raffasevaそれが、一つの作品に一応形になっていたのが『聖セバスティアヌス』(左下図)と言う作品ではないかと思います。ペルジーノの『マクダラのマリア』のマリアの顔と似ているように見えますが、ペルジーノの方がリアルな女性の顔になっています。ラファエロの作品では、男性の聖セバスティアヌスが女性のようにえがかれ、真丸の顔の輪郭やふくよかすぎるくらいで、造作を中央に集めたような顔立ちは、中世のイコンの形式的な顔を、写実的な表現技法を施して人間の顔らしく生気を吹き込もうとしたかのようです。聖セバスティアヌスは体中に矢を打ち込まれた殉教図で描かれるケースが多いのですが、一応矢は手に持っていますが、このような穏やかな図柄と言うのは珍しいかもしれません。ふくよかな顔立ち、そして矢をもつ右手の指の描き方や黒地や赤字に金色の刺繍が浮かび上がる描き方が細かく丁寧に施されています。作品自体が小さなサイズで、そこに細かく描き込まれていることや、画面に対する顔の大きさ、田園風景のような背景まで描き込まれていて、かなり力の入った作品であることが分かります。それだけに、見えないものを完璧に作り出そうという野心を感じています。比較のためのペルジーノの作品(右下図)と比べてもらうと、肖像画のパターンを踏襲しているのは分かります。それをペルジーノは当時の現代風である写実的な仕上げにしています。これに対して、写実的な技法をラファエロも用いているようですが、効果は逆の方法を志向しているように感じられます。これは、ラファエロが写実以外の選択肢を持つ可能性があったのか、それともピエロ・デラ・フランチェスカのように写実に行こうとして細部では細密な表現を突き詰めるようなところまで行きながら、全体としては中世の構図から出られなかったというような折衷的なポジションにいたからか、何とも言えません。ただ、ここに見られるラファエロは、ダ=ヴィンチともミケランジェロとも違う方向性の作品を作り出していたことが分かります。もしかしたら、この方向性で技法の習熟と成熟により、写実に近い作品を作り出しながらも写実とは紙一重で異なる見えない世界を作ろうとしたのが、ラファエロの絵画の世界かもしれない。そういうことを考えされる作品ではあります。そう言う想像を促すのが、他に飾られた天使を描いた作品などに見られる様式性です。

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