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2013年4月20日 (土)

宮川壽夫「配当政策とコーポレート・ガバナンス~株主所有権の限界」(1)

第1章 問題提起と仮説の概要

多くの場合、株主になると期末に配当という形で企業から一定額の現金を受け取ることができる。配当は自己株式取得と並ぶ企業による株主への利益還元の手法である。配当支払や自己株式取得を行うための資金は、企業が獲得した利益と外部から調達した資金の和から投資差し引いた残余が源泉となる。企業がどれくらいの配当を支払わなければならないか、あるいは配当を支払うかどうかについては何か決まりごとがあるわけではない。ただ、企業内の現金を社外に流出するのであるから、企業活動を継続維持するためにどの程度の資金を企業内部に留保するか、新たな成長のためにどの程度の資金を企業内部に留保するか、新たな成長のためにどの程度の投資を新規に行うか、そして株主への当期の利益配分としてどの程度を還元するか等、企業は多様な要素を検討しなければならない。そのように下す配当と自己株式取得の意思決定をペイアウト政策あるいは代表して単に配当政策と呼んでいる。

しかし、考えてみると配当という制度には謎が多い。そもそもなぜ特定の現金を期中に株主に支払う必要があるのだろうか。投資の回収を主にキャピタルゲインとして享受することが可能な投資家にとって、配当として払われる現金には一体どのような意味があるのだろう。果たして高い配当は投資家にとって本当に喜ばしいことなのだろうか。配当が高ければそれだけ企業価値が高まるかと問われれば、コーポレート・ガバナンス論の実証研究においてはいまだその証拠は明確にはつかめていないというところが現実なのである。

にもかかわらず、投資家は一見高い配当を好むようではある。しかし、考えてみてほしい。高い配当といったところで投資金額に占める配当額など通常は2%にも満たない。にもかかわらず多くの株主・投資家が投資先企業の配当政策に高い関心を示している。つまり、配当が企業価値に与える影響には配当が株主にもたらすキャッシャフローの多寡そのもの以外に何か別の意義があると考えた方が自然なのである。

そこで経営者の行動に注目する必要がある。経営者は彼が経営者としての地位を維持する以上、企業価値の最大化という不確実性の高い要求と重圧を課せられることになる。仮に配当政策が企業価値にわずかでも営業すると考えるならば経営者は自らの目的と株主の要求をバランスさせ、企業価値の最大化を目指すために配当政策に対して何らかの積極的な機能を見出すだろう。

本書では日本企業の配当政策を分析対象としている。日本企業の有配企業比率は欧米企業に比べて圧倒的に高い。日本企業にとって配当には何らかの特別な意味が存在するようである。

 

コーポレート・ガバナンスは日本語で「企業統治」と訳されることが一般的である。「統治」には特定の統治者と統治される多数の被統治者の存在が前提とされている。しかも統治者には一定の権利を背景として被統治者の集団を秩序付ける目的が与えられているとの印象がある。古典的な経済学において企業統治の問題は起こらない。なぜなら企業内に複数の人間の意思決定が混在するとは考えられないからである。しかし、企業に対する古典的な考え方には限界がある。現実には企業は経営者を含め、株主、債権者、従業員、取引先、顧客など様々な異なる利害を持つ人々すなわちステークホルダーが各自の目的を持って集まることで成り立っている。ここに一つの解釈を与えたのがエージェンシー理論である。企業という単一の経済主体が行動しているのではなく、株主と経営者を利害が異なる別個の経済主体と考え、企業の行動は両者が契約関係に基づいて行動した結果であるとして理解するところにエージェンシー理論の特徴がある。企業はステークホルダーそれぞれが締結している「契約の束」によって成り立っているとしている。では、企業は複数のステークホルダーによる契約の束であるとして、一体誰の利害を優先するのか、すなわち「誰のために統治が必要なのか」という前提を共有する必要がある。

本書では企業の所有権は株主に帰属し、企業の目的は所有者である株主の価値最大化にあることを動かせない前提としている。ただし、株主価値最大化の前提は他のステークホルダーを株主より下位に見たり、他のステークホルダーの利害を無視したりすることではない。株式会社における所有権とその目的を所与のルールとしてみなすという意味である。そもそも株主というのは特定の人間を指しているのではなく企業という仕組みを成り立たせるための機能を意味しているに過ぎない。ステークホルダーのうち誰の利益を優先するかと言っても、人は従業員であるとともに株主でもあり、株主であるとともに顧客や取引先でもある。また、機関投資家はあくまでも受託者であって勤労者の将来の生活を保証する年金からの委託によって株主なっている。株主や従業員や取引先といったそれぞれの存在は株式会社の仕組みを前提とした機能に過ぎす、特定することに大きな意味はない。「企業は株主のものかどうか」という議論に、あまり大きな意味はなく、「株主は企業の何をどのように所有しているのか」という問題に視点を置くべきである。

エージェンシー関係が存在するために無駄なコストすなわちエージェンシーコストが発生していると考えられている。エージェンシーコストが存在するために本来の企業価値は常に毀損されているという。そこで、エージェンシーコストを削減して企業価値を拡大するための方策として、コーポレートファイナンスでは、エージェンシーコストの大半を占めるものとしてモニタリングコストが経調されてきた。このコストはエージェントである経営者がプリンシパルである株主の利益に反する勝手な行動をとらないよう監視(モニタリング)するために支払われるものである。一方、株主と経営者の利害を一致させるために経営者にインセンティブを与え、経営者の行動が株主利益に向かうように自己統治させる方向も検討されてきた。コーポレート・ガバナンスの仕組みもこの二つの観点から議論されている。

これに対してフリーキャッシュフロー仮説は企業の投資政策と財務政策に着目してエージェンシーコストの解決策を提示した現実的な理論である。企業の余剰の現金を配当や自己株取得によってペイアウトさせ、経営者の自由な行動を制限するというアイディアである。経営者は配当を支払うことによって株主からのモニタリングを逃れることが可能になり、株主にとっては増配はモニタリングの成果である。すなわち、配当とはモニタリングの代替手段として理解することができる。

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