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2013年4月22日 (月)

宮川壽夫「配当政策とコーポレート・ガバナンス~株主所有権の限界」(3)

第2章 ファイナンス理論からのアプローチ

コーポレート・ファイナンス理論の立場からは、コーポレート・ガバナンスの問題が提起される必然性について単純明快な説明が可能である。コーポレート・ファイナンス理論における企業の目的は企業の所有者である株主の価値最大化であり、その目的達成のカギを握っているのが経営者である。経営者は株主から経営という役務の委託を受けているが、経営者は様々な理由から必ずしも株主の価値最大化を優先する行動を選択することができない。そこで、経営者を企業価値最大化に向かわせるための仕組みが必要となる。

企業は様々な異なる目的と利害を持った人々に取り巻かれている。一般的にステークホルダーと呼ばれ、どのステークホルダーも企業経営にとっては欠かせない存在であり、企業経営の成果を何らかの形で享受しているのがステークホルダーである。コーポレート・ガバナンスの問題は企業とステークホルダーの間に複雑な形で存在している。

私有財産制度は資本主義社会の根幹をなす制度の一つであって市場主義を実現する前提と言える。なぜこのような制度が必要なのだろう。

自由主義経済においては、誰もが所有する財を市場に持ち込み、取引を行うことができる。完全競争を前提とした市場では需要と供給を市場価格の変化によって調整し、やがて一致することによって財が交換される。市場は価格メカニズムを通じて、財を最も有効に活用できる経済主体に配分し、最終的には社会における財がすべての経済主体の効用を最大化する形で保有されている理想的な状態になる。それが市場主義型経済の目指している姿である。経済主体が財の効用を最大化する形で保有している状態というのは、自分にとって必要な財のみを市場から買ってきて不要な財は市場で売却してしまうことができるため、すべての人が必要なもの以外を保有していないという意味である。市場は経済主体を淘汰しながら最適な資源配分を行う。結果として、社会に存在する財はその効用を最大化できる人に効率的に帰属し、無駄な財は存在しない。かつ人は誰でも無駄な財を持たないという理想の姿が実現する。この状態のことを経済学ではパレート効率性と呼んでいる。

完全競争が実現する市場においては、どの財が自分にとって必要か不必要か、どのくらいの価格で売買すべきかという判断は各経済主体が瞬時に行うことが前提となる。したがって、どの財をどれくらいの価格で売買するかという判断の責任と財の瑕疵に関わるリスクはそれぞれの経済主体本人に帰属することになる。売買におけるリスクを帰属させる主体があらかじめ決められていなければ市場での取引自体が成立しない。

ある人は、人間が取り引きしようとしているは財そのものではなく財がもつ特性であり、財の特性に所有権があることを明らかにしている。このような所有権を理論的に説明することによって財がもつ不確実性いわば取引のリスクを負う人を財の所有者と規定していることが明確となる。つまり、「所有」とは取り引きの「リスクを負う人」であるという取り決めが存在するために市場が成立しているわけである。

さて、企業も市場で取引される対象であるから取引のリスクを帰属させる所有者が必要となる。結論を先んずれば企業のリスクを負うのは最終的な残余請求権を持つ株主のみであると考えられている。その結果、企業の所有権は株主に帰属する。株主とステークホルダーの立場は明確に異なる。企業の損益計算書を見てみても、株主への残余請求権に対して取引先への代金支払いや従業員の給与、債権者への利息といったものはそれぞれ契約によって決められており、利益を計算するための費用となっている。株主と株主以外のステークホルダーは明らかに立場が異なることが分かる。しかし、株主は投資家を想定しているので他の銘柄に投資を行うことによってリスクを分散することが可能である。また、株式を市場で売却さえすればいつでも株主の地位を他人に譲渡することができる。株主にはリスク分散の機会と退出のオプションが与えられており、他のステークホルダーに比較してリスク許容度が高いと言える。リスク許容度が高い経済主体にリスクを帰属させることは極めて経済合理性が高い。このことからも株主が企業の所有者であることの合理性を説くことができる。

本書は、企業の目的が所有者である株主の価値を最大化することにあるという厳然とした前提を出発点とする。株主は自分の利益を最大化する期待できる企業に投資を行う。そこから事業が開始される。投資を受けた経営者はプロジェクトを達成するために必要な従業員を雇うことになる。その企業が原材料調達するための取引先を開拓することになれば取引先も潤うことになる。生産設備を置く地域の自治体も潤う。得られた利益の一部は納税という形で政府が受け取ることになる。こうして株主が経営者に投資を行うことによって一国の経済成長が実現することになるのである。結局のところ企業が株主の利益を追求することは厚生経済と矛盾しない。これが資本主義の目指している仕組みである。この時、株主価値が拡大し、ステークホルダー全体が価値を共有するためには無能な人が経営者になってはならないし、怠惰な人が経営者であってはならない。また、株主には出資するに値する事業と経営者を見極める能力が求められるし、経営者の能力を最大限に引き出す必要がある。株主価値が唯一無二の絶対的概念であるかどうかは別としても、企業が組織全体として創出する経済的価値を少なくとももっとも反映しやすい指標であるということはできそうである。

現在、株主といった場合、親会社や取引先との株式持ち合い等を除けば金融機関や投資顧問会社等の機関投資家と個人投資家である。要するに一般個人の金融資産を運用している主体であって、年金や保険に加入したり、を金融商品を購入したりすることによって誰もが形を変えて無意識のうちに株主になっているとも言える。つまり、年金制度が充実した現代では日本でも米国並みにピープルズ・キャピタリゼーションが進んでいるとも言える。その中には一般勤労者の将来生活を担保する莫大な資金が現代における重要な実質株主なのである。そもそもステークホルダーという概念は企業と関わる経済主体を利害によって分類し、けづぃ活動におけるそれぞれの役割を表わした符号に過ぎない。株主に所有権があると考えることは各ステークホルダーを株主よりも下位に見ているということではないのである。ピープルズ・キャピタリズムの世界においては、ステークホルダーという分類の仕方に果たして意味があるのかどうかが疑わしい。

また、仮に株主の利益かステークホルダーの利益かという対比関係が存在するとすれば、それは企業がもたらす利益の配分において問題となってくるものである。コーポレート・ガバナンスの議論は企業がいかに効率的に経営され、社会への分配を最大化するかということを目的としているかステークホルダーが所有する権限や負うべき責任や受けるべき報酬をいかにして分配すべきかという議論は手段に過ぎず、コーポレート・ガバナンスの議論が目指す目的とは言えないのではないだろうか。従って株主のために経営を行っている企業は同時に各ステークホルダーのために経営を行っているのであって必ずしも両社が対比関係にあるわけではない。このことは株主上主義を主張しているのではない。企業は株主のために経営されるべきかステークホルダー全体のために経営すべきという二つの考え方は議論として必ずしも対立関係にないのではないかと考えているだけである。

また、株主価値の最大化は株式会社の目的であるとしても、顧客や従業員や取引先などステークホルダーの価値を創造することは当該目的を達成するための重要な手段である。株式会社が株主のために経営されているのか、ステークホルダー全体のために経営されているのかという問いかけそのものにあまり大きな意味はないように感じられるのである。

こうなると、企業の所有者である株主によって企業の統治が必要であるというコーポレート・ガバナンスの問題は一企業の問題にとどまらない重要性を帯びてきているのである。能力の低い人が経営者であったり、経営者が目的達成を怠ったり、あるいは株主が経営者への監視を怠るということは社会全体の損失を意味している。そこで、経営者が株主の価値を創造しているかどうかを測定するために客観的なモノサシが必要となる。それが株主価値もしくは企業価値という概念である。企業価値とは企業が将来獲得する予想フリーキャッシュフローを資本コストで現在価値に割引くことによって算出する。分子となるフリーキャッシュフローは株主・投資家が予測し、資本コストは資本の機会費用として株主・投資家が経営者に要求する。これがステークホルダーを含めた経済全体にとっては企業に求めるべき正当な収益の水準であり、同時に経営者にとっては課せられたハードルの高さということになっている。企業の競争優位も経営者の能力も優れた経営戦略も全ては企業価値によって具体的に反映される仕組みになっているのである。

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