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2013年5月17日 (金)

西垣通「集合知とは何か~ネット時代の「知」のゆくえ」(1)

1章 ネット集合知への期待

3.11東日本大震災事故と東京電力福島第一原発事故は、21世紀の日本社会の深部に巨大な地殻変動をもたらした。その変化の実相は、渦中にいる私たちにはまだはっきり見えていない。だが、最大の変化の一つは、一般の人々のあいだに生まれた「専門知に対する根深い不信」である。要するに、みんなが本気で考え始めたのである。テレビに出てきて偉そうにしゃべる専門家や学者センセイの言うことなど、どうも当てにならない、と。自分で情報を集め、なんとか身を守らなくてはならなくなった、と。

実際に恐ろしい事故が起こったのに、関連する専門家たちはそれを懸命に隠蔽しようとし、一般の人に知らせようとしなかった。専門家なら、冷却用の全電源喪失という事実だけで、近々どんな悲劇が襲ってくるかすぐ予測できたはずだ。ということはつまり、一般の人々は見事に欺かれたのである。ニュースが広がればパニックが起こり、多くの死傷者が出るかもしれない、という判断も働いたのかもしれない。とはいえ、原子力発電の専門家はそれでよいのだろうか。あくまで科学的、技術的な観点から、生じ得る危険性について可能な限り正確な予測を行い、責任をもって自分の見解を公開し、そのうえで冷静な行動を呼びかけるべきではないのか。自分たちの言葉に、何千万もの人命がかかっているのだ。だが残念ながら、少なくとも、テレビに出演した「専門家」たちからは、そういう苦悩も真剣さも感じ取ることはできなかった。物知り顔で「大丈夫です、大した事故ではない」と繰り返し、やがて日数が経って事態の深刻さを否定できなくなると、まるで他人事のように「まあ、対策上、足りない点もあったかなあ」などと涼しい顔をしている。そこに欠落していたのは、学者としての最低限の条件である「知的誠実さ」である。こんないい加減な態度では、一般人のあいだに専門家への不信が広まるのは当然ではないか。彼らは原子力ムラの御用学者として非難されている。事実、その通りだろう。だが、ここで問題にしたいのは、いったい彼らが特殊な連中なのか、という点なのだ。もしそうなら、今回の事故は専門知全体の地盤沈下に直接結びつかない。にもかかわらず、私には、原子力発電の専門家たちを特別視し、彼らだけを非難する気持ちにはどうしてもなれないのだ。彼らは寧ろ、どこにでもいるような、視野の狭い平凡な連中ではないのか。私の周りでそれなりにまじめに仕事をしている種々の分野の専門研究者たちと、まあ似たり寄ったりではないのか。いや、敢えて言えば、本当の問題は、私自身を含めて、この国の専門知のなかに秘かに巣食っている癒しがたい病弊ではないだろうか。

いま、「アカデミズムの質的な凋落」を言うことかできる。その原因として少なくとも二つがあげられる。第一は過度の専門分化である。針先のように細分化された専門領域にどっぷり浸かっていないかぎり、専門研究者として認められない。昔はせいぜい二、三の専門誌しかなかった一分野が、今では何十をこえる多分野に枝分かれし、それぞれ定期的に何種類もの専門文献を公表している。それらに常に目を通し、自分の研究との関連に目配りしていないと、進展の速さについていけない。隣接分野の勉強をしたり、のんびり教養を高めたりしている暇などないのである。専門研究者の数がやたら増えた。競争を勝ち抜くには、少なくとも年に数編の論文を発表しなくてはならない。論文が認められるには、権威あるパラダイムに沿って入念にデータを集め、隙のない立論をするのが近道だ。研究者の日常は、このための「労働」でびっしり塗り潰されていく。今の専門家の大部分は、こういう人たちなのである。第二は、学問研究への無制限な市場原理の導入である。産官学の過剰な癒着といってもよいかもしれない。大学の専門研究者も、短期的なカネもうけに精を出さなくてはならなくなったわけだ。一般論として、学が産に協力すること自体を頭から断罪はできない。世の中の財を産がつくっている以上、そこに学が貢献することは、巨視的には公共のためになるはずなのである。ただ、問題は貢献の仕方なのだ。私企業の短期的利益のためだけに、大学の教育研究のエネルギーが使い果たされては困るのである。公的教育機関である大学を、手軽なアウトソーシング先にしてよいはずがない。

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