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2013年5月10日 (金)

「ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」展(1)

2013年3月11日(月)BUNKAMURAザ・ミュージアム

Rubencepos週明け早々、昼前から都心に出て午後1番から機関投資家を3社とのミーティングを次々にこなして、神経が擦り減り疲労困憊の状態。月曜のしかも夜間に開館しているので、近くまで来たからと、思い切って行ってみた。地下鉄で向かった渋谷は、駅周辺の都市再開発が進んでいるとはいっても、猥雑で汚ない街の雰囲気は変わらない。辺境のエネルギーと流入する若年者たちによって活気があるのは、一時の新宿を彷彿とさせるのは確かだと思う。でも、感覚的に肌に合わないのか正直なところ、偏見とん先入観と言われればそれまでだが、山手線の新宿より南の繁華街である渋谷、原宿、恵比寿、どこも何となく敬遠したくなる。そんな渋谷の街を足早に歩いて道玄坂を上り東急百貨店のあたりで少し落ち着き、BUNKAMURAのエスカレーターを下る。実は、BUNKAMURAのスノッブさもあまり好きでなく、ここの映画館やオーチャードホールというコンサートホールも肌に合わない。オーチャードホールは響きがデッドなわりに音の分離が悪く、アンサンブルにもソロにも中途半端な響きが時にフラストレーションを起こさせる。実は、ザ・ミュージアムも…、と愚痴が際限もなく出てきそうなので、今日は疲れているのだ。

今回はルーベンスの回顧展です。かなり、私的には驚きで、このところ、グレコ、ラファエロと泰西名画のブランドの展覧会を見て回るなどと、好みと必ずしも一致しない美術展に行ったりするなど、そのたびに、いつからこんなミーハーになったのかと自問を繰り返しながら、今度はルーベンスです。「フランダースの犬」のあの聖母像のルーベンスです。豪華絢爛な北方バロックの、壮大とか豊満とかそういう形容が似合う、大寺院やお城の大広間に飾られるゴージャスな画家です。どちらかというと敬遠していたタイプです。またまた、愚痴に近いものを書いてしまいました。どうして、そんなものまで見に来てしまったのか。それは、考えるに二つあって、一つには、このように感想を文章にしてウェブでアップしているうちに積極的に美術展に足を向けるようになってきたこと、そして第二には、このところグレコやラファエロのような今までなら絶対に行かないような美術展に行っても発見があって、いままで知りえなかったこの画家たちへの糸口のようなものが掴めた気がしたこと、そんなことから、言って見てみれば何かあるかもしれないと、肩の力を抜いて展示を見ることが出来るようになったことからだと思います。

私の個人的な先入観なのですが、フロマンタン『オランダ・ドイツ絵画紀行』やそれを敷衍したプルースト『失われた時を求めて』でルーベンスと隣国のレンブラントを比較するように扱っていて、レンブラントに対してはこき下ろすような低い評価をしているのと対照的にルーベンスを称賛しているのを読んで、多少の反発を覚えていたということもあるでしょう。何となくイメージとしてレンブラントは「夜警」のイメージから暗い画面の画家でこれに比べてルーベンスの画面は脳天気なほど明るいとか、作品そのものを見る前に様々な言葉の情報によって先入観を持っていたのは確かです。

このところ、続けざまにエル・グレコ、ラファエロ、そしてルーベンスの美術展を見ていて、あらためて肖像画の面白さに気付かされました。肖像画などというのは、貴族や金持ちの注文で多額の金をせしめて注文主に似せて、こころもち実物より立派に書いてあげて、構図や書き方は似たり寄ったりだから、今でいえば葬式の遺影や履歴書の写真のように決まったパターンに当てはめて一丁上がりっと、コストをかけずに効率的に量産するようなものだと思っていました。それゆえ、後世における写真の勃興によって廃れていってしまった類のものと。しかし、この3人の描いた肖像画を見ていると、それだけにとどまらない、そんなものを遥かに超えた作品としての面白さを見つけました。それは、彼らは画家であると同時に工房の主催者でもあったわけで、教会や王宮に飾られている彼らのモニュメンタルな大作は彼一人で描いたのではなく、工房の職人のような画家達との共同作業により、彼らの指揮のもとに多くの人間を参加させて完成されたものです。だから、現代のアーチストのような見方とは違って、まんが家が多数のアシスタントを使ったプロダクションのシステムで作品を作っていくのと同じようなものです。だから、ルーベンスやラファエロ自身が自ら筆を執って描いた部分はすくなく、かれらは工房の職人たちの指揮監督にあたっていたというのが実態ではないかと思います。だから、何か工夫したいとか、新しいことに挑戦したりとか試行錯誤や模索を繰り返しながら作品を制作していくのは、このようなシステムでは難しくなります。完成した作品は不特定多数の人が見ることになり、多くの人が受け入れられるようなことが求められます。これと対照的に、肖像画の場合には、規模が小さく画家が独りで描くのに大作のような手間を要しません。また、注文主は出来上がった作品を他人にも見せるでしょうが、注文主本人が納得すればいいので、広く受け入れられることは大作ほど求められません。そうなった場合に、画家たちはこのような特徴を利用したのではないか。つまり、ルーベンスにしてもグレコにしてもラファエロにしても大家となってからも他人の模写はするし、大作でもないのに馬鹿丁寧に細部を微細に描き込んだり、大作の違ったタッチで描いたりと、効率的とは程遠い仕事しているのです。多分、肖像画の全部にそんなことをしているわけではないでしょうが。ということは、画家たちは新しい技法とか新機軸とか、今までとは違った試みというような挑戦的な試みを肖像画でやっていたのでしないかと思えたのでした。それだけ、この3者の展覧会で展示されていた肖像画は力が入っていたし、展覧会の目玉として喧伝されていた大作よりも興味深かった。また、従来より抱いていた画家のイメージを覆すような創意や斬新さが感じられたのでした。それは、ルーベンスの肖像画でも十分に当てはまるものでした。そんなことも含めて、私がルーベンスを、あらためてどのような画家と受け取ったかは、以下で個々の作品に即して書いて行きたいと思います。

この美術展は次のような構成で展示されていました。

1.イタリア美術からの着想

2.ルーベンスとアントワープの工房

3.専門画家たちとの共同制作

4.工房の画家たち

5.ルーベンスと版画制作

といっても、前半の展示が面白く、閉館時間の近くなって後半の展示にはそれほど興味を覚えていません。具体的な作品を取り上げて感想を書いて行きますが、前半中心で、後半は素通りに近くなります。

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