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2013年5月31日 (金)

エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(4)

第3章 マルクス主義の代替理論

移行論争において説明もされず、取り組みもされずに残ったものがあるとすれば、それは、どのような状況下で、またいかにして、生産者が市場命法に従属するようになったのかという問題であった。

歴史家ロバート・ブレナーは「産業化以前のヨーロッパにおける農民の階級構造と経済発展」という論文を発表することで論争を引き起こした。この論文は歴史叙述の二つのモデル人口学的モデルと商業化モデルを批判の対象に取り上げている。彼は、これらのモデルでは次の事実が説明できないことを強調した。すなわち様々な国で相異なる、実に正反対でさえある結果が同じ要因を通じて生み出されており、階級間の所得分配だけでなく、長期的な経済成長や生産力の発展から見ても、結果はさまざまである。明らかに類似の原因─類似の人口学的パターン、交易を増大させる同じネットワークへり編入─から異なる結果が生じておりこのことはこれらの原因の独立変数としての地位に大きな疑問を投げかけており、支配的なモデルの説明能力を大きく損なっている。これに代わってブレナーは、近代初期のイングランドにおける自立的な経済成長の確立をもたらした前例のない歴史過程を説明する説得力ある代替案を提示した。彼の説明は、社会的所有関係のさまざまな変化に焦点を当てている。そのような変化こそが、人口学的周期や交易の拡大といったその他の要因に対して、さまざまな状況に応じて異なる影響を与えたのである。

ブレナーは、二つの対立する生産様式が互いに対抗し合うという移行モデルでは封建制度から資本主義への移行の問題を扱えないと考えた。彼が一貫して探し求めていたのは、すでに存在している資本主義の論理を前提にすることのない内的なダイナミズムであった。領主と農民とがイングランド特有のある特殊的条件の下において互いに階級的衝突を繰り返し、自己を現状のまま再生産しているうちに、資本主義のダイナミズムを知らず知らずのうちに発動させるという状況が生まれたのである。それゆえブレナーは、旧モデルや、それが孕む説明すべき事柄を説明抜きで前提するという傾向とは全くかけ離れた立場に立っていた。ブレナーに言わせると、中世ヨーロッパ一般の特徴である見なされた条件は、イングランドに発生した資本主義の発展、つまり自立的な経済成長過程の特殊性を説明するうえで十分なものと考えることはできないのである。実際、彼の理論は、封建制度の解体がヨーロッパにおいて複数の結果をもたらしたことを明らかにしている。

ブレナーは明らかにドップとルトンの影響を受けているが、彼の議論とドップ等の議論との違いは明らかである。彼の議論において効果的に用いられる原理は、強制あるいは命法であり、機会ではない。例えば小商品生産者や独立自営農民がここで主要な役割をはたしているとしても、それは機会の担い手としてではなく、命法のしもべとしてなのである。独立自営農民は競争の圧力に屈服した資本家的借地農の典型であったし、いったん農業資本主義の生産性をめぐる競争が経済的な生き残りのための条件を設定しさえすれば農地所有者でさえそのような圧力を免れることはできないであろう。地主が地代を借地農の利潤に依存させたことにより、地主も借地農も市場での成功に依存するようになった。地主も借地農も、農業の「改良」、つまり革新的な土地利用や技術による生産性の向上に利害関係を持つようになった。イングランドの資本家的借地農は、資本家へと成長した単なる小生産者ではなかった。生産手段に対する特殊な関係、つまり土地そのものを使用する条件がある意味で彼を最初から資本家に仕立て上げていたのである。つまり彼が資本家になった利用は、彼が成長してある適切な規模や水準にまで繁栄を遂げたからだけではなかったし、彼が相対的な富によって賃労働を雇用することができるようになったからだけでもなかった。そうではなくて、自らの自己再生産の手段との関係が、彼が雇ったかもしれない労働者もろとも、彼を最初から市場の命法に従属させたのである。

ブレナーは、なぜ、どのようにしてそうなったのかの説明を試みた。つまりどのようにして生産者は再生産する手段や土地さえ市場以外の方法で入手することができなくなったのか、どのようにして搾取の地主的形態が「経済外的」な剰余取得から資本主義的地代の領有へと転換したのか、競争の命法に反応して行動することを地主と借地農はいかにして強制され、またそれができるようになったのか、新しい領有の形態はいかにして新しい強制を確立したのか、この強制はどのようにして農民層分解を左右したのか。もちろんこれは、地主により直接的な強制を通じて引き起こされた。なぜなら彼ら地主は、大規模かつ集中された土地保有に対して新たな種類の経済的利害関係を有するようになったからである。だが

それと同様にこれは、純粋に「経済的」な競争の圧力を通じて引き起こされた。プロレタリアートの大量発生は、この過程の始まりではなく終りであった。経済的行為者が市場に依存するようになったのはプロレタリア化の結果ではなく原因であったということは、ブレナーにとっていくら強調してもしすぎることはない。ブレナーの議論の際立った説得力は、それか資本主義およびその新たなかつ歴史的に特殊な経済的論理とを生み出した歴史過程の特殊性を強調していることであり、資本主義がどのように生まれたのかを説明するための説得的な努力を彼が行っていることである。

ブレナーは1993年『商人と革命』を出版し、マルクス主義的歴史記述のブルジョワ革命概念が実は商業化モデルと多くの点で共通しているという事実を指摘した。彼の議論によれば、伝統的なブルジョワ革命概念は、マルクスの仕事の中でも18世紀の啓蒙主義の機械論的唯物論にまだ大きく存していた時期に属しており、マルクスの成熟した経済学批判とは著しい対照をなしている。初期の理論では、生産力は分業を通じてほとんど自然に発展し、逆に分業は市場の拡大に応じて進化する。こうして資本主義の発生を説明するために、それの先行存在が前提されるのである。それゆえ伝統的なブルジョワ革命概念を使って資本主義への移行を説明することは、自己矛盾であり、自己破綻である。封建制度の束縛からの解放を待つだけの状態にある資本主義的合理性をブルジョワジーは持っていたのだと想定する事によって、ブルジョワ革命という命題は、かつての商業化モデル同様に、説明されなければならない事柄を説明抜きで前提していた。

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