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2013年5月28日 (火)

エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(1)

第1部 移行史論

第1章 商業化モデルとその遺産

資本主義の起源を説明する最もありふれた手法は、資本主義の発展が人類そのものとほとんど同じくらい古い人間の営みの自然な結果であり、必要なのはその実現を妨げていた外部の障害を取り除くことだけだったと、あらかしめ想定してかかることである。この説明の仕方、というよりは説明になっていない仕方というべきだが、これには多くの変種があるにしても、これが経済発展の「商業化モデル」と呼ばれて来たものの中身である。これはいまだに支配的なモデルだと言ってよい。

こうした説明では、資本主義は、それ以前の形態からの質的な断絶を意味するというよりは、大規模な量的増加、つまり市場の拡大と経済生活の商業化の発達とを意味することになる。このような伝統的な説明は、古典派経済学や、啓蒙主義の進歩概念それ以降の多くの歴史記述のなかに見られる。それは次の通りである。「取り引きし、交易し、交換する」という自然の傾向があろうとなかろうと、合理的で利己的な諸個人は、歴史の夜明けから交換と言う行為に携わってきた。この行為は分業の進展とともにしだいに専門的となり、また分業の進展は生産用具の技術的改良を伴った。こうした説明の多くにおいては、実際には生産性の向上こそ、専門化する分業の主要な目的であったと言えるから、その結果、商業発展という説明と一種の技術的決定論とが緊密に結びつく傾向が生まれる。その場合、資本主義すなわち「商業社会」とは、進歩の最高の段階であり、古来からの商業活動の成熟と、政治的、文化的な制約からの商業活動の開放を意味する。ところが、この話には続きがある。それによれば、これらの制約が全面的かつ決定的に取り除かれたのは西洋だけであった。

ベルギーの歴史家アンリ・ピレンヌらによれば、この商業化モデルについての最も一般的な仮説、資本主義と都市との結合─都市は最初から萌芽としての資本主義であったという仮説に行き当たる。その議論に寄れば、ヨーロッパにおける都市は、自立した「市民」階級の支配する、交易を中心とした都市であり、独自で前例のない自治権を持った都市として出現した。この「市民」階級こそやがて、古い文化的制約と政治的寄生という桎梏から最終的に自己を解放した階級となった。都市経済、商業活動、商人的な合理性のこの解放が生産技術の必然的な改良を伴い、この生産技術の改良が交易の解放をもたらす。これで近代資本主義の勃興を十分に説明できるように見えた。

これらの説明はすべて、交易と市場が交換という形で最初に現われてから近代産業資本主義として成熟するまで連続しているという前提を共有している。「安く買って高く売る」という形での商業的な利潤獲得の古来の慣行は、こうした説明によれば、剰余価値の領有を通じた資本主義的な交換や蓄積と根本的に区別されないのである。また、これらの資本主義の歴史論の中には、もう一つの共通テーマが隠されている。それは進歩の担い手としてのブルジョワジーというテーマである。私達はブルジョワと資本家とを同一視することにすっかり慣れ親しんでいるので、この前提に隠された前提が見えにくくなっている。ブルジョワという言葉は都市居住者から商人を経て資本家に至る意味の変遷の中に商業化モデルの論理を負うことができる。つまり、古代の都市居住者は中世の「市民」に道を譲り、今度は「市民」が近代資本家へと断絶なしに発展する。

そのため商業化モデルは、資本主義に独自の命法や、資本主義において市場が機能する独自のあり方や、市場への参入を人々に強制し、労働生産性の向上による「効率的」生産を生産者に強制するその独自の運動法則─競争原理、利潤最大化、資本蓄積の諸法則─などを全く認めなかったのである。その結果当然、このモデルの信奉者は、これらの特殊的運動法則を規定している独自の社会的所有関係や独自の搾取様式についても、それを説明する必要性を認めないことになる。それどころか商業化モデルにおいては、資本主義の発生を説明する必要は少しもなかったのである。この想定によれば、人々は機械が与えられればつねに資本主義的合理性のルールに従って行動し、利潤を追求しつつ、その中で労働生産性を向上させる方法を模索してきたということになる。

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