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2013年5月 2日 (木)

宮川壽夫「配当政策とコーポレート・ガバナンス~株主所有権の限界」(10)

第6章 経営能力評価仮説の実証

前章で行った検証「経営者自己抑制仮説」によれば、経営者は株主の支配力を過剰に強めることは自らの企業経営にとっても非効率を招くことを知っている。そのためエージェンシーコストの発生を認識している経営者は、自己抑制的な行動を選択することによって株主によるモニタリングコストを低減させようと努力していることを明らかにした。では、一方の株主はエージェンシーコストの発生に対してどのような行動を選択するのであろうか。本章で取り組みたいことは、そもそも株主がなぜ特定の経営者にエージェントとして経営を委託するのかという問題意識である。株式市場で取引を行っている投資家ないし株主にはどの企業の株主になるかという点で多くの選択肢が与えられている。将来キャッシュフローを生み出す事業が存在し、その事業を担うことができる経営者がいて、その経営にリスクマネーを投じる株主が現われるのである。株主は経営者の経営能力を認めるからこそ自らリスクを賭して株主という役回りを演じていると考えられる。したがって本来は、経営者の能力が最大限に引き出されるインセンティブをいかに経営者に与えるかを考えることが優先されるべきであろう。そして、経営者の能力が高いと思えば、むしろ経営者の裁量を狭めることよりもその能力を存分に発揮する自由度をあたえることによって企業価値の最大化を目指した方が合理的ではないだろうか。仮に株主が経営者の能力を過剰に評価して投資先を誤ったとしても株主には途中退出のオプションが与えられているし、市場を通したリスク分散機能も有している。さらに経営者を交代させることすら不可能ではない。経済システム上、株主がリスク許容者として機能し、株主はエージェントである経営者の裁量に委ねるリスクを取ることで経営者に経営能力を発揮する場を与えていると考えられる。

伝統的な経済学の考え方においては経営者の役割は株主価値の最大化という単純な帰結以外には行き着かない。経営者はあたかも株主のためにひたすら働く無機的な存在にしか見えない。しかし実際には企業の付加価値を創造しているのは経営者が有する無形の能力であることが多い。私的便益を経営者と共有しないという意味での外部性は株主資本を企業に投資するが、経営者は人的資本である経営能力を投下しており、その意味で何らかのリターンを求めて外部株主と交渉できる立場にある。そして固定的な配当政策の維持は、それから逸脱すれば外部株主の経営介入を招くという圧力の下で経営者自らが十分な経営能力を投下していることのシグナルとなる。外部株主は自らリスクマネーを企業に投資している以上、投資先企業からリターンを獲得するためには経営者にその経営能力を存分に発揮させ、企業価値自体を拡大させなければならない。経営者の経営能力が投下され、それが収益に結び付いたときに株主はその収益の全てを配当として獲得するのではなく、経営者にインセンティブを与えるため収益の一部のみを配当として受け取ることを選択する。経営者がインセンティブを失い、企業の収益が低下するすると株主の長期的利得は期待できないからである。むしろ株主は、利益増によってキャッシュが増加した場合、経営能力や従業員の技術力等の企業特殊的能力を引き出すためのインセンティブとして内部留保することを容認し、その残りを配当として受け取る。そして、次の期も株主として投資を継続するであろう。これが、企業が必ずしも配当を利益に100%連動させない理由である。一方、経営者は無配にして獲得した利益から将来への投資に必要な資金を控除したものを全て自らの利得としてしまうと、次の期に外部株主は継続して投資することをやめるかもしくは外部株主の介入を招く可能性が高まる。そこで経営者にとってはいくらかの配当を支払った方がむしろ合理的となる。経営者が無配を避ける理由はここにある。では、無配にしないとすればどの程度の配当を支払うことが経営者にとって妥当であろうか。もし外部株主が経営者の能力や従業員の技術力などの企業特殊的能力に着目しているならば、経営者が支払う配当水準は自分の能力が十分に投下されていることを外部株主に確信させ、外部株主に次の期も継続して投資を促すに足りる水準にとどまるはずである。つまり経営者は必ずしも獲得した利益に応じた配当を支払う配当水準は自分の能力が十分に投下されていることを外部株主に確信させ、外部株主に次の期も継続して投資を促すに足りる水準にとどまるはずである。つまり経営者は必ずしも獲得した利益に応じた配当を支払う必要はない。以上のような考え方に基づき、外部株主が株主構成の中で相対的に高い比率を占める企業は、利益と配当の連動性が低く、むしろ配当政策は粘着的になるという現実を設定する。言い換えれば、これは、外部株主は収益に連動した配当を常に要求するのではなく、経営者能力や従業員が有する企業特殊能力を評価するという現実を説明するための仮説である。これを経営能力評価仮説と呼ぶ。

これを検証した結果は、日本企業の配当は収益性指標と有意に正の関係を持つ、すなわち収益性が高い企業では積極的な配当支払が行われるが、外部株主の保有割合が高いと収益性と配当の連動性は失われ、また金融機関の保有割合が高い企業では積極的にその連動性は依然として高いという事実を証拠づけるものである。この結果は経営能力評価仮説を支持する内容であると言える。経営能力評価仮説では、外部株主は経営者の経営能力や従業員のノウハウ等企業が固有に持つ企業特殊的能力に着目するため、必ずしも利益に連動した配当を要求するのではなくむしろそのような能力を引きだすよう経営者の裁量を尊重することが合理的であると考える。経営者とは株主によって投下された資本を成長させることを使命とした経済主体である。そのような主体として相応しい能力を持った経営者が努力を傾けて事業を拡大することは経済活動全体の拡大に貢献することになる。一方、株主は資本を提供するとともに経営者の投資プロセスを監視することによって無駄を排除し、より効率的な事業経営を促進させる主体である。当然のことはあるが、以上のように考えれば株主と経営者双方の利害は実は経済全体の利害と一致している。しかし、この二つはトレードオフの関係にある。すなわち株主の監視がなければ経営者は必ずしも効率的な行動のみを選択するとは限らない。最悪の場合は資本を浪費することによって企業価値を毀損する可能性もある。これがエージェンシー理論の考え方である。その一方で、あまりにも株主の監視にと介入が過剰になると経営者のモチベーションは低下し、その能力を十分に発揮できなくなる。最悪の場合はその企業に特化した人的資本を持ち去ることによって企業価値を毀損する可能性もある。経営能力評価仮説は、このトレードオフを配当政策という視点から実証的に把握する切り口を提供した。経営者のモチベーションが企業価値の拡大に大きく貢献するような環境にある企業では、配当は一定の水準に粘着して残りのキャッシュの使途は経営者の裁量に任されるようになる。しかし、株主による監視が企業価値の維持にとってより重要な企業においては、配当は利益に連動して変化する。本研究はこの粘着型の配当と柔軟型の配当を株主の属性に着目して分析を行い、一定の結論を導き出す幸運に恵まれた。しかし、株主の属性のみを分析対象としたことは一面的と言わざるを得ない、企業が属する産業構造や事業特性等多くの要素が分析対象として考えられるであろう。

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