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2013年5月29日 (水)

エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(2)

これに対してカール・ポラニーは『大転換』において次のように主張した。市場交換と結びついた個人的利潤という動機は、近代にいたるまでは経済生活の支配的原理ではなかった。かれによれば、市場が十分に発展していたところでさえ、市場を備えた有史以来の社会と、「市場社会」とは、はっきりと区別されなければならない。ボラニーに従えば、近代の「市場社会」においてのみ、はっきりとした「経済的」動機や、非経済的関係とは区別された独特な経済制度と経済関係が存在する。価格メカニズムに駆り立てられる市場の自己調整システムのなかで、人間と自然は─労働と土地という形で─擬制的にではあるが商品として扱われるため、社会それ自体が市場の「付属物」となる。市場経済は市場社会の中でしか存在できない、つまり経済が社会関係に埋め込まれるのではなくて、社会関係が経済に埋め込まれている。もちろん資本主義以前の社会における市場の副次的な役割に注目したのは、ボラニーだけではない。有能な経済史家や人類学者なら誰でも、最も「原始的」で平等主義的な文明から始まり、最も複雑で階層化と搾取を徹底させた「高度」な文明に至るまでの、そのような社会で機能した経済行為の多様な非市場的原理を認めるはずである。また別の経済史家たちは(その数は人が考えるほど多くないかもしれないが)、交易の原理における一定の変化に注目してきた。しかしボラニーの説明がとくに優れているのは、それが「市場社会」とそれに先行する非市場社会との間に、前者と市場を備えた非市場社会との間にさえ、存在する断絶を鮮やかに記述したからである。彼は、二つの社会の経済原理の違いだけでなく、その転換が引き起こした社会的混乱をも説明している。ボラニーの主張では、自己調整的市場システムは、社会関係に関してだけではなく人間の精神に関しても非常に破壊的であり、人間の生活に恐ろしい影響を及ぼしたので、自己調整的市場システムの移植の歴史は同時にその猛威から身を護る防衛の歴史であらざるをえなかった。「対抗的防衛行動」、とくに国家による介入という手段がとられなければ、「人間社会は絶滅していたであろう」この議論には多くの点について、これまでの経済発展の説明との劇的な違いが見られる。これまでの説明は、「商業的」あるいは資本主義的な原理と封建制の経済的(あるいは反経済的)な論理との間の敵対的関係を考察している時でさえ、古代の商業と近代資本主義経済との間の(多かれ少なかれ協調的な)連続性を強調してきたからである。だがある重要な点について、ボラニーの説明は伝統的な経済史との間に大きな類似性を維持している。最大の問題は、市場社会が出現した条件、すなわちそれを生み出した歴史過程についてのボラニーの説明であり、これが市場を社会的形態として理解する彼の立場にとって何を意味するかである。

第一に、彼の議論にはかなりの技術的決定論が含まれている。ボラニーの歴史的説明の主題は、産業革命がいかにして市場社会を生み出したのかということである。産業革命は、人間と自然を商品化することによって社会を完全に転換させた「急進的で過激な」革命の「たんなる始まり」に過ぎなかった。同時にその転換は、技術の進歩の結果であった。その転換の中心は、技術の進歩の結果であった。その転換の中心には「生産用具の全く奇跡的ともいえる改良」があった。そして生産用具の改良は、社会の転換を引き起こす一方で、それ自体は技術の面でも、イングランドの囲い込みをはじめとした土地利用の組織化の面でも、近代以前になされた生産性の改良の頂点であった。ボラニーは「自然成長的進歩」を信奉することに異議を唱えているが、少なくとも西洋の商業社会の文脈では、そのような改良が不可避的であったことを一瞬たりとも疑っていないように見える。この点で商業化モデルと異ならないし、さらに、ボラニーの歴史著述の要旨は、いくつかの点で古い商業化モデルと全く異なるところがない。つまり市場の拡大が技術の進歩と手を携えて近代産業資本主義を生み出したということである。この過程は、あくまでヨーロッパ全体の歴史過程なのである。

以上の議論からは見えてこないのが、社会諸関係の根底的な転換がいかにして産業化に先行して起きたのかという認識である。生産諸能力の変革は、所有関係の転換と、労働生産性の向上という歴史上ユニークな必要性を生み出した搾取形態の変化とを前提していた。それは競争、蓄積、利潤の最大化という資本主義的命法の出現を前提していた。たんにボラニーの議論が本末転倒であると非難するために、こう言ったわけではない。より根本的な問題は次の点である。彼の考える因果関係の順序では、資本主義的な市場そのものを特殊な社会的形態とみなすことができないということである。資本主義市場に特殊な命法─蓄積と労働生産性の増大を迫る圧力─は、特殊な社会関係の産物としてではなく、少なくともヨーロッパでは、多少なりとも不可避的に見える技術の改良の結果として論じられている。『大転換』が「資本主義への移行」問題について伝統的な歴史叙述から離脱する重要な一歩であったことは、依然として事実である。しかし、資本主義とその起源という問題は全く問題にもされないか、その問題は別の問題、つまり資本主義はなぜ他の場所では発生しなかったのかという問題にすり替えられてしまうのである。資本主義の歴史をどのように理解するかは、問題それ自体をどのように理解するかに大きく関わっている。資本主義の発展の旧モデルは、歴史貫通的な決定論と「自由」市場の主意主義との矛盾した混合物である。このモデルでは、資本主義市場は不変の自然法則であると同時に人間の選択と自由の完成態でもある。このようなモデルのアンチテーゼがあるとすれば、それは資本主義市場の命法と強制とを完全に承認するような資本主義市場についての考え方であろう。同時に、これらの命法それ自体が、ある歴史貫通的な自然法則に基づくのではなく、人間主体によって構成され、変化を受け容れる特殊歴史的な社会関係に基づくという事実を完全に理解するような資本主義市場についての考え方であろう。これは、マルクス主義の中に見出されるはずだと期待できるような考え方である。だがマルクス主義の歴史家たちはその種の対案を必ずしも一貫して提供してきたわけではない。

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