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2013年6月

2013年6月30日 (日)

村上隆「想像力なき日本─アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」」(4)

第4章 「正論の時代」における極論的人の育て方

今の世の中においては、100点満点中、5点や10点といった底辺付近で這うようにしているか、80点や85点あたりのところでそれなりの活躍をしているか、どちらかの人たちが増えています。底辺は向上心を持たずともそこに安住し、そこそこ上部の者は、「出る杭は打たれる」を懸念してそれ以上、上に行こうとしない。ほどほどに、自分を抑制している人が多いと考えられます。こうした状況は、社会全般だけでなくアート業界においても出現しています。それはそれで暮らしていける生態系が日本にあるからです。そんな中、真面目に作品を造る姿勢そのものが嘲笑される風潮があり、嘆かわしい限りです。高い志を持った人が笑われる時代。あきらめたり、自分を抑制したりするのではなく、目標は高くを持ってほしいし、そこに到達するためのヒントを掴んでほしい。

すべてが正論という名の当たり障りのないところに収斂していき、極論がなくなってしまえば世の中は本当につまらないものになってしまいます。それでは個性的な人間を育てていくことも出来なくなります。今の世の中においては「人に怒られる」「結果につながらない努力にエネルギーを使う」というようなことのすべてが理不尽とみなされ、それを排除しようとする傾向も見られます。しかし実際のところ、社会は理不尽に満ちています。だからこそ、こうした微温湯の特殊環境で育つことが普通とみなされ、「理不尽な目に遭うのはおかしい」ということが正論になる逆転現象が起きているわけです。アート業界のようなクリエイティブな現場においては、その正論が邪魔になります。正論の中で生き、「正論の中でものづくり」をしようとするならば、深部の才能までは発揮されなくなってしまうからです。この世界においてはむしろ、どれだけの理不尽な目に遭い、それを抱え持てるかが問われてきます。そうしたものを十字架として背負い、それを作品に反映させていくのが特殊職業である芸術家の仕事です。

芸術家志向の若い人たちは、アート業界では、社会との関係性等は考える必要もなく、自分の主張をどこまでも押し通して行けると考えがちですが、それはまったくの誤解です。ここまでにも書いてきたように、この世界で生きていく上では、一般社会以上に大きな理不尽を背負っていかなければならないからです。

組織や社会の一員であれば、本当の意味での理不尽な要求を、思っても見なかったタイミングで突きつけられることもあるはずです。たとえばエンターテイメントビジネスではその傾向が強いと思いますが、常に変化している世相を読み解きながら、自ら変化していかなければ生き残ることはできません。そのため、ある朝、経営者がやってきて、それまで絶対だとされていた方針を180度変えてしまう場合もあるわけです。常識的な対応をしているだけでは間に合わず、それだけのフレキシビリティが求められるようになっているからです。そういう要求を突きつけられたときは愕然とすることもあるかもしれませんが、突然の方向転換に対しても、すぐに対応できるのが組織での正義ですし、嫌なら辞めればいいだけの話です。しかも現代の日本は、労働者には有利で、雇用する側には不利になっているのでやめることは本当に簡単な筈です。上から出された指示が明らかに間違いであり、それを指摘できる関係性であったなら話は別です。そういうときには議論の余地はあるでしょう。しかし、出された指示に疑問を挟む余地もないのなら、どんなに手間になっても従うだけです。

2013年6月29日 (土)

村上隆「想像力なき日本─アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」」(3)

第3章 チャート式 勝つための戦略の練り方

現代芸術は西洋で誕生し、そのルールが形成されたジャンルです。だからこそ僕は、欧米の芸術史を今もまた学習し続けているし、そのルールの上でどのように勝負をしておけばいいのかを考え続けています。欧米の芸術には“確固たる不文律”が存在しています。そのルールをわきまえずにつくられた作品は、評価の対象にさえなりません。日本の現代美術家たちがほとんど欧米で通用しないのはそのことを理解していないからです。それでは評価されるためのステージにつくこともできないのは当然です。ではどのような作品が評価されて、どのような作品が評価されないのでしょうか。分かり易い単純な部分で言えば、欧米では「見た目がきれい」的なことは重要視されません。知的なゲームを楽しむのに似た感覚で芸術作品を見ているので、目に入った瞬間の美しさなどよりも、観念や概念と言った「文脈」の部分が問われるからです。

漫画やアニメが日本の代表的な大衆芸術ですが、そこでは、“今、生きている人たちへ訴求力を最大化”することに目的が絞られます。そのため、それに成功すれば、即座に見返りも受けられます。莫大な収入が得られ、作品の効果も評価もすぐに最大化できるのが大衆芸術のいいところです。一方、純粋芸術である現代美術の作家たちは、ハイヒエラルキーの人たちによって、お金で才能を買われます。その時代への訴求を考えることは最大目的にはなりません。才能を買ってくれたハイヒエラルキーの人たちの期待を裏切らないようにしていれば、大衆には理解不能なことをしていても構わないからです。束縛の大きいエリアと自由度の大きいエリアの違いが存在するのです。だからこそ、現代芸術は、その時代において評価を得られなくても“時代を乗り越えていく可能性”が出てくるわけです。

芸術とは“死後の世界をつくること”だという絶対的な事実があるにもかかわらず、美術書でも美大でも、なかなかそれを明言しません。ぼくにしいも生きているうちの効果を考え、そのための試みをしている部分はたしかにあります。しかし、それ以上に強く考えているのは、「生きている限り、作品をつくり続けること」、そして「その中で自分がどんな足跡を残しておけるか」ということです。“時のふるい”にかけられたときに、残ることができるか、できないか。ある意味でぼくは、死後に備えて作品を作り続けているともいえるのです。それはつまり、「死んでからが勝負」という発想です。

「何によって成功したか」ということには、いくつかのパターンがあります。その分類の中に自分を当てはめてみれば、戦略が立てやすくなるのではないでしょうか。つまり、チャート式に“成功への道筋”を考えるという発想です。過去の歴史を振り返ってみれば、成功した芸術家たちは次の六つのパターンのいずれかに属しているのがわかります。

一、天才型

二、天然型(超越型)

三、努力型

四、戦略型

五、偶然型

六、死後型

成功するための六つのパターンとも大きく関係してくることですが、現代美術の座標軸としては次の四つが挙げられます。

一、構図

二、圧力

三、コンテクスト

四、個性

「コンテクスト」は、文法、文脈と訳されます。例えば一見、ただの放射線にしか見えないマーク・グロッチャントの絵が何を意味しているのかということで、説明が必要なのか不必要なのかという議論がなされることもあります。そのどちらがいいかは別にしても、日本人は全般的に「芸術に説明は必要ない」と決めつけがちです。なぜそうきめつけるという疑問がまずあります。ゴルフにしてもサッカーにしても、テレビ放送にはひとつひとつのプレーがどういう意味を持つのかといった解説がついています。それと同じように、解説はあってもいいはずなのに、こと芸術に関しては拒否するのです。コンテクストの読みが重要な意味を持っているにも関わらず。日本人は芸術にルールはいらないという考え方をしがちです。実際にルールがある競技に対して「必要ない」と言っていても始まりません。現代芸術がそうですが、日本の伝統的な美術に対しても似たことが言えます。一見すればルール無用のようであっても、実際はルールが存在しています。ルールを知らなければゴルフやサッカーができないように、芸術においてもそれを知らなければ世界と戦う舞台に立てません。コンテクストがあれば、天才でなくても天才に見せることはできます。それが現代芸術です。「個性」に対しては、持って生まれたものだと考えられがちなのかもしれませんが、個性派作れるものだし、作るべきものです。評価されるための個性を考え、それを演じているうちに自分のものにしていくことができるのです。そけがすなわちアーティストにとってのブランディングということになります。

どのようなジャンルであっても、世界の舞台に飛び出して行き活躍するために求められるのが、覚悟であるのは同じです。そこで問われることになるのが、才能ではなく、そんな努力を続けていく覚悟があるかということになるのは当然です。どれだけ絵が下手であっても、戦略を持って努力を続けられるなら結果は出せます。とくに日本の若い人達には先鋭性と賢さがあり、自身に対する批評性も持っているので、クリエーターへの適合性は高いと言えるはずです。ただし現在は、そうしたプラスの特性がマイナスに作用している部分も大きくなっています。学力があり批評性があるにはいいとしても、その批評性によって自虐性を持ってしまい、努力を放棄してラクな方向に行くことを正当化させるようにもなっているわけです。その先鋭性や批評性をクリエイティブな方向に発揮してほしいと願われます。こうしたタイプの人たちは、現在、あるいは近い将来の一、二年といったスパンで効果を最大化するための知力と判断能力を持っています。しかし、ロングスパンの効果を考えることはうまくありません。うまくないというよりも、遠い先のことを考えても仕方がないと思っているようです。未来に希望など見出せないというのがその理由なのかもしれません。そのため、今この瞬間をどのように効率的に生きるかということに特化して頭を働かせるスーパー刹那主義になっています。そこで発揮される集中力と判断能力は非常に高いものがあるので、将来をあきらめずに戦略を立てることの有効性を知ってもらいたいところです。それは芸術の世界に限られたことではなく、どんな世界でサバイバルするためにもそうです。刹那主義でいたのでは、大きな収穫を掴むことは決してできません。

2013年6月27日 (木)

村上隆「想像力なき日本─アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」」(2)

第2章 成功するための「修行(トレーニング)」と「仕事術(ワークスタイル)」

芸術家を目指すうえで大切なのは、芸術家とはアスリートなのだということをよく理解しておくことです。頭でばかりものを考えようとするのではなく、石膏デッサンでもなんでも、できるだけ身体を動かすようにしている方がいいからです。要するに、アスリートの筋力アップトレーニングや素振りと変わらないように、石膏デッサンをしたり、描いて描いて描きまくるようにするなど、筋力とスピードの増強に努めるのがいいわけです。そしてまた、本気でアーティストを目指そうとしている若い人たちに対しては、「寝るな!」とも言います。それはある意味、宗教における洗脳の方法とも似ているのかもしれません。ろくに睡眠をとらない日々を続けて、どれだけ眠くて意識が朦朧としていていつも絵を描き続ける。そういう生活を三年ほど続けていると、絵を描くことなんてしたくは無くなります。そのときに本当にことを続けていくのかと自問自答する。そこで「続けていく」という答えを見つけられたなら、そのときはじめて芸術を生涯の生業として考える資格が得られます。それができないような人たちは、いずれやめていくことになるわけです。

「ものづくりとは何か?」という問いにひと言で答えるとすれば、インスピレーションです。“インスピレーションをどのように湧かせて、それをキャッチするか”それにすべてがかかっているといってもいいでしょう。それに較べれば、絵がうまいか下手かといった問題は、はるかに小さなことです。それを、ただ待っているのではなく、そのための努力をしなければならないわけです。その方法論は人それぞれに違ってきます。そこで大切になるのは「徒労」です。労力を惜しまず、そのインスピレーションを得るための努力を続け、ムダなことや理不尽なことにぶつかるのも当然だと考え、それをします。それをやることに科学的な根拠があるのかなどとは考えずにそれを続ける。持続する粘着性があるからこそそれができていて、それを成功に結び付けられます。《傑作の域に入るためには、精神の不断の緊張を必要とする》という魯山人の言葉は、いかにしてインスピレーションが湧く瞬間を待つかということも意味しています。また、不断の緊張を保つことともに大切なのは、できるだけ頭をリラックスさせておくことです。両者は相容れないことだと思われるかもしれませんが、それを両立させるバランス感覚が大切です。つまり、ぼくらの世界でのトレーニングですべきことは、この部分、バランスの真ん中に立つということなのです。

以前にぼくは「美大教育の構造悪」という表現を使っていたこともあります。そこで指摘したかった根源的な問題もそんなところにあるのかもしれません。多くの美大では“自由闊達な活動をして、信じる道を行けばいい”というような方針が示されますが、本当の意味でそれができる学生はほとんどいません。実際のところ、情報量が少ない中、二つの選択肢のうちからひとつを選ぶことくらいにとどまりがちです。そもそも美大への合格を目指す予備校では、受験のための絵の描き方が教えられます。それはつまり、傾向と対策にもとづいた合格のためのスキルです。そういうスキルの教育を受けてたどり着いたばかりの美大生たちが、突然、自由にしなさいと言われたならどうでしょうか。何をどうすればいいかがまるで分らなくても責められません。それで結局、彼らは、与えられた自由によってA先生かB先生のどちらかを選ぶといった程度の選択をします。

美大教育の中では「ご機嫌を取ることの重要性」が教えられることは全くありません。逆にアーティストは社会から祝福されるべき人間であると洗脳されているのです。芸術の世界において人のご機嫌をとる必要などないと認識されているようですが、それでは“生きていく場”が得られるはずがありません。ご機嫌取りの発想を持たないということはつまり、相手の感情を顧みず、自分の欲望に忠実すぎる人たちが増えているということです。そんな姿勢で仕事に臨んでいる限り、目の前の仕事に真剣に向かい合っているとは言えないはずです。そういう人たちは“社会における最大の効果”を考えながら作業をしていく仕事には向かないとも言い切れます。自分の作った作品が自分自身に向けられているばかりで、世間で発揮する効果を考えていないものであったとすれば、それはただのマスターベーションに過ぎません。そういう創作は閉じられた世界の中で完結していくしかないのであり、ビジネスに結び付けようと考えるのは無理な話です。作品を制作するうえでも、その作品を発表するために社会との接点を持つうえでも、ひとのご機嫌をとるという発想は、重要視されていいはずです。一枚の絵を描くときにも、どうすれば最大限の効果を発揮させられるかを考えるのは当たり前の行為です。

2013年6月26日 (水)

村上隆「想像力なき日本─アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」」(1)

今の若い人たちの労働力低下の複合的な原因のひとつに「アイデンティティを持たないことが正義である」というような哲学が彼らの中に浸透していることがあります。戦後日本の借り物の民主主義の中では、みんなが平等だというお約束のもとで、競争という言葉を排除するようにしてきていました。独立心を持たない国・日本が、馴れ合いの社会をよしとしてきたために、そうしたマインドセットが作られていったのです。個人のマインドセットには思考様式や思い込み、企業のマインドセットには組織構成や戦略と言った要素が含まれますが、馴れ合い的なそれらをひとつひとつ解体していくことでしか、世界と勝負していくための力は生み出せないと思います。

競争という言葉を排除してきた日本のビジネスは、勝つことへのこだわりが薄いともいえます。アートの世界でもそうですが、「描きたいものを自由に描けばいい」と教えられ、その枠内で創作を続けている人がほとんどです。しかし、そういう人たちは結局、趣味の域を抜け出せずにその創作活動を終えるだけです。アート業界で生きていくなら、この世界のルールを一から十まで把握した上で、しっかりとターゲットを絞り、“ターゲットに向かって弾を撃つ”というやり方をしなければ勝てません。今の日本のマインドセットは「ただ撃てばいい」「そうしていればそのうち当たるかもしれない」というスタンスを浸透させてしまいました。その部分を見直していかなければ、個人としても組織としても、将来に可能性を見出せるわけがないのです。アーティストとして何より求められるのは、デッサン力やセンスの技術ではなく「執念」です。“尋常ではないほどの執着力”を持ち、何があっても“やり通す覚悟”があるならば成功できます。それがなければ成功できるはずがないという図式は、はっきりとしています。そこに疑問を差し挟む余地などはなく、それがすべてなのです。

第1章 アート業界で生きていくということ

「アーティストは、社会のヒエラルキーの中では最下層に位置する存在である。その自覚がなければ、この世界ではやっていけない」アーティストを目指す人間であるなら、まずはこのことを知っておくべきです。

スタッフに対してぼくが最初に行っているのは、ペインティングのレッスンなどではなく挨拶のレッスンです。挨拶も満足にできない人間は、組織の中で生き残っていくことも、アートの世界で生き残っていくことも絶対にできません。そういう部分では“企業の論理”と共通するところも多いのだと思います。実を言うとアートの世界は、一般の企業にもまして、こうした部分を徹底していかなければならない世界です。アート業界はご機嫌取りとは無縁の世界だと考えているのだとすればまったくの誤解です。むしろ“どれだけうまくご機嫌取りが出来るかが問われる世界”です。そんな世界で成功するには、そのための方法があります。その第一歩が、覚悟を持ち、ちゃんと挨拶のできる人間になることです。それはただの道徳教育などではなく“成功するための道筋”です。

自由民主主義とは宗教のようなものであり、“ドリーム・カム・トゥルーという方便”は、その宗教の教義として必要とされていました。不平等と思われる環境のもとで生きている人達にそんな妄想を与えることで社会についてこさせていたわけです。しかし、アメリカ型経済も崩壊し、その教義も不確定なものとなった現在、いつまでもそんな妄想や幻想にしがみついていても仕方がありません。芸術にしても、自由民主主義に付随する資本主義のもとで成り立っていたものです。

現代美術の場合は特にそうです。芸術には「大衆芸術」と「純粋芸術」があり、現代美術は純粋芸術に属します。その意味もよく考えてみるべきです。純粋芸術といえば、ヒエラルキーの上位に位置するジャンルのように感じられるかもしれませんが、まったく違います。わかりやすく単純化していえば、顧客が大金持ちだということです。芸術作品は自己満足の世界で作られるものではありません。営業をしてでも、売らなければならないものです。そのためには価値観の違いを乗り越えてでも、相手、顧客に理解してもらう「客観性」が求められます。その部分が日本のアーティスト志向の人たちの意識からは決定的に欠落しています。現代芸術が、純粋芸術である以上、客は大衆ではないのです。

顧客との関係性において、ぼくたちアーティストは常に“下からお伺いを立てる立場”にあります。「いつか自分の作品がわかってもらえる日が来ればいい」と夢想していても、その人の目の黒いうちにその日が来ることはほぼあり得ません。理解してもらうには、ただただ歩み寄る。そうすることに疑問を抱かないのが、絶対的最下層にいる人間の生き方です。いつか世間に見直してもらえるといった考えを捨てることこそが、芸術家として身を立てる第一歩、成功するための仕事術の第一歩になるのです。

日本には、ぼくを嫌う人も多いのですが、その理由はよくわかっています。要するに、日本人的な感覚ではいかにも嫌われるような方法論で仕事をしているからです。たとえば、ある病気によく効くクスリがあったと仮定しましょう。そのクスリは、日本人や東洋人には一粒で効くのに、西洋人の場合は二粒飲まないと効かないものだったとします。そういう事実を調べず、誰に対しても「一粒飲めばいい。それで効かないものなら知らない」と通してしまうのは、ぼくの流儀ではありません。その差をよく調べ、把握しておいた上で、西洋人へは二粒用意する。そんなやり方を続けています。つまり、自分の流儀を押し付けようとするのではなく、「まず相手ありき」という考えで、仕事に臨んでいるわけです。

2013年6月25日 (火)

「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス」展(6)~静物と室内

Ropezgrasロペス展に対する感想は、前回のマドリードがヤマだったので、今回はその残りです。解説での評価では、この室内とかその後の人物を題材とした三次元の作品を大きく取り上げているようです。私には、前回の「グランピア」についてお話しした時に、少し言いましたがロペスの作品で感じられた何か、リアリズムとか写生と言われると、「違うだろ」と言いたくなるような何か、それが嵩じて現実というものに対して違和感を持ってしまうような何か(言い過ぎ化もしれません)が、徐々に感じられなくなり、卓越した技量を持っているが故に、その技量だけが前面にでて、その意味がうすくなり、目的と手段が逆転してしまうように見えて、私には、あまり面白くありませんでした。これは、わたしのかなり主観的な見方ではあるのでしょうが、ロペスの魅力というのは、卓越した技量でいかにも見たままそっくりで写真と見まがうような作品でありながら、実はそういうもの自体が写実でないということが何となく画家本人が自覚しているような懐疑というのかイロニーのようなものが同時に感じられるという、微妙なバランス感覚ではないか、思います。それが、だんだん懐疑が薄れてきて、目先を変えて、それを悪く言えば誤魔化しているように見えてしまうので、後半の展示は面白くない、思うのでした。

Ropeztoireその中でも、ロペスの静物画は、16世紀スペイン・バロックのボデコンと呼ばれる静物画の静謐さを彷彿とさせるところがあって、佳品だと思いました。リトグラフの作品がとても印象的だったのですが、ここでは『花を生けたコップと壁』の普通のコップに水を張って一輪を挿しただけのさりげない作品の静謐さ。白のグラデーションだけでここまでよく描けるなという技量への感心。この白を基調としていることからでしょうか、清澄さというのか、落ち着きと、これが16世紀ならば崇高ということになりそうな感じです。

そして、室内の事物を題材にした作品に対しては、一般評価は高いようですが、私には手段とか技量が先に立っているようで、あまり面白くありませんでした。トイレを描いた作品の場合は、写生がそのまま写していないと思えるアラが欠点のように目立ってしまって、何でこんなものを描いているのかという疑問すら生じてしまうものでした。私には。

これで、アントニオ・ロペス展の感想をひと通り終わりにしたいと思います。この書き込みを通して「何か」と考えてきましたが、そのたびに色々と変化し、最終的には妥協的に今回の冒頭で述べたようなことで、いったん落ち着かせたいと思います。

2013年6月24日 (月)

「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス」展(5)~マドリード

Ropezgran最初にポスターでも見ていただいた『グランピア』という作品です。何度も言いますが、これだけ精緻に描かれていることだけでも凄いという、画像でも片鱗をうかがわせるものですが、実物をみると本当に圧倒されます。人間業かと思わられるほど、よくまあ、これほど描かれるものかという感嘆以外のものは出てきません。しかし、他方で言うと、これまで見てきたロペスの写生ということに納まりきれない何ものかが常に部分的に突出してきた作品をみてきたことと比べると、納まりのいい作品という感は、私には拭えませんでした。圧倒的な技量、パッと見で凄いと分かる作品であることは確かです。しかし、そういう凄さが一目でわかるというのは、人々のものさしに対して違和感がないということです。これまで見てきた作品が、見る人に投げかけてきた何かというものが。この作品にはない。万人受けする仕上がりになっているということは確かなのではないか。そう感じるのは、多分、私がひねくれているからでしょうか。

それと、解説などを読んでみると、朝の一瞬の光線とそれに映し出される風景を描くために、その一瞬だけを定着するためにその光景が現われる20分間だけキャンバスを立てて写生につとめ、それを数年間続けてようやく完成したということが書かれていますが、私の印象は廃墟のように見えてしまうのです。朝の風景にしたって街に人影が何もないし、生活臭がしてこないのです。例えば、朝ならゴミが散らかっていてもいいし、人影だけでなく動物や鳥の影がない。また、建物が動くということはないのですが、とはいっても街です。街の動きというのが全く感じられない。そこは静止した、不気味な静けさの世界という感じです。この美術展の主催者や多分一般的にはロペスの代表作ということになっているのでしょうからポスターにも使われているのですが、そういう点で言うと、私の好みからすると、他のロペスの作品に比べると物足りなさを感じてしまうのです。

これは他の例で言えば話は変わりますが、映画が好きな人で小津安二郎という映画監督の名前を聞いたことがあると思います。1950年代に才能を開花させて集大成的な作品を多く残し、日本的なホームドラマをつくったという一般の評判の監督です。その代表作として誰もがあげるのが『東京物語』という映画で、尾道に住む老夫婦が東京で一家を構える子ども達の家庭を訪ね、そこで生活に汲々としている子ども達から慇懃無礼の歓迎を受け、唯一心の籠った歓待を受けるのは戦死した二男の未亡人の義娘である原節子だけだったというほろ苦い話ですが、この作品は小津作品のなかで突出したものがなく納まりの良い作品なのです。その前の作品である『麦秋』の意味不明の画面のつなぎもないし、固定ショットで画面を破たんさせないという、もっぱら小津に対する一般的評価ですが『麦秋』をはじめとした他の作品では、破たんさせる箇所が何か所か差し挟まれていて、それが何かのっぴきならない緊張感を与えているのですが、『東京物語』には、そういうものがなく、いうなれば、安心して見ていられるのです。先に言ったストーリーを安心して追いかけることができるのです。『麦秋』であれば、一見普通に見える家庭で、それを映画という画面に取り上げられるとそこには活劇と共通するような映画的な動きとか空間があり、通り一遍のホームドラマに納まりきれない葛藤のようなものが生まれ、そこに映画にしかない独特の映画的快感を濃厚に発散させるのです。それが『東京物語』にはないのです。もし、ここに書いたことが抽象的で分かりにくいということなら『麦秋』の最後の5分間、原節子の結婚がきまり、家族で海岸に出掛けて、砂浜に原節子と三宅邦子が腰を下ろしているところを後ろからカメラが撮っているシーンを見てみて下さい。びっくりするし、その後の不可解さに頭を抱えると思います。こんなことをホームドラマの娯楽映画でやっていいのだろうかと。

で、話を『グランピア』に戻すと、これまで見てきたロペスの作品でリアリズムと言われているロペスの評判とは違う何かを感じたものでしたが、この作品ではそういう何かを感じることはできませんでした。例えば、写生とか、リアルといいますが、ここで描かれている風景は、見えたままを描いているわけではないわけです。それらしく描かれているというだけの話です。それをロペス自身、よく知っていて、リアリズムというものに対する懐疑があったと思います。わざと、定規で量った後を残したり、構図を歪めてみたりということを、どこかでやっていました。この作品でも、遠近法を歪めるとか、それらしい形跡は見られません。

遠近法というのは、一種の誤魔化し、あるいは嘘です。そんなことは、見れば分かるといっても美術の教科書でそういう文法にどっぷり浸かってしまっていれば、その文法でしか見られなくなってしまうので、何の疑問も感じなくなるかもしれません。そういう遠近法のパースペクティブに準じて捉えている写真というのも、実はらしいというだけで、人と同じような光の捉え方はしていないものです。簡単に言えば、人は左右の二つの眼でステレオで光を捉えています。これに対して、カメラは基本的に一つのレンズ、つまり眼で光を捉えています。これは平面というものに定着させるため仕方のないことです。しかし、1点と光をとらえたのと、2点で光をとらえるのが、同じであるはずがありません。奥行のない平面で立体であるように錯覚するために使われる約束事と言ってもいいでしょう、遠近法というのは。だから、西洋絵画以外の絵画では、あまり遠近法が使われていません。これは西洋という一ローカルに特徴的な癖なのです。そして、それが癖であるということは、近現代の画家たちは分っていたからこそ様々な実験を試みたのではないかと思います。ロペスもその一人であったような気がします。

Ropezmadもう一つ『トーレス・ブランカスからのマドリード』という大きな風景画。これは『グランピア』に比べると変なところがあり、まだ安心して(?)見ることができます。1568㎜×2449㎜という巨大な画面にこれだけ精緻に描き込まれているのは、『グランピア』と同様に驚嘆しますが、画面を一枚の板ではなくて、つぎはぎで足しています。そして継ぎ目が露出しています。これだけ丁寧に描いていて、それをぶち壊すような画面の継ぎ目を隠そうともしてません。この辺のへんなことは、ロペスは分ってやっていることだろうと思います。ロペスはこの作品と同じような規模でマドリードの風景を何点か描いていますが、どれも画面はつぎはぎです。そして、もう一つ共通しているのは、それだけ描き込まれながら、画面の大半を占めているのが空であるということです。この作品でも上半分が空です。これだけ描けて、対象を写生することがメインであれば、もっと建物を描く部分が大きくてもいいはずなのに、そういう見方、画面の切り取り方をしないのです。描けるのに、あえて描かれない空の部分の画面に占める割合が大きい。それはまるで、これだけ描き込むことは出来るが、それはたいしたことではないと、画家が言っているように感じられます。そして、ロペスの他の作品では、こういった傾向は見られないので、明らかにマドリードの風景を対象とした作品の中で、意図的に行われていたのだろうと思います。そして、この大規模な作品で、息がつまるほど精緻に描き込まれ、定規で量ったように、まるで設計図のように計測されて写し込まれたような街の建築の描写よりも、茫洋とした上空の広く取られた空間の方に、私の場合には、視線が行ってしまうのでした。その時に、画家には悪いのですが、マドリードの街の建築の描写は後景に退いてしまって、空間のひろがりがとこも心地よかったのでした。

Ropezeriseこれは、この展覧会の感想の最初のところで少し紹介した、ビクトル・エリセという映画監督の映画の空間の把握に共通すると、私が強く感じた部分でもあります。最初に紹介したように、ビクトル・エリセという監督は、ロペスを出演させた『マルメロの陽光』の監督です。このエリセの長編第一作は『ミツバチのささやき』という作品で、アナというスペインの田舎の少女が巡回映画で見たフランケンシュタインを実在すると信じてしまうことから始まるお話しなのですが、その作品の舞台の撮り方が、アナという少女がフランケンシュタインの存在を信じてしまうだろうなと思わせる世界だったり、村の子どもの純真さというのか素朴さが画面に漲っていたりと、決して幻想的な画面ではないのに、フランケンシュタインがいるとかいないとかというのが客観的な事実なのかどうか、見ている者もだんだん曖昧になってくるように世界が見えてくる、そういう作品の印象でした。特殊撮影のような仕掛けめいたことは、最後に少しだけでてくるだけで。その映画の中で、アナが姉と連れだって、後にフランケンシュタインを発見することになる荒野に遊びに行くシーンはがあって、その画面構成が、まさにここでの、ロペスの作品に通じるものだったと思いました。当時の映画ファンは、ジョン・フォードへのオマージュという人が多かった(多分、実際はそうだったとおもいます。この世代のヨーロッパの映画監督はジョン・フォードとかハワード・ホークスといったハリウッド映画全盛期の監督をリスペクトしている人が多かったようですから)。難解な映画という人もいるようですが、そういうシーンの中で小さなアナが動きまわり、そのことにより事件がうまれ、ものがたりが紡がれていく、そうものが生まれるベースとして映画的な空間のひろがりが何よりも、この監督は映画を愛していることが伝わってくるように感じられたのでした。

Ropezerise2ああ、『ミツバチのささやき』は大好きな映画なので、語り始めると際限がなくなります。そこで、ロペスの空間です。マドリードの空が単に何もなく茫洋と広がっていたというのではなくて、そこに計測の後だったり、画面の継ぎ目だったり、意図的(?)に様々なものが残されています。何か意味があるのか、仕掛けとして考えさせたり何かさせるのか、私にはロペスのロジックが分らないので何とも分かりません。そう一種の不自然さは、そういう部分というよりも、このように空間の方を大きくとった構図が基本的にそうだと思います。どこかのびるの屋上から見渡した風景をそのまま写し取ったというような解説がありますが、空を全部写し取ったわけではなく、どこからどこまで画面に入れるかという計算は、ロペスはしていたはずで、そこに計算なり、意図があったはずです。そして、この作品の画面に大きさを、これだけの大きさにしたということも。

で、私は、それらはこの空間が決めたのではないか、と何となく、見ていて思ったのでした。空間の広がりとそこの光のあり方を、そういうものとして提示するには画面にも広がりが必要、ということで建築風景を後景として見てしまう、私の見方です。

2013年6月23日 (日)

あるIR担当者の雑感(123)~事業戦略のロジックでない部分

大衆資本主義という言葉を作って、中国の民間企業の活力に満ちた実態を解説してみせたレポートを読みました。中国というのは政治体制として社会主義をとって、国家主導の経済政策に国営企業や国が多額の出資をした大企業が統制と保護を受けて従う、というようなイメージがありました。改革開放という一部私企業を認めたことも含めて、日本の戦後復興の傾斜生産方式とか高度経済成長期の護送船団方式に近いイメージです。

しかし、そのレポートを読むと、そういうイメージとは正反対の国家の統制を離れて、あるいは統制できないで暴走してしまうほどの、民衆レベルの自発性に溢れた起業の波が重なり合って、大きな波となって国内におおきなムーヴメントを起こし、それにまた人々が群がって世界レベルに広がっていくような奔流のような流です。それが、一面では中国の経済成長を支え、別の面では、その無軌道さが世界から批判、警告されてしまうことに至るということです。

例えば携帯電話。電波規制が敷かれていても無許可でコピーまがいの粗悪だけれど低価格な製品を、専門的なエンジニアから素人まで、様々な人々が殺到するように手がけ、競うように小規模な会社が起業されては消えていくような混乱の中で市場が拡大し、しまいには正規の製品を生産する大企業や海外からの進出企業も巻き込んでしまうに至ります。この、殺到するように参加していく人々というのは、ごく普通の庶民がおおく、手持ちの資金も多額ではなく、また多くの出資を集めてというのはなく、ある程度のまとまったお金を元手に、取敢えず参加してしまう。というもののようです。それも、技術があるとか、販売先やルートのつてがあるとか、そんなものはなくて、とにかく儲かりそうだとか、面白そうだということで、パーツ屋やそういう人たちを相手にする設計業者や製作業者を探して、できるところから製品を取り敢えず作ってしまって、それをブローカーに売りつけるという行き当たりばったりの人々がほとんどであるとあるといいます。それだから、そう人たちに代わって安い資金でも携帯電話の設計や製作を請け負う零細業者が成り立つようになる。あるいは、それでできた製品を売りさばくブローカーや流通ルートができて、一連のムーヴメントとしてすそ野が広がっていくことになります。

そして、こういうムーヴメントは以前の日本経済に見られたのではないかと報告者は触れるのです。例えば、本田技研が創業した当時のオートバイ工業の世界。浜松市という狭い地域に自転車やとか自動車修理工場とか機械工場とか、さまざまな人たちが儲かりそうだとか、俺にもできそうだと参入が相次いだといいます。自転車にエンジンをつけただけの粗悪なものからスタートして、現在の本田技研やヤマハ発動機、スズキといった世界に冠たるメーカーはここから生まれたといいます。

そういうレポートを読んでいて、ふと思ったことです。このような会社がIRをすることになって、説明会で戦略を語るということとなった場合、経営政略とかをロジカルに理路整然と投資家にアピールできるようなものを語ることができるか。あるいは、もっと根本的に、そんなものが果たしてあるのか、ということを思いました。実際のところ、そういうムーヴメントの中から本田技研のように大企業へと成長して行った企業もありましたが、大半の企業は現在は影も形も残らず消えて行ってしまったわけですから。ジャパニーズ・ドリームでもチャイニーズ・ドリームでもいいですが、徒手空拳でチャレンジして、努力に努力を重ねて成功に至る夢物語。そういうものが生まれる素地は、きっとそういうところにあって、その夢物語が拡大再生産されて、人々をそういうものに掻き立てて、経済の活気、活力が後から後から生まれてくる。そういう流れの中で、熱にうかれたように企業していくのと、冷静にメリットとリスクを計算して戦略を構築して、自分だけが勝ち残ることを目指してビジネスを始める。そういうのが、経済全体に対して、どっちが活力やエネルギーを与えるのか。経済学の偉い学説なんかでは後者の方だろうし、現在私が携わっているようなIRの説明会やミーティングのパターンで言っても、後者になるかもしれない、と思います。

しかし、と思います。以前から薄々感じていたことが、このレポートを読んで朧げながら少しイメージが形になりそうなところで、こんなことを言うのは半端な感じがするかもしれません。実は、ここからが本題に入ります。すいません前置きが長くなって。先日、私の勤め先では、決算説明会を行いました。そのあと、出席してくれた方にアンケートやヒヤリングをしてところ、今までなかったことですが、会社の経営戦略に注目してくれた方が出て来たのでした。私の勤め先は、中小企業のメーカーで技術的には優れたところがあるけれど、なかなかそれを売上や利益に生かすことができない。それは、営業や経営戦略に何らかの課題を抱えているからではないかということをよく言われるような会社です。それが、今回の説明会では経営戦略に注目しているということを聞いたわけですから、IR担当者としては嬉しい限りです。それが、これからの実績の伸びとなって結実してくれれば言うことなしです。

とそこまで言って、しかし、と私の心のどこかで、何か引っかかってしまうものがあったのです。それは、経営戦略に課題があると指摘されていたところ、そういうロジックからはみ出てしまうようなことのように思えたのです。それは、長い前置きで述べたようなこと、活力とかエネルギーとか、そんなものに通じる何か、それは経営戦略のロジックから見るとはみ出てしまうような、だけど、私の勤め先の事業が進んでいくためにはなくてはならないもの、そんな気がしてなりませんでした。例えば、私の勤め先の産業界向けの制御装置や検査装置という至って地味な機械製品をコツコツと作り続けた会社です。エンジニアも、日夜、ユーザーの現場にいったり、コンピュータで設計したり、試作品を手づくしたりということを飽くことなく繰り返しています。一見手堅い会社です。しかし、時々、突拍子もないような製品を出すことがあるのです。何で、この会社がこんな製品を作るのか?という疑問に捉われてしまうような製品です。突然変異にも見えるそういう製品をよくよく見てみると、そこで使われている技術は従来の製品の技術が使われていて、使い方を変えることによって、出来上がってくる製品が全く違ったものになってしまうということがあるのですが。で、このような製品が出てくるとき。当然、そういう製品を開発する人はもちろんですが、その開発にゴーサインを出す、そのエンジニアの上司や経営陣は、おそらく経営戦略とかそういうものを冷静に検討し、判断する以上に、もっと、そういうものからすると理不尽に見えるもの、情熱とか、好奇心とか、チャレンジ精神とか、そういうものをひっくるめて、言葉にすることができないような何かに突き動かされるように(それほど劇的ではないでしょう)そういうこと、あたかも後先を考えないかのように、をやってしまうのです。多分、IR業務に携わりながら、こんなブログを立ち上げてしまう私も、そういう会社の空気というのか文化というようなものの影響を多分に受けてしまっていると言えるかもしれません。そして、そういう試みは往々にして上手くは行かない。すぐには結果が出ないものです。だからといって、すぐには諦めないで、粘り強く続けてしまったりするのです。これは、明らかに効率性から言えば、無駄に近いことです。当然、利益率の足を引っ張ります。なかなか、売上は伸びない。そして、過去にもそういう試みで失敗していることは掃いて捨てるほどあるのです。実は、いま、私の勤め先では産業機械の会社であるのに、どういうわけか農産物の仕分けの機械の分野に進出し、野菜や果物の大きさや形状、外回りのキズの有無などを計測したり検知するセンサが注目されています。何か畑違いのような、会社のイメージがチグハグになりそうですが、これも技術者が産業機械のセンサ技術の応用を思いついて始めてしまって10年間の我慢を重ねて、漸く事業となった代物です。私の勤め先には、その予備軍がゴロゴロ転がっています(こんなものはIR等では報告できるレベルではありませんが)。それを早期に見清めて集中的に人材と資金を投下すれば効率的なのでしょうが。しかし、そういうものが効率とか、あまり考えないで、何か面白そうだとか、儲けのタネになりそうだとか、そういうのが社内のどこからともなく、誰かが思いついて、それが出てきてしまう。最初に前振りで述べた中国のような圧倒的な活力には及びませんが、そういうものというのは、はっきりした形式はないかもしれませんが、常識的なところのIRの文法というのか報告パターンには、なかなか乗ってこない。多分、投資する方も、そんなよく分らないものに投資するなんてリスクばかり、ということなのかもしれませんが。実は、私の勤め先の場合を考えると、IRでは会社の強みはこうだということを説明していますが、こんな無駄な動きがでてくるようなところにあるのではないか、と考えるようなことが最近多いです。ただ、これは雲を掴むような話なので、それが真実かどうかは確たることは言えませんし、これを伝える言葉をIR担当者としての私は持っていません。それが、たいへんもどかしい、今日この頃です。

2013年6月22日 (土)

丸川知雄「チャイニーズ・ドリーム」(6)

第5章 中国経済と大衆資本主義

本書のように民間企業が中国経済の成長の原動力だ、と考えている人は多くはなく、中国の経済体制を特徴付ける言葉として一般的なのは「国家資本主義」である。このような概念に共通する問題は、「国家」とか「官製」といった修飾語の方に力点があり、中国の「資本主義」としての側面を見過ごしていることである。たしかに、中国が一般の資本主義国家よりも国家の関与が相当強いことを裏付ける証拠は色々ある。だが同時に、国家の関与が次第に弱まっていく傾向にあることを示すデータのまた数多く存在する。

 

大衆資本主義とは、金融資産や人的資本を一般の国民に比べてきわだって多く所有しているとは言い難い人々が起業して資本家を目指すプロセスが同時かつ大量に起きる現象である。ここで「大量」と言った場合、企業の数を数える範囲をどのようにとるかが問題である。ひとつの国全体で見れば、どの国であれ、およそ市場経済国であれば大衆的な企業家がたえず大量に誕生していることであろう。そうした状況を大衆資本主義と呼んで差し支えないと考えているが、本書で取り上げたのはより限定された範囲、すなわち一つの産業、特定の地域である。特定産業・特定地域で同時期に大量の起業が起きた方が、大衆資本主義のインパクトより強いが、そういう場合のみを大衆資本主義と定義するわけではない。ただ、いずれにせよ国全体・全産業という広い範囲よりも、ある程度限定された地域や産業のなかで大量の起業が発生する状況のほうがより大衆資本主義的である。というのは、リスクに対する保険となる金融資産をあまり持たない人が、あえて起業というリスクのある行為に踏み切る上で、模倣や競争などの相互の刺激が不可欠であるからである。分かり易い言葉で言い換えれば、お金もないのに起業するのは失敗した時のリスクが大きいが、そんな人でも周りにつられて起業に踏み切ってしまうような状況こそが典型的な大衆資本主義と考えるのである。また、産業のライフサイクルを生成期、成長期、成熟期、衰退期の段階に分けた場合、大量の参入が起きるのは、製品の標準化が進み、価格が低下し、需要が拡大していく成長期であることは容易に推測できる。

こうしてみると、大衆資本主義は中国特有の現象ではなく、一つの産業の成長期、あるいは資本主義の勃興期には広く見られる現象であるかもしれない。例えば、日本の経済史を見渡した中で中国の大衆資本主義に近いと思われるのが20世紀の浜松である。19世紀末に織機を開発して今日のトヨタ自動車グループを創設した豊田佐吉や、20世紀初頭に同じく織機を開発して今日のスズキを創業した鈴木道雄、19世紀末にオルガンを国産化して今日のヤマハを創業した山葉寅楠など、いずれも大工や機械修理工などから技能を生かして創業したもので、出自は太守に近いレベルだった。さらに戦後、オートバイ産業が勃興し、本田技研工業を創設したオートバイの生産を始めた本田宗一郎をはじめ、スズキやヤマハが異業種参入したほか、工作機械メーカー、自動車修理業者、タクシー業者等がこぞって参入した。一つの産業が儲かりそうだとなれば、次々と新規参入が起き、激しい競争を展開する姿はいかにも大衆資本主義的である。

ただ、中国の「大衆資本主義」には、これまで世界の経済史の中で発生した同様の現象にはない独自の部分があるからである。それは同時に中国の大衆資本主義が過去の類似の現象とは比較にならないほど規模が大きく、その展開も早い点である。一つの産業に参入する企業の数がこれほど多くなるというのは、中国という国の人口規模が大きいために、国内市場が多く企業の存在を許容しうるほど大きいことである程度説明がつく。しかし、中国の場合、企業数の多さはむしろ供給側の要因、端的に言って独立した起業家になりたい人が多いという事情によっても規定されている。また、展開の速さも際立っている。スピードの速さもさることながら、誰かが設計したというわけでもないのに、大衆資本主義のなかでの役割分化が起きて、既存の企業の事業活動がより円滑に遂行でき、かつ新しい企業も参入しやすくなるような生態系が形成されるという展開の速さが中国の大衆資本主義に独特の特徴である。

今の浜松は大衆資本主義の面影をあまり止めていない。生き残ったオートバイ会社は世界的な大企業になった。浜松の大衆資本主義時代は終わり、成熟した企業によって地域経済が支えられる時代になったと言えるかもしれない。

産業のライフサイクル論から言えば、中国で大衆資本主義の渦に巻き込まれた産業も、成長期から成熟期に移行するにつれて新規参入は減り、競争の中で多くの企業が淘汰されて少数の有力な企業が生き残る構造に変化する可能性がある。中国の各産業でも大衆資本主義家たちの中から有力な企業数社が生き残り、それらが活力を維持できるのであれば、それは大衆資本主義からの「卒業」のあり方として理想的である。だが、中国の大衆資本主義がそうした円満な卒業のへ向かうのか、必ずしも楽観はできない。

 

日本は世界の中でも新規開業が極めて低調な国である。多くの産業がすでに成熟しており大企業を中心とする秩序が確立している。人口が減少局面に入るとともに高齢化も進み、これから成長期を迎えるような産業がなかなか見いだしがたい状況である。そうした環境の中にある日本企業の経営行動も大衆資本主義とは対照的である。日本企業が短期の利潤最大化よりも企業の長期的な発展を重視しているとはつとに指摘されるところである。経営のスピード感に欠けているという指摘もよく聞くが、それは他方で、慎重な検討を経ていったん決めた事業は、たとえ状況が変化しても容易にあきらめず粘り強く綴れるという姿勢にもつながっている。経営のスピード感には優れているが、事業の持続性ということをどれぐらい真剣に考えているか疑問視される中国の民間企業とは対照的である。事業に向かう姿勢の違いも興味深い。中国企業は理念が先行しており、周到なる戦略の構築を経てその事業を選択したのに対して、日本企業は経験重視で、新分野に入る際もまずはパイロット的な事業をやってみて、その結果をみて徐々に拡大していこうとしているようだが、到達目標をどこに置いているのか定かではない。

現在の日本は創業が極めて低調である。中国の大衆資本主義の観察から助言するとすれば次のようになる。第一に、企業の失敗を恐れてはいけないし、周りも寛容であるべきだ、ということである。第二に、模倣や競争をさけることはない、ということである。中国の大衆資本家たちを見ていると、創業の時にきわめて独創的なアイディアや特徴を持っていた企業は稀である一方、周りを真似し、周りと競争した人はきわめて多い。差別化、独創性、コア・コンピタンスといったことは競争にもまれる中で徐々に産み出されてきている。彼らをみていると起業をそんな難しく考える必要はない。最初は人まねでもいいじゃないかと思えてくる。大衆資本主義はもっとも原初的な資本主義の姿かもしれないが、この原点を忘れてしまったら資本主義の活力は失われてしまう。日本の草の根資本家たちの奮起も期待している。

2013年6月21日 (金)

丸川知雄「チャイニーズ・ドリーム」(5)

第4章 大衆資本主義がもたらす創造と破壊

ゲリラ携帯電話産業、太陽電池産業に共通していることは、一つの産業が中国の草の根資本家たちの目に止まり、それが大衆資本主義に巻き込まれることでその産業が中国政府はおろか、当の草の根資本家たち自身にも全く思いがけない方向に発展していったことである。

中国政府は国有大企業を先導役とする秩序ある産業発展を望んでおり、小企業が乱立することをもっとも恐れている。それゆえ、石油・天然ガス、鉄道輸送や航空輸送、自動車産業などいろいろな産業で、さまざまな理由をつけて民間企業や中小企業の参入を厳しく規制している。運良くそうした規制にほころびが生じたり、もともと規制が空白だったところに大衆資本家たちが殺到する。草の根資本家たちは自分の営利のみを追求し、事業の社会的結果をかえりみない。その結果、一つの産業が全く予想もしなかったような成長を遂げる一方、いろいろなインパクトを社会に対して与えることもある。太陽電池産業は現在は過剰生産能力を抱えて苦しんでるとは言え、何社かの有力な企業ができ、中国が地球環境問題に積極的に取り組む姿勢を示すことができる産業なので、中国政府は結果オーライだったと考えている。だが、そんな幸運なケースは必ずしも多くない。大衆資本主義は政府の規制がほころんだところで発展するものだけに、政府の統制が利かず、思いがけない影響を及ぼしてしまう。

1990年代半ばまで、中国の自転車産業は国有企業、それも3大メーカーが市場をほぼ独占していたが、1990年代末に経営が悪化し、相次いで破たんする。この時、固有メーカーをリストラされた従業員たちの多くが、かつての拠点である天津市郊外の民間企業にスカウトされたり、自ら起業したりして、大量の自転車メーカーや部品メーカーが天津市郊外に誕生した。こうして、天津の自転車産業は、十年ほどの間に垂直統合的な公有企業一社の態勢から、1000社以上の民間企業による垂直分裂的な産業集積へと変貌した。

以上のような自転車産業の主役の交代と平行して、世界の自転車産業の中での中国のポジションも大きく変化した。1980年代末まで中国の自転車生産は国内の需要を満たすのが精一杯で、輸出は生産の一割以下だった。だが、台湾や日本からの企業進出、そして民営メーカーの発展によって、中国の自転車産業は輸出産業として大きく成長し、世界の自転車生産の7割を占めるまでに至った。

このように多数の民間企業が支える産業構造は自転車産業には適合的と言える。なぜなら、自転車は標準化された部品を組み立てて作られるものであり、部品は各メーカーで共通している部分が多く、しかも、部品を大量生産するメリットが大きいからである。また、自転車の組立は労働集約的な作業であり、大掛かりな装置を必要としないので、大量生産のメリットが部品生産ほどには顕著ではない。だかに、自転車組立メーカー自社で使う部品生産を囲い込むような態勢では部品の量産効果が発揮できず、コスト競争で不利になってしまう。それよりも、部品を大量生産する専門の部品メーカーから買った方が有利だし、部品メーカーどうしを競わせて価格と品質において最も優れたものを選んだ方がよい。ただ、部品を外部から購入した方が安くなる反面、他の自転車メーカーと同じ部品を使ったのでは製品差別化ができないので、各メーカーの製品が同質化し、薄利多売の競争になる可能性が大きい。だから企業によっては部品の量産効果をある程度犠牲にしてでも社内で他社と差別化できるような部品を作り、それによって自転車の差別化を目指す企業もある。

これと同じような構造変化は1970年代の日本の自転車産業でも起きていた。日本のブランドメーカーは中国の国有メーカーのような破綻には至らずに、幼児乗せ自転車や電動アシスト自転車など中国産の安価な自転車とは差別化でき、かつ無実用的な自転車の市場を日本で新たに開拓することに成功したからだと思われる。とくに電動アシスト自転車は少数のブランドメーカーが圧倒的な競争力を持っている。それは電動アシスト自転車の製造が旧来のペダル式自転車より格段に高度な技術を必要とすることに由来する。自転車をモーターで駆動するだけのものであれば、日本の道路交通法では「原動機付き自転車」と見なされてしまうので免許を取らなくてはならなくなる。運転免許を必要としない範囲内で楽に乗れるというコンセプトで作られたのが電動アシスト自転車といえる。そこで特殊な技術が使われている。

中国でも電動自転車が作られてヒット商品となったが、電動アシスト自転車とは似て非なるものである。中国でも、日本の道交法と同じような規制は存在し、免許が必要なオートバイと、不要な軽車両を区別しているので、電動自転車は最高速度を制限する機能を持つことでオートバイと見なされないようにしている。しかし、中国の規制当局の監視は日本ほど厳しくはなく、最高速度を制限するメカニズムは見せかけだけで、それでも規制当局は軽車両と認めてくれるので、出荷時にこの制限機能が解除されることが多い。そして、このことが電動自転車を「免許なしで乗れるオートバイ」として大ヒットした鍵と言える。電動自転車というのは、法令や規制を気にしない中国の民間企業の試行錯誤の中からたまたま見つかった商品であり、そのメーカーの姿勢は世界の低所得者たちのために、法的にはグレーだが安価な携帯電話を作っているゲリラ携帯電話メーカーたちとも重なるところがある。日本の電動アシスト自転車にヒントを得つつも、それにキャッチアップしようとするのではなく、自国の社会環境と需要とに合わせて技術を別の方向に発展させた点で、中国の電動自転車はキャッチダウン型イノベーションの典型である。

 

一方、レアアースの分野でも、中国は大衆資本主義の力によって世界で圧倒的に高いシェアを獲得した。中国が世界一のレアアース生産国になった理由のひとつは国内に豊富な資源があるからだが、実はそれだけではない。中国のレアアース埋蔵量は世界の23%手背しかない。ということは中国の生産量は埋蔵量に比べて不釣り合いに多いということである。1990年代後半から中国のレアアース生産量が急速に伸び、しかも他を圧倒する低価格で輸出された。そのため、それまで世界最大のレアアース生産国だったアメリカでは採掘を中止し、その他の国でも生産を縮小し、中国が世界のレアアース生産のほとんどを占めるに至ったのである。その理由は、第一に採掘が比較的容易な資源が国内に存在すること、第二にレアアースの採掘と精製に多数の民間資本が参入したことによる。1990年代前半に「原地浸鉱」という採掘法が開発され、特殊な技術も大掛かりな設備も必要とせず、レアアースを含む山を借りれば簡単に始められ、初期投資もそれほど多額でなくて済むので、大勢の大衆資本家が投資してレアアース鉱山が乱立した。民間資本がレアアースの採掘や精製に殺到したことで中国のレアアース生産は大きく伸び、かつその価格も安くなった。日本では中国が世界のレアアース鉱山を生産停止に追い込んだ、と見る向きもあるが、中国の出の報道を追う限りそのような政略は感じられず、むしろ民間資本の暴走を抑えられず図らずも安値攻勢をしてしまった、というのか実態のようである。

中国政府は、この規制を政策として進めようとしたが進んでいない。その中で実効性があったのは輸出の制限である。これに対して、中国のレアアース輸出の半分を輸入している日本はこれに慌てたことから、中国政府は自分達が日本を困らせる外交カードを持っていることに気付いた。それが尖閣諸島をめぐる騒動の時に実際に輸出が停滞したと言われている。日本と中国のように密接な貿易関係を持っている二国間で、かりそめにも貿易を外交的圧力をかける手段として使ったとすれば、その影響は双方にとって甚大だし、世界の自由貿易体制を揺るがす事態である。そのためこの件は日本のみならず欧州やアメリカの注意をも引くこととなった。そもそも中国がレアアースの輸出を制限していること自体、WTOの協定に違反しているのではないか、という祖藩の声が欧米から高まってきた。

大衆資本家がレアアースの採掘と精製に参入したことで図らずも中国は世界のレアアース生産を支配することになってしまった。思いがけず手にしたパワーに舞い上がった中国政府はレアアースの輸出を日本の圧力をかけるための外交カードとして使ったり、輸出を制限することで価格つり上げを図った。2011年の間はその目論見が見事に当たったかのように見えたが、価格上昇によってレアアース採掘が世界中で再開されるとともにレアアース代替技術の開発が盛んになって需要が逃げ、内では大衆資本家たちによるヤミ生産と半密輸出がかえって活発化し、手にしたと思ったパワーはスルリと手元から逃げてしまった。さらに、WTOでは被告席に立たされるというおまけまでついた。

2013年6月18日 (火)

あるIR担当者の雑感(122)~個人投資家をどこから調達するのか

変なサブタイトルになってしまっています。前回の書き込みの続きというのか、枝分かれで取り留めもなく考えているうちに、適当な言葉が見つからないので、変なサブタイトルになってしまいました。

ということで、IR活動の中で個人投資家に投資をしてもらって、株主数をふやし、安定株主になってもらおうという話を耳にすることが多くなりました。しかも、このところ株式市場が活況を呈していて、個人投資家が増えてきているので、そういう人たちを取り込んでいきましょうということでしょうか。企業の側では、従来の株式の持合いが崩れてきている、金融機関もビス規制が改定されると手持ちの株式を放出せざるを得なくなってくる。そうなると、これまで安定株主として株主総会運営などで便宜を図ってもらっていたものがなくなり、比較的意見を表明しない個人株主を増やして総会運営で安定した与党を確保しようという狙いも見え隠れしているようです。

今回は、そういう深い目的の話ではなくて、もっと表面的な個人投資家に投資してもらうということに対して、企業の側がどうするのかということです。そこで、前回、基本的な部分での疑問点として個人投資家に投資してもらうとして、その母集団をどう考えるかということと、投資してもらったとしてその後どうするかということと投資してもらうことを勧めることとどう連動させているか、の二点をとりあえずあげてみました。

ここでは、前者について主に考えてみたいと思います。実際のところ、企業IRで個人投資家向けの施策というと、一様にホームページに「個人投資家の皆様へ」といったページを設ける、個人投資家を集めて説明会を開く、この二点が主で、あとはフェアに出展するとか、広告をだすとかがあります。それらは似たり寄ったりで、やっていることに大した差はないようです。私の勤め先は、そういうことは現時点ではやっていませんが(個人投資家向け説明会は少人数で試行していますが)、そういう動きを見ていると、そういう企業のIRでは、どこから個人投資家を獲得しようとしているのが見えてこないのです。もっと具体的に、つっこんで(想像をかなり交えて)見てみると、個人投資家という集団が所与のように目の前あって、それを取り放題と考えているように見えるのです。実際、目の前に沢山の資金をもって投資したくてしょうがない人達が後から後から泉のように湧き出てくるかのように考えているように見えるのです。

もっとも、たいていは個人投資家説明会を企画するのは、証券会社やIR支援会社が多いので、こういう業者はしっかりとマーケットの規模とか動向を掴んでいるかもしれませんが、私には、どうしてもそうは見えません。何か、このくらいの規模で雨はずだというような希望が中途半端なデータで裏打ちされていると一方的に信じて、そういうものを聞かくしているようにしか見えません。

それは、例えば、企業が販売戦略でマーケット調査をするとき必ずライバルを想定して、そのライバルへの対抗を考えて目標や戦略を立てていきますが、この場合のライバルとか、多分考えていない、あるいは考えられないのではないかと思います。目先のことをかんがえれば、マーケットの規模が小さければ、少ないパイを奪い合うことになるわけだし、マーケットが成長しているのならその成長を取り込んでいくとなれば、施策は違ってくるはずです。そういう性格の違いは、証券会社やIR支援会社の個人投資家説明会の企画を聞いても、考えられていない。そう考えると、本来、こういう業者は個々の企業へのコンサルティングや企画という機能のほかに、企業がIR活動を仕掛けていく株式市場の環境を整えていくということを考えるべきだと思うのですが、全く考えていないように見えます。そうなると、企業のIRはそういうことを含めて考え、実行して行かなくてはならない。

そこで本題です。そうなった場合。つまり、私の勤め先で個人投資家に対してのIR活動をしていこうとした時に、その対象をどう考えるかということです。取り敢えず、大雑把に考えますが、株式投資をするためにはある程度の資金が必要です。そして、その資金を当面は使わずに済むという余裕があるということが必要です。そして、そんな資金の余裕があるからと言って。それを贅沢品やその他に散在せずに将来のために使わずにいようという将来に対する計画性とか精神的な余裕を持っている人たちが対象となると思います。ここで、2段階の絞り込みを行いました。まず資金の余裕のない人は対象から外れます。これは外しても構わないでしょう。借金してでも投資するという人もいるかもしれませんが、利息を払わなくてはならないので長期投資なんかできるはずもありません。できても短期的な売買の繰り返しでIRの対象にはならなでしょう。これで半分以下に絞られるでしょう。そして、資金の余裕があっても、目の前にお金があるとさっさと使ってしまう人も多くいます。そういう人に、将来儲かるということと目先の現金を使うということとを天秤にかけて選択させると、目先の現金を使うということが限りなく重くなるという人たちです。この場合、投資をしてもらうことと競合するのは、お金を使うことへの誘惑、つまり現在価値の高さです。経済学の考え方で考えれば、このときに投資をして10年後に儲かったのを現在価値に割り引いて、現在の手持ちの資金に比べて大きな金額になっているのなら、合理的に人は投資を判断するということになるのでしょうが。実際のところ、どうか分かりません。心理的に待てないという気持ちや人生に対する姿勢とか合理的に考えられない要素が多いでしょうから、ここで投資してかなり儲かるようにするといったら、投資してもらうために負いきれないほどの負担を覚悟しなければならないことになりそうです。ということで、ここでは対象として切り捨てることになります。

そこで、どのくらいの人々が残されさているのか。これでもかなりは残っているでしょうか。そして、次に進みましょう。そこで、こういう資金に余裕があり、将来に備えてある程度の現金をプールしている人達が全部を株式投資してくれるわけではありません。この人達は、どのように資金をプールするか。まず考えられるのは、タンス預金として現金そのものを手元においているケースです。これは、ただ現金を置いておくだけでは増えないし、自宅に保管しておけば火事や盗難のリスクがあります。とは言っても、現ナマの感触を味わえる?のと、現金としてもっていれば、その記録が外部からは見ることができるので所得隠し(税金逃れ)ということを考えれば、そういう人もいる可能性はあると思います。この場合は自営業とかオーナー経営者とかそういった人達でしょうか。その現金を投資に回させるということは、どうでしょうか。こういう人たちが儲かるから株式投資をしようと考えるとしたら、前の現金を使ってしまう人と同じように追い切れないほどの負担を投資される方は覚悟しなければならないかもしれません。では切り捨てるか。多分、現金として秘匿している場合なら、それは切り捨てるしかないということでしょぅか。しかし、必ず預貯金とか債権とか不動産とかでプールしている部分もあるはずです。そして、この人達以外の人たちはたいてい、そのように資金を金融機関に預けたり、固定資産や不動産などのものに変えてプールしているはずです。株式投資もその一つでしょう。多分、これらの中でプールの手段としての優先度は後の方ではないかと思います。

さて、ようやく変なサブタイトルに行き着きました。通常の場合、個人投資家に投資をしてもらうという場合、特に考えていないでしょうが、無意識内に前提されているのは、この最後に絞り込まれた株式投資に余裕のある資金をプールしている人達のことを指しているのではないかと思います。しかし、この人達は、銀行な預金をしている、債券を買っている、不動産を持っている、その他の投資をしている。そこから株式投資に振り向けさせてしまおうという、ということを考えて個人投資家施策を考えるということはないようです。というよりも、そういう考えを聞いたことがありません。

強いて挙げれば、一つだけ株主資本コストの計算をするときに、リスクフリーの利回りとして長期債券を考えます。この時株式投資のライバルとして長期国債を想定しているわけです。しかし、人が株式投資ではなく長期国債を買うのは、それだけの理由なのか。これは経済学のモデル化した合理的選択をするという人間の捉え方によるもので、単なる指標です。実際の勧誘には使えません。また、長期債権以外の資金のプール手段を想定しているわけではないので、それ以外に対しては、当然使い物になりません。そう考えると、ファイナンス理論で資本コストを経営も考えろといいますが、これ自体もかなり穴のある物で、投資してもらうということを実践的に考えれば、ほとんど使い物にならないかもしれない。それを考慮して、個人投資家に投資をしてもらうとなれば、経営も考えるべきではないか、という議論になってもおかしくはないと思います。極論ですが。でも、そこまで考えるだけ考えてみなければ、今まで株式投資など考えることもしなかった人々を呼び込むためには、その程度は考えるだけ考えてみなくてはならないのでしないか、と思います。これは、企業の側はもちろんのむことです。それ以上に、証券取引所や証券会社、そしてIRを企業にコンサルティングするようなコンサルタントや支援業者はそれ以上すべきではないかと思ったりします。最後は妄想になってしまいました。

2013年6月17日 (月)

あるIR担当者の雑感(121)~株主数を増やすということを無前提に考えることへの疑問

企業の中でIRという業務に携わっていると、とくに大企業のような組織でシステマチックに効率性を追求されていると、効果測定とか、目標設定ということが必要になると、よく使われるのが株主数を増やすということです。IRということの中で、株主数を増やすということを考えるのは至極当然のことで、これに対して異論があるわけではありません。実際に、私も株主数が増えればうれしいし、株主数が増えるためにはどうすればいいかを考えてもいます。株主数が増えるということは、その会社が広く知られていてはじめて実現することですし、その企業に株主として関わる人が増えるということは株式市場でもその市場取引への参加者が増えるということでもあります。市場で取引が活発であるからこそ、そういうことになるので、そういう状態であれば、一部の恣意的な人々によって株価が不当に操作される危険も少なくなるということにもつうじるわけですから、株主を増やしたいと考えるのは当然のことです。

しかし、そこで株主数を増やすことだけが独り歩きして、そういう前提を考えることなくデフォルトで株主数を増やすことだけが自己目的化してしまう恐れのあることに対しては、強い違和感を感じています。そして、私が持っている違和感というのは、おそらく違和感を抱いた対象であるその当人、つまりは株主を増やすということがデフォルトスタンダードになっている人には、おそらく理解してもらえない類のものではないかと思います。例えば、ここで私が書き綴ったIR戦略は、ターゲットを絞りそこに集中することで他社との差別化を図るという、いわゆるニッチ戦略でした。これでは会社が広く知られないとして、その意味を理解できない人もいたことが確かです。IRのホームページにおいて見にくいことをある程度犠牲にしても情報の量と密度で差別化するということに対しては、それはホームページではないという人や、少数の人しか見ないことページを作っても意味がないと、最初から相手にしないひと、そして、こういう考えを言う人は往々にしてIRの仕事を長年にわたり担当してきた人や関連業界で関わってきた人でした。そう言う場面に出くわす機会が最近になって多くなってきたので、すこし落ち込み気味であるのですが。ちょっと話がそれました。

ですから、株主数を増やすということがデフォルトスタンダードになっている人に対して私が持ってしまった違和感というのは、私の独りよがりかもしません。ただ、私の違和感が、そんなこともあるかもと、もし理解できるのなら、例えば株主優待ということへの疑問を多少でも抱いているということで、少し理解してもらえるかもしれません。

繰り返すようですが、私は株主数が増えることは否定しませんし、日夜そうするために努力しているつもりです。むしろ、そのためにターゲットを絞って、敢えて見にくいホームページを作り、情報過剰とも揶揄されるような説明会資料を作っています。そこで考えているのは第一に、株主を増やすという時のその株主となってもらう母集団をどのように考えているということです。戦術的にいえば、株主数を増やすという時に株主を他から奪取することになるわけですが、それをどこから奪取するのかということです。多分、そのことを考えると一概に株主数を増やす施策を一律に考えることはできないはずです。そこで、個人株主に対して広告を出そうとか、おおきな個人投資家説明会をやろうとかいう提案だけならば、全く考えていないとして私の場合には検討する価値がありません。そして、もう一点株主数を増やしたとして、その株主になってくれた投資家に対して株主になってもらった後で、どうなってほしいかと考えているのかということです。ある特定の時点で株主の数が増えたということだけでは何の意味もないのではないかということです。株主が増えたことで、様々なメリットがあるのは先にきましたが、それは特定の時点の株主の数が増えたということだけではなくて、点で捉えるのではなくて線や面として、つまり時間の連続とか面の広がりとして捉えなければ意味がないと考えるからです。そう捉えるならば、株主となってもらってから、どうすればいいのかという連続性のなかで株主に増えてもらいたいと考えるはずです。株主優待という施策の中にそういう要素があるのか(全部が全部ということではありません。例えば株主と顧客が重複する一般消費者向けの会社の場合、一般消費者の中にファンを増やすことと個人株主を増やすことは一緒であるとして、株主優待で自社製品を送って、その良さを他の消費者に先んじて理解してもらおうというのは立派なIRであると思います)。そう考えると、単に株主数を増やすだけの施策、戦術としての個人株主対策として、IR支援業者がツールとして売り込んでいる商品にたいして、価値を感じていない理由です。かなり、独善的な意見です。

そこで、少しだけ弁解です。ターゲットを絞り込んで、会社を理解するのに敢えて関門を設けているように見えるのは、自己表現が下手だということを除いて、広く企業を認知されることよりも、コアなファンを1人ずつ作っていくことを優先的に考えているからです。そういう関門をものともせずに企業を理解できる人というのは、周りに追随者を抱えているはずであるし、そういう人同士で緊密なネットワークを持っていると考えられます。それは、たぶん証券会社やIR支援業者のリストなどには入ってきていないものです。そんなものあるかどうか、想像で話しているのだろう、証拠を出せと言われれば、ないというしかありません。しかし、関わっている人なら気づいているのではないでしょうか。その兆候というのかすこしだけ見えるのが、SNSで投資を語る人が多いこと、フェイスブックなどでそういうサークルがあることなどです。このようなことは、ネットが出来る前でも、口コミという情報伝達がありました。そして、この利点はここに注目している会社は他にほとんどないということです。ライバルがいない。

といろいろ書きましたが。悲観的に聞こえるかもしれませんが、最初に書いたように、後半で書いたことは、株主数を増やすことがデフォルトスタンダードになっているような人には、このような議論は理解不能なものだと思います。

2013年6月16日 (日)

「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス」展(4)~植物

Ropeztree2アントニオ・ロペスという画家には馴染みがないということから、何かしらの親しむための糸口を模索すると、それほどメジャーな映画ではなかったのに「マルメロの陽光」という映画が以前に公開されたということが取り上げられた。その時のロペスの作品が『マルメロの木』(左図)として展示されています。映画を見た人なら分かると思いますが、ロペスは庭に実っているマルメロの木を、そのままに描こうとして、スケッチから始めて彩色して作品を仕上げて行こうとします。しかし、植物は成長するもので、マルメロの実は成熟して大きく重くなります。そうすると、実の大きさや位置を厳密にスケッチして作品としていたロペスはそのたびに作品の修正を試みます。作品の真ん中に定規で引かれたような線があるのは実っているマルメロの実の位置を計測したように厳密に作品の画面に位置づけようとして引かれたものです。それが数本あるのは、マルメロの実が熟して重くなると、次第に枝がしなって位置が下がっていったのに応じて、ロペスが画面の修正を試みた跡です。そして、修正が追い付かず、マルメロの実は熟して地面に落ちてしまいます。そこで、ロペスは描くのを諦め、作品は未完のまま残されたというわけです。その過程をつぶさに追いかけ、映像としたのか「マルメロの陽光」という映画の内容と言えます。

Ropeztreeこれは、リアリズムにこだわるロペスの姿勢を映したものと、カタログの解説に書かれたりしています。それはそれとして、慥かにそうなのでしょうけれど、私には、そこに何か病的なもの、リアリズムで片付けられないものを感じたのでした。植物が成長することは分かり切っているはずですから、ある時点の姿を写真で記録していて、描いたものを写真の情報で補完するなり、記憶しておいて補てんするなり、いくらでもリアリズムに見える作品として完成させることはできたはずです。それに、ロペスという人のスケッチの技量はすごいし、それを本人も分っているはずなので、それをしないというのは、そこに何らかの意図があるはずです。執拗に植物の成長を視野に入れず、自分の眼前あるそれを描こうとするのに、そこにロペスの主観が働いているわけで、それが私には病的に映ったのでした。例えば、さっき指摘しましたが、この作品の真ん中に定規で引いた線が残っています。未完成故に残ってしまったのか、完成すれば隠れてしまうものなのかとも考えられなくもないのですが。画面中心近くのところでは、葉や実で彩色されたところの線は白く残されています。こんなところだけ白く残っていたら、後で彩色する時に跡が残ってしまうのではないか。そう考えると、ロペスはこの線は最初から残すつもりではなかったか、と考えてしまうのです。それは、前回見ていただいた『夕食』という作品で、マリアの顔の部分に白い穴のような箇所が数か所残されたことと同じような気がしたのです。とすれば、眼前にあるものをそのまま写生するということとは、実は違うことをしようとしていたのか、とすれば未完にまでして固執した「何か」があったのか。

Ropezrose_2それは同時に描かれたスケッチ(右上図)を見ると油絵とは違った印象で迫ってきます。とにかく、鉛筆で引かれた線が躍動しているのです。その線の多彩なこと。これを見ていると、作品が完成してしまうと、作品を描くという動きが止まってしまうのを恐れているという想像までしてしまうのです。それほど、このスケッチでの線は動きを内に秘めているように見えます。永遠に完成しない作品というと大げさかもしれませんが、ロペスの作品からはそういう矛盾した志向性が感じられるのです。さっき、病的と言ったのは、そういう矛盾を抱え込んで、完成しない作品を、そういう題材をわざと選んで、結果がわかっているのに敢えて、描くという、その執拗さはまるでシーシュポスの神話のようです。

このコーナーは、あまり大きく取り上げるつもりはなかったのですが、これが代表作というのではないのですが、たまたまひとつということで『アビラのバラⅤ』(左図)という作品を見て下さい。白の背景で瓶ざしの白いバラを描いています。白の背景で白いばらの花を描き、そのバラの花の奥行とか花びらの重なりを白のグラデーションで描くというのは素人目に見ても凄いです。そして、水を張ったびんに茎がされている部分。瓶が瓶として明確に描かれておらず光線の屈折の描き方で、そうなっているのがハッキリわかるようなのが、またすごい。しかも背景は白です。白という色だけで、こんなにも描き分けができるのか。何か見せつけられたようなかんじです。しかし、この作品にも定規で引かれた線が残されているのです。わざと、画面の統一感を削ぐように、あえて完成した仕上げにしないと意気込んでいるかのように。へんな比喩ですが、画竜点睛という故事を想い起させるものがあります。それほど鬼気迫る出来栄えと思うのですが。またでてきましたが、そこに「何か」が働いているような気がしてなりません。

2013年6月15日 (土)

「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス」展(3)~家族

Ropezmaria『マリアの肖像』という作品を見ていきます。紙に鉛筆で描かれたスケッチでこれを板に貼ったものだそうです。これを見て、私は一発で熨されてしまい、言葉が出ないほどでした。多分、画像では巧みなスケッチくらいにしか映っていないかもとれませんが、実物を前にした時に、その重量感というのか、存在感、もっというと出来栄え(誤解を招くかもしれないことばですが)が圧倒的に迫ってくる感じでした。ロペスが愛嬢であるマリアをモデルに鉛筆でスケッチしたという作品なのでしょう。マリア本人を写した写真と見まがう、しかし、全く違う描写力。

ちょっと言葉に拘りすぎかもしれませんが、リアリズムの巨匠という展覧会タイトルからいうと、この作品などは典型的なリアリズムの質の高い作品ということになるのでしょう。たしかに、画像データとして取り込んでウェブにアップしてものをディスプレイで見ていると、写真と変わらないようです。しかし、両者はまったく異なるものです。それは、言葉で説明すると余計な想像を挿入させてストーリーを捏造してしまうことにもなりかねないのですが、敢えて、そういうリスクを負いながら、試みに書いてみます。(上手く行くかはわかりません)第一に言えることとして、ロペスは、おそらく自宅の庭に立っているマリアを描いたのではないかと思いますが、その全てを描いていないということ。マリアの描き方にしても手の先は省略されています。また、マリアの背後の家の壁は上方の一部が少しだけ描かれただけで描かれていません。つまり、ロペスは現実の中から描くべきものを切り取ってきている、そこに選択が働いているということです。これは当たり前のことですが。ロペスのような画家でなくても、私でもそうですが、人間というのは、目の前にある全てを見ていません。たとえ見ても、すべて認識しません。いうなれば見たいものだけを見ている。ここで、ロペスが写真のように全てを描いているわけではないのは、そのためなのか、分かりません。その他にも、作品が完成した時に見る人に与える効果を考えて、省略したかもしれません。そして、第二に描き方のコントラストというのでしょうか。ここで描かれている主なものはマリアと右手の葉です。そして、この両者の描き込みは明らかに差があります。さらに、マリアについても、顔の部分と彼女の着ているコートの部分では描き込みの程度が違っています。最も手が込んでいるのがコートの部分で、少女には少し重く感じられるような重量感が感じられるように、そして暖かそうな手触りが分かるような質感が描かれています。(具体的に、どのような手法で、とうしてこんなことが感じられるように描かれているか、テクニックについては私のような素人には知る由もありませんが)同じマリアでも顔の部分はまったく鉛筆の痕跡がない部分もあり、描き込まれているという感じはしません。明らかに、ロペスはここでマリアというメインの対象に意図的にコントラストをつけていると言えます。これは、第一の点のセレクションを、より精緻に進めたことではないかと思います。これに対して、写真はどうなのでしょうか、写真は撮影したままなので、ここで為されていないコントラストづけはできない…ことはないんです。例えば、デジタルカメラの画像はフォトショップというソフトを用いて簡単に光線の強弱を調節できます。また、フィルム写真であれば、現像や焼きつけの微妙な調性である程度のことはできます。その点で考えられるのが第三の点です。ロペスは画面に意図的にコントラストをつけています。これが写真でできるものとは、全く違うもので、ロペスにしかできないものであります。それはロペスが自分の手で鉛筆を握って描いていることに起因するものです。ロペスによって描かれた『マリアの肖像』ではマリアの顔の部分とコートの部分の描かれ方の密度が異なっていて、存在感の質が違っています。これに対して、写真においては存在感は平等です。そこでのコントラストは密度に差をつける、デジタル画面で言えば画面のドットの数を調節することではなくて、一つ一つのドットの色を薄めることです。見た目には、そんなに変わらず、そんな違いに意味があるのか、と問われそうですが。そこで、私が見た場合、重量感とか存在感の違いとなって現われてくると思います。それをロペスは、描いている時に、つまりは、作品が形を直して後で調整するというという写真の場合の調整とは違って、描いているプロセスの中で、そういう風につくられていったということです。端的に言えば土台からコントラストがつけられているということです。これを言葉で、このように説明してしまうと、あたかもロペスという人の認識のあり方とか、画家として世界をどうとらえたか、解釈しているかという方向に行ってしまいそうですが。そうとはとらないでほしい。それが第四点です。さきに、ロペスは自分の手で描いていると敢えて、言わずもがなのことを言いました。そのことです。この作品をじっくり見てみると、余計な線や描き直した痕跡が見られないのです。いうなれば、一発勝負でこの作品が描かれていったことが分かります。水墨画のように即興的な作られ方をしたのではないかと思います。ただし、水墨画は墨が乾かないうちにという時間的な制約の中で描かれていきますが、この『マリアの肖像』は一本の線が引かれる前に十分な時間かけて慎重な検討が行われてと思いますが、線が引かれれば一発勝負でやり直しがきかない点では、同じだと思います。そこでです。絶対に間違いがいないとは言えないでしょう。中には意図したとおりに行かない場合もある。水墨画なら、その流れを止めないように即興的に転換や、その間違いを生かすような別の流れに乗るようなことをするでしょう。それが水墨画の即興性のひとつでしょう。それと似たようなことをこの作品でもあったのではないか。これは私の想像です。作品の表面上の汚れがそのままにされて、例えばマリアの顔を横切るようにある茶色っぽい染みのそのままにされています。

Ropezfamilyこれらのことから、私が想像してしまうのは、ロペスという画家は描くという自らの肉体の行為のプロセスを、重視しているのではないかということです。だから、頭で考えた理念としてのリアリズムとかそういうものとは違うところで、描いている画家ではないかと思われるのです。水墨画の即興性を少しく話しましたが、そのような日本画の即興性というのが、手が動いて描いて行くことに素直に従って作品を作っていく、その結果としてリアリスティックな作品が生まれた、というのが彼の作品ではないかと思えるのです。最初のところで、「何か」という問いかけをしましたが、それは頭で考えたものや認識したものとかそういうものではなくて、描くという肉体の行為のプロセスそのものに起因するものではないか、という気がします。これは、未だはっきりしたことではなく、ひとつの仮説です。

『マリアの肖像』に関するコメントが長くなってしまいましたが、もう一つ『夕食』という油絵作品です。この作品は未完なのかもしれませんが、マリアもまじえた家族の食事風景です。この作品を見ると、わざと写生的な画面を壊しているような印象を受けます。右手の母親の頭は二重にダブられています。また、マリアの顔も塗りが部分的に何も塗られていない穴があけられているようです。ふつう、こんな穴のあけ方はしないのではないでしょうか。彩色するときにこんな穴の開くような点描みたいなやり方はとられないでしょう。これは明らかに、最初から、ここには絵の具を置かないと意図的に計算されたのは明らかです。それは、どうしてか、どういう意図か、考えても分りません。おそらく未完となっているところをみると、意図したように行かなかったのか、これからベの何かが為されるのか、分かりませんがこのままで画家が満足していたというのはないと思います。もう一つ考えられるのは、何らかの意図があって、こうしたのでしょうけれど、それに加えて、そういう行為をしている画家の身体が即興的に動いてしまったということが、あったような気がしてしまうのです。それは、もしかしたら、画家が無意識に通り一遍の写生のリアリズム作品に抵抗感を持っているかもしれません。それが、この画家の「何か」なのではないかと思います。

2013年6月14日 (金)

丸川知雄「チャイニーズ・ドリーム」(4)

第3章 太陽電池産業で中国が日本を追い抜いたわけ

太陽電池とは光を当てると電気を発生する装置である。乾電池のように電気を蓄えておく機能はないので、「電池」という言葉を充てるのは不適切だと主張する人もいる。太陽電池はアメリカで発明され、1980年まではアメリカが中心で、その後、電卓の電源等に使用され日本に中心が移った。日本のリードを後押ししたのがサンシャイン計画で住宅用太陽光発電システムが発展し、住宅用太陽電池の導入は、日本が世界のトップとなった。しかし、現在対電池産業は中国が市場を独占している。そして、中国の太陽電池産業は大衆資本家が占めている。

日本と中国では太陽電池産業を構成するプレーヤーが全く対照的である。日本では長い歴史を持つ大企業が社内の事業部という形で太陽電池の開発と生産を行っている。そこで長い時間と資金をかけて開発を進めてきた。日本の大企業が苦心して太陽電池産器用を育ててきてようやくその果実を刈り取ろうとしたら、たちまち中国が台頭してきて果実を横取りしてしまったのである。一方中国で太陽電池産業を担っている企業は日本とは対照的にほとんどが2001年以降に設立された若い企業である。それも既存の大企業ではなく、個人の創業者が少額の資本から始めた企業ばかりである。その特徴の点でも、日本は垂直統合的、中国は垂直分裂的である。日本のメーカーは太陽電池の製造装置まで自社である程度作っているし、最終製品である住宅用システム作りまで作り上げ、販売にも関わっている。一方、中国のメーカーは中間製品システムである「セル」と「モジュール」の生産に特化しており、最終製品の組立や販売は別の企業がやっている。日本と中国太陽電池産業のあり方は見事に対称的だが、欧米の太陽電池産業も実は中国と似た構造になっている。このように世界を見渡すと、異常なのは中国ではなく、むしろ日本の方なのである。

太陽電池産業における日中逆転がなぜ生じたのかという問いは、要するに、優れた技術を持っているはずの日本の老舗の大企業がなぜ新興の中国・欧米メーカーに抜かれたのか、という問いに行き着く。その第一の理由として、太陽電池を製造する技術が太陽電池メーカーから製造装置メーカーに移ったことがあげられる。産業の発展の初期には太陽電池のメーカーが技術開発の主導権を持っていて製造装置の設計まで行っており、製造装置メーカーは設計された通りに作るだけだった。だが、産業が成熟してくるにつれて、製造メーカーに技術が徐々に移転し、装置の設計を粉う担うだけでなく、装置を使いこなすノウハウや、どのような機械を並べれば最も効率よく製品が生産できるかといったことまで製造装置メーカーが掌握することになる。「ターンキーソリューション」という製造装置メーカー側が生産ライン一式を提供し始める。要するにカネさえあれば誰でも太陽電池が作れるようになったのである。そして第二の理由として、労働コストの差をあげる。とくに「モジュール」を作る工程は人手による作業が多いので、労働コストの低い国で作るのが有利である。ところが日本企業は太陽電池の国内生産にこだわった。さらに第三に、日本企業は大企業の一部として太陽電池を手掛けているのに対して、中国・欧米企業は太陽電池専業の独立した会社が担っている、という企業の構造相違があげられる。太陽電池産業が赤字を余儀なくされた黎明期であれば、大企業の中でしか事業を続けられなかったであろうが、将来性のある分野として投資家たちの注目を集め出すと、独立した会社の方が有利である。なぜなら独立した会社であれば株を発行することによって投資家たちから資金を集めることができるからである。さらに、2004年以降のヨーロッパを中心とする太陽電池市場の急拡大は、当時に各国政府の政策の変更に翻弄された時代でもあり、そうした時代にあっては経営トップが迅速かつ果断に判断を下さなくてはならないが、大企業の一事業部として太陽電池を手掛けている日本メーカーはどうしても経営判断が遅くなりがちだった。

2005年中国の太陽電池メーカーのサンテックがニューヨーク証券取引所に株式を上場した。これにより、サンテックは一気に14億ドルの資金を調達し、太陽電池の生産能力を大幅に拡大し、世界第三位のメーカーに躍り出た。このサンテックのニューヨーク上場成功は、中国の民間企業が、中国政府の無理解や、それに基づく国内での資金調達の難しさを、海外の投資家に直接アピールすることで乗り越える道筋を示した点で画期的だった。これ以降、太陽電池メーカーばかりではなく、ビジネスホテルやインターネット検索その他中国政府の政策ではあまり重きを置かれていない分野の民間企業がナスダックなどアメリカの株式市場に株式を上場して資金を調達する動きが活発になった。太陽電池メーカーではサンテックに続き、多くの企業家たちが、この産業に飛びついた。

この中国メーカーの輸出先はほとんどヨーロッパだったが、そこでは中国メーカーの太陽電池は最終製品というよりもパーツであった。ヨーロッパでは太陽光発電は一般家庭ではなく、発電を事業とする会社や個人が営んでいることが多い。その場合、EPCと呼ばれる設計、調達、建設を担う会社が太陽光発電の資材となる太陽電池モジュールやインバータ、その他ラック等の副資材を買い集めて建設する。中国メーカーとしてはヨーロッパのEPCに売り込めばいいので、一般家庭に向けて売るほどの苦労はない。さらに中国メーカーが太陽電池のセルを供給し、ヨーロッパのメーカーがモジュールに組み立てるという分業が行われているケースもある。この場合には中国メーカーはいわば部品サプライヤーの役割なので、モジュールを作っているようなヨーロッパの企業に売り込むだけで済む。いずれにせよヨーロッパの太陽電池市場攻略するには特定の企業にだけ売り込めばよく、新興の中国メーカーも簡単に参入できたのである。

一方、日本の場合は太陽光発電所の多くは一般家庭が営んでいるので、家電製品のように、太陽電池メーカーのほうでシステムとして汲み上げた状態で販売しなければならないし、全国を覆う販売ネットワークを作る必要がある。このため外国の太陽電池メーカーが日本市場に参入することは難しかった。

中国の太陽電池メーカーが次々とアメリカで株式を上場して多額の資金を調達し、これを機に内外の投資ファンドや中国の銀行も太陽電池産業の大きな可能性に目覚め、積極的に投資したり融資するようになった。一方、日本の太陽電池メーカーは大企業の一事業部であるため、社内の他の事業部と投資予算を分け合わなくてはならない。しかも、もともと太陽電池事業は日本の電機メーカーのなかで立場が弱いので、なかなか大きな資金を回してもらえない。2007年には、日本の大メーカーよりも中国・欧米の新興メーカーの方が資金力があるという逆説的な状況になった。そのためこの年には中国やヨーロッパは太陽電池の生産を大きく伸ばしたのに対して、日本勢は1%しか伸ばせず、世界の中でのシェアを落として行った。

このとき、太陽電池の材料である高純度のシリコン不足の対応をめぐって日本企業は判断ミスを犯す。それが、さらに日本企業の凋落を決定的なものにした。

大洋子発電所には一軒家の屋根に作られる小規模なものから広大な砂漠に多数の太陽電池を並べた大規模なメガソーラー発電所まで大小さまざまなものがあるが、経済的に見て最適な太陽電池のタイプは規模によって異なる。小規模な発電所では変換効率が高いものがよいが、大規模な発電所では変換効率が低くても安いものの方がいい。なぜこうなるかというと、太陽光発電にはインバータなどの付帯装置や建設工事の費用がかかるが、これらは太陽光発電の規模に比例しては増えず、大規模な発電所では相対的に少なくかかるからである。そのため小規模な発電所では効率の高いタイプの太陽電池で多くの充電収入を稼いだ方がいいが、大規模な発電所では安価なタイプの太陽電池を並べた方が利益が大きい。技術フロンティアの付近のあるタイプには必ずそれを生かせる規模の発電所が対応するのである。日本メーカーはこの理屈を踏まえて行動しているようには思えない。技術フロンティアにとどまるためには変換効率を上げることと生産コストを下げることの意義は同じはずなのに日本メーカーは前者ばかりを追求しがちである。

家電製品のように市場全体のパイの拡大が見込めないような産業では差別化戦略は有効ではあっても、太陽電池のような市場のパイが何十倍にも拡大し得る産業では差別化に走るのはシェアの低下を招くだけであろう。「匠の世界」を実現しようとしたら生産コストの上昇をもたらし、日本メーカーをかえって技術フロンティアから遠ざけてしまうかもしれない。そもそも中国の太陽電池メーカーをライバル視すること自体が正しくない。太陽電池メーカーの競争相手は他の太陽電池メーカーよりもむしろ原子力、火力、水力など他の発電手段(を作る企業)である。なぜなら太陽光発電は電力市場という限られたパイを原子力や火力等と奪い合う関係にあるからだ。太陽電池の市場規模を拡大するために、太陽電池メーカー同士で技術やノウハウの交流をして、みんなでコスト低減と変換効率の向上を目指せば、技術を互いに秘匿して競争をし合うよりも個々の企業がかえって成長できる可能性もある。日本メーカーが示した戦略は、太陽電池産業の状況をあまり深く考えないで、他の家電分野の戦略を漫然と太陽電池に適用しているようにしか思えない。ここに大手電機メーカーの位置事業部として太陽電池を手掛ける態勢の弱さが現われているように思う。

2013年6月13日 (木)

丸川知雄「チャイニーズ・ドリーム」(3)

中国における携帯電話の普及は1990年代に始まり1998年までは外国企業の独壇場だった。これに危機感を持った中国政府は1999年ライセンス制にして国内の国有企業を保護した。しかし、当時の中国企業は外国企業に対抗して新規のデザインの携帯電話を次々と開発するには社内だけでは人手が足りず、外部に携帯電話の設計を委託した。そのニーズに応えたのが韓国や台湾のメーカーたちで、中国企業の黒子として機能した。そのうちに外国企業に勤めていた中国人エンジニアたちは中国の携帯電話メーカーに携帯電話の設計を外注するニーズがあることを知り、自分たちも設計すべく、2001年頃か次々と設計会社を創業した。その結果、韓国や台湾メーカーの影が薄くなっていった。こうなると大手の外国メーカーも中国では設計会社とブラントメーカーが分離した分業モデルに合わせて、中国市場に勝つために、このモデルを積極的に活用するようになっていく。このような、先進国の携帯電話産業ではとうぜんのように統合さている設計と販売が中国では垂直分裂したことにゲリラ携帯電話産業が誕生した原点がある。携帯電話メーカーで開発に従事していたエンジニアたちがより大きな収入を求めて次々と設計会社を設立する一方、その設計の販売先となる携帯電話メーカーは政府のライセンスを持つ企業だけに限定されていたので、おのずから限られた販売先をめぐって激しい競争になる。そこで設計会社は販売を増やすために、生産ライセンスを持たないメーカーにも設計を販売することを誘惑に駆られることになる。

やがて、国有企業ブラントが大して役に立たないことに人々が気づき始める。ライセンスを持たないメーカーが、自分のブランドをつけた製品を作っても、どうせ消費者はそれが生産ライセンスを持たない企業だとは気付かない。それならば、国有企業に頼るのは損である。こうして無許可のゲリラ携帯電話メーカーが生まれていく。

ゲリラ携帯電話産業を生み出した背景として、設計と販売の垂直分裂やレント好きの国有企業の存在を挙げたが、そうした背景の中へ前述のMTKのベースバンドICが登場した。MTKのICはあらかじめ多くの機能やソフトも入っているうえ、ICを使って携帯電話を開発するユーザーが技術面で困難にぶつかった時のサポートも充実しているので、それまではかなり専門性が必要だった携帯電話設計業の参入障壁が低くなった。こうして設計会社どうしの競争が激しくなり、生産ライセンスを持っていようがいまいが設計や回路基板を買ってくれる業者には誰でも売るようになった。しかし、2007年をピークに、海外大手のメーカーがゲリラ携帯電話に負けない安い製品を出してきたため、ゲリラたちは海外市場に活路を求めるようになってきている。

ゲリラ携帯電話産業はおよそイノベーションとは無縁だと思われている。実際、この産業で他社の商標権や意匠権の侵害が横行しているのは事実である。ただ、この産業からは、大手の携帯電話メーカーには見られない独創的な工夫もいくつか登場している。アフリカ向けの懐中電灯付の携帯やイスラム教徒向け礼拝機能、あるいはSIMカードを2枚入れることができることにより、同時に二つの電話番号が使えるものなど、これらのイノベーションは、技術的にはたいして難しくないものではあるが、日本の携帯電話産業からは絶対に生まれることはない。日本にドコモとauとソフトバンクの三社に加入してそれぞれのいいとこどりができるような携帯電話があれば消費者に喜ばれるのは必定だが、通信事業者にがっちりコントロールされた日本の携帯電話産業からは間違っても出てこないだろう。

ゲリラ携帯電話産業の最もイノベーティブなところはその分業構造そのものにある。世界的に携帯電話産業の寡占化が煤、日本の大手メーカーもどんどん淘汰されているなかで、1300万円ほどの資金があれば誰でも携帯電話メーカーになれるという構造はきわめて画期的である。誰が発明したというわけでもなく、自然発生的に形成された構造だが、結果的に携帯電話産業への参入障壁を著しく引き下げることに成功した。ゲリラ携帯電話産業から湧き起ったこうしたイノベーションは、決して先進国の後追いではない。それは中国の草の根資本家たちが、発展途上国の低所得層の需要を汲み上げて生み出したものである。中国のような発展途上国の技術進歩といえば、とにかく先進国のレベルに追いついたかという「キャッチアップ」の視点から捉えられがちである。しかし、ゲリラ携帯電話産業は、先進国の需要に応えて開発した技術を、中国の草の根の企業が自分たちが扱いやすいようにバラバラに解体して換骨奪胎し、世界の貧困層の需要に合ったイノベーションを生み出したケースである。「キャッチアップ」とは異なった技術の発展経路なので、私はこれを「キャッチダウン型イノベーション」と呼びたい。

2013年6月12日 (水)

丸川知雄「チャイニーズ・ドリーム」(2)

第2章 ゲリラたちの作る携帯電話

本章で取り上げる深圳市の「ゲリラ携帯電話産業」も大衆資本主義の典型的な事例だが、そこには温州人だけでなく、中国のいろいろな地域から来た人たちが活躍している。

ゲリラ的と言われるのは、この産業を担っている企業で、携帯電話を生産する際に中国の法令を守っていない。それは携帯電を生産する際に義務付けられている型式認証を取得していないのである。電波を発する機械である携帯電話は、不正な電波を出したりしないかどうか政府が指定する検査センターで機種ごとに検査を受ける必要がある。しかし、この検査には4百万円程度の費用と1ヶ月以上の時間を要するため、この手続きを省略しても携帯電話にはニセの認証シールを貼って済ませる。

また、世界の携帯電話産業を見渡せば、携帯電話メーカーは大企業ばかりである。高い周波数を送受信し、一世代前のパソコンと同じレベルの情報処理能力を持ち、高度なソフトウェアを内蔵する携帯電話という機械は、開発と製造が極めて難しいハイテク機器であり、様々な技術を開発する能力を持った大企業の独壇場である。ところが中国はそうではないのである。中国のゲリラ携帯電話産業には、従業員が10名以下の零細なメーカーが数多く存在する。

こういうとだ。最近、世界のエレクトロニクス産業では、大手企業が最終製品の組立や開発から基幹部品、ソフトウェアの開発まで抱え込む垂直統合の構造が崩れ、特定の部品やソフトだけに特化したインテルやマイクロソフトのような企業が強大になった。アップルのように製品製造は全て外部に委託して、社内では開発と販売だけに専念する企業も現れた。私はこういう趨勢を、垂直統合の逆を行っているという意味で「垂直分裂」と呼んでいる。そして、中国のゲリラ携帯電話産業では垂直分裂がとことんまで進展しており、携帯電話の開発と生産に関わるさまざまな役割がそれぞれ独立した企業によって担われている。そこで、基板・ソフト設計会社から買った回路基板、成形・金型メーカに作らせたケース、さらには液晶ディスプレイ、カメラ、モーター、キーパッドなどの部品を購入して電子製品組立サービスに渡せば、短期間で携帯店和に組み立ててもらえる。

例えばこの産業で使われるスペースバンドICは携帯電話の機能を規定するものと言える。それは、音声やメールを通信用のディジタル信号に変換したり、ディスプレイに表示するデータを作ったり、カメラの映像信号を処理するなど、携帯電話の情報処理全般を担当するICで、携帯電話の最も重要な部品にあたる。これを大手メーカーは社内で開発し他社と差別化させる機能を付加させている。これに対して、台湾のメディアテック(MTK)が新しいスペースバンドICを開発して中国に売り込んだのが始まりとなった。2004年頃の中国には多数の携帯電話メーカーがあったが技術力の弱い彼らにとってMTKのICは中国メーカーでも楽に開発できるように、最初から色々なソフトを組み込み、通話やメールだけでなく中国のユーザーに人気の高い音楽プレーヤーやカメラなどの機能が最初から作りこまれて、値段も安かったので、多くの中国メーカーに採用された。しかし、あまりに簡単に使えるため、中小零細業者までもが携帯電話に参入できることになってしまったのである。

携帯電話メーカーに相当するインテグレーターはピンからキリまであって、キリは従業員10名以下の規模。インテグレーターは深圳市のなかでどこにオフィスを構えるかによってランク分けできる。高い知名度を持っている会社は深圳市の中心部から8キロほど西にある南山区の科技園にオフィスを構えている。深圳大学もあるこの地域には多くのハイテク企業が集まっており、子どもの教育環境もよいので、優秀なエンジニアを雇うには有利である。やや知名度が劣るインテグレーターは、科技園と市中心部の中間にある車公廟と呼ばれる地域に集まっている。かつてクラウンという日系企業が建てた工場が今はゲリラ携帯電話の一大拠点になっている。無名の零細なインテグレーターは、深圳の中心市街地の一角にある華強北と呼ばれる地域に集まっている。華強北はおそらく世界最大のエレクトロニクス市場であり、中国各地や世界から携帯電話や電子機器・部品のバイヤーが集まる。無名なので市場のなかにオフィスを構えることでバイヤーを捕まえようとしているのである。ゲリラ携帯電話産業にとって華強北の市場は中国各地や世界へ販売する場であるとともに、部品を調達する場、製品開発をする場、さらに製造する場でさえある。

2013年6月11日 (火)

丸川知雄「チャイニーズ・ドリーム」(1)

家柄や資産に恵まれた特殊な人たちだけが資本家になれるのではなく、なにも資本を持たない普通の大衆でも才覚と努力と運によって資本家にのし上がっていく。そうした状況を私は「大衆資本主義」と呼びたい。事業で成功して資本家になる夢を持つ中国人が大勢存在することが中国の経済を成長させる大きな原動力となっている。私が本書の中で主張したいことを一言でいえばこれである。

民間企業の活発な創業や活動が経済成長の原動力だ、という主張は、中国以外の国のことであればごくごく平凡な主張に聞こえるかもしれない。しかし、中国についてこのように考えている人は実は多くはない。中国経済のたぐいまれなる成長を作り上げた主役は国家だ、と考えている人が中国の中にも外にも大変多いのである。そうした人達から見れば、本書が焦点を当てているような民間の中小企業はせいぜいあまり重要ではないもの、なかにはやっかいな存在だと見なす人もいる。

中国経済の主役は国家だ、という考え方にももちろん一定の真実が含まれている。中国は社会主義の看板を今でもおろしておらず、国家の経済に対する関与が普通の資本主義国よりもかなり強いし、国家の役割を強めようという考え方も根強い。

しかし、実際には民間企業の成長は押しとどめようもなく、国家の役割はしだいに縮小をよぎなくされている。国家の役割にばかり目を奪われ、成長する民間企業に目を向けないとしたら、中国経済を動かしている重要な原動力を見逃すことになってしまうのである。

本書では「いっぺんに多数の民間企業が出現したような地域や産業」に的を絞り、企業が輩出するメカニズムを探るとともに、多くの民間企業がたくさん入ってくることによって産業がどのように成長し、変化したのかを分析していきたい。個々の事例をみるよりも、一つの産業が民間企業の活躍によってどのように成長したのかを示すことができれば、「民間企業が中国経済の成長の原動力である」ということをより納得してもらえるだろうと思うのである。

 

第1章 草の根資本家のゆりかご・温州

中国は1970年代末に改革開放の時代に入り、経済の部分的な自由化を始めたが、その後に最初に民間企業を多数輩出して注目されたのが浙江省の温州市だった。温州市民はたくさんの草の根資本家たちをはぐくんだ、いわば中国の大衆資本主義のメッカであり、温州の企業家たちは地元で起業するだけでなく、中国各地や世界のさまざまな地域に散らばってその影響力を広げている。

温州は、もともと工業に対する国からの投資があまりなされず、山が多い地形のため農業に適した平地も少なく、その割に人口が多かったので、とくに文化大革命の時期に厳しい状況に陥った。そこで食い詰めた人々は中国各地に流れてふとんのうち直しや行商に従事せざるをえなかった。しかし、そのことが、行商に出た人たちからの情報が温州にさまざまなビジネスチャンスをもたらし、民間企業の萌芽が見られるようになった。

例えば、くず鉄を溶かして鋳直して化学工業に用いるバルブをつくる産業である。温州にはとりたてて化学工業があるわけでもないが、各地に出て行った行商人からバルブが不足しているという情報が入ったからである。この当時の中国は西側諸国から石油化学のプラントを次々と購入し、そうした工場の補修に使うバルブに対する需要が生じた。もちろん中国にも国有のバルブメーカーも存在したが、計画経済のもとではバルブを入手しようとすると政府に申請して次の年の生産計画に入れてもらう必要があり、実際に手元に届くのは翌年になってしまうから急場の需要には間に合わない。そうした空隙をついたのが温州の片田舎で草の根資本家たちがつくったバルブメーカーだったのである。

ある地域に産業が発展する一つのパターンとして、その地域特有の資源や人材に根差すケース、たとえば陶土が産出される地域で陶磁器生産が発展したり、大学や研究所の近くに知識集約的な産業が発展したりする場合もあるが、温州にはこれといった資源は何もなかった。温州の草の根資本家たちが依拠したのは、ひたすら需要に対する対応のすばやさであった。1980年代の中国経済の主役は国有企業であり、国有企業は政府からの指令に基づき、需要などお構いなしに物を生産していたから、需要への対応の速さだけをとりえとする温州の民間企業でも十分に優位性を持つことができたのである。改革開放の時代に入ると、中国全体の消費水準が向上するとともに、自営業が公認されるようになった。文化大革命の時期から全国に行商のネットワークを張りめぐらしていた温州人たちはいよいよ大手を振って活動できるようになり、彼らを通じて様々なビジネスチャンスに関する情報が温州に入るようになった、こうして温州の各地にじつに多様な産業が生まれ、そこで生み出された製品は温州人の流通ネットワークに乗って中国全土に売りさばかれていった。

それは例えば、スイッチやブレーカーだったり、ボタンだったりプラスチック製の靴だった。

どうしてこれほど多様な産業が温州に育ったのか。温州には産業集積地153か所あるが、産業がその地方の特産物に由来すると見られると由来するのは2か所で、それ以外は、どこかからたまたま情報が伝わり、誰かが製造を始め、周りの人が真似をしたという話ばかりである。

このように第一号企業が生まれるのは偶然であるが、それが大きな産業集積に成長するのは、最初の成功者を見て周りの人々がその事業のやり方を臆面もなく真似するからである。模倣によって短期間のうちに一つの業種の企業数が一社から数十社、数百社に拡大していくということが温州のあちこちで頻繁に繰り返された。

温州の人々が簡単に起業に踏み切ることを説明するもうひとつの要因として、起業を容易にするインフラの存在も挙げる必要がある。ある程度の規模を持つ産業集積地の中心には必ずその産業の製品を売る市場がある。これは中国全土で商業を営んでいる温州出身の商人が温州産の製品を買い付ける中継点である。そうした市場は行商人たちが商品を売買する場として自然発生的に生まれ、やがて地元の政府が建物を整備するという展開をたどることが多い。地元に市場があると、新規に開業した自営業者は自分が作った製品を市場に持って行けばなんとか買ってもらえるだろうと考える。

また、規模の大きな産業集積地には、製品を卸す市場の他に、生産に必要な材料を売る市場もできることがある。

では実際に温州の多様な産業を作り上げていった企業家とはどのような人たちなのであろうか。企業家たちは、当初は学歴もあまり高くなく、職業の経験もそれほどない状態で起業している。そのような人たちが企業かとして生成するプロセスとして大きく2つのパターンを見出すことができる。第一は、自営業や国有企業で見習工として働くところから始め、ある程度経験を積んだ後に自ら創業するパターン、つまり一貫して工業だけに従事してきた企業家たち。第二は、商人として働き、外地での商売なども経験してある程度の資金を蓄積して、工業に参入する異業種転換型の企業家たち。主にこの二つの流れから膨大な数の新規企業家が供給され、温州に多様な産業集積を生み出して行ったのである。

温州の人達は、地元のみにとどまらず各地に飛び地のような集積地を作った。例えば北京市郊外に存在した浙江村である。温州人達は中国国内にとどまらず世界へと出向いている。温州人は中国全土と世界に移民し、移住先でも彼らの経営と生活のモデルを再現している。そのモデルの特徴は、①多くの人が起業し、独立独歩の事業を持とうとする(独立)、②周りの人が成功したビジネスを真似し、競争し合う(競争)、③同業者たちの事業所は一つの地域に集積し、資金の貸借や生活面では協力し合う(協力)、という三点にまとめることができる。

温州の経済発展は温州人たちの旺盛な企業家精神に支えられてきた。しかし、温州の経済発展には一つの限界がある。それは大企業がなかなか育ちにくいということである。温州にはきわめて多くの多様な産業が存在するが、業界で中国トップになるような企業は極めて少数である。大企業の育ちにくさ温州のモデルの特徴と関係している。温州では誰もが独立しようとするため、操業する時は何人かで資金を持ち寄って始めても、企業が成功すると分裂してしまうことが多いのである。

また、温州から大企業が育ちにくいことと同根の問題として、温州企業が高度な技術の担い手になりにくいことも挙げられる。もともと技師術も資本もないような人たちが周りを真似て創業したような企業ばかりだから、参入した産業もそれほど高い技術を必要としない製品が多かった。温州の経営者たちも、高度な技術を追求して尊敬される企業になろうとするよりも、ローエンドの市場を対象とするそこそこの品質の製品でも利益が上がればよいと考える傾向がある。

2013年6月10日 (月)

あるIR担当者の雑感(120)~円高の不思議

これまで日本経済は低迷というかはっきり言って沈んでいたわけで、その時に外為レートでは円高がどんどん昂進していったわけです。ところが昨年末からアベノミクスが喧伝されて、日本経済は、もしかしたら、これからのイケるかもしれないとなったら、円高が進んでいたのが一転して円安が進み始めました。これは新聞やテレビのニュースで散々報じられていめことで、私の周囲でもそれをもとに様々な議論がたたかわされていました。

しかし、とそこで、私は根本的なことが分かっていないのです。何か逆のような気がして何かはっきりしないのです。私のような無知な一般大衆レベルの浅はかな考えでいけば、景気が沈んでいれば円安になって、景気が回復すれば円高になるんじゃないの?というのが素朴な疑問です。景気が沈んでいれば、企業は成長しにくいし、場合によっては潰れてしまう危険も高くなる。そうなったら日本企業に投資するよりは、他の韓国とか中国とか成長している国の企業に鞍替えした方がいいとおもうでしょう。それで日本企業への投資を引き上げる。これは海外投資家が売り越しで日本企業の株価が、実際に下がり続けたわけですから、何となく事実そうなのか、と思います。そのときに、日本企業の株を買う時は円という通貨で買っていたわけですが、それを引き上げて中国や韓国の企業に投資しようとすれば、日本企業に投資していた株式を引き上げると、現金を手にするわけです。それは円で、というはずですが、円では韓国や中国の企業の株を買えないので、手にした円を韓国や中国の通貨であるウォンや元、あるいはドルに替えることになるはずです。つまり円売りになるわけです。日本経済が沈んでいるわけですから、日本に投資している人達は、それこそ沈みかけている船から一斉にネズミがいなくなってしまうように、我先に逃げ出すということになれば、円を売りたい人がたくさんいるはず。その場合、外為市場は売り手と買い手の需要と供給で成り立っているわけですから、売りたい人が買いたい人より多いのならば、当然買いたい人は少しでも安く買おうと、円を買いたたく、値切るはずです。それでも売りたい人が多ければ、売らざるを得ない。ということになれば、円安が進むのではないか。それが、私の常識です。実際に、以前の韓国では経済危機からウォンが暴落してIMFの管理下に入ってようやくウォンの暴落を治めて、その後、国内の大リストラを生き残ったサムソンや現代がウォン安を背景に輸出攻勢に出て世界的大企業に短期間で成長して行ったのではありませんか。お隣の韓国で起こって、日本では起こらなかった。むしろ、逆の事態が起こった。このことをうまく説明してくれる人はいませんでした。

多分、経済学者や官庁の政策担当者、あるいはマスコミで報道している人は分っているのでしょうが、だれも分かり易く解説してくれる人はいません。たんにも円高と不況だからとセットで話しているばかりで、どうして、の疑問に答えてくれる人はいませんでした。でも、この事態って、この数十年のあいだ宿痾のように日本経済について回っていることではないでしょうか。景気が悪くなっても、さっき触れた韓国のように円安になれば、企業が輸出で稼いでV字回復となれたのに、そうはならなかった、逆に厳しい状況で、円高が輸出の障害となり、競争力を落として新興国との競争に敗れていく日本企業が続出したわけではありませんか。

アベノミクスってものものしい経済政策理論みたいに、先日も著名な経済学者が来日して議論して行ったようですが、その上に述べたことの原因と、それがどうなるのかということを分かるように説明はしてくれませんでした。だから、分らないのです。正直に言って。どなたか、教えていただけませんか。

先日、ある本を読んでいて、手懸りっぽい話を得ました。それは、日本、あるいは日本企業は韓国等に比べて、潤沢な海外資産を持っているので、多少の不景気でもびくともしない。個人でもミセス・ワタナベと言われるくらいに海外に投資している。この海外資産を、日本の景気が厳しくなってきたので足元に火がついて、あわてて回収しようとした。例えば海外にドルでとうししていたのを手元に引き上げようとした。国内で当座の足しにするために引き上げるとすれば、海外のドルで投資していたのを、国内で使えるように円に替えなければならない。つまり、円を買うことになるわけで、そういう人が続々とでてきた。円の売り買いが買い手が増えて売り手市場となってしまった。そこで売り手に有利になって円高になったというのです。それなら合点が行きます。アベノミクスで取り敢えず安心して、買い戻すのを控えた、だから円高が止まった。というのは、違和感があります。だって、厳しい経済状態は変わっていないのですから。経済解説でも、アベノミクスなどで空気が変わったというようなことが言われていますが、その間の説明が為されていないのです。そこのところ、このような疑問を持っている無知な私にも、分かるように教えてくれる人はいないでしょうか。

と、ここまで書いていて、著名な経済学者もアナリストも、ましてやマスコミの人達も、もっともらしいことを言っているけれど、本当のところ、この疑問に答えられないのではないか、分っていないのではないか、とも思ったりしています。本当のところ、どうなのでしょうか。

2013年6月 9日 (日)

「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス」展(2)~故郷

Ropez2pアントニオ・ロペスの画学生あるいは修行中(?)の作品が集められていました。ここに展示されている作品を見ているとロペスという画家が写真のように対象を写し取ることを志向していたのではないことが分かります。結果として、写真と見違えるほどそっくりな作品になっていたとしても、それはあくまで意図したということではなく、ただそうなってしまった、ということが、この初期の作品を見ていると分かります。だって、わざとそっくりにならないように描いているではありませんか。『花嫁と花婿』(左図)という作品を見てみましょう。この時点で、すでにロペスはある程度の画力を身につけていたはずです。前回のポスターで見ていただいた『グランピア』の圧倒的な力量とまではいかないにせよ、その素地は十分あったはずです。それにしてはリアリズムとは言えないような作品です。これは意図的に、こう描いているとしか思えません。画面左手奥にギターや瓶や果物等がテーブルに乗ったり立てかけられたりと描かれていますが、リアルな写生ではなくて、単純化され、しかもかなりデフォルメされギターはどのように置かれているかよく分らないといった体で、とりあえず、そこにものが在る、そういう形をしたものが在るという描かれかたです。まるでキュビズム直前のピカソのようなフワフワした感じです。そして、中心の2人の人物も人間というよりは人形に近い、人間の形をしたものが在るという感じです。そして、全体としてのバランスが何となくチグハグで、空間とものとの関係がバラバラにRopezkotan_2されてしまっている感じです。私には、ここに描かれているここのものの外形が在るということが、ここでのロペスの関心で、それ以外はあまり顧みられなかった、という気がします。若い時の試行錯誤の後だからと言われれば、それまでですが。そういう試行をしようとしたということと、そういう試行だからこそ彼の意図が純粋に近い形で表われている、ということができると思います。そして、色遣い、絵の具の使い方です。なんかキレイでないというのか、余計な色がいっぱい使われているというのが、背景の壁で迷彩模様になっていますし、女性の衣装も花嫁衣裳なので純白ではないかと思うのですが、沢山の色が使われています。これは、例えば印象派の絵画では、そういう意外な色を配置することで光のスペクトルというのでしょうか、まばゆい陽光が当たって煌めくさまが印象的に目に映るのですが、ロペスの作品にはそういう煌めきのようなものは感じられません。ロペスは、このころから意図的に光沢のない透明性の少ない絵の具を用いていたといいます。それらをひっくるめて、作品全体を見てみると、写真のような見たままとは正反対の世界が、そこにちょこんと乗っかっているという感じがします。そして、面白いことにそのために、今まで上げたことを嚆矢として、ほかにも様々な試みをしているのですが、それが決してうるさくない、不思議な静謐さを保っているのです。先ほど、少し触れましたがキュビスムに行く直前のピカソの作品を見てみれば、様々な試みの強い自己主張をもっていて、それらが画面から飛び出してきてしまいそうなエネルギーに充満していて、それは見る方からすれば圧倒されるのですが、ロペスの作品はそれとは反対にスタティックな静けさが漂っているのです。ここでは、突飛に思えるかもしれませんが、スペイン・バロックの時期に、スルバランや他の画家たちによって一時集中的に描かれた「ボデコン」と総称される神秘的な静物画(右図)を彷彿とさせられたのでした。

Ropezstreet『立ち話をするフランシスコ・カレトロとアントニオ・ロペス・トーレス』(左図)は、さきほどの『花嫁と花婿』に比べれば、遠近法で画面が構成されて、写真のような感じで見ることができます。私には、ロペスが写真のようなものには、敢えてしないという意図のようなものを感じしまうのです。写真のようにしないというのではなくて、そういう写すということはハナから考えていない、ということなのでしょうが。それは、全体しての輪郭がすべてボヤけているように、輪郭線を消して、色遣いの点で隣り合う色同士が対立しないように、慎重に選択されているように見えます。そして、例えば中心にいる二人の男性の着ている黒い背広にしても黒だけでなく異質のいろを慎重に散りばめることによって、黒という強い色が目立たぬようにして、同じように全体に異質のいろを散りばめることによって、画面全体から色彩の対立による緊張関係を生じさせないようにして、対立点である色の境目が輪郭として目立ってこないようにしているように見えます。そのとき、絵の具を塗るというのではなくて、まるで絵の具が置かれるように、そこには筆触が見えないように周到に注意が払われているように見えます。その結果、輪郭が曖昧な幻想とまでは行かないまでも、現実のリアルな世界と一歩ずれたような不思議な世界が現われているような感じがします。そこに配置された人物たちが曖昧な輪郭に囲われて人間らしき外形の色のかたまりがものとして在るという、不思議な感じの作品となっているのです。だから、そこで、人々はそれぞれにポーズをとっているのですが、動きが感じられない。まるで止まっているようなのです。そこで感じられるのは静寂さです。もう一度、展覧会ポスターの『グランピア』を見ていただきたい。街の風景のはずなのに、人影はなく、街の喧騒が聞こえてこない感じがしませんか。この美術展訪問の文章の最初のところで渋谷という街の大衆的なエネルギーに対する違和感を少しくお話ししましたが、ロペスの作品を見ていると、そういうものを注意深くされる、もっというと嫌悪する(言い過ぎかもしれません)、ちょっとした貴族主義的といったら言い過ぎかもしれませんが、ハイエンド志向というのか、私のようなもともとローエンドの人間からは鼻持ちならないと感じられないでもない、ただしこれは批評家からみれば真摯とか映るんでしょうが。そういうものを感じることがあります。

Ropezcarreteroそういう、これまでお話ししてきたことが集大成されているのではないか、思えるのが『フランシスコ・カレテロ』(右図)という肖像画です。ここでのロペスのスケッチ力というのは凄いの一言以外に何もしゃべれないものです。それなのに、この汚い色の使い方は何なのか。まるで画面を汚しているとしか思えないような、関係ない色がそのスケッチが表われるのを妨害するようです。それらの理由というのか、そこで感じ取られる効果というのは、今まで書いてきたことが全部まとまって、見る私の目前に提示されているように見えます。

2013年6月 8日 (土)

「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス」展(1)

Ropezpos今週は大きなイベントである決算説明会が終わり、少し虚脱状態。年齢のゆえか、切り替えてシャキッとすることもできず、何となく身体がだるいような状態。周囲の人には申し訳ないけれど、ちょうどよく無料で収穫のありそうなセミナーがあったので、昼から都心に出て聴講、終わったら遅い時間になっていたので、帰りに行ってみた。地下鉄で向かった渋谷は、駅周辺の都市再開発が進んでいるとはいっても、猥雑で汚ない街の雰囲気は変わらない。辺境のエネルギーと流入する若年者たちによって活気があるのは確かだと思う。でも、感覚的に肌に合わないのか正直なところ、かと言って、BUNKAMURAのスノッブさもあまり好きでなく、ここの映画館やオーチャードホールというコンサートホールも肌に合わない。以前にも書いたことだけど、そのちぐはぐさを肯定的に受け止められるか、違和感を持ってしまうかによって変わって来るのだろうと思う。

思うに、アートとか芸術というのは、今の日本においては、身も蓋もない言い方をすればお金や権力を握っている、それほど多くない人々が好んでいる、あるいは好んでいるポーズをとっていることが有利であるということで、ある限られたパターンの作品をパトロネージュしていることで成り立っている嗜好品です。露悪的なものいいですが、商業的に利益を稼ぎ出している大衆的なサブカルチャーと言われるマンガなどに代表されるそれ自身で広い支持を得て莫大な売上に結びつくというものではありません。きちんと整理したロジックで説明することはできませんが、渋谷の雑踏のエネルギッシュは、大衆的な支持を広範に集めて成り立っているサブカルチャーと似ている、あるいは同根のように思えるところがあります。その精華というか中心のようなところと、そういうものに対して、明らかにマイナーで特別な保護が為されなければ生き残れないような日陰の花のような美術館とを一緒に置かれて、その違いを見せつけられてしまうと、何か僻みとか嫉みというようなネガティブな何ものかを抱いてしまうようなのです。私自身はお金も権力もないし、そういうものに寄生して生活を成り立たしめている実際と、嗜好の点でもそのようなものに擦り寄っているのか、という多少の何というのかネガティブ、とまでは行かないけれどアイロニーを感じてしまって、これは自分でもあまりいい気持ちがしないものです。何か分かりにくい文章ですね。それに、読んでいてあまり気持ちのいい文章ではないですね。
 Ropezcinema_2
 ところで、今回はアントニオ・ロペスの美術展です。現代スペイン・リアリズム巨匠ということで、映画『マルメロの陽光』に出ていたそうです。といっても、ビクトル・エリセという映画監督にピンとくる人は、それほど多くはないのでしょうか。フランス映画社の配給作品を熱心に見ているような人ならともかく。日本なら、ヨーロッパのアート系の映画監督という分類のされ方をされてしまうのでしょうか。けっして、そういう志向の監督ではないのですが。例えば、日本映画の小津安二郎とか溝口健二といった世界的な巨匠という評価が定着してしまった監督は、現役時代は映画会社の売上に貢献するような娯楽映画を作っていたのであって、それを後世の評論家や映画好きが尋常ではない凄い作品ということに祀り上げてしまったところがあると思います。ビクトル・エリセという監督もそれに近いところがあるように見えます。ヨーロッパの監督で言えば、ジャン・リュック・ゴダールとかロベール・ブレッソンとかロベルト・ロッセリーニとか、日本の映画ファンの間では、そういう名匠たちに連なるようなイメージでしょうか。私が、この人の作品みたのは30年くらい前に『ミツバチのささやき』という作品でしたが、それ以来『マルメロの陽光』も含めて2作しか劇場用の長編作品をつくっていない寡作なひとです。『マルメロの陽光』という映画は、画家が自宅の庭に植えられているマルメロの実がなったのを描こうと、キャンバスを張り、スケッチを始める姿と、その家の補修工事でアルジェリア人(?)の大工数人が工事をしている光景を淡々と映した作品で、とたててストーリーとか劇的な盛り上がりのない、映像詩に近いような作品です。正直言って、私がこれを数十年前に見たときに退屈しました。ただ、どうしてか忘れられない作品ではありました。これは、後で触れると思いますが、この映画をつくったビクトル・エリセという監督の映画の画面構成というのか空間の写し取り方と、このアントニオ・ロペスの空間の切り取り方がよく似ているような気がして、初めて『マルメロの陽光』という映画の見方が、今にして分ったような気がしたのも確かです。

肝心の、アントニオ・ロペスについて、未だ全然話していないですね。入口のところでひっかかってなかなか入れない感じです。美術展のタイトルが“現代スペイン・リアリズムの巨匠”とうたっていますが、私には、単なるリアリズムとは見えませんでした。では何なのか、ということで考えてみると、言葉がみつからず、作品をみながら「何なのだろうか」とずっと考えていました。目の前にあるものを写真のように描き写して見せたというのはないです。かといって、それを少しずらして幻想的な風景を見せるというのでもない、感覚的な色とか美学による美しさを追求したというような感覚的なものではなくて、もっと実体的なものです。かと言って、精神とか神秘とか言葉で考えたものを表現しようというような、例えば抽象芸術のような茫洋としたものでもない、そんなではなくもっと明晰で、形がはっきりしているのです。では、形とか、存在とかつきつめていったキュビスムとかセザンヌのようなものかというと、そういう突っ込んで遠くへ行ってしまったのではなくて、もっと近い所にある感じなのです。何なのか何なのか、今以って分かりません。そのためでしょうか、このようなブログで感想を語るには、この人はこういうものだというのを、語り易そうで、実は語りにくい作品なのです。この人のは。

しかし、ポスターに使われている『グランピア』という作品。これは油絵です。この画面で見ていただいただけで、凄いとしか言えないのです。で、実物を見たときは、この画面とは別のもので、しかし、凄いとしか言えなかった。凄いという言葉も便宜的に出て来たただけで、言葉を失ったというのが正しい。この作品についても、後で、個別の作品の感想の中で書いて行きたいと思います。ただし、今回は、今までの美術展と違って(実は今までもそうだったのですが)、言葉にできるか、やってみないと分からないのか正直なところです。

展示は下のようにカテゴライズされていました。恒例としてるパターンで、この展示に沿って書いて行きたいと思います。

故郷

家族

植物

マドリード

静物
 
室内

2013年6月 7日 (金)

エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(10)

結論

本書は資本主義の起源について論じている。資本主義の起源は、資本主義システムそれ自体の本質について、何を私たちに教えてくれるのだろうか。

第一にそれは、資本主義が人間性の自然的で不可避的な結果ではないこと、さらには古来の「取引し、交易し、交換する」社会的傾向の自然的で不可避的な結果でさえないことを理解させてくれる。それは、きわめて特殊歴史的な条件が生み出した、後代の、一地方に限定された産物なのである。資本主義の拡張的な衝動は、今日では事実上の普遍性を獲得するまでに至っているが、それは資本主義が人間性やある歴史貫通的な内的運動法則の産物である。この運動法則が発動するためには、社会の巨大な転換と変動が必要であった。それは、人間の自然との物質代謝における転換と、基本的な生活必需品の供給における転換とを必要とした。

第二に資本主義は初めから著しく矛盾した力であった。イングランドの農業資本主義のもっとも明白な結果を考えてみるだけでよい。近代初期イングランドには他のどこにも存在しなかったような物質的繁栄のための条件が存在したが、その条件は広範な所有剥奪と強度の搾取という犠牲を払って達成されたものである。これらの新たな条件はまた、新たな条件はまた、新たな市場や労働力や資源を求める。新たな、そしてより効率的な形態での植民地拡大と帝国主義のための基礎を確立し、その種を植え付けた。

次に資本主義の矛盾した力として挙げられるものに、「改良」に随伴する諸結果がある。改良によってもたらされる生産性及び巨大な人口を養うことのできる能力は、すべての配慮を利潤の命法に従属させることとは両立しない。このことが意味していることは、とりわけ、扶養可能なはずの人々がしばしば飢餓状態に放置されたことである。一般に、資本主義の生産能力と、資本主義がもたらす生活の質との間には、大きな落差がある。生産が利潤と切り離せないという元来の意味における「改良」の倫理は、搾取や貧困やホームレス状態の倫理でもある。

資本主義的命法の全世界への拡大は、その開始にあたって資本主義の発祥国の内部で生み出した諸結果を、一様に再生産してきた。つまり所有剥奪、慣習的な所有権の廃止、市場命法の強要、環境破壊である。この過程は、搾取階級と被搾取階級との間の関係から帝国主義諸国と従属諸国との間の関係にまでその影響を拡大した。

イングランドの農業資本主義の経験からは、もっと一般的な教訓を引きだすこともできる。いったん市場命法が社会的再生産の条件を設定すると、すべての経済的行為者は─領有者も生産者も、たとえ彼らが生産手段を保有し、さらにはその完全な所有権を保持していても─競争、生産性の向上、資本蓄積、労働の搾取の強化という要求に従属するのである。この点に関しては、領有者と生産者との分離がないことでさえ、従属を免れる保証にはならない。市場がいったん経済の「規律」ないし「規制者」として確立され、経済的行為者がいったん自己の再生産の条件を市場に依存するようになると、生産手段を個人的あるいは集団的に保有する労働者でさえ、市場の命法に応じざるを得ないだろう─つまり競争したり、蓄積したり、「競争力のない」企業とその労働者を押しのけたり、彼らを搾取したりせざるを得ないだろう。農業資本主義の歴史と、それに引き続いたすべてのことから、次のことは明らかな筈である。市場の命法が経済を規制し、社会的再生産を支配するところではどこでも、搾取から逃れることはできない。言い換えれば、「市場社会主義」はもちろんのこと、真に「社会的」あるいは民主主義的な市場といったものはありえない。

2013年6月 6日 (木)

エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(9)

第5章 農本資本主義から産業資本主義へ─その概略

イングランドでは、富は依然として主に農業生産に由来していたが、農業部門における主要な経済的行為者はすべて─直接生産者もその剰余を領有する者も─16世紀以降、次第に資本主義的と呼ぶにふさわしい実践に身を任せるようになっていった。それはすなわち、専門化や蓄積や革新を通じたコスト削減と生産性向上による交換価値の最大化である。イングランド社会の基本的な物質的要求を充足するこの様式は、イングランド社会に自立的な成長という全く新たなダイナミズム、つまりそれ以外の社会の物質的生活を支配してきた古来の周期的パターンとはきわめて異なる蓄積過程と拡張過程とをもたらした。またこの様式は、典型的な資本主義的搾取の過程と無所有大衆の創出を伴った。私達が近代初期のイングランドにおける「農業資本主義」について語ることができるのは、この意味においてである。

個々で重大な二つの点を強調しておこう。第一に、資本主義の初期の発展を促す過程の推進役は、商人や製造業者ではなかった。社会的所有関係の転換は明らかに田園地帯から始まっており、イングランドの交易と産業の転換は明らかに田園地帯から始まっており、イングランドの交易と産業の転換は、イングランドが資本主義へと移行するうえでの原因というより結果であった。第二の、より根本的な点としては、これまで「農業資本主義」という言葉は賃労働を基軸に据えることなしに使われてきた。だが如何なる定義にとっても賃労働は資本主義の中心的概念である。つまり、多くの借地農が賃労働を雇用していたため、マルクスやその他の人々によって確認された三肢構造─資本主義的地代で暮らす地主、利潤で暮らす資本家的借地農、賃金で暮らす労働者─が、多くの人によってイングランドの農業関係の決定的な特徴と見なされてきた。しかし、ここで留意すべきは、競争的な圧力と、それに伴う新しい「運動法則」とがまずもっと依存していたのは、プロレタリアート大衆の存在ではなく、市場に依存する借地農生産者の存在であった。それに加えて、こうした競争的圧力は、賃労働を雇用する借地農だけでなく、雇用労働を用いずに自分自身が直接に生産する農業家にも襲いかかった。人々は、全面的に所有剥奪されなくても、市場に依存する可能性があった。市場に依存するようになるにはね市場以外の方法で自己再生産の手段を直接利用できる可能性がなくなれば十分であった。実際、市場命法がいったん確立されてしまえば、完全な所有権でさえその命法に対する防波堤とはならなかった。そして市場への依存は大衆のプロレタリア化の結果ではなくその原因であった。言い換えれば、資本主義独特のダイナミズムは、労働人口がプロレタリア化する以前に、すでにイングランドの農業の中で準備されていた、それどころか、このダイナミズムはイングランドで労働のプロレタリア化を引き起こす主な要因であっさた。決定的な要因は、領有者だけでなく生産者も市場に依存したことであり、この市場依存によって新しい社会的命法が生み出されたことであった。

1500年から1700年までの間、つまりイングランドがほかのヨーロッパ諸国と大体同じような人口増加を経験していた頃、イングランドの人口増加は一つの重要な点で特殊であった。それは、都市人口の割合がこの同じ時期に二倍以上に膨れ上がったということである。つまり、近代以前にはすでにイギリス農業は、もはや農業生産に従事しないきわめて多くの人々を扶養するに足るほど生産的であった。もちろんこの事実は、個々の農業技術が効率的であることの証拠となるだけではない。それはまた社会的所有関係に革命がおこったことをも示している。イングランドの特徴的な人口学的パターンについては、もう一つの点を付け加えることも重要である。都市人口の並外れた増加は、イングランドの諸都市の間で均等に起こったわけではない。このパターンには、一見して明白であること以上に重要な意味が含まれている。なかでもそれは、農業資本主義の中核地帯における社会的所有関係の転換及び小生産者の所有剥奪を証言するものである。追い立てられた小生産者が流民として向かう先が、典型的にはロンドンだったわけである。ロンドンの成長はまた、イングランド国家の統一だけでなく、国民的市場の統一をも表現している。言い換えれば、ロンドンの成長は、あらゆる点でイングランドの資本主義の出現を表現している。つまり市場が次第に単一化され、統一され、統合されて、競争的になるという点でも、農業が生産的になるという点でも、住民が所有を剥奪され追い立てられるという点でも、そうなのである。

 

農業資本主義の前例のない独自の論理は、経済生活のあらゆる領域にその影響力を及ぼした。イングランドの田園地帯で生まれた経済的な「運動法則」は、古来の取引慣行を転換させ、全く新しい種類の商業制度を生みだした。この制度は高度に発展した国内市場に依存していた。というのも、もはや自分や家族が消費するための日用品の制盛んな従事しない人々が増加したからである。ロンドンそれ自体が巨大市場であった。そしてそれは、他の都市とは規模も内容も「運動法則」も異なる市場、つまり成長する国内市場の中心となった。この市場は限定された市場のための奢侈品ではなく、成長する大衆市場のために生存と自己再生産の手段を取引対象とする商業制度としては最初のものであり、そして長い間唯一のものであった。この市場が次第に国民的、統合的な性質をもつようになっていったことは、次のことを意味している。この市場が次第に、「譲歩利潤」という原理だけでなく、競争的な生産という基礎の上に機能し始めたことである。

イングランドの農業資本主義がそれ以降の経済発展に及ぼした長期にわたる諸結果については、かなり明確になったはずである。ここは農業資本主義とイングランドが最初の「産業化された」経済へと発展したこととの間の結びつきを詳細に検討する場所ではないが、いくつかの点は自明である。大量の非農業労働力を維持できるだけの生産的な農業部門がなかったならば、世界で最初の産業資本主義は出現しなかったと思われる。イングランドの農業資本主義がなかったならば、賃金のために自分の労働力を売らざるを得ない所有発奪された大衆は存在しなかったであろう。この所有剥奪された非農業労働力がなかったならば、イングランドで産業化の過程を推進した安価な日用品のための大衆的消費市場は存在しなかったであろう。この一大市場の特徴は、その並外れた規模だけでなく、その限界、つまり、毎日使う安価な物品を求める消費者の相対的な貧困にも由来している。それは、「古典的」商業の奢侈品交易よりも、後の大衆消費市場との方に共通点が多い。

農業資本主義によって生み出された富、及び植民地拡大を求める全く新しい動機─領土拡大というかつての形態とは異なる動機─がなかったならば、イギリス帝国主義は、後に産業資本主義の原動力となったものとはきわめて異なったものになったであろう。最後に、イングランド資本主義がなかったならば、いかなる種類の資本主義システムもおそらく存在しなかったであろう。他の諸国に資本主義的な方向での経済発展を迫ったのは、第一にイングランドから、とりわけ産業化されたインクランドから広まった競争的な圧力であった。依然として資本主義以前の交易原理で動いていた国家や、あるいは領土や略奪をめぐる古い封建的な争いと原理上ほとんど変るところのない地政学的かつ軍事的な競争を行っていた国家は、新たにイングランドが競争上の優位を占めたために、経済発展を類似の仕方で推進するように駆り立てられるようになるだろう。

少なくとも農業資本主義は産業化を可能にした。このように言うことでさえ、すでに多くのことを意味している。農業資本主義によって生み出された発展可能性の条件─所有関係、国内市場の規模と性質、人口構成、イギリスの交易及びイギリス帝国主義の本質と規模における転換─は、産業化に必要とされた純技術的な進歩よりもはるかに重要であり、はるかに影響力を持っていた。これは二つの意味で正しい。第一に純粋に技術的な進歩は、繰り返しになるが、産業化の基礎を築いたいわゆる農業革命の原因ではない。第二に、第一次「産業革命」の内容を構成する技術上の変化は、いずれにせよあまり大きなものではなかった。農業資本主義が産業資本主義を可能にしただけでなく必然的ないし不可避的にもしたのかどうかは、別の問題であるが、その方向に促す強力な刺激が存在した。増大する消費者大衆のために安価な生活必需品を供給し、すでに確立されている競争圧力に即応する統合された市場は、新しい独特の「歴史過程の論理」を構成した。その結果が産業資本主義である。

農業資本主義の歴史から私たちが引きだすことのできる結論は、次のとおりである。すなわち新たな社会的所有関係に基づく資本主義的ダイナミズムは、時間的にも因果的にも、産業化に先行していた。実際、ある種の市場社会─生産者が、生活手段、労働手段、自己再生産の手段を手に入れるための市場に依存し、市場命法に従属するような社会─は、産業化の結果ではなくて、その根本原因であった。社会的所有関係における転換、人々に(安く買って高く売るだけでなく)競争的に生産することを強制する転換、自己再生産の手段へのアクセスを市場に依存させる転換だけが、近代資本主義の独自の特徴である生産力の劇的な革命的変化を説明できるのである。

2013年6月 4日 (火)

エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(8)

新しい所有概念は、より体系的に理論化されつつあった。最も有名なものは、17世紀後半に書かれたジョン・ロックの『市民政府二論』第5章である。彼の書くところによると私的で個人的な所有は、神が与えた自然的権利である。人間は自分自身を所有しており、人間が自らの手と身体で行う労働も自らの所有物である。それゆえ、ロックの議論によると、人間が何かと「自分の労働と混合する」とき、つまり彼の労働によって自然の状態から何かを取り去ったり、その自然状態を変化させたりしたときに、所有権という自然的権利が確立する。所有についてのロックの議論は挙げて「改良」概念に向かう。その章全体に流れている主題は、土地は生産的となるために、そして利潤を生むために存在しているということであり、それゆえ労働にその源を発する私有財産は共有に優越するということである。ロックは、土地に固有な価値のほとんどは自然からではなく労働と改良から生じると、繰り返し述べている。改良されていないアメリカの土地1エーカーは、本来はイングランドの1エーカーと同じくらい肥沃であるかもしれないが、原住民が受ける利潤は、イングランドの場合とは比べ物にならない。「改良」されていない土地は荒蕪地なので、それを改良するために共有から取り上げて領有する人は誰でも、人類に何かを与えたのであって、取り去ったわけではないということである。

勿論ロックの考えには、労働は価値の源泉であり所有の基礎であるという魅力的な要素も含まれている。しかし、これについて奇妙な議論が繰り広げられていることが、すぐに明らかになる。第一に、労働と所有とは直接的に一致するわけではない。なぜなら、ある人間は他人の労働を所有できるからである。彼は、ある物と自分の労働ではなく彼が雇用する誰か他の人の労働とを混合することによって、その物に対する所有権を獲得することができる。彼の論点は、労働活動そのものよりも、利潤を生むその利用に関係していると思われる。言い換えると論点は、人間の労働ではなく、所有の生産性とその商業的利潤への適用なのである。例えば、自分の土地を生産的な利用に供して土地を改良する地主は、たとえ他人の労働を使ったとしても、労働する召使に劣らず勤勉なのである。これは、詳しく論じる価値のある点である。資本主義以前の社会における伝統的な支配階級は、従属する農民から地代を受動的に領有していたのであって、決して自分が「生産者」だとは考えていなかったであろう。「生産的」と呼び得る種類の領有は資本主義にしか見られないものである。その含意は、財産が顕示的消費のためにではなく投資とり利潤の増大のために、能動的に利用されることである。労働と利潤の生産とを合体させることによって、ロックはこの資本主義的原理らしきものに基づく体系的な所有理論を組み立てたおそらく最初の思想家と言えるであろう。彼の生産と所有にかんする議論は、働く人々を守るものと誤解されてはならない。彼が、勤勉な熟練工や手職人について好意的な発言をしていたことは確かだが、彼の理想は改良を行う偉大な地主であったと思われる。このようなロックの所有観は、初期の農業資本主義のイングランドの条件と実に適合的である。それは明らかに、高度に集中した土地所有と大規模な土地保有が比類なく生産的な農業と結びつく条件を反映している。この時代において所有の定義はたんなる哲学的論争ではなく、極めて直接的な実際的論争であったということである。

共有券保有者の慣習的な権利を無効にし、彼らを共有地から排除し、囲い込みによって共有地を排他的な私有財産にかえることを希求する地主にとって、ロックの議論ほど好都合なものが他にあっただろうか。囲い込み、排除、改良は共同体の富を増やすものであり、それが失った以上のものを「共同の資産」に付け加えたのだと主張する議論ほどの都合の良い議論が他にあっただろうか。

 

ここに至れば、イングランド農業の特殊な所有形態の発展が、新しい形態の階級闘争を必然的に伴ったということは明らかなはずである。近代初期のイングランドでは、フランスなどとは異なり、政治的に構成された所有は主要な争点とはならなかった。地主階級は、純粋に経済的な搾取形態への依存を強めていたので、直接の物理的な源泉としては国家にあまり依存していなかった。彼らの直接の物質的利害は、国家の一片を獲得することよりも、自分達の経済的な領有権力を強化することのうちに存在していた。土地とその生産的な利用に対する自らの支配に根差していた。地主の階級的な懸案事項は、なによりも囲い込みの権利であった。

これはイングランドの従属的な階級にとっては、次のことを意味した。所有の権利をめぐる闘争と所有のまさに意味をめぐる闘争であり、これが経済外的搾取に対抗する闘争よりも大きな意味を持っていた。それゆえ、イングランドの共有権保有者にとっては、例えば囲い込みに対する抵抗や、慣習的利用権を守る戦いは、搾取に抵抗する闘争において、租税に対するフランスの農民の抵抗が占めていたような重要な位置を占めていた。これはまた、資本主義の発展における階級闘争の役割について重要な問題を提起する。例えば農民が地主に抵抗する階級闘争は、封建制の足枷を投げ捨てて商品生産を解放し、それによってイングランドの資本主義を促進したという議論に対して、何を言えるだろうか。この場合、次のように言う方が真実に近いだろう。つまり農民の慣習的権利の要求に反対する地主権力の主張によって資本主義は促進されたのだと。例えば、イギリス名誉革命は、ブルジョワジーと貴族との衝突でないことは確かである。しかしイギリス名誉革命が、議会において所有階級の権力を強化し、小規模地主に対立する大規模地主の利害を拡大し、従属的な階級のもつ慣習的権利に対する「改良」の立場を推し進めたことにより、フランス革命よりイギリス名誉革命のほうが、資本主義の促進や所有の資本主義的定義とより大きくかつより直接的に関わっていたのである。

2013年6月 3日 (月)

エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(7)

このような一般原則に対する重大な例外がイングランドと言える。他国に比べて相当まとまりのある軍事的政治的な統一体を形成し、中央集権化が進んでいた。交通インフラの整備などによりロンドンは国民的市場のちゅぅしんとなりつつあった。このような国民経済が出現した物質的基盤は、イングランドの農業にあった。イングランドの農業は、いくつかの点で他に類を見なかった。第一に、イングランドの支配階級は二つ関連する点で独自であった。一方でイングランドの支配階級は、ヨーロッパの如何なる貴族にも先んじて脱軍事化し、中央集権的な君主制と連合し次第に中央集権化する国家の一部となっていたため、封建制度及びその後継国家の特徴であった主権の細分化を経験することがなかった。国家が支配階級のために秩序の道具と財産の防衛者として奉仕していた一方で、貴族は、自律的な「経済外的」権力や「政治的に構成された所有」を大陸の貴族と同程度には保持していなかった。土地所有の集中が進み、かれらは大土地所有者でもあり、剰余を搾り取るための「経済外的」権力がたりないところを、増大する「経済的」権力で十二分に補ったのである。

この特徴的な結びつきは、重大な結果をもたらした。一方でイングランドの土地所有の集中は、並外れて大きな部分の土地が借地農によって耕されたことを意味した。他方で経済外的権力が比較的弱いため地主は、直接的、強制的手段によって借地農からより多くの地代を搾り取る能力に依存するのではなく、借地農の生産性に依存するようになった。このような枠組みにおかれた農業的な地主には、借地農を奨励して生産高を増大させようとする強力な動機が存在した。この点で彼らは、不労所得で生活する貴族とは根本的に異なっていた。借地農の側は、地主の直接的圧力に対してだけでなく、生産性を向上させるように強制する市場の命法に対してもますます従属するようになった。その地代は法律や慣習によらず市況によって定められた。借地権にも事実上の市場があった。借地農は消費者を求めて市場で競争するだけでなく、土地を利用するためにも市場で競争せざるを得なかった。借地保有権の保障は、現行地代の支払い能力に依存していたため、生産が競争力を失えば、即座に土地を失うことを意味した。他にも潜在的な借地農が同じ借地権をめぐって競争している状況下で経済的地代を支払うためには、借地農は、高い費用効果で生産しなければならず、失敗すれば所有剥奪の罰を受けた。所有関係システムの効果は、多くの農業生産者が、土地そのもの、つまり生産手段の利用についての市場に依存するようになったことである。この経済的地代の発達が、機会としての市場と命法としての市場との間の違いを説明する。この競争的な環境においては、生産力のある農業家は成功してその保有地も増える可能性があったが、他方あまり競争力のない生産者は破産して無所有階級の一員となった。したがって競争的な市場の力が、直接生産者の収奪における一つの主要な要因であった。地主、資本家的借地農、賃労働者の有名な三肢構造はその結果であり、賃労働の増加にともなって労働生産性の向上を求める圧力もまた増大した。この同じ過程が高い農業生産性を生み出して、農業生産に従事しない多くの人々を扶養することを可能にしたが、しかしこれが無所有大衆の増大を呼び起こし、大規模な賃労働人口と安価な消費財のための国内市場とを成立させた。これがイングランドの産業資本主義という構成隊の背景である。

次の点にも留意する必要がある。競争原理に基づいて機能する最初の市場としてボラニーが描写した完全な国民的市場はも他のどこよりも早くイングランドで発達した。重要な点は、競争的な国民的市場の発達は、資本主義及び市場主義の原因ではなく結果であったということである。統一された競争的な国民的市場の発展は、搾取様式と国家の本質における変化を反映していた。

 

イングランドの農業は、すでに16世紀に、少なくともある地域では、やがて経済全体を経済に純化させていく方向性を次第に明確にしていく諸条件の独特な組み合わせを示していた。その結果、歴史上に例を見ないほど生産的な農業部門が生まれた。地主も借地農も等しく、彼らの言う「改良」、つまり利潤のために土地の生産性を高めることに夢中になった。この改良という概念には、元来の意味は「より良くする」という一般的な意味だけではなく、貨幣的利潤のために何かをする、とくに利潤のために土地を耕すという意味でもあった。18世紀には、この改良は言葉の上でも行動の上でも本領を発揮した。近代初期においては、改良の概念において生産性と利潤は分かちがたく結びついており、その意味で改良概念は勃興する農業資本主義の見事なイデオロギー的総括である。改良は技術革新にまずもって依存していたわけではない。一般には、改良は農業技術の新たな展開や、古い技術のたんなる改良や加工という問題以上のものであった。より根本的には改良は、新しい所有形態及び所有概念を意味していた。起業家的な地主やその富裕な資本家的借地農にとって、改良された農業は、必ずというわけではないが理念としては、拡大され集中された土地所有を意味していた。確かにそれは、生産的な土地利用を妨げる古い慣習や慣例の撤廃を意味していた。16世紀から18世紀にかけて、資本家的蓄積の妨げとなる慣習的権利を無効とするための圧力が高まった。排他的な私有権を主張することによって、共有地に対する共同体的権利に異議を唱えること。私有地に対する多様な利用権を排除すること。これらのような場合において、伝統的な所有概念は、新たな資本主義的な所有概念に置き換えられる必要があった─たんに「私的」なだけではなく排他的な所有としてである。他の個人や共同体は、土地利用の村落的な規制や制限を除去することによって、つまり慣習的利用権を無効にすること等によって、排除される必要があった。

 

このとは、私たちを所有権の最も有名な再定義である囲い込みへと誘う。囲い込みは、土地を物理的に囲い込むかどうかには関係なく、多くの人々の生計手段であった共有的で慣習的利用権を消滅されることを意味していた。囲い込みの最初の大きな波は、16世紀に起こった。当時、大規模な土地所有者は、ますます儲かる牧羊事業のための放牧地として利用すれば大きな利潤を得ることのできる土地から、共有保有者を駆逐しようとした。

2013年6月 2日 (日)

エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(6)

第2部 資本主義の起源

第4章 資本主義の農業的起源

資本主義と都市を結び付けて考えるのは、西欧文化の中に最も深く根を下ろした伝統的考え方の一つである。資本主義は、都市で生まれ育ったと考えられている。すなわち、あらゆる都市は─通商貿易という特徴的な活動を伴いながら─最初から、まさにその本性からして潜在的に資本主義的であり、あらゆる都市文明が資本主義を生み出す前途に立ちはだかっていたのは、ただ外部の障害物だけであった。誤った宗教、誤った種類の国家、都市諸階級の活動を封じるその他のイデオロギー的、政治的、文化的な桎梏のみが、太古から─あるいは少なくとも技術が十分な剰余の生産を可能にして以来─すべての場所での資本主義の出現を妨げてきた。この見方によれば、西洋における資本主義の発展を説明するのは、西洋の都市およびその典型的な階級である「市民」やブルジョワが獲得した独自な自治である。言い換えれば、資本主義が西洋で出現した理由は、何かが存在していていたからというよりも、何かが欠けていたから、つまり都市の経済活動に対する束縛が欠けていたからであった。その条件の下では、資本主義の発展を引き起こして完全に成熟させるために必要とされたのは、時間の経過とともにほとんど不可避的に起こった量的成長だけであった。都市と資本主義との自然的な結合を想定する議論には、数多くの疑わしい点がある。その中でも最も重要な疑点は、資本主義を自然視する傾向である。それは、資本主義の独自性、始まりもあれば、おそらくは終わりもある歴史的に特殊な社会形態としての独自性を隠蔽する傾向のことである。このような想定やイデオロギー的な含意を矯正するには、次の点を認識することが、おそらく最も有益であろう。それは、資本主義が、蓄積と利潤の最大化というきわめて特異な推進力を備えているにもかかわらず、都市ではなく田園地帯において、非常に特殊な場所において、しかも人類史のごく最近になって生まれたという事実である。資本主義に必要だったのは、たんに取引や交換の拡張だけではなく、最も基本的な人間関係と人間活動における全面的な変化であり、自然と人間との相互作用の古来の様式からの断絶であった。

田園地帯の農民社会の特徴は、直接生産者が概して農民であったということである。この農民生産者は、生産手段とくに土地を保有していた、資本主義以前の社会がすべてそうであったように、この生産者は自己再生産のための手段を直接手に入れることができた。このことは、生産の剰余労働が搾取者によって領有される場合には、それがマルクスの言う「経済外的」手段によって─つまり地主や国家が彼らの上位の力である軍事的、司法的、政治的権力を特権的に利用しつつ行使する直接的な強制手段によって─行われたことを意味した。従ってこれが、資本主義以前のすべての社会と資本主義との基本的な違いである。

資本主義においてのみ、支配的な領有様式が法律上は自由な直接生産者の所有剥奪に基づいており、彼らの剰余労働か純粋に「経済的」手段によって領有されるのである。十分に発展した資本主義における直接生産者は無所有であるために、また彼らは生産手段や自己を再生産するための必需品を入手するために、自分自身の労働手段を入手するためにさえも、賃金と交換に自分の労働力を売らざるを得ないがために、資本家は直接的な強制なしで労働者の剰余労働を領有できるのである。生産者と領有者とのこのような特殊な関係は、もちろん「市場」によって媒介されている。資本主義における市場は、前例のない独自の機能を持っている。資本主義社会においては実質上すべてのものが、市場のために生産される商品である。そしてさらに根本的には、資本も労働も、自己の再生産の最も基本的な条件を完全に市場に依存している。労働者が自分の労働力を商品として売るために市場に依存しているのとまったく同様に、資本家は生産手段だけでなく労働力を買うために、また労働者によって生産された物やサービスを売って自らの利潤を実現するために、市場に依存している。このような市場依存は、資本主義社会において市場に前例のない役割を与えている。それは、たんなる交換や分配のメカニズムとしてだけではなく、社会的再生産の主な決定要因と規制要因としての役割である。市場が社会的再生産の決定要因として出現するためには、最も基本的な生活必需品である食料の生産に市場が浸透していくことが前提条件として必要であった。

市場依存というその特殊なシステムは、他のどんな生産様式にも見られない特殊な体制的要請や強制を伴っている。それは、競争、蓄積、利潤最大化の命法である。同様にこれらの命法が意味しているは、資本主義は、他のどんな社会形態にも見られない方法や規模で絶えず拡大することが可能であるとともに、そうせざるを得ないということである。資本主義は、絶えず蓄積し、絶えず新たな市場を求め、新たな生活領域と生活分野にその命法を絶えず押し付け、すべての人類と自然環境にその命法を絶えず押し付けることが可能であり、またそうせざるを得ない。

17世紀以降でさえ、ヨーロッパも含めて世界のほとんどは、ここで述べたような市場に駆り立てられる命法から自由であった。たしかに巨大な交易システムは存在していたし、地球中に拡大していた。しかしヨーロッパの重要な交易中心地にもイスラム社会やアジアの巨大な商業網にも、どこにも、とくに競争や蓄積の命法によって駆り立てられる経済活動や生産はなかった。どこでも交易の大原則は「安く買って高く売ること」であった。交易は海運業と同じで分離した市場の間の商業的な鞘取りという形態をとった。同じ市場において他人と直接競争しながらより費用効果の高い生産をすることによって利潤を得るような市場は存在しなかった。このような非資本主義的な交易原理は、非資本主義的な搾取様式と共存していた。

2013年6月 1日 (土)

エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(5)

ブレナーの議論は、資本主義の発展の中で都市と市場が果たした役割を詳しく解明しているわけではないにしても、直接生産者がどのようにして市場命法に従属するようになったのかを示すことによって、交易と市場の本性そのものが転換し、全く新しい経済的役割とシステムの論理を獲得していった経緯を説明している。これは産業化のずっと以前に起こり、その前提条件となったものである。言い換えれば、労働人口の大規模なプロレタリア化より以前に、市場命法が直接生産者に押し付けられたのである。市場の圧力が、政治的、法律的な介入という形での直接的な介入に支えられつつ、圧倒的多数の無所有者を生み出している時、市場命法は大量のプロレタリアートを生み出す一つの決定的な要因であった。

産業化を準備する時期にどのようにして市場の命法が確立されたかについて最も生き生きと描写してきたのは、EPトムソンである。彼の著作である『イギリス労働者階級の形成』においてはとくに、資本主義の発展はプロレタリア化の過程としてだけではなく、市場原理とそれに代わる実践や価値との間の激しい対決としても活写されている。「市場社会」の導入は、諸階級間の対決として登場する。それはつまり、市場の新しい経済学にその利害の表明を求める人々と、利潤の命法よりも生存権を優先させることによってそれに抗議する人々との間の対決である。この中の「搾取」と題された中心的な章でトムソンは、彼にとって産業資本主義の出現の枢軸的な契機となるものを概説している。相互に関連する二つの点が彼の分析の中では際立っている。第一の点は、転換期のタイミング、つまり新しい労働者階級の「形成」のタイミングである。彼の分析は、凄惨が転換して完全に産業化した時点より、この転換がかなり進行していた時点よりもずいぶん前で終わっている。それと関連する第二の点は、彼が根本的な連続性と思われるもののなかに転換を見ていることである。転換に直面した労働者は、それ以前の職人とほとんど変わりがないように思われるし、彼らの対抗的な文化も産業化以前の民衆的で古い伝統の中に深く根を下ろしている。トムソンにとっては、そうした労働者でさえ「新しい種類の人間」であり、新しい種類のプロレタリアートなのである。

トムソンの目的は、特殊資本主義的な搾取様式の結果を明らかにすることである。産業資本主義への移行期におけるそうした結果の中には、労働強化と労働規律の強化とが含まれていた。搾取を強化する推進力を生み出したのは、蒸気機関や工場制度の出現ではなくて、生産性と利潤とを増大させようとする資本主義的所有関係に固有の要請であった。そうした資本主義的命法は、労働の新しい形態にだけではなく、その伝統的な形態にも押し付けられた。そうした資本主義的命法は、労働の新しい形態にだけではなく、その伝統的な形態にも押し付けられた。つまり工場の職工だけではなく、産業化以前の生産にまだ従事していた職人にも押し付けられたのである。トムソンの議論によれば、「大規模で過酷な下請労働は、工場生産や蒸気機関と同じくらいに、この革命にとって本質的であった」。資本主義的命法と資本主義的搾取という共通の経験があったからこそ、さまざまな種類の労働者が階級組織に参加し、新しい種類の労働者階級文化を創造することになったのである。確かに、こうした命法が生産組織と労働者階級の性格とを転換させることになったのであって、工場制度は原因というよりも結果であった。ここでトムソンは、資本による労働の「形式的」包摂と「実質的」包摂というマルクスの区別に従っている。まず最初に、資本は伝統的な生産様式にまだ従事している労働者から剰余労働を取得した。この搾取様式は、資本主義的命法、つまり、競争と蓄積と言う命法を原動力としていたが、こうした命法は、最初、技術的な生産過程を変革しなかった。資本がとりわけその必要を満たすために、労働過程それ自体を変革するまでは─つまり資本主義が産業形態をとるまでは─資本主義は成熟しなかった、と言ってもよいかもしれない。

トムソンが説明しようとしていたのは、社会革命としての資本主義の確立であって、「産業化」とよばれるある中立的な技術過程ではない。彼は特に18世紀に関心を持っていたが、それは、所有関係の資本主義的な転換がかたまりつつある時期だったからであり、その転換がこれまでになく意識的で明白な新しい資本主義的イデオロギーの表現を伴って出現しつつある時期だったからである。それはまた、新しい経済原理がまだ支配的イデオロギーとして完全に形成されていない時期でもあった。このイデオロギーこそ市場の政治経済学であり、それが資本主義に対して最もラディカルに反対する人々の一部にさえ間もなく浸透することになったのである。当時のイングランドの市場は、慣習や共同体的な規制や生存権に関する期待などによってある程度まで支配された原理に従って、他人に買ってもらうために商品を売る物理的な場所であった。市場取引の透明性が、「自己規制的な」市場という謎、価格メカニズム、あらゆる共同体的な価値の利潤命法への従属によって置き換えられるにつれ、今や市場は共同体的な規制を超えた一つのメカニズムと化していった。

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