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2013年6月 2日 (日)

エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(6)

第2部 資本主義の起源

第4章 資本主義の農業的起源

資本主義と都市を結び付けて考えるのは、西欧文化の中に最も深く根を下ろした伝統的考え方の一つである。資本主義は、都市で生まれ育ったと考えられている。すなわち、あらゆる都市は─通商貿易という特徴的な活動を伴いながら─最初から、まさにその本性からして潜在的に資本主義的であり、あらゆる都市文明が資本主義を生み出す前途に立ちはだかっていたのは、ただ外部の障害物だけであった。誤った宗教、誤った種類の国家、都市諸階級の活動を封じるその他のイデオロギー的、政治的、文化的な桎梏のみが、太古から─あるいは少なくとも技術が十分な剰余の生産を可能にして以来─すべての場所での資本主義の出現を妨げてきた。この見方によれば、西洋における資本主義の発展を説明するのは、西洋の都市およびその典型的な階級である「市民」やブルジョワが獲得した独自な自治である。言い換えれば、資本主義が西洋で出現した理由は、何かが存在していていたからというよりも、何かが欠けていたから、つまり都市の経済活動に対する束縛が欠けていたからであった。その条件の下では、資本主義の発展を引き起こして完全に成熟させるために必要とされたのは、時間の経過とともにほとんど不可避的に起こった量的成長だけであった。都市と資本主義との自然的な結合を想定する議論には、数多くの疑わしい点がある。その中でも最も重要な疑点は、資本主義を自然視する傾向である。それは、資本主義の独自性、始まりもあれば、おそらくは終わりもある歴史的に特殊な社会形態としての独自性を隠蔽する傾向のことである。このような想定やイデオロギー的な含意を矯正するには、次の点を認識することが、おそらく最も有益であろう。それは、資本主義が、蓄積と利潤の最大化というきわめて特異な推進力を備えているにもかかわらず、都市ではなく田園地帯において、非常に特殊な場所において、しかも人類史のごく最近になって生まれたという事実である。資本主義に必要だったのは、たんに取引や交換の拡張だけではなく、最も基本的な人間関係と人間活動における全面的な変化であり、自然と人間との相互作用の古来の様式からの断絶であった。

田園地帯の農民社会の特徴は、直接生産者が概して農民であったということである。この農民生産者は、生産手段とくに土地を保有していた、資本主義以前の社会がすべてそうであったように、この生産者は自己再生産のための手段を直接手に入れることができた。このことは、生産の剰余労働が搾取者によって領有される場合には、それがマルクスの言う「経済外的」手段によって─つまり地主や国家が彼らの上位の力である軍事的、司法的、政治的権力を特権的に利用しつつ行使する直接的な強制手段によって─行われたことを意味した。従ってこれが、資本主義以前のすべての社会と資本主義との基本的な違いである。

資本主義においてのみ、支配的な領有様式が法律上は自由な直接生産者の所有剥奪に基づいており、彼らの剰余労働か純粋に「経済的」手段によって領有されるのである。十分に発展した資本主義における直接生産者は無所有であるために、また彼らは生産手段や自己を再生産するための必需品を入手するために、自分自身の労働手段を入手するためにさえも、賃金と交換に自分の労働力を売らざるを得ないがために、資本家は直接的な強制なしで労働者の剰余労働を領有できるのである。生産者と領有者とのこのような特殊な関係は、もちろん「市場」によって媒介されている。資本主義における市場は、前例のない独自の機能を持っている。資本主義社会においては実質上すべてのものが、市場のために生産される商品である。そしてさらに根本的には、資本も労働も、自己の再生産の最も基本的な条件を完全に市場に依存している。労働者が自分の労働力を商品として売るために市場に依存しているのとまったく同様に、資本家は生産手段だけでなく労働力を買うために、また労働者によって生産された物やサービスを売って自らの利潤を実現するために、市場に依存している。このような市場依存は、資本主義社会において市場に前例のない役割を与えている。それは、たんなる交換や分配のメカニズムとしてだけではなく、社会的再生産の主な決定要因と規制要因としての役割である。市場が社会的再生産の決定要因として出現するためには、最も基本的な生活必需品である食料の生産に市場が浸透していくことが前提条件として必要であった。

市場依存というその特殊なシステムは、他のどんな生産様式にも見られない特殊な体制的要請や強制を伴っている。それは、競争、蓄積、利潤最大化の命法である。同様にこれらの命法が意味しているは、資本主義は、他のどんな社会形態にも見られない方法や規模で絶えず拡大することが可能であるとともに、そうせざるを得ないということである。資本主義は、絶えず蓄積し、絶えず新たな市場を求め、新たな生活領域と生活分野にその命法を絶えず押し付け、すべての人類と自然環境にその命法を絶えず押し付けることが可能であり、またそうせざるを得ない。

17世紀以降でさえ、ヨーロッパも含めて世界のほとんどは、ここで述べたような市場に駆り立てられる命法から自由であった。たしかに巨大な交易システムは存在していたし、地球中に拡大していた。しかしヨーロッパの重要な交易中心地にもイスラム社会やアジアの巨大な商業網にも、どこにも、とくに競争や蓄積の命法によって駆り立てられる経済活動や生産はなかった。どこでも交易の大原則は「安く買って高く売ること」であった。交易は海運業と同じで分離した市場の間の商業的な鞘取りという形態をとった。同じ市場において他人と直接競争しながらより費用効果の高い生産をすることによって利潤を得るような市場は存在しなかった。このような非資本主義的な交易原理は、非資本主義的な搾取様式と共存していた。

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