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2013年6月 8日 (土)

「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス」展(1)

Ropezpos今週は大きなイベントである決算説明会が終わり、少し虚脱状態。年齢のゆえか、切り替えてシャキッとすることもできず、何となく身体がだるいような状態。周囲の人には申し訳ないけれど、ちょうどよく無料で収穫のありそうなセミナーがあったので、昼から都心に出て聴講、終わったら遅い時間になっていたので、帰りに行ってみた。地下鉄で向かった渋谷は、駅周辺の都市再開発が進んでいるとはいっても、猥雑で汚ない街の雰囲気は変わらない。辺境のエネルギーと流入する若年者たちによって活気があるのは確かだと思う。でも、感覚的に肌に合わないのか正直なところ、かと言って、BUNKAMURAのスノッブさもあまり好きでなく、ここの映画館やオーチャードホールというコンサートホールも肌に合わない。以前にも書いたことだけど、そのちぐはぐさを肯定的に受け止められるか、違和感を持ってしまうかによって変わって来るのだろうと思う。

思うに、アートとか芸術というのは、今の日本においては、身も蓋もない言い方をすればお金や権力を握っている、それほど多くない人々が好んでいる、あるいは好んでいるポーズをとっていることが有利であるということで、ある限られたパターンの作品をパトロネージュしていることで成り立っている嗜好品です。露悪的なものいいですが、商業的に利益を稼ぎ出している大衆的なサブカルチャーと言われるマンガなどに代表されるそれ自身で広い支持を得て莫大な売上に結びつくというものではありません。きちんと整理したロジックで説明することはできませんが、渋谷の雑踏のエネルギッシュは、大衆的な支持を広範に集めて成り立っているサブカルチャーと似ている、あるいは同根のように思えるところがあります。その精華というか中心のようなところと、そういうものに対して、明らかにマイナーで特別な保護が為されなければ生き残れないような日陰の花のような美術館とを一緒に置かれて、その違いを見せつけられてしまうと、何か僻みとか嫉みというようなネガティブな何ものかを抱いてしまうようなのです。私自身はお金も権力もないし、そういうものに寄生して生活を成り立たしめている実際と、嗜好の点でもそのようなものに擦り寄っているのか、という多少の何というのかネガティブ、とまでは行かないけれどアイロニーを感じてしまって、これは自分でもあまりいい気持ちがしないものです。何か分かりにくい文章ですね。それに、読んでいてあまり気持ちのいい文章ではないですね。
 Ropezcinema_2
 ところで、今回はアントニオ・ロペスの美術展です。現代スペイン・リアリズム巨匠ということで、映画『マルメロの陽光』に出ていたそうです。といっても、ビクトル・エリセという映画監督にピンとくる人は、それほど多くはないのでしょうか。フランス映画社の配給作品を熱心に見ているような人ならともかく。日本なら、ヨーロッパのアート系の映画監督という分類のされ方をされてしまうのでしょうか。けっして、そういう志向の監督ではないのですが。例えば、日本映画の小津安二郎とか溝口健二といった世界的な巨匠という評価が定着してしまった監督は、現役時代は映画会社の売上に貢献するような娯楽映画を作っていたのであって、それを後世の評論家や映画好きが尋常ではない凄い作品ということに祀り上げてしまったところがあると思います。ビクトル・エリセという監督もそれに近いところがあるように見えます。ヨーロッパの監督で言えば、ジャン・リュック・ゴダールとかロベール・ブレッソンとかロベルト・ロッセリーニとか、日本の映画ファンの間では、そういう名匠たちに連なるようなイメージでしょうか。私が、この人の作品みたのは30年くらい前に『ミツバチのささやき』という作品でしたが、それ以来『マルメロの陽光』も含めて2作しか劇場用の長編作品をつくっていない寡作なひとです。『マルメロの陽光』という映画は、画家が自宅の庭に植えられているマルメロの実がなったのを描こうと、キャンバスを張り、スケッチを始める姿と、その家の補修工事でアルジェリア人(?)の大工数人が工事をしている光景を淡々と映した作品で、とたててストーリーとか劇的な盛り上がりのない、映像詩に近いような作品です。正直言って、私がこれを数十年前に見たときに退屈しました。ただ、どうしてか忘れられない作品ではありました。これは、後で触れると思いますが、この映画をつくったビクトル・エリセという監督の映画の画面構成というのか空間の写し取り方と、このアントニオ・ロペスの空間の切り取り方がよく似ているような気がして、初めて『マルメロの陽光』という映画の見方が、今にして分ったような気がしたのも確かです。

肝心の、アントニオ・ロペスについて、未だ全然話していないですね。入口のところでひっかかってなかなか入れない感じです。美術展のタイトルが“現代スペイン・リアリズムの巨匠”とうたっていますが、私には、単なるリアリズムとは見えませんでした。では何なのか、ということで考えてみると、言葉がみつからず、作品をみながら「何なのだろうか」とずっと考えていました。目の前にあるものを写真のように描き写して見せたというのはないです。かといって、それを少しずらして幻想的な風景を見せるというのでもない、感覚的な色とか美学による美しさを追求したというような感覚的なものではなくて、もっと実体的なものです。かと言って、精神とか神秘とか言葉で考えたものを表現しようというような、例えば抽象芸術のような茫洋としたものでもない、そんなではなくもっと明晰で、形がはっきりしているのです。では、形とか、存在とかつきつめていったキュビスムとかセザンヌのようなものかというと、そういう突っ込んで遠くへ行ってしまったのではなくて、もっと近い所にある感じなのです。何なのか何なのか、今以って分かりません。そのためでしょうか、このようなブログで感想を語るには、この人はこういうものだというのを、語り易そうで、実は語りにくい作品なのです。この人のは。

しかし、ポスターに使われている『グランピア』という作品。これは油絵です。この画面で見ていただいただけで、凄いとしか言えないのです。で、実物を見たときは、この画面とは別のもので、しかし、凄いとしか言えなかった。凄いという言葉も便宜的に出て来たただけで、言葉を失ったというのが正しい。この作品についても、後で、個別の作品の感想の中で書いて行きたいと思います。ただし、今回は、今までの美術展と違って(実は今までもそうだったのですが)、言葉にできるか、やってみないと分からないのか正直なところです。

展示は下のようにカテゴライズされていました。恒例としてるパターンで、この展示に沿って書いて行きたいと思います。

故郷

家族

植物

マドリード

静物
 
室内

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