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2013年6月30日 (日)

村上隆「想像力なき日本─アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」」(4)

第4章 「正論の時代」における極論的人の育て方

今の世の中においては、100点満点中、5点や10点といった底辺付近で這うようにしているか、80点や85点あたりのところでそれなりの活躍をしているか、どちらかの人たちが増えています。底辺は向上心を持たずともそこに安住し、そこそこ上部の者は、「出る杭は打たれる」を懸念してそれ以上、上に行こうとしない。ほどほどに、自分を抑制している人が多いと考えられます。こうした状況は、社会全般だけでなくアート業界においても出現しています。それはそれで暮らしていける生態系が日本にあるからです。そんな中、真面目に作品を造る姿勢そのものが嘲笑される風潮があり、嘆かわしい限りです。高い志を持った人が笑われる時代。あきらめたり、自分を抑制したりするのではなく、目標は高くを持ってほしいし、そこに到達するためのヒントを掴んでほしい。

すべてが正論という名の当たり障りのないところに収斂していき、極論がなくなってしまえば世の中は本当につまらないものになってしまいます。それでは個性的な人間を育てていくことも出来なくなります。今の世の中においては「人に怒られる」「結果につながらない努力にエネルギーを使う」というようなことのすべてが理不尽とみなされ、それを排除しようとする傾向も見られます。しかし実際のところ、社会は理不尽に満ちています。だからこそ、こうした微温湯の特殊環境で育つことが普通とみなされ、「理不尽な目に遭うのはおかしい」ということが正論になる逆転現象が起きているわけです。アート業界のようなクリエイティブな現場においては、その正論が邪魔になります。正論の中で生き、「正論の中でものづくり」をしようとするならば、深部の才能までは発揮されなくなってしまうからです。この世界においてはむしろ、どれだけの理不尽な目に遭い、それを抱え持てるかが問われてきます。そうしたものを十字架として背負い、それを作品に反映させていくのが特殊職業である芸術家の仕事です。

芸術家志向の若い人たちは、アート業界では、社会との関係性等は考える必要もなく、自分の主張をどこまでも押し通して行けると考えがちですが、それはまったくの誤解です。ここまでにも書いてきたように、この世界で生きていく上では、一般社会以上に大きな理不尽を背負っていかなければならないからです。

組織や社会の一員であれば、本当の意味での理不尽な要求を、思っても見なかったタイミングで突きつけられることもあるはずです。たとえばエンターテイメントビジネスではその傾向が強いと思いますが、常に変化している世相を読み解きながら、自ら変化していかなければ生き残ることはできません。そのため、ある朝、経営者がやってきて、それまで絶対だとされていた方針を180度変えてしまう場合もあるわけです。常識的な対応をしているだけでは間に合わず、それだけのフレキシビリティが求められるようになっているからです。そういう要求を突きつけられたときは愕然とすることもあるかもしれませんが、突然の方向転換に対しても、すぐに対応できるのが組織での正義ですし、嫌なら辞めればいいだけの話です。しかも現代の日本は、労働者には有利で、雇用する側には不利になっているのでやめることは本当に簡単な筈です。上から出された指示が明らかに間違いであり、それを指摘できる関係性であったなら話は別です。そういうときには議論の余地はあるでしょう。しかし、出された指示に疑問を挟む余地もないのなら、どんなに手間になっても従うだけです。

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