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2013年6月26日 (水)

村上隆「想像力なき日本─アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」」(1)

今の若い人たちの労働力低下の複合的な原因のひとつに「アイデンティティを持たないことが正義である」というような哲学が彼らの中に浸透していることがあります。戦後日本の借り物の民主主義の中では、みんなが平等だというお約束のもとで、競争という言葉を排除するようにしてきていました。独立心を持たない国・日本が、馴れ合いの社会をよしとしてきたために、そうしたマインドセットが作られていったのです。個人のマインドセットには思考様式や思い込み、企業のマインドセットには組織構成や戦略と言った要素が含まれますが、馴れ合い的なそれらをひとつひとつ解体していくことでしか、世界と勝負していくための力は生み出せないと思います。

競争という言葉を排除してきた日本のビジネスは、勝つことへのこだわりが薄いともいえます。アートの世界でもそうですが、「描きたいものを自由に描けばいい」と教えられ、その枠内で創作を続けている人がほとんどです。しかし、そういう人たちは結局、趣味の域を抜け出せずにその創作活動を終えるだけです。アート業界で生きていくなら、この世界のルールを一から十まで把握した上で、しっかりとターゲットを絞り、“ターゲットに向かって弾を撃つ”というやり方をしなければ勝てません。今の日本のマインドセットは「ただ撃てばいい」「そうしていればそのうち当たるかもしれない」というスタンスを浸透させてしまいました。その部分を見直していかなければ、個人としても組織としても、将来に可能性を見出せるわけがないのです。アーティストとして何より求められるのは、デッサン力やセンスの技術ではなく「執念」です。“尋常ではないほどの執着力”を持ち、何があっても“やり通す覚悟”があるならば成功できます。それがなければ成功できるはずがないという図式は、はっきりとしています。そこに疑問を差し挟む余地などはなく、それがすべてなのです。

第1章 アート業界で生きていくということ

「アーティストは、社会のヒエラルキーの中では最下層に位置する存在である。その自覚がなければ、この世界ではやっていけない」アーティストを目指す人間であるなら、まずはこのことを知っておくべきです。

スタッフに対してぼくが最初に行っているのは、ペインティングのレッスンなどではなく挨拶のレッスンです。挨拶も満足にできない人間は、組織の中で生き残っていくことも、アートの世界で生き残っていくことも絶対にできません。そういう部分では“企業の論理”と共通するところも多いのだと思います。実を言うとアートの世界は、一般の企業にもまして、こうした部分を徹底していかなければならない世界です。アート業界はご機嫌取りとは無縁の世界だと考えているのだとすればまったくの誤解です。むしろ“どれだけうまくご機嫌取りが出来るかが問われる世界”です。そんな世界で成功するには、そのための方法があります。その第一歩が、覚悟を持ち、ちゃんと挨拶のできる人間になることです。それはただの道徳教育などではなく“成功するための道筋”です。

自由民主主義とは宗教のようなものであり、“ドリーム・カム・トゥルーという方便”は、その宗教の教義として必要とされていました。不平等と思われる環境のもとで生きている人達にそんな妄想を与えることで社会についてこさせていたわけです。しかし、アメリカ型経済も崩壊し、その教義も不確定なものとなった現在、いつまでもそんな妄想や幻想にしがみついていても仕方がありません。芸術にしても、自由民主主義に付随する資本主義のもとで成り立っていたものです。

現代美術の場合は特にそうです。芸術には「大衆芸術」と「純粋芸術」があり、現代美術は純粋芸術に属します。その意味もよく考えてみるべきです。純粋芸術といえば、ヒエラルキーの上位に位置するジャンルのように感じられるかもしれませんが、まったく違います。わかりやすく単純化していえば、顧客が大金持ちだということです。芸術作品は自己満足の世界で作られるものではありません。営業をしてでも、売らなければならないものです。そのためには価値観の違いを乗り越えてでも、相手、顧客に理解してもらう「客観性」が求められます。その部分が日本のアーティスト志向の人たちの意識からは決定的に欠落しています。現代芸術が、純粋芸術である以上、客は大衆ではないのです。

顧客との関係性において、ぼくたちアーティストは常に“下からお伺いを立てる立場”にあります。「いつか自分の作品がわかってもらえる日が来ればいい」と夢想していても、その人の目の黒いうちにその日が来ることはほぼあり得ません。理解してもらうには、ただただ歩み寄る。そうすることに疑問を抱かないのが、絶対的最下層にいる人間の生き方です。いつか世間に見直してもらえるといった考えを捨てることこそが、芸術家として身を立てる第一歩、成功するための仕事術の第一歩になるのです。

日本には、ぼくを嫌う人も多いのですが、その理由はよくわかっています。要するに、日本人的な感覚ではいかにも嫌われるような方法論で仕事をしているからです。たとえば、ある病気によく効くクスリがあったと仮定しましょう。そのクスリは、日本人や東洋人には一粒で効くのに、西洋人の場合は二粒飲まないと効かないものだったとします。そういう事実を調べず、誰に対しても「一粒飲めばいい。それで効かないものなら知らない」と通してしまうのは、ぼくの流儀ではありません。その差をよく調べ、把握しておいた上で、西洋人へは二粒用意する。そんなやり方を続けています。つまり、自分の流儀を押し付けようとするのではなく、「まず相手ありき」という考えで、仕事に臨んでいるわけです。

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