丸川知雄「チャイニーズ・ドリーム」(6)
第5章 中国経済と大衆資本主義
本書のように民間企業が中国経済の成長の原動力だ、と考えている人は多くはなく、中国の経済体制を特徴付ける言葉として一般的なのは「国家資本主義」である。このような概念に共通する問題は、「国家」とか「官製」といった修飾語の方に力点があり、中国の「資本主義」としての側面を見過ごしていることである。たしかに、中国が一般の資本主義国家よりも国家の関与が相当強いことを裏付ける証拠は色々ある。だが同時に、国家の関与が次第に弱まっていく傾向にあることを示すデータのまた数多く存在する。
大衆資本主義とは、金融資産や人的資本を一般の国民に比べてきわだって多く所有しているとは言い難い人々が起業して資本家を目指すプロセスが同時かつ大量に起きる現象である。ここで「大量」と言った場合、企業の数を数える範囲をどのようにとるかが問題である。ひとつの国全体で見れば、どの国であれ、およそ市場経済国であれば大衆的な企業家がたえず大量に誕生していることであろう。そうした状況を大衆資本主義と呼んで差し支えないと考えているが、本書で取り上げたのはより限定された範囲、すなわち一つの産業、特定の地域である。特定産業・特定地域で同時期に大量の起業が起きた方が、大衆資本主義のインパクトより強いが、そういう場合のみを大衆資本主義と定義するわけではない。ただ、いずれにせよ国全体・全産業という広い範囲よりも、ある程度限定された地域や産業のなかで大量の起業が発生する状況のほうがより大衆資本主義的である。というのは、リスクに対する保険となる金融資産をあまり持たない人が、あえて起業というリスクのある行為に踏み切る上で、模倣や競争などの相互の刺激が不可欠であるからである。分かり易い言葉で言い換えれば、お金もないのに起業するのは失敗した時のリスクが大きいが、そんな人でも周りにつられて起業に踏み切ってしまうような状況こそが典型的な大衆資本主義と考えるのである。また、産業のライフサイクルを生成期、成長期、成熟期、衰退期の段階に分けた場合、大量の参入が起きるのは、製品の標準化が進み、価格が低下し、需要が拡大していく成長期であることは容易に推測できる。
こうしてみると、大衆資本主義は中国特有の現象ではなく、一つの産業の成長期、あるいは資本主義の勃興期には広く見られる現象であるかもしれない。例えば、日本の経済史を見渡した中で中国の大衆資本主義に近いと思われるのが20世紀の浜松である。19世紀末に織機を開発して今日のトヨタ自動車グループを創設した豊田佐吉や、20世紀初頭に同じく織機を開発して今日のスズキを創業した鈴木道雄、19世紀末にオルガンを国産化して今日のヤマハを創業した山葉寅楠など、いずれも大工や機械修理工などから技能を生かして創業したもので、出自は太守に近いレベルだった。さらに戦後、オートバイ産業が勃興し、本田技研工業を創設したオートバイの生産を始めた本田宗一郎をはじめ、スズキやヤマハが異業種参入したほか、工作機械メーカー、自動車修理業者、タクシー業者等がこぞって参入した。一つの産業が儲かりそうだとなれば、次々と新規参入が起き、激しい競争を展開する姿はいかにも大衆資本主義的である。
ただ、中国の「大衆資本主義」には、これまで世界の経済史の中で発生した同様の現象にはない独自の部分があるからである。それは同時に中国の大衆資本主義が過去の類似の現象とは比較にならないほど規模が大きく、その展開も早い点である。一つの産業に参入する企業の数がこれほど多くなるというのは、中国という国の人口規模が大きいために、国内市場が多く企業の存在を許容しうるほど大きいことである程度説明がつく。しかし、中国の場合、企業数の多さはむしろ供給側の要因、端的に言って独立した起業家になりたい人が多いという事情によっても規定されている。また、展開の速さも際立っている。スピードの速さもさることながら、誰かが設計したというわけでもないのに、大衆資本主義のなかでの役割分化が起きて、既存の企業の事業活動がより円滑に遂行でき、かつ新しい企業も参入しやすくなるような生態系が形成されるという展開の速さが中国の大衆資本主義に独特の特徴である。
今の浜松は大衆資本主義の面影をあまり止めていない。生き残ったオートバイ会社は世界的な大企業になった。浜松の大衆資本主義時代は終わり、成熟した企業によって地域経済が支えられる時代になったと言えるかもしれない。
産業のライフサイクル論から言えば、中国で大衆資本主義の渦に巻き込まれた産業も、成長期から成熟期に移行するにつれて新規参入は減り、競争の中で多くの企業が淘汰されて少数の有力な企業が生き残る構造に変化する可能性がある。中国の各産業でも大衆資本主義家たちの中から有力な企業数社が生き残り、それらが活力を維持できるのであれば、それは大衆資本主義からの「卒業」のあり方として理想的である。だが、中国の大衆資本主義がそうした円満な卒業のへ向かうのか、必ずしも楽観はできない。
日本は世界の中でも新規開業が極めて低調な国である。多くの産業がすでに成熟しており大企業を中心とする秩序が確立している。人口が減少局面に入るとともに高齢化も進み、これから成長期を迎えるような産業がなかなか見いだしがたい状況である。そうした環境の中にある日本企業の経営行動も大衆資本主義とは対照的である。日本企業が短期の利潤最大化よりも企業の長期的な発展を重視しているとはつとに指摘されるところである。経営のスピード感に欠けているという指摘もよく聞くが、それは他方で、慎重な検討を経ていったん決めた事業は、たとえ状況が変化しても容易にあきらめず粘り強く綴れるという姿勢にもつながっている。経営のスピード感には優れているが、事業の持続性ということをどれぐらい真剣に考えているか疑問視される中国の民間企業とは対照的である。事業に向かう姿勢の違いも興味深い。中国企業は理念が先行しており、周到なる戦略の構築を経てその事業を選択したのに対して、日本企業は経験重視で、新分野に入る際もまずはパイロット的な事業をやってみて、その結果をみて徐々に拡大していこうとしているようだが、到達目標をどこに置いているのか定かではない。
現在の日本は創業が極めて低調である。中国の大衆資本主義の観察から助言するとすれば次のようになる。第一に、企業の失敗を恐れてはいけないし、周りも寛容であるべきだ、ということである。第二に、模倣や競争をさけることはない、ということである。中国の大衆資本家たちを見ていると、創業の時にきわめて独創的なアイディアや特徴を持っていた企業は稀である一方、周りを真似し、周りと競争した人はきわめて多い。差別化、独創性、コア・コンピタンスといったことは競争にもまれる中で徐々に産み出されてきている。彼らをみていると起業をそんな難しく考える必要はない。最初は人まねでもいいじゃないかと思えてくる。大衆資本主義はもっとも原初的な資本主義の姿かもしれないが、この原点を忘れてしまったら資本主義の活力は失われてしまう。日本の草の根資本家たちの奮起も期待している。
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