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2013年6月 3日 (月)

エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(7)

このような一般原則に対する重大な例外がイングランドと言える。他国に比べて相当まとまりのある軍事的政治的な統一体を形成し、中央集権化が進んでいた。交通インフラの整備などによりロンドンは国民的市場のちゅぅしんとなりつつあった。このような国民経済が出現した物質的基盤は、イングランドの農業にあった。イングランドの農業は、いくつかの点で他に類を見なかった。第一に、イングランドの支配階級は二つ関連する点で独自であった。一方でイングランドの支配階級は、ヨーロッパの如何なる貴族にも先んじて脱軍事化し、中央集権的な君主制と連合し次第に中央集権化する国家の一部となっていたため、封建制度及びその後継国家の特徴であった主権の細分化を経験することがなかった。国家が支配階級のために秩序の道具と財産の防衛者として奉仕していた一方で、貴族は、自律的な「経済外的」権力や「政治的に構成された所有」を大陸の貴族と同程度には保持していなかった。土地所有の集中が進み、かれらは大土地所有者でもあり、剰余を搾り取るための「経済外的」権力がたりないところを、増大する「経済的」権力で十二分に補ったのである。

この特徴的な結びつきは、重大な結果をもたらした。一方でイングランドの土地所有の集中は、並外れて大きな部分の土地が借地農によって耕されたことを意味した。他方で経済外的権力が比較的弱いため地主は、直接的、強制的手段によって借地農からより多くの地代を搾り取る能力に依存するのではなく、借地農の生産性に依存するようになった。このような枠組みにおかれた農業的な地主には、借地農を奨励して生産高を増大させようとする強力な動機が存在した。この点で彼らは、不労所得で生活する貴族とは根本的に異なっていた。借地農の側は、地主の直接的圧力に対してだけでなく、生産性を向上させるように強制する市場の命法に対してもますます従属するようになった。その地代は法律や慣習によらず市況によって定められた。借地権にも事実上の市場があった。借地農は消費者を求めて市場で競争するだけでなく、土地を利用するためにも市場で競争せざるを得なかった。借地保有権の保障は、現行地代の支払い能力に依存していたため、生産が競争力を失えば、即座に土地を失うことを意味した。他にも潜在的な借地農が同じ借地権をめぐって競争している状況下で経済的地代を支払うためには、借地農は、高い費用効果で生産しなければならず、失敗すれば所有剥奪の罰を受けた。所有関係システムの効果は、多くの農業生産者が、土地そのもの、つまり生産手段の利用についての市場に依存するようになったことである。この経済的地代の発達が、機会としての市場と命法としての市場との間の違いを説明する。この競争的な環境においては、生産力のある農業家は成功してその保有地も増える可能性があったが、他方あまり競争力のない生産者は破産して無所有階級の一員となった。したがって競争的な市場の力が、直接生産者の収奪における一つの主要な要因であった。地主、資本家的借地農、賃労働者の有名な三肢構造はその結果であり、賃労働の増加にともなって労働生産性の向上を求める圧力もまた増大した。この同じ過程が高い農業生産性を生み出して、農業生産に従事しない多くの人々を扶養することを可能にしたが、しかしこれが無所有大衆の増大を呼び起こし、大規模な賃労働人口と安価な消費財のための国内市場とを成立させた。これがイングランドの産業資本主義という構成隊の背景である。

次の点にも留意する必要がある。競争原理に基づいて機能する最初の市場としてボラニーが描写した完全な国民的市場はも他のどこよりも早くイングランドで発達した。重要な点は、競争的な国民的市場の発達は、資本主義及び市場主義の原因ではなく結果であったということである。統一された競争的な国民的市場の発展は、搾取様式と国家の本質における変化を反映していた。

 

イングランドの農業は、すでに16世紀に、少なくともある地域では、やがて経済全体を経済に純化させていく方向性を次第に明確にしていく諸条件の独特な組み合わせを示していた。その結果、歴史上に例を見ないほど生産的な農業部門が生まれた。地主も借地農も等しく、彼らの言う「改良」、つまり利潤のために土地の生産性を高めることに夢中になった。この改良という概念には、元来の意味は「より良くする」という一般的な意味だけではなく、貨幣的利潤のために何かをする、とくに利潤のために土地を耕すという意味でもあった。18世紀には、この改良は言葉の上でも行動の上でも本領を発揮した。近代初期においては、改良の概念において生産性と利潤は分かちがたく結びついており、その意味で改良概念は勃興する農業資本主義の見事なイデオロギー的総括である。改良は技術革新にまずもって依存していたわけではない。一般には、改良は農業技術の新たな展開や、古い技術のたんなる改良や加工という問題以上のものであった。より根本的には改良は、新しい所有形態及び所有概念を意味していた。起業家的な地主やその富裕な資本家的借地農にとって、改良された農業は、必ずというわけではないが理念としては、拡大され集中された土地所有を意味していた。確かにそれは、生産的な土地利用を妨げる古い慣習や慣例の撤廃を意味していた。16世紀から18世紀にかけて、資本家的蓄積の妨げとなる慣習的権利を無効とするための圧力が高まった。排他的な私有権を主張することによって、共有地に対する共同体的権利に異議を唱えること。私有地に対する多様な利用権を排除すること。これらのような場合において、伝統的な所有概念は、新たな資本主義的な所有概念に置き換えられる必要があった─たんに「私的」なだけではなく排他的な所有としてである。他の個人や共同体は、土地利用の村落的な規制や制限を除去することによって、つまり慣習的利用権を無効にすること等によって、排除される必要があった。

 

このとは、私たちを所有権の最も有名な再定義である囲い込みへと誘う。囲い込みは、土地を物理的に囲い込むかどうかには関係なく、多くの人々の生計手段であった共有的で慣習的利用権を消滅されることを意味していた。囲い込みの最初の大きな波は、16世紀に起こった。当時、大規模な土地所有者は、ますます儲かる牧羊事業のための放牧地として利用すれば大きな利潤を得ることのできる土地から、共有保有者を駆逐しようとした。

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