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2013年6月27日 (木)

村上隆「想像力なき日本─アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」」(2)

第2章 成功するための「修行(トレーニング)」と「仕事術(ワークスタイル)」

芸術家を目指すうえで大切なのは、芸術家とはアスリートなのだということをよく理解しておくことです。頭でばかりものを考えようとするのではなく、石膏デッサンでもなんでも、できるだけ身体を動かすようにしている方がいいからです。要するに、アスリートの筋力アップトレーニングや素振りと変わらないように、石膏デッサンをしたり、描いて描いて描きまくるようにするなど、筋力とスピードの増強に努めるのがいいわけです。そしてまた、本気でアーティストを目指そうとしている若い人たちに対しては、「寝るな!」とも言います。それはある意味、宗教における洗脳の方法とも似ているのかもしれません。ろくに睡眠をとらない日々を続けて、どれだけ眠くて意識が朦朧としていていつも絵を描き続ける。そういう生活を三年ほど続けていると、絵を描くことなんてしたくは無くなります。そのときに本当にことを続けていくのかと自問自答する。そこで「続けていく」という答えを見つけられたなら、そのときはじめて芸術を生涯の生業として考える資格が得られます。それができないような人たちは、いずれやめていくことになるわけです。

「ものづくりとは何か?」という問いにひと言で答えるとすれば、インスピレーションです。“インスピレーションをどのように湧かせて、それをキャッチするか”それにすべてがかかっているといってもいいでしょう。それに較べれば、絵がうまいか下手かといった問題は、はるかに小さなことです。それを、ただ待っているのではなく、そのための努力をしなければならないわけです。その方法論は人それぞれに違ってきます。そこで大切になるのは「徒労」です。労力を惜しまず、そのインスピレーションを得るための努力を続け、ムダなことや理不尽なことにぶつかるのも当然だと考え、それをします。それをやることに科学的な根拠があるのかなどとは考えずにそれを続ける。持続する粘着性があるからこそそれができていて、それを成功に結び付けられます。《傑作の域に入るためには、精神の不断の緊張を必要とする》という魯山人の言葉は、いかにしてインスピレーションが湧く瞬間を待つかということも意味しています。また、不断の緊張を保つことともに大切なのは、できるだけ頭をリラックスさせておくことです。両者は相容れないことだと思われるかもしれませんが、それを両立させるバランス感覚が大切です。つまり、ぼくらの世界でのトレーニングですべきことは、この部分、バランスの真ん中に立つということなのです。

以前にぼくは「美大教育の構造悪」という表現を使っていたこともあります。そこで指摘したかった根源的な問題もそんなところにあるのかもしれません。多くの美大では“自由闊達な活動をして、信じる道を行けばいい”というような方針が示されますが、本当の意味でそれができる学生はほとんどいません。実際のところ、情報量が少ない中、二つの選択肢のうちからひとつを選ぶことくらいにとどまりがちです。そもそも美大への合格を目指す予備校では、受験のための絵の描き方が教えられます。それはつまり、傾向と対策にもとづいた合格のためのスキルです。そういうスキルの教育を受けてたどり着いたばかりの美大生たちが、突然、自由にしなさいと言われたならどうでしょうか。何をどうすればいいかがまるで分らなくても責められません。それで結局、彼らは、与えられた自由によってA先生かB先生のどちらかを選ぶといった程度の選択をします。

美大教育の中では「ご機嫌を取ることの重要性」が教えられることは全くありません。逆にアーティストは社会から祝福されるべき人間であると洗脳されているのです。芸術の世界において人のご機嫌をとる必要などないと認識されているようですが、それでは“生きていく場”が得られるはずがありません。ご機嫌取りの発想を持たないということはつまり、相手の感情を顧みず、自分の欲望に忠実すぎる人たちが増えているということです。そんな姿勢で仕事に臨んでいる限り、目の前の仕事に真剣に向かい合っているとは言えないはずです。そういう人たちは“社会における最大の効果”を考えながら作業をしていく仕事には向かないとも言い切れます。自分の作った作品が自分自身に向けられているばかりで、世間で発揮する効果を考えていないものであったとすれば、それはただのマスターベーションに過ぎません。そういう創作は閉じられた世界の中で完結していくしかないのであり、ビジネスに結び付けようと考えるのは無理な話です。作品を制作するうえでも、その作品を発表するために社会との接点を持つうえでも、ひとのご機嫌をとるという発想は、重要視されていいはずです。一枚の絵を描くときにも、どうすれば最大限の効果を発揮させられるかを考えるのは当たり前の行為です。

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コメント

寝るなとは厳しいですね・・・(笑)でもそこまでの覚悟があるのか、という事なのでようね。単に好きだけではなく、作者が身を持って感じた、芸術で食べていく為のサバイバル術、という感じで読むと本当に勉強になる本ですね。レビュー、興味深く読んでおります。正直、やや嬉しいです、興味がある分野なので

poemさん、コメントありがとうございます。芸術とかいっても近代以前の美術や音楽は王室や貴族のお抱えの使用人の一種として、庭師や料理人と同じようなものだったといえるので、芸術とかアートというのは19~20世紀の欧米とその文化的な支配下というローカルに限定された特殊なものだということを、村上さんは認識して、ビジネスで言うマーケティング、そのうえで飯を食っていけることを考えるという、私からみれば、まっとうな生活人として議論をしているように見えます。

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