丸川知雄「チャイニーズ・ドリーム」(5)
第4章 大衆資本主義がもたらす創造と破壊
ゲリラ携帯電話産業、太陽電池産業に共通していることは、一つの産業が中国の草の根資本家たちの目に止まり、それが大衆資本主義に巻き込まれることでその産業が中国政府はおろか、当の草の根資本家たち自身にも全く思いがけない方向に発展していったことである。
中国政府は国有大企業を先導役とする秩序ある産業発展を望んでおり、小企業が乱立することをもっとも恐れている。それゆえ、石油・天然ガス、鉄道輸送や航空輸送、自動車産業などいろいろな産業で、さまざまな理由をつけて民間企業や中小企業の参入を厳しく規制している。運良くそうした規制にほころびが生じたり、もともと規制が空白だったところに大衆資本家たちが殺到する。草の根資本家たちは自分の営利のみを追求し、事業の社会的結果をかえりみない。その結果、一つの産業が全く予想もしなかったような成長を遂げる一方、いろいろなインパクトを社会に対して与えることもある。太陽電池産業は現在は過剰生産能力を抱えて苦しんでるとは言え、何社かの有力な企業ができ、中国が地球環境問題に積極的に取り組む姿勢を示すことができる産業なので、中国政府は結果オーライだったと考えている。だが、そんな幸運なケースは必ずしも多くない。大衆資本主義は政府の規制がほころんだところで発展するものだけに、政府の統制が利かず、思いがけない影響を及ぼしてしまう。
1990年代半ばまで、中国の自転車産業は国有企業、それも3大メーカーが市場をほぼ独占していたが、1990年代末に経営が悪化し、相次いで破たんする。この時、固有メーカーをリストラされた従業員たちの多くが、かつての拠点である天津市郊外の民間企業にスカウトされたり、自ら起業したりして、大量の自転車メーカーや部品メーカーが天津市郊外に誕生した。こうして、天津の自転車産業は、十年ほどの間に垂直統合的な公有企業一社の態勢から、1000社以上の民間企業による垂直分裂的な産業集積へと変貌した。
以上のような自転車産業の主役の交代と平行して、世界の自転車産業の中での中国のポジションも大きく変化した。1980年代末まで中国の自転車生産は国内の需要を満たすのが精一杯で、輸出は生産の一割以下だった。だが、台湾や日本からの企業進出、そして民営メーカーの発展によって、中国の自転車産業は輸出産業として大きく成長し、世界の自転車生産の7割を占めるまでに至った。
このように多数の民間企業が支える産業構造は自転車産業には適合的と言える。なぜなら、自転車は標準化された部品を組み立てて作られるものであり、部品は各メーカーで共通している部分が多く、しかも、部品を大量生産するメリットが大きいからである。また、自転車の組立は労働集約的な作業であり、大掛かりな装置を必要としないので、大量生産のメリットが部品生産ほどには顕著ではない。だかに、自転車組立メーカー自社で使う部品生産を囲い込むような態勢では部品の量産効果が発揮できず、コスト競争で不利になってしまう。それよりも、部品を大量生産する専門の部品メーカーから買った方が有利だし、部品メーカーどうしを競わせて価格と品質において最も優れたものを選んだ方がよい。ただ、部品を外部から購入した方が安くなる反面、他の自転車メーカーと同じ部品を使ったのでは製品差別化ができないので、各メーカーの製品が同質化し、薄利多売の競争になる可能性が大きい。だから企業によっては部品の量産効果をある程度犠牲にしてでも社内で他社と差別化できるような部品を作り、それによって自転車の差別化を目指す企業もある。
これと同じような構造変化は1970年代の日本の自転車産業でも起きていた。日本のブランドメーカーは中国の国有メーカーのような破綻には至らずに、幼児乗せ自転車や電動アシスト自転車など中国産の安価な自転車とは差別化でき、かつ無実用的な自転車の市場を日本で新たに開拓することに成功したからだと思われる。とくに電動アシスト自転車は少数のブランドメーカーが圧倒的な競争力を持っている。それは電動アシスト自転車の製造が旧来のペダル式自転車より格段に高度な技術を必要とすることに由来する。自転車をモーターで駆動するだけのものであれば、日本の道路交通法では「原動機付き自転車」と見なされてしまうので免許を取らなくてはならなくなる。運転免許を必要としない範囲内で楽に乗れるというコンセプトで作られたのが電動アシスト自転車といえる。そこで特殊な技術が使われている。
中国でも電動自転車が作られてヒット商品となったが、電動アシスト自転車とは似て非なるものである。中国でも、日本の道交法と同じような規制は存在し、免許が必要なオートバイと、不要な軽車両を区別しているので、電動自転車は最高速度を制限する機能を持つことでオートバイと見なされないようにしている。しかし、中国の規制当局の監視は日本ほど厳しくはなく、最高速度を制限するメカニズムは見せかけだけで、それでも規制当局は軽車両と認めてくれるので、出荷時にこの制限機能が解除されることが多い。そして、このことが電動自転車を「免許なしで乗れるオートバイ」として大ヒットした鍵と言える。電動自転車というのは、法令や規制を気にしない中国の民間企業の試行錯誤の中からたまたま見つかった商品であり、そのメーカーの姿勢は世界の低所得者たちのために、法的にはグレーだが安価な携帯電話を作っているゲリラ携帯電話メーカーたちとも重なるところがある。日本の電動アシスト自転車にヒントを得つつも、それにキャッチアップしようとするのではなく、自国の社会環境と需要とに合わせて技術を別の方向に発展させた点で、中国の電動自転車はキャッチダウン型イノベーションの典型である。
一方、レアアースの分野でも、中国は大衆資本主義の力によって世界で圧倒的に高いシェアを獲得した。中国が世界一のレアアース生産国になった理由のひとつは国内に豊富な資源があるからだが、実はそれだけではない。中国のレアアース埋蔵量は世界の23%手背しかない。ということは中国の生産量は埋蔵量に比べて不釣り合いに多いということである。1990年代後半から中国のレアアース生産量が急速に伸び、しかも他を圧倒する低価格で輸出された。そのため、それまで世界最大のレアアース生産国だったアメリカでは採掘を中止し、その他の国でも生産を縮小し、中国が世界のレアアース生産のほとんどを占めるに至ったのである。その理由は、第一に採掘が比較的容易な資源が国内に存在すること、第二にレアアースの採掘と精製に多数の民間資本が参入したことによる。1990年代前半に「原地浸鉱」という採掘法が開発され、特殊な技術も大掛かりな設備も必要とせず、レアアースを含む山を借りれば簡単に始められ、初期投資もそれほど多額でなくて済むので、大勢の大衆資本家が投資してレアアース鉱山が乱立した。民間資本がレアアースの採掘や精製に殺到したことで中国のレアアース生産は大きく伸び、かつその価格も安くなった。日本では中国が世界のレアアース鉱山を生産停止に追い込んだ、と見る向きもあるが、中国の出の報道を追う限りそのような政略は感じられず、むしろ民間資本の暴走を抑えられず図らずも安値攻勢をしてしまった、というのか実態のようである。
中国政府は、この規制を政策として進めようとしたが進んでいない。その中で実効性があったのは輸出の制限である。これに対して、中国のレアアース輸出の半分を輸入している日本はこれに慌てたことから、中国政府は自分達が日本を困らせる外交カードを持っていることに気付いた。それが尖閣諸島をめぐる騒動の時に実際に輸出が停滞したと言われている。日本と中国のように密接な貿易関係を持っている二国間で、かりそめにも貿易を外交的圧力をかける手段として使ったとすれば、その影響は双方にとって甚大だし、世界の自由貿易体制を揺るがす事態である。そのためこの件は日本のみならず欧州やアメリカの注意をも引くこととなった。そもそも中国がレアアースの輸出を制限していること自体、WTOの協定に違反しているのではないか、という祖藩の声が欧米から高まってきた。
大衆資本家がレアアースの採掘と精製に参入したことで図らずも中国は世界のレアアース生産を支配することになってしまった。思いがけず手にしたパワーに舞い上がった中国政府はレアアースの輸出を日本の圧力をかけるための外交カードとして使ったり、輸出を制限することで価格つり上げを図った。2011年の間はその目論見が見事に当たったかのように見えたが、価格上昇によってレアアース採掘が世界中で再開されるとともにレアアース代替技術の開発が盛んになって需要が逃げ、内では大衆資本家たちによるヤミ生産と半密輸出がかえって活発化し、手にしたと思ったパワーはスルリと手元から逃げてしまった。さらに、WTOでは被告席に立たされるというおまけまでついた。
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