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2013年6月17日 (月)

あるIR担当者の雑感(121)~株主数を増やすということを無前提に考えることへの疑問

企業の中でIRという業務に携わっていると、とくに大企業のような組織でシステマチックに効率性を追求されていると、効果測定とか、目標設定ということが必要になると、よく使われるのが株主数を増やすということです。IRということの中で、株主数を増やすということを考えるのは至極当然のことで、これに対して異論があるわけではありません。実際に、私も株主数が増えればうれしいし、株主数が増えるためにはどうすればいいかを考えてもいます。株主数が増えるということは、その会社が広く知られていてはじめて実現することですし、その企業に株主として関わる人が増えるということは株式市場でもその市場取引への参加者が増えるということでもあります。市場で取引が活発であるからこそ、そういうことになるので、そういう状態であれば、一部の恣意的な人々によって株価が不当に操作される危険も少なくなるということにもつうじるわけですから、株主を増やしたいと考えるのは当然のことです。

しかし、そこで株主数を増やすことだけが独り歩きして、そういう前提を考えることなくデフォルトで株主数を増やすことだけが自己目的化してしまう恐れのあることに対しては、強い違和感を感じています。そして、私が持っている違和感というのは、おそらく違和感を抱いた対象であるその当人、つまりは株主を増やすということがデフォルトスタンダードになっている人には、おそらく理解してもらえない類のものではないかと思います。例えば、ここで私が書き綴ったIR戦略は、ターゲットを絞りそこに集中することで他社との差別化を図るという、いわゆるニッチ戦略でした。これでは会社が広く知られないとして、その意味を理解できない人もいたことが確かです。IRのホームページにおいて見にくいことをある程度犠牲にしても情報の量と密度で差別化するということに対しては、それはホームページではないという人や、少数の人しか見ないことページを作っても意味がないと、最初から相手にしないひと、そして、こういう考えを言う人は往々にしてIRの仕事を長年にわたり担当してきた人や関連業界で関わってきた人でした。そう言う場面に出くわす機会が最近になって多くなってきたので、すこし落ち込み気味であるのですが。ちょっと話がそれました。

ですから、株主数を増やすということがデフォルトスタンダードになっている人に対して私が持ってしまった違和感というのは、私の独りよがりかもしません。ただ、私の違和感が、そんなこともあるかもと、もし理解できるのなら、例えば株主優待ということへの疑問を多少でも抱いているということで、少し理解してもらえるかもしれません。

繰り返すようですが、私は株主数が増えることは否定しませんし、日夜そうするために努力しているつもりです。むしろ、そのためにターゲットを絞って、敢えて見にくいホームページを作り、情報過剰とも揶揄されるような説明会資料を作っています。そこで考えているのは第一に、株主を増やすという時のその株主となってもらう母集団をどのように考えているということです。戦術的にいえば、株主数を増やすという時に株主を他から奪取することになるわけですが、それをどこから奪取するのかということです。多分、そのことを考えると一概に株主数を増やす施策を一律に考えることはできないはずです。そこで、個人株主に対して広告を出そうとか、おおきな個人投資家説明会をやろうとかいう提案だけならば、全く考えていないとして私の場合には検討する価値がありません。そして、もう一点株主数を増やしたとして、その株主になってくれた投資家に対して株主になってもらった後で、どうなってほしいかと考えているのかということです。ある特定の時点で株主の数が増えたということだけでは何の意味もないのではないかということです。株主が増えたことで、様々なメリットがあるのは先にきましたが、それは特定の時点の株主の数が増えたということだけではなくて、点で捉えるのではなくて線や面として、つまり時間の連続とか面の広がりとして捉えなければ意味がないと考えるからです。そう捉えるならば、株主となってもらってから、どうすればいいのかという連続性のなかで株主に増えてもらいたいと考えるはずです。株主優待という施策の中にそういう要素があるのか(全部が全部ということではありません。例えば株主と顧客が重複する一般消費者向けの会社の場合、一般消費者の中にファンを増やすことと個人株主を増やすことは一緒であるとして、株主優待で自社製品を送って、その良さを他の消費者に先んじて理解してもらおうというのは立派なIRであると思います)。そう考えると、単に株主数を増やすだけの施策、戦術としての個人株主対策として、IR支援業者がツールとして売り込んでいる商品にたいして、価値を感じていない理由です。かなり、独善的な意見です。

そこで、少しだけ弁解です。ターゲットを絞り込んで、会社を理解するのに敢えて関門を設けているように見えるのは、自己表現が下手だということを除いて、広く企業を認知されることよりも、コアなファンを1人ずつ作っていくことを優先的に考えているからです。そういう関門をものともせずに企業を理解できる人というのは、周りに追随者を抱えているはずであるし、そういう人同士で緊密なネットワークを持っていると考えられます。それは、たぶん証券会社やIR支援業者のリストなどには入ってきていないものです。そんなものあるかどうか、想像で話しているのだろう、証拠を出せと言われれば、ないというしかありません。しかし、関わっている人なら気づいているのではないでしょうか。その兆候というのかすこしだけ見えるのが、SNSで投資を語る人が多いこと、フェイスブックなどでそういうサークルがあることなどです。このようなことは、ネットが出来る前でも、口コミという情報伝達がありました。そして、この利点はここに注目している会社は他にほとんどないということです。ライバルがいない。

といろいろ書きましたが。悲観的に聞こえるかもしれませんが、最初に書いたように、後半で書いたことは、株主数を増やすことがデフォルトスタンダードになっているような人には、このような議論は理解不能なものだと思います。

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