丸川知雄「チャイニーズ・ドリーム」(3)
中国における携帯電話の普及は1990年代に始まり1998年までは外国企業の独壇場だった。これに危機感を持った中国政府は1999年ライセンス制にして国内の国有企業を保護した。しかし、当時の中国企業は外国企業に対抗して新規のデザインの携帯電話を次々と開発するには社内だけでは人手が足りず、外部に携帯電話の設計を委託した。そのニーズに応えたのが韓国や台湾のメーカーたちで、中国企業の黒子として機能した。そのうちに外国企業に勤めていた中国人エンジニアたちは中国の携帯電話メーカーに携帯電話の設計を外注するニーズがあることを知り、自分たちも設計すべく、2001年頃か次々と設計会社を創業した。その結果、韓国や台湾メーカーの影が薄くなっていった。こうなると大手の外国メーカーも中国では設計会社とブラントメーカーが分離した分業モデルに合わせて、中国市場に勝つために、このモデルを積極的に活用するようになっていく。このような、先進国の携帯電話産業ではとうぜんのように統合さている設計と販売が中国では垂直分裂したことにゲリラ携帯電話産業が誕生した原点がある。携帯電話メーカーで開発に従事していたエンジニアたちがより大きな収入を求めて次々と設計会社を設立する一方、その設計の販売先となる携帯電話メーカーは政府のライセンスを持つ企業だけに限定されていたので、おのずから限られた販売先をめぐって激しい競争になる。そこで設計会社は販売を増やすために、生産ライセンスを持たないメーカーにも設計を販売することを誘惑に駆られることになる。
やがて、国有企業ブラントが大して役に立たないことに人々が気づき始める。ライセンスを持たないメーカーが、自分のブランドをつけた製品を作っても、どうせ消費者はそれが生産ライセンスを持たない企業だとは気付かない。それならば、国有企業に頼るのは損である。こうして無許可のゲリラ携帯電話メーカーが生まれていく。
ゲリラ携帯電話産業を生み出した背景として、設計と販売の垂直分裂やレント好きの国有企業の存在を挙げたが、そうした背景の中へ前述のMTKのベースバンドICが登場した。MTKのICはあらかじめ多くの機能やソフトも入っているうえ、ICを使って携帯電話を開発するユーザーが技術面で困難にぶつかった時のサポートも充実しているので、それまではかなり専門性が必要だった携帯電話設計業の参入障壁が低くなった。こうして設計会社どうしの競争が激しくなり、生産ライセンスを持っていようがいまいが設計や回路基板を買ってくれる業者には誰でも売るようになった。しかし、2007年をピークに、海外大手のメーカーがゲリラ携帯電話に負けない安い製品を出してきたため、ゲリラたちは海外市場に活路を求めるようになってきている。
ゲリラ携帯電話産業はおよそイノベーションとは無縁だと思われている。実際、この産業で他社の商標権や意匠権の侵害が横行しているのは事実である。ただ、この産業からは、大手の携帯電話メーカーには見られない独創的な工夫もいくつか登場している。アフリカ向けの懐中電灯付の携帯やイスラム教徒向け礼拝機能、あるいはSIMカードを2枚入れることができることにより、同時に二つの電話番号が使えるものなど、これらのイノベーションは、技術的にはたいして難しくないものではあるが、日本の携帯電話産業からは絶対に生まれることはない。日本にドコモとauとソフトバンクの三社に加入してそれぞれのいいとこどりができるような携帯電話があれば消費者に喜ばれるのは必定だが、通信事業者にがっちりコントロールされた日本の携帯電話産業からは間違っても出てこないだろう。
ゲリラ携帯電話産業の最もイノベーティブなところはその分業構造そのものにある。世界的に携帯電話産業の寡占化が煤、日本の大手メーカーもどんどん淘汰されているなかで、1300万円ほどの資金があれば誰でも携帯電話メーカーになれるという構造はきわめて画期的である。誰が発明したというわけでもなく、自然発生的に形成された構造だが、結果的に携帯電話産業への参入障壁を著しく引き下げることに成功した。ゲリラ携帯電話産業から湧き起ったこうしたイノベーションは、決して先進国の後追いではない。それは中国の草の根資本家たちが、発展途上国の低所得層の需要を汲み上げて生み出したものである。中国のような発展途上国の技術進歩といえば、とにかく先進国のレベルに追いついたかという「キャッチアップ」の視点から捉えられがちである。しかし、ゲリラ携帯電話産業は、先進国の需要に応えて開発した技術を、中国の草の根の企業が自分たちが扱いやすいようにバラバラに解体して換骨奪胎し、世界の貧困層の需要に合ったイノベーションを生み出したケースである。「キャッチアップ」とは異なった技術の発展経路なので、私はこれを「キャッチダウン型イノベーション」と呼びたい。
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