丸川知雄「チャイニーズ・ドリーム」(4)
第3章 太陽電池産業で中国が日本を追い抜いたわけ
太陽電池とは光を当てると電気を発生する装置である。乾電池のように電気を蓄えておく機能はないので、「電池」という言葉を充てるのは不適切だと主張する人もいる。太陽電池はアメリカで発明され、1980年まではアメリカが中心で、その後、電卓の電源等に使用され日本に中心が移った。日本のリードを後押ししたのがサンシャイン計画で住宅用太陽光発電システムが発展し、住宅用太陽電池の導入は、日本が世界のトップとなった。しかし、現在対電池産業は中国が市場を独占している。そして、中国の太陽電池産業は大衆資本家が占めている。
日本と中国では太陽電池産業を構成するプレーヤーが全く対照的である。日本では長い歴史を持つ大企業が社内の事業部という形で太陽電池の開発と生産を行っている。そこで長い時間と資金をかけて開発を進めてきた。日本の大企業が苦心して太陽電池産器用を育ててきてようやくその果実を刈り取ろうとしたら、たちまち中国が台頭してきて果実を横取りしてしまったのである。一方中国で太陽電池産業を担っている企業は日本とは対照的にほとんどが2001年以降に設立された若い企業である。それも既存の大企業ではなく、個人の創業者が少額の資本から始めた企業ばかりである。その特徴の点でも、日本は垂直統合的、中国は垂直分裂的である。日本のメーカーは太陽電池の製造装置まで自社である程度作っているし、最終製品である住宅用システム作りまで作り上げ、販売にも関わっている。一方、中国のメーカーは中間製品システムである「セル」と「モジュール」の生産に特化しており、最終製品の組立や販売は別の企業がやっている。日本と中国太陽電池産業のあり方は見事に対称的だが、欧米の太陽電池産業も実は中国と似た構造になっている。このように世界を見渡すと、異常なのは中国ではなく、むしろ日本の方なのである。
太陽電池産業における日中逆転がなぜ生じたのかという問いは、要するに、優れた技術を持っているはずの日本の老舗の大企業がなぜ新興の中国・欧米メーカーに抜かれたのか、という問いに行き着く。その第一の理由として、太陽電池を製造する技術が太陽電池メーカーから製造装置メーカーに移ったことがあげられる。産業の発展の初期には太陽電池のメーカーが技術開発の主導権を持っていて製造装置の設計まで行っており、製造装置メーカーは設計された通りに作るだけだった。だが、産業が成熟してくるにつれて、製造メーカーに技術が徐々に移転し、装置の設計を粉う担うだけでなく、装置を使いこなすノウハウや、どのような機械を並べれば最も効率よく製品が生産できるかといったことまで製造装置メーカーが掌握することになる。「ターンキーソリューション」という製造装置メーカー側が生産ライン一式を提供し始める。要するにカネさえあれば誰でも太陽電池が作れるようになったのである。そして第二の理由として、労働コストの差をあげる。とくに「モジュール」を作る工程は人手による作業が多いので、労働コストの低い国で作るのが有利である。ところが日本企業は太陽電池の国内生産にこだわった。さらに第三に、日本企業は大企業の一部として太陽電池を手掛けているのに対して、中国・欧米企業は太陽電池専業の独立した会社が担っている、という企業の構造相違があげられる。太陽電池産業が赤字を余儀なくされた黎明期であれば、大企業の中でしか事業を続けられなかったであろうが、将来性のある分野として投資家たちの注目を集め出すと、独立した会社の方が有利である。なぜなら独立した会社であれば株を発行することによって投資家たちから資金を集めることができるからである。さらに、2004年以降のヨーロッパを中心とする太陽電池市場の急拡大は、当時に各国政府の政策の変更に翻弄された時代でもあり、そうした時代にあっては経営トップが迅速かつ果断に判断を下さなくてはならないが、大企業の一事業部として太陽電池を手掛けている日本メーカーはどうしても経営判断が遅くなりがちだった。
2005年中国の太陽電池メーカーのサンテックがニューヨーク証券取引所に株式を上場した。これにより、サンテックは一気に14億ドルの資金を調達し、太陽電池の生産能力を大幅に拡大し、世界第三位のメーカーに躍り出た。このサンテックのニューヨーク上場成功は、中国の民間企業が、中国政府の無理解や、それに基づく国内での資金調達の難しさを、海外の投資家に直接アピールすることで乗り越える道筋を示した点で画期的だった。これ以降、太陽電池メーカーばかりではなく、ビジネスホテルやインターネット検索その他中国政府の政策ではあまり重きを置かれていない分野の民間企業がナスダックなどアメリカの株式市場に株式を上場して資金を調達する動きが活発になった。太陽電池メーカーではサンテックに続き、多くの企業家たちが、この産業に飛びついた。
この中国メーカーの輸出先はほとんどヨーロッパだったが、そこでは中国メーカーの太陽電池は最終製品というよりもパーツであった。ヨーロッパでは太陽光発電は一般家庭ではなく、発電を事業とする会社や個人が営んでいることが多い。その場合、EPCと呼ばれる設計、調達、建設を担う会社が太陽光発電の資材となる太陽電池モジュールやインバータ、その他ラック等の副資材を買い集めて建設する。中国メーカーとしてはヨーロッパのEPCに売り込めばいいので、一般家庭に向けて売るほどの苦労はない。さらに中国メーカーが太陽電池のセルを供給し、ヨーロッパのメーカーがモジュールに組み立てるという分業が行われているケースもある。この場合には中国メーカーはいわば部品サプライヤーの役割なので、モジュールを作っているようなヨーロッパの企業に売り込むだけで済む。いずれにせよヨーロッパの太陽電池市場攻略するには特定の企業にだけ売り込めばよく、新興の中国メーカーも簡単に参入できたのである。
一方、日本の場合は太陽光発電所の多くは一般家庭が営んでいるので、家電製品のように、太陽電池メーカーのほうでシステムとして汲み上げた状態で販売しなければならないし、全国を覆う販売ネットワークを作る必要がある。このため外国の太陽電池メーカーが日本市場に参入することは難しかった。
中国の太陽電池メーカーが次々とアメリカで株式を上場して多額の資金を調達し、これを機に内外の投資ファンドや中国の銀行も太陽電池産業の大きな可能性に目覚め、積極的に投資したり融資するようになった。一方、日本の太陽電池メーカーは大企業の一事業部であるため、社内の他の事業部と投資予算を分け合わなくてはならない。しかも、もともと太陽電池事業は日本の電機メーカーのなかで立場が弱いので、なかなか大きな資金を回してもらえない。2007年には、日本の大メーカーよりも中国・欧米の新興メーカーの方が資金力があるという逆説的な状況になった。そのためこの年には中国やヨーロッパは太陽電池の生産を大きく伸ばしたのに対して、日本勢は1%しか伸ばせず、世界の中でのシェアを落として行った。
このとき、太陽電池の材料である高純度のシリコン不足の対応をめぐって日本企業は判断ミスを犯す。それが、さらに日本企業の凋落を決定的なものにした。
大洋子発電所には一軒家の屋根に作られる小規模なものから広大な砂漠に多数の太陽電池を並べた大規模なメガソーラー発電所まで大小さまざまなものがあるが、経済的に見て最適な太陽電池のタイプは規模によって異なる。小規模な発電所では変換効率が高いものがよいが、大規模な発電所では変換効率が低くても安いものの方がいい。なぜこうなるかというと、太陽光発電にはインバータなどの付帯装置や建設工事の費用がかかるが、これらは太陽光発電の規模に比例しては増えず、大規模な発電所では相対的に少なくかかるからである。そのため小規模な発電所では効率の高いタイプの太陽電池で多くの充電収入を稼いだ方がいいが、大規模な発電所では安価なタイプの太陽電池を並べた方が利益が大きい。技術フロンティアの付近のあるタイプには必ずそれを生かせる規模の発電所が対応するのである。日本メーカーはこの理屈を踏まえて行動しているようには思えない。技術フロンティアにとどまるためには変換効率を上げることと生産コストを下げることの意義は同じはずなのに日本メーカーは前者ばかりを追求しがちである。
家電製品のように市場全体のパイの拡大が見込めないような産業では差別化戦略は有効ではあっても、太陽電池のような市場のパイが何十倍にも拡大し得る産業では差別化に走るのはシェアの低下を招くだけであろう。「匠の世界」を実現しようとしたら生産コストの上昇をもたらし、日本メーカーをかえって技術フロンティアから遠ざけてしまうかもしれない。そもそも中国の太陽電池メーカーをライバル視すること自体が正しくない。太陽電池メーカーの競争相手は他の太陽電池メーカーよりもむしろ原子力、火力、水力など他の発電手段(を作る企業)である。なぜなら太陽光発電は電力市場という限られたパイを原子力や火力等と奪い合う関係にあるからだ。太陽電池の市場規模を拡大するために、太陽電池メーカー同士で技術やノウハウの交流をして、みんなでコスト低減と変換効率の向上を目指せば、技術を互いに秘匿して競争をし合うよりも個々の企業がかえって成長できる可能性もある。日本メーカーが示した戦略は、太陽電池産業の状況をあまり深く考えないで、他の家電分野の戦略を漫然と太陽電池に適用しているようにしか思えない。ここに大手電機メーカーの位置事業部として太陽電池を手掛ける態勢の弱さが現われているように思う。
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