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2013年6月16日 (日)

「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス」展(4)~植物

Ropeztree2アントニオ・ロペスという画家には馴染みがないということから、何かしらの親しむための糸口を模索すると、それほどメジャーな映画ではなかったのに「マルメロの陽光」という映画が以前に公開されたということが取り上げられた。その時のロペスの作品が『マルメロの木』(左図)として展示されています。映画を見た人なら分かると思いますが、ロペスは庭に実っているマルメロの木を、そのままに描こうとして、スケッチから始めて彩色して作品を仕上げて行こうとします。しかし、植物は成長するもので、マルメロの実は成熟して大きく重くなります。そうすると、実の大きさや位置を厳密にスケッチして作品としていたロペスはそのたびに作品の修正を試みます。作品の真ん中に定規で引かれたような線があるのは実っているマルメロの実の位置を計測したように厳密に作品の画面に位置づけようとして引かれたものです。それが数本あるのは、マルメロの実が熟して重くなると、次第に枝がしなって位置が下がっていったのに応じて、ロペスが画面の修正を試みた跡です。そして、修正が追い付かず、マルメロの実は熟して地面に落ちてしまいます。そこで、ロペスは描くのを諦め、作品は未完のまま残されたというわけです。その過程をつぶさに追いかけ、映像としたのか「マルメロの陽光」という映画の内容と言えます。

Ropeztreeこれは、リアリズムにこだわるロペスの姿勢を映したものと、カタログの解説に書かれたりしています。それはそれとして、慥かにそうなのでしょうけれど、私には、そこに何か病的なもの、リアリズムで片付けられないものを感じたのでした。植物が成長することは分かり切っているはずですから、ある時点の姿を写真で記録していて、描いたものを写真の情報で補完するなり、記憶しておいて補てんするなり、いくらでもリアリズムに見える作品として完成させることはできたはずです。それに、ロペスという人のスケッチの技量はすごいし、それを本人も分っているはずなので、それをしないというのは、そこに何らかの意図があるはずです。執拗に植物の成長を視野に入れず、自分の眼前あるそれを描こうとするのに、そこにロペスの主観が働いているわけで、それが私には病的に映ったのでした。例えば、さっき指摘しましたが、この作品の真ん中に定規で引いた線が残っています。未完成故に残ってしまったのか、完成すれば隠れてしまうものなのかとも考えられなくもないのですが。画面中心近くのところでは、葉や実で彩色されたところの線は白く残されています。こんなところだけ白く残っていたら、後で彩色する時に跡が残ってしまうのではないか。そう考えると、ロペスはこの線は最初から残すつもりではなかったか、と考えてしまうのです。それは、前回見ていただいた『夕食』という作品で、マリアの顔の部分に白い穴のような箇所が数か所残されたことと同じような気がしたのです。とすれば、眼前にあるものをそのまま写生するということとは、実は違うことをしようとしていたのか、とすれば未完にまでして固執した「何か」があったのか。

Ropezrose_2それは同時に描かれたスケッチ(右上図)を見ると油絵とは違った印象で迫ってきます。とにかく、鉛筆で引かれた線が躍動しているのです。その線の多彩なこと。これを見ていると、作品が完成してしまうと、作品を描くという動きが止まってしまうのを恐れているという想像までしてしまうのです。それほど、このスケッチでの線は動きを内に秘めているように見えます。永遠に完成しない作品というと大げさかもしれませんが、ロペスの作品からはそういう矛盾した志向性が感じられるのです。さっき、病的と言ったのは、そういう矛盾を抱え込んで、完成しない作品を、そういう題材をわざと選んで、結果がわかっているのに敢えて、描くという、その執拗さはまるでシーシュポスの神話のようです。

このコーナーは、あまり大きく取り上げるつもりはなかったのですが、これが代表作というのではないのですが、たまたまひとつということで『アビラのバラⅤ』(左図)という作品を見て下さい。白の背景で瓶ざしの白いバラを描いています。白の背景で白いばらの花を描き、そのバラの花の奥行とか花びらの重なりを白のグラデーションで描くというのは素人目に見ても凄いです。そして、水を張ったびんに茎がされている部分。瓶が瓶として明確に描かれておらず光線の屈折の描き方で、そうなっているのがハッキリわかるようなのが、またすごい。しかも背景は白です。白という色だけで、こんなにも描き分けができるのか。何か見せつけられたようなかんじです。しかし、この作品にも定規で引かれた線が残されているのです。わざと、画面の統一感を削ぐように、あえて完成した仕上げにしないと意気込んでいるかのように。へんな比喩ですが、画竜点睛という故事を想い起させるものがあります。それほど鬼気迫る出来栄えと思うのですが。またでてきましたが、そこに「何か」が働いているような気がしてなりません。

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