無料ブログはココログ

« エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(9) | トップページ | 「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス」展(1) »

2013年6月 7日 (金)

エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(10)

結論

本書は資本主義の起源について論じている。資本主義の起源は、資本主義システムそれ自体の本質について、何を私たちに教えてくれるのだろうか。

第一にそれは、資本主義が人間性の自然的で不可避的な結果ではないこと、さらには古来の「取引し、交易し、交換する」社会的傾向の自然的で不可避的な結果でさえないことを理解させてくれる。それは、きわめて特殊歴史的な条件が生み出した、後代の、一地方に限定された産物なのである。資本主義の拡張的な衝動は、今日では事実上の普遍性を獲得するまでに至っているが、それは資本主義が人間性やある歴史貫通的な内的運動法則の産物である。この運動法則が発動するためには、社会の巨大な転換と変動が必要であった。それは、人間の自然との物質代謝における転換と、基本的な生活必需品の供給における転換とを必要とした。

第二に資本主義は初めから著しく矛盾した力であった。イングランドの農業資本主義のもっとも明白な結果を考えてみるだけでよい。近代初期イングランドには他のどこにも存在しなかったような物質的繁栄のための条件が存在したが、その条件は広範な所有剥奪と強度の搾取という犠牲を払って達成されたものである。これらの新たな条件はまた、新たな条件はまた、新たな市場や労働力や資源を求める。新たな、そしてより効率的な形態での植民地拡大と帝国主義のための基礎を確立し、その種を植え付けた。

次に資本主義の矛盾した力として挙げられるものに、「改良」に随伴する諸結果がある。改良によってもたらされる生産性及び巨大な人口を養うことのできる能力は、すべての配慮を利潤の命法に従属させることとは両立しない。このことが意味していることは、とりわけ、扶養可能なはずの人々がしばしば飢餓状態に放置されたことである。一般に、資本主義の生産能力と、資本主義がもたらす生活の質との間には、大きな落差がある。生産が利潤と切り離せないという元来の意味における「改良」の倫理は、搾取や貧困やホームレス状態の倫理でもある。

資本主義的命法の全世界への拡大は、その開始にあたって資本主義の発祥国の内部で生み出した諸結果を、一様に再生産してきた。つまり所有剥奪、慣習的な所有権の廃止、市場命法の強要、環境破壊である。この過程は、搾取階級と被搾取階級との間の関係から帝国主義諸国と従属諸国との間の関係にまでその影響を拡大した。

イングランドの農業資本主義の経験からは、もっと一般的な教訓を引きだすこともできる。いったん市場命法が社会的再生産の条件を設定すると、すべての経済的行為者は─領有者も生産者も、たとえ彼らが生産手段を保有し、さらにはその完全な所有権を保持していても─競争、生産性の向上、資本蓄積、労働の搾取の強化という要求に従属するのである。この点に関しては、領有者と生産者との分離がないことでさえ、従属を免れる保証にはならない。市場がいったん経済の「規律」ないし「規制者」として確立され、経済的行為者がいったん自己の再生産の条件を市場に依存するようになると、生産手段を個人的あるいは集団的に保有する労働者でさえ、市場の命法に応じざるを得ないだろう─つまり競争したり、蓄積したり、「競争力のない」企業とその労働者を押しのけたり、彼らを搾取したりせざるを得ないだろう。農業資本主義の歴史と、それに引き続いたすべてのことから、次のことは明らかな筈である。市場の命法が経済を規制し、社会的再生産を支配するところではどこでも、搾取から逃れることはできない。言い換えれば、「市場社会主義」はもちろんのこと、真に「社会的」あるいは民主主義的な市場といったものはありえない。

« エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(9) | トップページ | 「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス」展(1) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(10):

« エレン・メイクシス・ウッド「資本主義の起源」(9) | トップページ | 「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス」展(1) »