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2013年7月 2日 (火)

南川高志「新・ローマ帝国衰亡史」(1)

序章 21世紀のローマ帝国衰亡史

ローマ帝国は3世紀に入ると全般的な危機に見舞われる。政治的混乱と経済的活動の衰退、帝国の外に住む諸部族の攻撃と領内での分裂がローマ帝国を苦しめた。この危機を克服した3世紀末以降の後期ローマ帝国では、それ以前の国家と異なり、皇帝による独裁的な政治体制が強化された。また、急増した軍隊と官僚を維持するべく財政至上主義的な政策がとられたため、重税を課された人々は、次第に職業選択や移動の自由を失うようになった。この間、宗教においても伝統的なギリシャ・ローマ風宗教が衰退して、迫害を凌いだキリスト教が帝国の国教の地位を得た。一時安定していたローマ帝国は、4世紀後半から始まったゲルマン民族の大移動によって「蛮族」の侵入に悩まされ、混乱の中で395年に東西に二分された。410年には「永遠の都」ローマ市もゴート族に占領・略奪されるに至る。そして、東の帝国は後にビザンツ帝国として新たな発展を見、15世紀半ばまで続いたが、西の帝国は、ゲルマン民族の移動と部族国家建設の嵐の中で、476年に最後の皇帝がゲルマン人の傭兵隊長に廃位されて、ついに消滅した。以上が。ローマ帝国の衰退の経過に関する伝統的で一般的な説明である。

ところが1990年ごろから新しい解釈が有力となってきた。古代の終焉期に関する新しい研究においては、ローマ帝国の「変化」よりも「継続」が、政治より社会や宗教が重視されるようになり、「ローマ帝国の衰亡」を語るのではなく、「ローマ社会の変容」が問題とされるようになった。こうした新しい研究傾向と並行して、ゲルマン民族の大移動の破壊的な性格を低く見積もり、移動した人々の「順応」を強調する学説が提唱されるとともに、ギリシャ人、ローマ人以外の古代世界住民の歴史と文化をより重視しようとする動きも見られた。

本書において、私の独自の考えで「衰亡史」を語ることにする。「独自の考え」とは、衰亡の過程の史実に関する創見を意味するものではなく、ローマ帝国の本質に関する見方のことである。長らくローマ帝国の最盛期を研究してきた成果を踏まえて、衰亡史を書いてみたい。その考えの特に重要な点は、次のことである。

ローマ帝国は、イタリアに発し、地中海周辺地域を征服して帝国となった。そのため、ローマ帝国は一般に「地中海帝国」と理解され、性格付けされている。また、ローマ帝国の歴史著述の中心はイタリアやローマ市に置かれており、衰亡史もまた、ローマ市がゴート族に劫略され、イタリアに残った西ローマ帝国の皇帝権が消滅していく過程を主軸にして描かれてきた。しかし、本文で詳しく述べるように、国家生成期はともかくとして、最盛期以降の帝国をも「地中海帝国」とみなせば、ローマ帝国の重要な歴史的性格を見誤ると私は考えている。イタリアや地中海周辺地域だけでなく、アルプス以北の広大な帝国領念頭に置く必要がある。イタリアに中心を置く立場からは辺境と呼ばれたようなこの地域こそが、最盛期から終焉期にかけて、ローマ帝国の帰趨を決めるような歴史の舞台になったところにほかならない。

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