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2013年7月23日 (火)

佐々木俊尚「レイヤー化する世界─テクノロジーとの共犯関係が始まる」(5)

おまけに国民国家は、戦争を引き起こしやすいシステムでした。なぜなら小さな国が乱立する国民国家は、帝国と違って国と国とのあいだで争いが絶えなかったからです。特にヨーロッパのようにどこまでも地続きの土地では、国境線をどこに引くのかでつねにもめごとが起きます。隣国との間で「ここからここまでが我が国」と定めても、今度はそのなかにいる人間が全員同じ民族とは限らないということが起こってきます。国と国との争いだけでなく、民族と民族の争いが起き、少数民族が独立を求めて戦うような小さな内線もしょっちゅう起きるのです。つまり国民国家は、つねに戦争の危険をはらんでいて、実際に繰り返し戦争を引き起こしてしまうシステムでした。振り返れば中世の帝国の時代は、おおむね平和の時代でした。帝国は多くの土地に武力で侵入し、支配するけれども、いったん支配におさめた土地には長い平和が約束されていました。これに対して、国民国家は戦争を引き起こしやすく、そして戦争にも強い。戦争に強くなるから、さらに戦争は引き起こされやすくなる。これこそが、国民国家というヨーロッパの特殊なシステムが内側に秘めていた、大いなる矛盾だったのです。

さらに国民国家は「国民」がひとつであるということを維持するために、ソトに敵を作りたがります。「外部に敵がいる。一致団結しよう」と言い続けることで、愛国心をあおり、それによって国民国家を維持するという仕組みが開発されたのです。つまりは国のウチとソトを厳密に分けることで、ウチの団結心を高めようと考えたのです。

この国民国家のウチとソトの発想は、植民地という悲劇にもつながっています。近代ヨーロッパがさかんにアジアやアフリカを植民地にし、富を奪い取ったのは、経済的な理由からだけでなく、国民を鼓舞し、国家を維持するためという精神的な動機もありました。植民地というソトをつくることで、国のウチソトを分け、ウチである自国民を豊かにし、団結する。そのためにソトの他国を侵略し、他国から富を奪ってくる。19世紀に入ってヨーロッパの国民国家が海外進出し、次々とアジアやアフリカを植民地に召し取るようになっていったのはそういう背景がありました。さらに言えば、植民地を作ることによって、国内の格差が顕在化するのを避けることも出来ました。植民地からの富と、植民地というソトを見出すことによって、労働者階級の不満も抑えることができました。一方、そうやって侵略された植民地の側も、国民国家への熱狂にあおられていきます。「われわれも国民国家にならなければ、植民地にされてしまう」と焦るようになり、アジアやアフリカの国々も、次々と国民国家としての独立を急ぎました。これが19世紀末から20世紀にかけての世界のありさまでした。ヨーロッパから始まった国民国家というウィルスのようなものが世界中へと感染し、強い軍隊と植民地化という「毒」で侵され、ドミノ倒しのように次々と国民国家へと脱皮させられていったのです。

国民国家の誕生で、文化も大きく変わりました。国民軍を鍛え、維持し、戦争に駆り立てるためには「我々は同じ国民だ」という愛国心を燃やさなくてはなりません。この熱意が世界中の国民国家政府を駆り立てました。愛国心教育が生まれ、国歌が作られて行きます。文学も民族の伝統も映画も、国民国家のイメージを植え付けるために利用されるようになりました。これは日本でも同じでした。江戸時代の普通の日本人には、日本人という概念なんてありませんでした。藩や郷土の意識ぐらいしかなかったのです。なぜなら江戸時代は鎖国し、日本のソトを意識する必要など全くなかったからです。そのような社会では、「自分は日本人だ」と考えるこつなどありません。さらに言えば天皇に対する見方も今の日本人と、江戸時代では全く違っていました。しかし、明治維新政府は富国強兵を進めるに当たり、「国を強くしよう」「兵隊に行こう」とただ呼びかけるだけでは、日本人という意識がまだ薄かった当時の国民は動いてくれそうにありません。大日本帝国という国家のもとに、国民全体が結集して力を尽くすというようなイメージ作戦が必要でした。そこで明治政府は、京都にひっそりと暮らしていた天皇家を引っ張り出し、新しい日本の元首になってもらうと考えたのです。しかし単に新しい元首というだけでは、国民は納得してくれないかもしれません。そこで古代の天皇家のことを調べ、古い儀式や式典をつくり直して、古代から今までずっと血筋の続いている「万世一系」をうたい、天皇家のイメージを高めたのでした。近代が進む中で、ヨーロッパでも日本でも同じようなことが行われました。そこで国民国家という、それまでは存在しなかった新しいシステムが育てられていったのです。

これまで見たように、外へ外へと侵略し、内側では民族の結束を固めるのが国民国家というシステムです。それはウチとソトを厳密に分けることで、国を成り立たせています。これは境界を決めず、無理にウチとソトを分けない帝国のシステムと真逆でした。このウチとソトを分けるというやり方には、マイナスの面とプラスの面がありました。マイナスの面は、植民地支配ということが盛んになってしまったことです。しかしプラスの面もありました。それは国民国家が「民主主義」を生み出したということです。ヨーロッパでは教会の権威が失墜し、王も消え、権威が何もなくなってしまいました。そこで仕方がなく「国民という権利」をこしらえ、「同じ民族の自分たちひとりひとりが結束していることこそが、最大のよりどころなんだ」という考えをつくりました。権威は神様や王様のなかにではなく、自分たちのなかにあるのだ、という考え方です。でも一方で、そうやって「自分たち自身」を信じることは、不安でもあります。怖いことです。なぜなら、頼るべきものがなくなってしまったからです。いままで立派なお父さんに頼って生きて来た少年が、急にお父さんがどこかに行ってしまい、「あなたは自分自身を頼ってこれからは生きていくんですよ」と言われたようなものです。そう言われてしまった少年は、どうすれば自分一人で生きていけるでしょうか。もう他に頼る人がいないのであれば、答えは一つしかありません。自分の心の中に「立派な自分」を想像し、その「立派な自分」から外れないように、自分をきちんと律して生きていくのです。その「立派な自分」こそが、近代ヨーロッパの哲学で考えられた人々の「理性」でした。そうやって自分の中に「立派な自分」を作り上げることで、無秩序になり混乱してしいがちな人間の生き方をなんとかコントロールしていきましょう、ということ。それが近代ヨーロッパの哲学の基本的な理念になっているのです。そしてこのような理念は、神様に頼るのではなく合理的に自分たちで真理を発見していこう、という気運につながって行きます。この考え方が近代科学の出発点でした。

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