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2013年7月 9日 (火)

あるIR担当者の雑感(126)~改革と日々の改善

かつて、小泉純一郎が首相だったころ「改革なくして景気回復なし」というスローガンが声高に語られたとき、蓮実重彦が、そういうことを平気に口に出来る政治家や、それを臆面もなく伝えることのできる報道はものごとをスタティックにした見ることのできない視野の狭さを、恥ずかしげもなく晒していると語ったことがありました。

どういうことかというと、財政や経済の改革が必要というのは、そのシステムが時代遅れになり現代にマッチしなくなっているから、とよく説明されます。しかし、状況というのは一瞬にしてガラっと一転してしまうものではなくて、徐々に変化してきて、ある程度の期間が過ぎて以前とは違うものになってしまったというものだと思います。その時にシステムなり、制度なりが、その時に応じて徐々の変化に対応して変化してこなかったので、状況との開きが大きくなってしまった、というものです。つまり、システムや制度の運営、つまりは政府や官庁が変化をさぼっていたと、変化させるという考えがなかった、ということになるはずです。そのとき、そういう変化させていくという発想がないというのは、変化して動くものだという考えが元々ないと言えます。制度は動かない、つまりダイナミックな視点がないということになります。日常的な制度やシステムの手直しをさぼっていて、現実との格差が広がり、その辻褄をあわせるために「改革」といって大規模な制度やシステムの再構築という大きな手間をかける必要が生じたということです。

だから、改革が必要だという言う前に、なぜその前に日々の手直しが為されなかったのか、という大いなる反省が本来は必要なはずで、そうなってしまった自分たちの責任を問うことから始めるのが本来の筋道であるはずです。しかし、そんなことに顧慮することもなく、あたかも将来への変革の旗手として臆面もなくマニュフェストすることに対して、そうではないと違和感を表明したのでした。このようなことは、再び繰り返されることになります。かりに改革が成功したとしても、その新しい態度が、日々の手直しが行われずに固定したものとしたものとなってしまえば、早晩、現実とのズレが生じて、また当たらに改革をしなければならなくなります。

そして、日々の手直しを都度にやっているときは大したコストも手間もかからないので、やっていることは、それほど目立ちませんが、あとで、まとめて改革をする場合には、多大なコストと派手で目立つことになります。で、実際に改革が成功した場合には、成果が称えられるということになるわけですが、今までの考えでいえば、そもそも日々のさぼりの結果の辻褄合わせで、マイナスからのスタートをゼロに戻しただけです。しかし、マイナスにしない日々のさぼらないことは称えられることはありません。しかし、そういう視点で制度やシステムを考えるということは、通常、あまり為されていないように見えます。

似たようなことは、企業活動でもたくさんあります。例えば、有名なトヨタ・システムは一時的な改革というよりも長い期間を掛けて現場で目の前の事態にその都度対応してきた積み重ねが結果として、効率的な生産システムに結実したものと思われます。当然そこには、大野氏という卓越した経営者が長年にわたり指導しリードしてきたことがあるわけですが。安定した財務基盤をつくるとか、トータルな事業効率の向上などということは、単年度の施策というのではなく、現場での日々の改善努力を長期間続けることでだんだんできてくるものです。そういうものは、目に見える成果としてあがって来るものではなく、ある担当者が手直しをしたとしても、その成果はその担当者から引き継いだ次代の担当者のときに現われるかもしれない。だから、現場でも経営者でもそういうことに消極的になっている、あるいはしなければならないのに先延ばしにしているケースが多い。現時点でうまく動いているものに手を加えるということは、場合によっては一時的には摩擦を起こして、システムがうまく動かなくなるリスクもあるからです。そして、経営者がその気になっても現場が本気にならなければ絶対に動かない。だから、このようなことが継続的に、目立たないところで行われているというのは、企業の本当の実力のバロメーターかもしれないと、と企業内部の人間は思うことが多いです。

しかし、そういう企業の努力は、単年度の決算や施策を中心に説明する通常のIRでは、なかなか伝わりにくいのです。具体的な成果を説明しにくいし、成果があったとしても、それを生み出した努力と成果の間に距離があるのです。そのためには、最低限5年とか10年のスパンで企業を注意深く見て、徴候的な変化を追いかけて初めて外部の人も一部を知ることができると思います。トヨタ・システムの成立をリアルタイムで追いかけた学者もジャーナリストもいないでしょう。このような人たちは、システムが出来上がってから、後追いで昔のことをインタビューなどで経過を再構成するのがせいぜいのところだと思います。そして、おそらく、当時のトヨタの現場の人たちも当初は自分たちが、そんなすごいものを作っていることに気付かなかったのではないかと思います。そう考えると、本当に強い企業はそういうことが日々の現場でさりげなく続けられているはずで、多分、自慢するわけではないですが、私の勤め先でもそういう動きはあると思います。そういうもの、さきに言ったように企業の本当の強さの源泉であると思うので、そういうものを、例えば長期的な投資をしている投資家やアナリストといった市場のひとたちに伝えて、理解してもらえることはできないか。そういうIRはできないかと思います。実は、そう思いつつ、IR担当者でも、企業内のそのような動きを全部把握しきれないということもあると思います。私の勤め先は中小企業ですが、現場の日々の動きの変化というのは現場を知り尽くしていないとなかなか分らないし、それを外部の人に説明することは尚更です。そして、たんに日々の個別の事象というのではなくて、企業のシステム全体への目配りと経営へのインパクトも測らなくては、外部のひとも理解できないので、それをしなければならない、ということになれば、経営者と同じこと、労力だけをとってみれば、それ以上のことが必要でしょう。

そして、一番大きな問題は、既存のIRには、そういう説明の枠組みというのがないので、説明する方もされる方も、分らないということではないかと思います。

そこで、私の勤め先では今回の決算説明会で、5年間という期間で長期的な改善の軌跡を説明することを試みてみました。これに対する出席者の感想は聞けませんでしたが、この試みは続けたいと思っています。

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