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2013年7月31日 (水)

あるIR担当者の日記~7月30日(ちょっと危ない議論)

このところ、憲法改正をめぐる議論がそこここで為されているようで、しかも多くの場合第9条の条文をめぐる議論がセットで為されていることが多いようです。例えば、護憲=戦争はごめんだとか、改憲=再軍備とかいうような議論とか。ただ、この時に、防衛とか戦争とか、そういうことが抽象的に語られすぎているようで、私のような日々、目前の事実に振り回されている人間にとって、どちらの側の議論もリアリティが感じられません。例えば、戦争というもの、最近、A国とB国とが宣戦布告して両国が正規軍を繰り出して正面から戦いました。とか、これに同盟とか入っても、戦闘機同士の空中戦がありましたというような、戦争映画のような、国家同士の戦争ってあったでしょうか。実際、私がニュースでみる戦闘は、テロリストを制圧する戦いだったり、民族ゲリラと国家、ゲリラ同士の戦闘だったりというような、大規模な軍隊が展開するというような、いかにも戦争というよりは、治安とか諜報を含めた特殊部隊のようなケースが多いように思います。そういう状態では、国防とか戦争とかいうのを国家同士の戦いとして見ているように映る憲法論議における戦争の議論は、現実離れして映ってしまい、抽象的に神学論争みたいに是非を一方的に主張しているようで、どうしてもリアリティを感じられない、というところです。

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