無料ブログはココログ

最近読んだ本

« あるIR担当者の雑感(126)~改革と日々の改善 | トップページ | 「牧野邦夫─写実の精髄─」展(2)~自画像 »

2013年7月10日 (水)

「牧野邦夫─写実の精髄─」展(1)

Makinoposまずは、展覧会ポスターを見ていただきたいと思います。画家の自画像が配されているのですが、何とも言い難い濃さ、暑苦しさ、尋常のなさが一目で感じられて、興味を覚えました。たいていは、私が美術館を訪れるのは、都心に仕事の都合で出かけて、帰社できない時間になった時の隙間に、ちょっと寄るというパターンなのです。しかし、今回は、場所が都心から少し外れた練馬区立美術館ということもあり、休日である土曜の午後に、わざわざ出向いてみました。

牧野邦夫という画家の名前は、私には初めて聞く名前だった(とは言っても、私は日本の画家は歴史上のピッグネーム以外の名前は殆ど知らず、疎いので、名前を知らない画家が多いのですが)ので、展覧会チラシにある紹介文を転載します。

“牧野邦夫(1925~86)は、大正末に東京に生まれ、1948年に東京美術学校油画科を卒業しますが、戦後の激動期に次々と起こった美術界の新たな潮流に流されることなく、まして団体に属して名利を求めることなどからは遠く身を置いて、ひたすらに自己の信ずる絵画世界を追求し続けた画家です。高度な油彩の技術で、胸中に湧き起る先鋭で濃密なイメージを描き続けた牧野の生涯は、描くという行為の根底に時代を超えて横たわる写実の問題と格闘する日々でした。レンブラントへの憧れを生涯持ち続けた牧野の視野には、一方で伊藤若冲や葛飾北斎、河鍋暁斎といった画人たちの系譜に連なるような、描くことへの強い執着が感じられます。また、北方ルネサンス的なリアリズムと日本の土俗性との葛藤という点では、岸田劉生の後継とも見られるでしょう。生前に数年間隔で個展を開くだけだった牧野の知名度は決して高いものではありませんでしたが、それは牧野が名声を求めることよりも、自分が納得できる作品を遺すことに全力を傾注した結果でしょう。”

と、紹介文も熱いものになっています。ただ、この文章を読んでいて、なんとなく孤独な天才が名利を求めず、ひたすら芸術に精進していた、いわゆる孤高の天才という「ものがたり」にぴったりと当てはまるものになっているということが、気になりました。以前は、日本人が好きな画家という必ず上位にランクされる、ゴッホがそういう「ものがたり」の典型として、作品よりも「ものがたり」を有難がって、作品に過剰に思い込みをいれて精神性とか高い境地とか訳のわからない形容で持ち上げるような随筆が乱発されていたことがありました。私も、どちらかと言えば。文字を読むことが好きなタイプの人間で「ものがたり」に過剰に反応するところがあって、絵画を見る時には「ものがたり」という雑音を払いのけることが出来ないタイプの人間です。だから、ここの紹介文から、上述のような「ものがたり」を抽出して、作品をその「ものがたり」を補完する手段のように見てしまいがちなところがあります。殊に、牧野邦夫の場合は、そういう私の志向性にハマりやすいことが直観できました。

これから、具体的な作品に触れていく前に、今言った、この画家の変なところについて、少しだけ触れてみたいと思います。具体的なことは後で触れますが、この画家の作品を見ていると、私の普通の常識的な感覚、あるいは様々な美術作品を眺めてきた美術史に対する常識では、変だ、可笑しいという点が、多分画家は生真面目に正面から取り上げていることがあります。例えば、女性のヌードの描き方とか題材とか。それは、時代の雰囲気が知らず知らずのうちに牧野の画業に反映しているのかもしれないし、牧野という人がちょっとズレたところのある人だったのかもしれないし、原因は分かりませんが、軽薄ともいえる要素が大真面目に作品に反映しています。これは、大衆芸能?商業芸術?では、よく試みられていたことで、例えば、歌謡曲にはアメリカやヨーロッパの流行のポップスの形式やメロディが臆面もなくバクられて、こぶしを回す歌手の唱法が浮きまくっていたり、映画では時代劇の立ち回りのシーンのバックミュージックに三味線でラテンのリズムを演らせたりとか、長唄や常磐津に振りをつけていた日本舞踊がポップス調の歌謡曲を踊り、歌手のバックダンサーに進出するとか、今のカッコいい言葉にすればコラボとでも言うようなことでしょうか。そういうことを、作品に取り入れてしまう軽薄性が、牧野にはあったように思います。だから、彼の作品は美術館に展示してあるから芸術として見られている、というところがあって、実は、もっと下世話な、銭湯の大浴場にある富士山の風景画や映画館や見世物小屋の看板絵、あるいはさいとうたかおや辰巳ヨシヒロたちの劇画、あるいは小松崎茂のようにプラモデルの箱絵などのようなものに近い感覚があると思いました。そして、それこそが牧野という画家の面白さであるように、私には思えます。だから、美術館なんぞよりも、サブカル系のオタクたちにもっと評価されてもいいのでしはないかも思ったりもしています。

最後に、追加としてことわっておいた方がいいでしょう。これまで書いてきたことと矛盾していると思われるかもしれませんが、本音のところで、書かざるを得ない思います。

私が好んで見る絵画は主に近現代の西欧絵画作品で、それらのひとつひとつの作品は完結したひとつの世界のようなものが結実したものとして、それ自体が独立したものとして見る、というもので、私はそういう見方をしています。例えば、画家が実際に経済や社会生活をしている中で描かれたとしても、出来上がった作品は、そうこうことから独立したものとして見られる、という見方です。だから、画家の伝記的なエピソードなどといった「ものがたり」は単なる雑音として、虚心坦懐に出来上がった作品の画面だけを堪能すればいい、という見方です。だから、美術展に出掛けても、最初に掲示してある画家の解説や紹介文に人が群がっているのを素通りしてまず作品を見ていますし、レシーバーによる音声の作品解説は借りたこともありません。ここで展示の感想を書き込むときにカタログやチラシの解説文を引用することがありますが、それは、あくまで言葉に置き換える時の補助手段として利用しているだけです。だから、何某という画家の展覧会といったとき、画家というのは個々の作品のイメージを取りまとめるためのブランド程度にしかとらえておらず、画家の伝記とか人となりとかといったことは作品とは別のことでしかなく、単なるゴシップ的なことでしかないとして興味が湧くというとはありませんでした。ただ、それはある限定した範囲の中でのみ通用することであることくらいのことは、分っているつもりです。だから、ここで美術展の感想を書き込んでいますが、日本画の展覧会のことは全くと言っていいほどありません。そういうものとは異質のものであることが、何となく分っているからです。また、日本国内で洋画の大家と言われる人たちにも、そういうところが(雑音)が多分に感じられて、はっきりいって魅力を感じていない(見に行く気も起らない)のです。

そういう私にとって、今回見た牧野の作品は、雑音が多い作品でした。本来ならば、それで、ここで取り上げる可能性もなく、忘れてしまうべきものだったといってもよかったのです。しかし、牧野の作品に対して、散々なことを言いながら、ここで取り上げているのは、そういう「ものがたり」を語るという、本来の私の志向からすれば避けたいことが、ここでは実は、我知らず楽しんでいるということに気が付いたからでした。それが、いったいどうしてなのか、今の私には分かりません。そこで、これから私自身、それを追求しながら、しばらく「ものがたり」の快感に身を委ねてみたいと思います。

しかし、そのように見てしまうと、掌で掬った水が、指の間からみるみる零れ落ちてしまうように、(掌の残された少しだけの水が精髄であるという見方もありますが)多くの魅力的なところが見えなくなってしまう。とくに、この画家の変なところが、孤高の画家という「ものがたり」のイメージと合わないで、切り捨てられてしまうだろうから、それだけは避けたいと、「ものがたり」の陥穽に陥らないように注意しながら感想を書いて行きたいと思います。

« あるIR担当者の雑感(126)~改革と日々の改善 | トップページ | 「牧野邦夫─写実の精髄─」展(2)~自画像 »

美術展」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「牧野邦夫─写実の精髄─」展(1):

« あるIR担当者の雑感(126)~改革と日々の改善 | トップページ | 「牧野邦夫─写実の精髄─」展(2)~自画像 »