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2013年8月

2013年8月31日 (土)

「速水御舟─日本美術院の精鋭たち─」展(2)~写実に基づく細密描写

山種美術館のホームページで次のように紹介されています。“御舟の約40年という短い人生における画業は、伝統的な古典学習、新南画への傾倒、写実に基づく細密描写、そして象徴的な装飾様式へと変遷しました。一つの画風を築いては壊す連続は、型に捉われない作品を描き続けた、画家の意欲の表れといえるでしょう。”速水御舟はこういう画家というコメントは、これだけでした。う~ん、“伝統的な古典”?“新南画”?分からない。日本画のことを勉強しないと分かりそうもありません。それでは、と常にはないことですが、ウィキペディアを覘いてみました。“従来の日本画にはなかった徹底した写実、細密描写からやがて代表作「炎舞」のような象徴的・装飾的表現へと進んだ。”とあります。こっちの方が具体的で、実物を見ながら検証していくことができます。

それで写実と細密描写ということから作品を見ていこうと思います。写実的な絵画ならば、先日、アントニオ・ロペスの展覧会を見ましたが、それと比較してみると、同じ写実と言っても、二人の写実は内実が全く異なることが分かります。

Hayamikaki『柿』(左図)という1923年を見てみましょう。柿の枝を細かく精緻に描写している一方で、柿の実はたらしこみの技法で描いた作品と解説されていました。この作品とロペスのスケッチ(右下図)を試しに比べて見ることにしましょう。まず、『柿』の枝の重なりの前後が分かりにくいことがあげられます。枝の1本を追いかければ分かりますが、パッと見て奥行を立体的に見ていないため、枝を立体として捉えていない。そして、葉や柿の実とのつながりがちぐはぐです。それぞれのパーツの表面は描かれているようですが、全体としての関係やバランスに写生したとは思えない。パーツをみれば、葉が不自然で歪んでいるように見えます。日本画の知識がない私の目は、先入観がありますが、それでも、この作品を見ていると、そもそもデッサンそのものができていない、という印象を抱きます。悪いけれど、デッサン力という点で見れば、速水はロペスと比べるほどでもないのは明白です。ハッキリ言って下手です。これで精緻な写実といったら、日本画の写実というのはこんなものなのか、と呆れてしまいます。

Ropezroseでは、これを写生と言えるのは、そもそも、写生という概念が、ロペスの場合と違うということしか考えられません。そこで、展覧会場で速水の絵を友人が評した言葉として「君の絵は理想化することが強く、君は絵を作りすぎる。桜に花を咲かす。爛漫とした趣のみを君は描こうとする。が実在はもっときたなくて垢がある。」というのが掲示されていました。おそらく写実というのは、こういうことなのではないか。多分、日本画の花鳥画というのは、記号のようなパターンの組み合わせで趣向を競う一種のパズルのようなもので、パターンが尽くされれば、種が尽きてしまうことになる。実際、限られた愛玩者である上級武士や自社仏閣は明治には没落して、西洋から文明開化と一緒に西洋絵画か入ってきた。安定していたマーケットが崩壊しそうな時に日本画自体のパターンが尽きていたのを自覚した画家の一人に速水がいたということでしょうか。その時に、パターンのネタである花鳥風月の決まったパーツ以外のパーツを補充しようとしたというのが、写実ということのように思えます。新しいパーツを補充するには、パーツの倉庫を探し回って新たなパーツは見つけられることはなく、素材を探さなくてはならない。そこで、柿を実際に見た、というのがこの作品ということなのではないか、と思いました。例えば、柿を理想化して完璧なかたちとして描くのではなくて、傷んでいたり、虫が喰っていたりするパターンが加われば、柿を描くパターンは増えることになります。

そして、『柿』を見ていると、立体的に見る視点がない、ということや柿の存在感とか実体としての重みのようなものは、目的としていない、日本画の特徴である平面的なものになっているのが分かります。そこには、ロペスにあるような、ものの存在をじっと見つめることで、世界を視る視点を獲得していこう姿勢は感じられません。だから、日本画の天才画家であり、メジャーネームである速水には悪いのですが、『柿』を見ても、驚かされることはないし、そこから感動がうまれるという経験を、私は体験できませんでした。色々な理屈をこねずに正直な感想として、『柿』の葉や実は、葉や実に見えない代物です。これは、そういうお約束で、そう見るものだといわれて、そのように見てはじめて、そう見えるものです。これは、習作期のもので技量が伴わない?ということを差し引いても、そう見えてしまうのです。

何か、若書きの作品をあげつらって因縁をつけているように見えるかもしれません。しかし、速水の展示されている作品を見渡しても、ことさらに写実と言えるほどのものがあるのか、というのが日本画に不案内な者の正直な感想なのです。逆説的な言い方をすれば、これが写実とことさらに言わなければならない日本画というのはスケッチなどという概念がない世界なのかと思ってしまうのです。かりにも、美術館という西欧の文化をペースにした文化施設で、そこでは西欧の絵画という概念に基づいているからこそコンセプトに基づいて展示ということをしているわけです。そこで、日本画というジャンルに籠るにしても、美術館で学芸員という絵画という西欧文化のもとでやっているわけですから絵画の一つのジャンルとして位置付けられるはずです。そこでは当然、絵画の概念が通用していなければならない。そうでなければ、美術館という文化施設ではなくて、個人が骨董を愛でるとか、美術館とは異質な文化装置を使うのがまっとうなところではないかと思います。しかし、それでは日本画は生き残れなかった、ということなのではなかったのか。それなら、現在のグローバリゼーションと同じではないですか。そこで速水が天才的な画家であるなら、グローバルに打って出るべく、限定された日本画という枠ではなくて、絵画というグローバルスタンダートに上で、速水の価値を積極的にアピールしていくのが、美術館なり、学芸員の本来の使命ではないか。そのとき、速水の作品をグローバルスタンダードで写実とは言えないのではないかと思います。そのときに、速水のグローバルな売りを提示してみせるのが、このような美術展の意義ではないか、と思いました。だから、ここで文句を言っているのは、画家の速水に対してではなくて、私には怠慢にしか思えない、美術館や学芸員に対してです。かなり生意気なことを無責任に言っています。

2013年8月30日 (金)

追伸

本日、8日間の入院生活を終え、何とか退院できました。未だ、医師からは通院での検査や自宅療養の指示を受けていますが、気胸の治療のため肺に刺さっていた管が外され、思う通りに歩き回れる自由を満喫しています。

お騒がせしました。また、暖かい声をかけていただき、ありがとうございました。

ブログの書き込みは、少しずつ再開させていこうと思っています。

2013年8月23日 (金)

連絡

健診を受けて、急に入院することになりました。しばらくブログは、お休みします。

2013年8月22日 (木)

イチローさんの4000本安打

プロ野球選手の通称イチローが4000本安打を記録したということで、大変話題になっています。4000本もの安打を打ったという実績は凄いものだそうで、過去に4000本の安打を記録したプロ野球選手は数えるほどしかいない、という素晴らしい記録ということで、そのような記録を実績として残したイチローというプレイヤーが、その記録を残したということで称賛されています。

そういう素晴らしい記録をイチローというプレイヤーが残したことや、これに対して称賛の声が寄せられることにケチをつけるつもりは全くありません。私も、イチローさんには、他人事ですが、おめでとうという気持ちはあります。しかしです。プロ野球のファンではないので、よくは分からないのですが、その4000本安打の素晴らしさというのは、何をみればいいのでしょうか、ということなのです。素晴らしい記録ということだから、記録を見ればいいのでしょうか。記録を見ればいいのなら、イチローというプレイヤーのプレイを見る必要はないということなのでしょうか。つまり、それは、本質的なことではないということでしょうか。屁理屈をこねて難癖をつけていると思われそうなので、本筋の議論をしたいと思います。私は、プロ野球の醍醐味というのは、技量に秀でた人や体力などの能力が人一倍優れた人や経験やノウハウを蓄積させた人、その他、一般的に余暇に野球を楽しんでいる人には到底及びもつかないような、卓越した技量や超人的な動き、あるいは見とれてしまうような人間の動きの美しさ、あるいは戦術的な読みの深さなどを、ボールをめぐって一瞬のうちに見せてくれることだと思っています。だからこそ、ファンはその一瞬に出会うことを求めて球場に足を運ぶ、と私は思っています。プロ野球の魅力はそれだけではない、という意見もあって、私は、それを否定するつもりはありません。しかし、本質的な魅力は、そこで、あとは付加価値、つまりはオカズと思っています。ただ、プロ野球の魅力は多様なので、人によって様々な関わり方があり、私の言う本質がオマケだと言う人がいても、おかしくないことで、それがあることがプロ野球というものの豊かさであると思います。だから、イチローの記録だけを見ていて、イチローのプレイを見たことがないと言う人がいても、そういう楽しみ方があることは尊重すべきだと思います。

しかし、新聞とかテレビとかジャーリズムと言われるところや、人々に対して野球の解説をしているような人々は、そういう個人の限った楽しみに留まることは、本来、できないと思います。そこで、最初に言ったように、イチローというプレイヤーの記録が素晴らしいのなら、記録だけを見ていればいいのか、ということを問われているはずです。プロ野球は、こういうことだから素晴らしいのだという本質に、イチローの記録が触れるからこそ素晴らしいので、その関係を現時点で、だれも説明しようとしないのです。それが、何を見ればいいのか、という最初の問いかけです。例えば、プロ野球の魅力の本質4000本もの安打を残しているイチローの素晴らしさは、このようなイチローの身体の動きに表われている。イチローというプレイヤーの凄いところは、例えば、こういうところで、このように、一瞬において4000本安打の素晴らしさを見ることができる点だ、とかいうような議論が出てこないのでしょうか。私は、ある面でのプロ野球の本質的な魅力を、イチローの身体の動きというのは体現していると思います。そういうイチローを見るという、表層論的に論じてくれる人は、4000本安打を称賛する、ジャーナリストやプロ野球関係者には、いないのでしょうか。

イチローのインタビューやヒットを打って塁上で祝福を受ける姿と、バットを振ったり、守備で矢のような送球をするフォームの美しさと、どちらがイチローというプレイヤーの本質的な魅力なのか、どっちを見せたいのか、そこに流している人の思想が(本音のところで、野球を見下している)のが露わになっているのが、見えてしまうのです。

2013年8月21日 (水)

社外取締役とROE

「旬刊商事法務」と言う雑誌の8月15日号で「独立社外取締役の選任とROEとの関係」を読みました。独立社外取締役は、上場企業の企業価値向上に有用なのか。という問いかけがまず提示されて、“独立社外取締役は、経営陣から独立しているからこそ、客観的な立場から上場会社における資本効率の改善を促して企業価値の向上に資することができるのではないか”という仮説を立てて、データで検証していくという論立てをしています。その仮説の内容は“独立取締役は上場会社の事業内容に深く関与しているわけではないため、社内独自の論理、慣行や業界の常識に束縛されることが少なく、取締役会で、比較的自由な立場で発言することができる。また、収入の大部分を独立社外取締役を務める上場会社からの報酬に依存しているということもなく、経営陣から直接または間接のコントロールを受けるということもないため、一般株主の利益保護、すなわち、企業価値の向上を純粋に追求することができる。加えて、独立社外取締役は、当該上場会社での業務執行の経験はないが他の会社での勤務経験を提供することもできる。こうした要因を考えると、独立社外取締役は、業績の拡大に直接的な貢献をすることは難しいとしても、取締役会での議論を通じて資本効率の改善などを客観的な立場から経営者に働きかけ、それによって企業価値の向上に貢献できるのではないだろうか。”と説明しています。

この議論に従えば、社外取締役を選任している企業は、資本効率のよい経営をしていることになる、ということで社外取締役を選任している上場企業とそうでない上場企業のROEを比較すると、平均値で前者が後者を上回った。このことから社外取締役の選任が上場会社のROEにプラスの影響与えていることを示唆していると言います。さらに、ROEをデュポンシステムで分解して、収益性を売上高利益率、効率性を総資産回転率、負債の活用度を財務レバレッジの指標を求め、社外取締役を選任している上場企業と選任していない上場企業とで比較してみたところ、財務レバレッジの点で社外取締役の選任がプラスの影響を示唆する結果が出た。

というのが大雑把な内容です。これを読んだ印象は、結果ありきで立論が進められているということと、表面的にデータを利用しているということを感じました。実は、これは東証の人が書いたものなのですが、上場企業の実態を見ていないことが、このことだけでも分かるように思いました。まず、前提となる仮説が大雑把すぎて論理が穴だらけであること。これはいちいち重箱の隅をつつきたくないので、捨て置きます。もっと大事なことはデータで分析らしきことをしていますが、その分析があまりにも表面的で通り一遍であることが、たいへん気になりました。

まず、社外取締役を選任している上場企業とそうでない上場企業のROEの平均を出して比較した。その結果、前者の平均が後者を上回った。それはいいです。しかし、このことだけで、“社外取締役の選任がROEにプラスの影響を与えていることを示唆している”、と言えるのか。単純な議論でも、ROEの高い企業が社外取締役を選任する傾向がある、ということもできるわけです。例えば、もともと資本効率に対して高い認識を持って経営している企業が、そういう企業文化のなかで社外取締役という制度をすんなり導入することができた、というストーリーも可能です。だから、ここで出たデータから、“社外取締役の選任がROEにプラスの影響を与えていることを示唆している”という結論を導くためには、ROEの高い企業が社外取締役を選任する傾向がある、ということを否定しなければなりません。そのためには、どうするか、単純に考えれば、企業が社外取締役を導入する前と導入した後のROEの比較をすればいいのではないか、ということを単純に思います。ただし、ROEの変化は様々な要因が関係するので、比較のやり方は色々とかんがえられると思います。例えば、3年前に社外取締役を導入した企業の3年間のROEの平均の推移と3年間社外取締役を導入していない企業のROEの平均の推移を比較するとか。

ある程度、企業の現場で実務に携わり、経営陣などからの問い合わせによりレポートを作成するような場合に、このような報告を提出したら手抜きとして突き返されるのは明白です。IRの説明資料でも、いくらシンプルにするといっても短絡的な議論をすれば、呆れられてしまうでしょう。

2013年8月20日 (火)

「速水御舟─日本美術院の精鋭たち─」展(1)

2013年8月14日(水)山種美術館

Hayamipos個人的に悩みを抱えながらの夏休み。知り合いの人が声をかけてくれて夕食を共にすることになりました。都心に出るついでにと、いつもは中々行くことのできない山種美術館に寄ることにしました。猛暑でした。恵比寿の駅を降りて、坂を上り歩くのは、正直言ってしんどかったです。

私がよく出かける美術展は、油絵を手掛ける内外の画家の展覧会が主です。いわゆる日本画のジャンルに属する画家の美術展に出かけることがあっても、松井冬子のような現代画家だったり、船田玉樹のような変わった画家のような人でした。そういう人たちの作品は留保はありつつも見ることはできました。しかし、先日、谷文晁の展覧会を見に行ったところ、全く何が何だか、何がよいのか、果たしてこんなのが絵画と言えるのか、というように全く糸口すら掴めず、難解極まりない、作品を前にして呆然として来ました。伝統的な日本画というのは、どうも難解だ、とにいうことを実感してきました。それなら、自分にとっては埒外の世界だとして、敬して遠ざけておけば良いわけです。そういうのもありだとは思いました。しかし、今、自分自身の境遇が行き詰った状態に陥って、精神的にも落ち込んでいることを自覚しています。そんなこともあって、当時は、知り合いが夕食に誘ってくれたわけです。そんな状態で、意味不明な日本画に敢えて対峙してみよう、ちょっとばかり挑戦してみようと思いました。ここで、何かのきっかけでも掴むことができれば、絵画鑑賞だけに限らず、世界がひろがり、現時点での袋小路を抜け出すことがあるのではないか、と藁をもつかむ思い、少しばかりの願望を抱いたというと大袈裟になるかもしれません。

一方、私の山種美術館に対する印象は、決していいものとは言えません。今回の展覧会についても所蔵している作品を使いまわしていて、速水御舟という画家を見てもらおうというよりも、自館の速水御舟のコレクションを見せびらかしている印象を否めません。日本美術院の精鋭たちというサブテーマを設けて、日本画の有名画家の作品を展示していますが、展示されている速水作品との関係が見えてこないで、説明もされていません。うがった見方をすれば、所蔵している速水作品だけでは展覧会が保たないので、埋め草で自慢できるコレクションを並べた、と取れなくもない。というのも、展覧会のコンセプトの説明がお座なりで、チラシも読むに値しないし、掲示されている挨拶も紋切型で、カタログも作られていない、そういう印象です。常設展ならそれはそれでいいです。それなら、他の美術館が企画展で徴っている入場料と同じ程度の入場料を求めるのは、とうかとも思います。この辺のことは、私の個人的な感想なので、事実は違うのかもしれません。

この展覧会の展示はリストによれば63点で、そのうち速水御舟の作品は32点で半分。後は横山大観とか下村観山とか菱田春草とか美術の教科書に名前が載っている有名画家たちの作品が展示されていました。残念ながら、それぞれの作品の見分けがつきませんでした。とにかく、メインである速水御舟だけでも、とにかく勉強しようと、他の画家のことは無視していきたいと思います。

第1章 再興日本美術院の誕生

横山大観、下村観山、菱田春草

第2章 速水御舟と再興院展の精鋭たち

速水御舟を中心に今村紫紅、小茂田青樹、前田青邨、小倉遊亀など

第3章 山種美術館と院展の画家たち

上記の画家たち

というわけで、第2章の展示を見た感想を綴ります。

2013年8月19日 (月)

4年目に入ります。

こんな時に何ですが、今日でブログを始めて3周年ということになります。細々と続けてきましたが、最近の出来事では、このブログを通じて、本当に助けていただきました。今、つくづく、ブログを始めてよかったと思っています。

当初の意図とは、少し変わって来ていますが、4年目に入りできる限り続けていきたいと思います。いまでは生活の一部のように習慣化してしまっていますが、続けていることが新たな価値を生むということを、今、実感しています。

できれば、ここで受けた好意や思いやりを、別の形でお返しできるようなことがあれば、これに勝る幸せはありません。

これからも、お付き合いいただければ幸いです。

2013年8月18日 (日)

ごあいさつ

約3年間にわたって「あるIR担当者の雑感」のシリーズを続け、企業のIRの実務に携わり、現場で感じたことや、業界内部に身を置いた立場でこうしたい、ああしたいと考えたことなどを書き連ねてきました。しかし、この欄でも書きましたように、今般、その業務に居られないことになりました。

そこで、残念ですが、当初の趣旨での書き込みができない立場になりましたので。いったん、このシリーズは終了とさせていただきます。

長いようで短い間でしたが、お付き合いいただいて、ありがとうございました。

ただし、私自身、正直に申し上げて、この仕事が好きです。そして、この仕事を通じて、素晴らしい人との出会いがあり、厳しいけれど充実した日々を過ごすことができました。私個人の希望としては、この仕事を離れたくないという思いが強くあります。(現実的な可能性があれば、求めたいということも考えました)それで、少し時間をおいたところで、少し視点を変えて、今までは業務の真っ只中という立場で考えたことを書いていましたが、一歩距離をおいて考えることができたなら、そういうかたちで改めて始めてみたいと思います。いうなれば、「あるIR担当者の雑感」ではなく「企業とIRを考える」というような少し他人行儀に行き方で。

 

なお、これまで書き続けてきたことを、まとめて体系化を試み、こちらに途中までアップしました。

老兵は死にません

先日、お騒がせの書き込みをしてしまいました。オンライン、オフラインで、何人もの方から声をかけていただきました。本当に暖かい声をありがとうございました。おかげで、力づけられました。未だ、迷いの中にあって吹っ切れてはいませんが、何とか、少しずつ気持ちを落ち着かせることができました。

先日の書き込みが曖昧な書き方をしてしまったため、誤解を招いてしまったようです。とりあえず、雇用は続けられます。その後は、サラリーマンとしての生き方の問題です。私の年齢から考えても、残り時間は多くもなく少なくもない、かといって挑戦するにはリスクが大きい。これからの時間をどう過ごすか、ということについて心が決めかねています。

ただ、さまざまな方法で声をかけていただいたおかげで、前向きな方向を向こうとする勇気は出てきました。明日から、改めて、とりあえずは続けること、その後はその後で、可能性があれば挑戦してみる、しかないのではと思い始めています。

2013年8月 9日 (金)

あるIR担当者の日記~8月8日(老兵は死なず、ただ消え去るのみ)

 先日、会社の上の方から肩を叩かれたようです。私自身、未だそれほどの年齢とは思ってはいませんでしたが、そのことを確かめるべきなのでしょうが、現時点では冷静になれず、落ち込んでウジウジしています。今までのこと、これからのこと、様々な思い入れ、自分のこと、周囲のこと、気持ち、計算、いろんなことが交錯しています。落ち着くまでしばらくの間は、書き込みお休みしようと思います。ちょうど夏休みに入るので、少し頭を冷やそうと(多分、そんな暇を作ったらウジウジしそうですが)おもいます。なお、再開したとしても、いままで企業のIR担当者の身辺雑記のような感じで、「あるIR担当者の雑感」を書き込みをしてきましたが、IR担当者ではなくなってしまうので、これは続けられそうもありません。

2013年8月 8日 (木)

大野麥風展「大日本魚類画集」と博物画にみる魚たち

Oono朝のうちに雨が降り、その湿気が日中に残る蒸し暑い日でした。熱中症を心配して水分を多分に摂ったところ冷房の利いてセミナーの室内では尿意を覚え、講演に集中できませんでした。冷房の利きすぎた室内でのセミナーが終わり、表にでると蒸し暑さが堪えたため、東京駅ちかくのステーションギャラリーに逃げるように飛び込んだという次第です。

東京ステーションギャラリーは東京駅の丸の内駅舎を大改修する前に、よく寄っていました。そんなに広くはないスペースでしたが、“山椒は小粒でピリリと辛い”とでも言うのでしょうか、気の利いた面白い企画が多かったので、改札を出てすぐという地の利もあって、都心に出たついで寄ることが多かったのでした。今回は、駅の大改修によってステーションギャラリーも場所が移り、リニューアルしてからは、初めて寄ったことになります。

やっていたのは「大野麥風展「大日本魚類画集」と博物画にみる魚たち」と大野麥風という日本画家の作品を中心にして、本草学という江戸時代の博物学に挿絵というよりは図、今でいう図鑑の標本図、とくに魚を描いた作品を展示したものでした。魚の絵(魚だけでなく、貝、海老、蟹といった水中生物)を集めたという美術展としては面白そうな企画でした。

それで、実際に作品を見た感想ですが“二兎を追う者は一兎をも得ず”とでもいうようなものでした。男の子というのは、小さい頃に昆虫とか植物とか魚類とかいった図鑑をよく見るものです。私の場合は昆虫図鑑でしたが、ポロポロになるまでページを繰っては眺めていたものです。そこであった標本図が刷り込まれているせいかもしれません。展示されている作品では魚の形態の違いがよく分らない、正確さを欠いたものと私の目には映りました。一方、それを絵画作品として見るとどうかというと、一つの作品を単独に取り出しても、それだけで興味深いとか、魅かれるというほどのものではない、中途半端なものと感じました。

Oono2今回の展示のメインである大野麥風の作品を見ていると、日本画の花鳥画の伝統的手法というのでしょうか、一種の記号化したパターンの影響のせいか、魚の絵のパターンとして鯉はこのように描かれるものというお約束が、大野麥風の眼に眼鏡を掛けさせ、一種のフィルターとなっているような感じがしました。それぞれ、鯉とか鯛とか魚の名前があって、それぞれに関して、こうあるべきものというお約束に従って(そうでないと日本画にならない)、大野麥風は実際の鯉や鯛を見ていたのでしょうが、そういうフィルターをかけてしか見ることができなかった、というのが作品に出ているようでした。鯉と鯛の形態が違うのは、骨格が違ったり、環境に適応していたり、身体のパーツの機能や性能が違っていたり、といったような理由の結果であるはずです。そこに形態の違いの本質的な意味があると思うのですが、大野麥風の作品には、そういう本質的な違いを理解した上で描かれているようには見えませんでした。(特に、斜め上から魚を見下ろすアングルが多かったようですが、そのアングルで見ると魚の形の違いが分かりにくいのです)それは、描かれた魚のポーズが形態を明らかにするというよりは、日本画のパターンに準拠した、標本図としては魚の形態が掴みにくいものが見られたことにもよるものです。一方、形態がみえなくても、実際の生態を生き生きと描いたのかというと、そうでもなく、あくまでも記号としての鯉とか鯛らしく見えるというような描かれ方で描かれているように見えました。それは、特にディテールの描き方によく表われていて、鱗とかヒレの細かいところは、図鑑の図としてはマニアックな人なら追求したいところだとおもうのですが、大野麥風の場合は日本画の繊細でイメージ的な省略によって筆遣いの妙義を見せるというような描かれ方になっていました。そもそも、本草学と生物学は似てはいますが別の学問で、生物学マニアの視線で大野麥風の作品をみるのは見当違いと思われるかもしれません。

しかし、そこで考えていただきたいと思うのですが、魚しか描かれていない絵を何十枚もまとめて出版して、それを喜んでみるという人は、画家である大野麥風のファンか魚が好きな人ぐらいではないでしょうか。魚にそれほど興味のない人からみれば、魚の絵はどれも同じように見えてしまって、それが何十枚もあると、終いには飽きてしまうのではないかと思います。そこで、飽きずにそれぞれの魚の違いを愛で楽しむことができるのは、よほど魚が好きで、なおかつ違いを見分けられるほどの知識を持った人ではないかと思うのです。それは、生物学者ではなく、日本画家である大野麥風には無理だといわれればそれまでです。しかし、この展示の片隅にそういうニーズを満たして余りあるような奇跡的な作品を見てしまったのです。これについては、後でまとめて述べさせていただきます。

もう一方で、これらの魚の絵のひとつひとつを、魚を描いたひとつの絵画として見るということについて。何十枚もある作品のうち一つを取り出して、一つの絵画作品として見る言う場合に、それほど魅力的かということです。大野麥風の作品で、「大日本魚類画集」以外の作品、例えば魚を描いた掛け軸や屏風もありましたが、それを単独で見ていたいと思うほど魅力的に見えませんでした。それは、大野麥風の特徴的な魅力を見つけられなかったからです。この人と他の人の絵との違いは、単に魚の絵をたくさん描いたということだけなのでしょうか。それはそれで、マーケットにおいて他の画家と差別化する際には一目でわかる特徴として良い選択だとは思います。ただ「それだけ?」と思ってしまうのです。

Oon3大野麥風の作品に関しては、魚をたくさん描いて珍しい、というだけ、という否定的な感想となってしまいました。実は、展覧会を見ていた最初の頃は、そういう感想ではなかったのですが、会場の片隅に数点の展示があった杉浦千里の甲殻類を描いた作品を見るまでは。で、見てしまったからなのです。

ここに、貼り付けた画像を見ただけでは伝わりきれないと思いますが、まずはフォルムが完璧と思わせる整った造形。種としてのカニの理想的な姿形、まるでアリストテレスのいう存在の本質としての形相を取り出したかのようです。そのポーズは標本のような甲羅の背の部分を真正面から見て、足をそれぞれの方向のシンメトリカルに配置した格好です。まるで写真のようにという形容が紋切り型で適当ではないかもしれませんが、理想の形相を取り出しながらも、リアルな印象なのです。それは正面からのアングルで精緻に描き込まれているにもかかわらず、決して平面的にならず、カニの立体的な胴体の感じが分かるのです。そして、不思議なことに生き生きしている。死んだ標本ではないのです。描かれたカニには生命感が漲っているのです。それは多分色彩にも寄るのでしょう。普通、実物のカニの標本というのは死体ですから、生きていた時のは鮮やかだった甲羅の色は褪せてしまっています。普通は標本をそのように見ていますが、杉浦の絵では、生きている時は、こんなように鮮やかなのだろうという色彩で描かれています。それだけでなく、実際にカニは海中で生きているわけですから、そこで瑞々しく海水が陽光に反射して輝くような錯覚さえ抱かせるように描かれています。

細部に目を凝らして見ると、甲羅に生えている産毛の一本一本が細かく丁寧に引かれていて、それが生き生きとした感を牽き立たせ、リアル感がさらにつのります。

そして、ここまで列記したことをまとめてそれ以上のこととして、カニってこんなに美しいものだったのかという、作品自体の美に魅せられてしまうものでした。かつて、古代ギリシャの彫刻が人間の理想の姿、真善美を形にしたもの、とかいうような議論がありましたが、杉浦千里の作品を見ていると、そういう理想がカニの姿に体現しているように見えたのでした。この展覧会は杉浦千里の数点の作品に出会えたということだけで十分意義かあるもので、あとは余計だったと思えるほどでした。

2013年8月 7日 (水)

アンドリュー・S・グローブ「インテル戦略転換」(7)

第6章 「シグナル」か、「ノイズ」か

どの時点で、ある変化が戦略転換点だとわかるのだろうか。企業経営は、いつも変化にさらされている。小さな変化もあれば、大きな変化もある。一時的な変化もあれば、新しい時代の幕開けである場合もある。企業はどのような変化にも対応していかなければならないが、全部が全部、戦略転換点というわけではない。ある一連の変化が何を意味しているかを知る方法はあるのだろうか。別の言葉で言えば、本当の「シグナル(信号)」とただの「ノイズ(雑音)」をどう見分けるかということである。

自分の周囲で起こっている変化(技術的なものであれ何であれ)を、レーダーに輝く点だと考えてみよう。最初はその輝点が何かわからなくても、レーダーを監視し、その点が近づいてきているのであれば、速度はどれくらいか、どんな形状をしているのかを見極めようとするだろう。たとえその点が自分の周りで停滞しているだけだとしても、進路や速度が変わるかもしれないのだから、目を離すことはできない。ビジネスに「10X」の力をもたらす可能性のある新たな事態には、絶えず注意を払わなければならないのである。

戦略転換点のシグナルがきわめて分かりやい場合もあるが、ほとんどの場合はそれほど明白でない。戦略転換点は、通常、大音響とともに始まることはなく、子猫のように音もなく忍び寄ってくる。後になって当時の出来事を振り返ってみて、漸くはっきりするということも多い。戦略転換点だと気付いたのはいつだったかと後で自問しても、競争力学が変化したことを示す僅かなシグナルが思い浮かぶぐらいだろう。ある変化が戦略転換点を示すものかどうか、見分けるにはどうしたらよいのだろうか。シグナルとノイズを区別するために、次のような問を発してみることだ。

・主要なライバル企業の入れ替わりがありそうか。

・今まで大切な補完企業と見なしていた相手が入れ替わろうとしていないか。

・周囲に「ずれてきた」人はいないか。

組織の中にカサンドラがいれば、戦略転換点を認識するうえで頼もしい存在となってくれる。周知のように、カサンドラはトロイの陥落を予言した女司祭である。彼女のように、迫り来る変化にいち早く気づき、前もって警告を発する人たちがいるのである。こうした人達は、社内のどこにでも存在するが、中間管理職で、販売部門で働く人間であることが多いる彼らは大抵、近づきつつある変化について経営陣よりも多くのことを察知している。彼らは社外で動き回り、現実世界の風を肌で感じているからだ。言い換えれば、彼らの資質は、古い屋の方で実績を上げることを目的に選ばれてきたわけではないのだ。中間管理職は企業の最前線にいるため、本社の比較的安全な場所にいる上級管理職よりも危険に対してずっと敏感だ。悪いニュースは即、彼ら個人に大きく跳ね返ってくる。営業成績が落ち込めばコミッションは減るし、売れない技術はキャリアを台無しにする。だからこそ、彼らは、警告のサインを上級管理職よりもはるかに真剣に受け止めるのだ。こうしたカサンドラたちは、自分から探し出さなくてもよいのだ。あなたが経営者の一人であれば、向こうからやって来るだろう。まるで愛する商品を売り込むかのように、彼らの心配事を熱心に「売り込みに来る」はずだ。その時彼に議論を吹っかけてはいけない。たとえ時間の浪費のように思えても、彼らの話に耳を貸し、情報を得て、なぜそれが彼らにそうした行動をとらせたのかを理解するように最善を尽くすことだ。

 

 

このあと、実践的なハウツーの話題が列記されていきますが、本書の核心部は、インテルがメモリーから撤退してマイクロプロセッサーに転換した事情を説明する第3章から第5章の部分で、その後の章は、その説明で漏れた、気づいたことをアトランダムに追加したものなので、興味のある人は実際の本を手に取って読むことを、お奨めします。このあたり、経営者をしている人が、実際の現場で個々の事象を参考にしていくようなものではないかと思います。経営者以外でも、それぞれの事項は、十分参考になるものはあると思われますので、そは読む人それぞれによって受け取られると思います。

 

2013年8月 6日 (火)

あるIR担当者の日記~8月6日(経済情勢の客観性)

決算短信の文章の原稿読み合わせを行いました。「当期における我が国経済は…」で始まるパターンですが、その最初の導入部について、「我が国経済」の客観的状況を説明すると、未だに考えている人がいるので驚きました。経済社会の状況などという大状況に関して共通した大きな物語がもはや存在しない、というのは10年以上前から議論されてきたことだし、各人、各社でそれぞれの物語に分かれてしまったからこそ、一元的な経済政策や金融政策に有効な策が見つけ得ないのが事実ではないか。かつての護送船団ではないが業界ぐるみで成長していた各企業が、同じ業界内で勝ち組と負け組に分かれる、というように、それぞれが主観的な状況を切り開いている状況に変わってきていると言えるのではないか。投資の場合は、その異なった主観の状況認識をどれだけバリエイションとして持てるかで有利不利が出てきていると思います。そんな中で客観的な大状況の存在に疑いすら持っていない、というのは私には驚きでした。しかも、経営者の一員や私よりも10歳も年下で大企業でIR担当であった人がです。

実は、こんなことを言う議論に一つのパラドクスがあって、このような主張をしている私の状況の見方自体が、客観的状況がないという客観的な状況を述べていることになるのです。だから、こういうことを言っている私の方が変なのかもしれないし、客観的状況に疑いを持っていない人から見れば、私の言っていることは理解不能で、私の方でも、主張を押し付けることができない。そのため、議論になると常に私が負けることになるというわけです。

アンドリュー・S・グローブ「インテル戦略転換」(6)

第5章 われわれの手でやろうではないか?

インテルは、当初、業界で最初の企業だったため、チップ市場の実質100%のシェアを占めていた。その後、70年代に入ると他の企業も参入し始め、10以上の企業が業界でしのぎを削った。そして、80年代の前半、日本のメーカーが舞台に登場してきた。日本製メモリーの品質は、我々が実現可能と考えるレベルを越えていた。我々の最初の反応は、否定することだった。この種の状況に陥った者なら誰もがするように、われわれはその縁起でもないデータを激しく攻撃した。自分達自身でその報告内容に間違いがないことを確認して初めて、製品の品質向上に取り組み始めたのであったが、その時には既に大きく後れをとっていた。

ここで一番重要なことは、われわれが今まで通りR&D、すなわち研究開発に重点を置いていたということだ。つまり、われわれはテクノロジーを基盤としている企業であるから、すべての問題は技術的に解決できると考えていたのだ。当時我々の研究開発は、三つの異なるテクノロジーを扱っていた。ほとんどはメモリー開発ためのものであったが、1970年代に開発した別のデバイスの技術開発も、少人数のチームで並行して進められていた。マイクロプロセッサーである。どちらも類似したシリコン・チップの技術を用いて作られてはいるが、方法が異なる。マイクロプロセッサー市場はメモリー市場より低成長で小規模だったため、当時のわれわれは、こちらの技術開発にあまり重きを置いていなかった。大がかりなメモリーの開発はオレゴンの新しい施設で行われていたが、マイクロプロセッサーの研究開発者たちは、遠隔地にある製造部門の新しいとは言えない施設を共用していた。つまり、メモリーが最優先されていたのだった。

1984年の秋、そのすべてが一変したのである。ビジネスそのものが低迷し始めた。高品質、低価格、大量生産を武器とする日本製メモリーと戦っているうちに、損失は次第に膨らんでいた。しかし、経営は順調に推移していたので、プロ未亜夢・プライスをつけられるような魔法の製品を生む解決策を探し続けた。我々が粘り続けてこられたのは、資金的余裕があったからだ。だが、いったん業界全体が低迷期にさしかかり、他の製品でも巻き返しを計れなくなると、その損失額が大きな痛手となってきた。大損失を阻止できるような手立てとなる新しいメモリー戦略がいますぐにでも必要だった。

目標もなく迷っている状態が1年近く続き、1985年半ば、メモリー事業からの撤退を決断した。そこから、我々は辛く険しい旅に出た。正直なところ。メモリー事業からの撤退の可能性を仲間たちに話そうとしても、言葉を濁さずに口にするのには心底苦労した。インテルとメモリーとは、切っても切れない関係だった。自分たちのアイデンティティーを放棄することなどできるだろうか。この方針について切り出すと、同僚も私の言おうとすることを聞きたがっていないことに気付いた。

我社には宗教の教義にも似た二つの信条があった。そのどちらも、わが社の製造と営業の主軸であるメモリー事業の重要性に深く結びついていた。一つは、メモリーは「技術力の牽引役」であるという考えだ。つまり、我々はいつも、まずメモリーを使って技術の開発、改良を行ってきた。メモリーなら容易にテストを行えたからだ。最初にメモリーで欠陥を取り除き、その技術をマイクロプロセッサーや他の製品に用いていたのだ。もう一つの信念は、「十分な商品構成」だ。販売担当者が顧客に対して良い仕事をするためには、十分な商品構成が欠かせないという考えだった。もし、この体制が整っていなければ、顧客はそれを提供している競合他社から購入することになるだろう。この二つの強い信念があっては、メモリー事業からの撤退について、率直で理性的な議論が進められるはずがなかった。

このような大掛かりな改革は、もっと小さないくつもの段階を経て遂行しなくてはからない。と自分に言い聞かせた。ところが、数カ月のうちに、我々は避けられない結論に達してしまった。つまり、このような中途半端な状態でいることは、もはや不可能であり、経営側だけでなく組織全体がメモリー事業から一斉に撤退するという最終的な決意を固めなければならなくなったのである。まず、メモリー事業からの撤退を顧客に通知したが、顧客は撤退の可能性をある程度予測し、他社との取引を検討する段階に来ていた。感情的なしがらみを持たない立場の人たちにはこうした決断はもっと早く下されて当然だと映っていたのである。

ビジネスの基盤が根底から覆されてしまうような状況で、その時の経営陣が引き続き経営に関わって行きたいと望むならば、知的で客観的な部外者の目を持たなくてはならないのだ。経営者は感情的なしがらみにとらわれずに、戦略転換点をくぐり抜けるために必要なことをしなければならない。そして、我々が新たに考えなければならなかった問題は、メモリーから撤退した後、今度は何に力を注ぐべきなのかということだった。マイクロプロセッサーがその最有力候補だった。マイクロプロセッサーは古い生産工場の片隅で研究された技術を基に開発されたものだ。オレゴン州の最新鋭の工場で開発に取り組んでいれば、本当はもっと優れたものになっていたのだろう。メモリー事業からの撤退が決まり、オレゴン州の開発チームにマイクロプロセッサーを速く、安く、高品質に生産するためのメモリーの製造工程を組み替えるよう指示することになった。研究者たちは、メモリーへの思いはあったが、顧客と同じように、トップ経営陣がその問題に直面する前に、すでに避けられない状況にあることを感じ取っていたのだ。彼らの表情には、会社が力を入れてもいない製品にこれ以上取り組まなくても済む、という一種の安堵感さえ漂っていた。

 

メモリー事業の危機を経験して、それを乗り越えようと試行錯誤しながら、戦略転換点がどういうものであるのかを学んだ。それは、本当に個人的な体験だった。それまで体験してきたものの「10X」も強い力に直面した時、わが身の弱さと頼りなさを悟った。事業の何かが根底から変化し、それにのみ込まれ混乱に陥ったこともあった。過去にはうまくいったことが、もはやそうはいかなくなったとき、フラストレーションを感じた。まわりの人間に新たな現実を説明しなければならないときには、どうしようもなく絶望的な気分になって、そこから逃げ出したくなる衝動に駆られもした。そして、この先とうなるかわからなくても、新しい方向に向かって歯を食いしばって懸命に進めば、少しは気も晴れるということも分った。すべてがつらい経験だったが、私を経営者として成長させてくれた。

基本的な原則もいくつか学んだ。戦略転換点の「点」という表現は必ずしも正確ではないということも実感した。この転換期は一時点ではなく、実際には、長く続く苦しい戦いだったからだ。この例の場合、日本企業がメモリー事業で我々を打ち負かして、我々がメモリー事業から撤退し利益を上げるという、戦略転換点を乗り越えるまで、合計三年が費やされた計算になる。泥沼のような状況から逃れようと闘い、あらゆる側面から市場参入を図り、市場には存在していないニッチを探した。しかし、それは時間の浪費に過ぎなかった。赤字は膨らむ一方で、やっと適切な手を打とうとするころには、まわりの状況はさらに厳しいものになっていたのだ。立ち向かっていかなくてはならないものが何であるかは、たった一度の話し合いで句を突いて出たひらめきで実感していたはずなのに、それを実行し、成果を得るのには何年もかかった。

1992年には、マイクロプロセッサーの成功によって、我々は世界最大の半導体メーカーになっていた。メモリーの分野で我々を打ち負かした日本企業よりも、その規模は大きかった。

最後に、最も大切な教訓を述べよう。インテルの事業内容が変化し、経営陣がより高度なメモリー戦略を目指して議論を戦わせ、勝算のない戦争をどう戦えばいいか模索し続けていたころ、我々の知らないところで、組織の底辺を支える社員たちは、戦略転換を実行する準備をしていたのだ。そのおかげで、われわれは生き残り、素晴らしい未来を手に入れることができたのである。何年もの間、経営陣が特別な戦略上の方針として生産資源をより多く投入していたのだ。生産計画の担当者や財務の担当者たちは机を囲み、生産資源をどう配分するかで議論を続け、損失を出していたメモリー事業から、マイクロプロセッサーのような利益率の高い商品構成へと、シリコンウェハー製造能力を少しずつ移行させていたのだ。彼らのような中間管理職が、毎日の仕事をこなしながらインテルの戦略的な姿勢を調整していたのである。彼らの行動があったからこそ、撤退の決断がもたらす結果がそれほど深刻なものにならずに済んだのである。

この例が特別なのではない。第一線で働いている人々は、たいてい迫り来る変化にいち早く気づくものだ。過去の成功を通して築き上げた信念が妨げとなって、経営者が身動きできなくなっている間に、生産計画担当者と財務分析担当者は、客観的な視点で資源配分と数字に取り組んでいたのだ。その一方でわれわれトップは、景気の低迷や容赦のない赤字に晒されて初めて、過去を払拭し、全面的に再出発しようと勇気を奮い立たせることができたのだった。

2013年8月 5日 (月)

アンドリュー・S・グローブ「インテル戦略転換」(5)

第4章 それは、どこにでも起きる

世の中には競争があり、またメガ・コンペティション(大競争)がある。メガ・コンペティション、つまり「10X」の力が出現すると、産業の様相は一変する。時にメガ・コンペティションの本質は目に見えて明らかである。ウォルマートの例がまさにそれに当たる。

テクノロジーの基本ルールは「技術的に可能なことは、いつの日か必ず実現される」ということである。つまり、いったんPCが登場して、ある処理を行うためのコストを「10X」引き下げると、その影響はコンピュータ産業の隅々にまで及び、次第に産業そのものを変貌させてしまった。このような変化は一夜にして起こったわけではなく、徐々に変化して行ったのである。

顧客がそれまでの購買習慣を変えるということは、最も見えにくく、油断のならない戦略転換点の要因である。なぜ見えにくく、油断できないかと言えば、それはゆっくりと時間をかけて進行するからだ。消費者を直接の顧客としている企業は、このような若い世代が将来の顧客となるために、若者に浸透しつつある変化、すなわち若者がいかにして情報を入手したり生み出したり、問題を解決してり、生活したりしているのか、といったことを常に配慮する必要がある。さもないと、顧客から相手にされなくなってしまう。これは、チックタックと音を立てて近づきつつある人口統計学上の時限爆弾ではないだろうか。顧客ベースで起こる変化は、顧客の微妙な態度の変化であることもあるが、それがあまりに強烈な場合、「10X」の力を持つ可能性がある。

1994年のペンティアム・プロセッサーに対する消費者の反応は、こうした変化の表れだった。インテルの顧客に対するあぅいとの中心は、コンピュータ・メーカーからコンピュータ・ユーザーへとしだいに移って行った。「intel inside」キャンペーンは、コンピュータ・ユーザーのあいだに、実際にインテルから製品を購入していなくても、自分たちはインテルの顧客なのだという考え方を定着させた。これは顧客の態度の変化であり、しかも我々がそう仕向けたのだ。しかし、インテル内部にいた我々は、そのインパクトを十分には理解していなかったのである。この事件は偶然に発生した意味のない「ノイズ」なのだろうか。それとも何か特別な意味のある「シグナル」なのだろうか。私は後者だと思っている。コンピュータ業界は、自分の裁量で製品を買う顧客を相手にするようになったのだ。インテルはこの新しい現実に適応していかなければならなかったし、他社にしてもそうだった。コンピュータ業界を取り巻く環境が変わったのである。幸運なことに、この業界のマーケットは以前よりもはるかに大きく成長していた。しかし、その一方で、いままで扱いなれてきた市場よりもはるかに手強くなっていたのである。

マイクロプロセッサーの供給業者としての能力を有するインテルは、二次供給事業の運営を変えることで、コンピュータ業界の変革を加速させた。かつてコンピュータ業界で一般に行われていた二次供給とは、供給業者が自社製品を広く普及させるために、競合企業側に技術的なノウハウを提供し、競合企業もその製品を供給できるようにすることであった。80年代半ば、我々は、この事業運営がもたらす不利益が利益よりも大きいということに気付いた。そこで、方針を変更した。我社は自社の技術に対してそれ相応の報酬を要求することに決めたのである。我々は最終的に、次世代マイクロプロセッサーへの移行時期に、二次供給事業が成り立たなくなったことを受けて、自社のマイクロプロセッサーは自社のみ顧客に提供することにしたのである。この比較的小さな変更がPC業界全体に与えたインパクトは、桁外れに大きかった。最も重要な商品、つまりほとんどパソコンが搭載していた標準マイクロプロセッサーを提供できるのは、その開発業者であるインテルだけになった。この結果、二つの事態が起こった。一つは、われわれが顧客に与える影響が増大したことである。そして二つ目は、ほとんどのPCが一社から供給されるマイクロプロセッサーを搭載して製造されるという状況が加速したため、どれもが似通ってきたことである。さらにソフトウェア開発業者はね多数のメーカーが製造してはいるものの、基本的には同じようなコンピュータを意識してソフト開発することができるようになったのだ。互換性のある商品が登場したというコンピュータ業界の変革は、共通のマイクロプロセッサーがコンピュータに搭載されたことに大きく起因しているのである。

本章では、戦略転換点がどこでも起こり得るものであることを示そうと試みた。戦略転換点が、現代に特有の現象でも、ハイテク産業に限定されたものでも、他人にのみ起こり得るものでもないことを示したかったのだ。戦略転換点はそれぞれが異なってはいるが、共通の特徴を持っている。ここで注目してもらいたいことは、どの事例をとっても、戦略転換点が訪れると必ず、勝者と敗者が生まれるということである。そして勝者となるか、敗者となるかは、その企業の適応能力にかかっているということだ。戦略転換点は、脅威であるとともに将来の成功をも約束する。それは、根本的な変化の時であり、「適応か、死か」という常套句が、その真の意味を発揮する時なのである。

あるIR担当者の日記~8月4日(ホワイトカラーのサバイバルが始まる?)

また、昨日の続きです。昔から国家資格で3大資格、弁護士、公認会計士、そして医師というのがあって、試験に合格すれば先生で、将来は左団扇と言われていました。しかし、現在では内前二者は資格を取っただけでは食べていけないと言います。例えば弁護士の場合は、煩雑な法律の条文や規則、あるいは膨大な裁判の判例の中から、ケースに適したものを探し出して、書類を作成するのに、知識と経験が必要とされ、それには専門的な勉強が必要とされていました。しかし、今では、コンピュータやデータベースが長足の進歩を遂げて、法律や規則の条文、あるいは適当な判例はコンピュータの検索機能を活用すれば弁護士でなくても、ある程度のものは探すことができてしまいます。また、書類作成についても書類作成ソフトにあるテンプレートを利用すれば、弁護士でなくても書類をつくれてしまうようになりました。つまり、弁護士にわざわざ依頼しなくても、コンピュータやインターネットをうまく使えば、自分でほとんどのことができてしまう時代なのです。

少し前までは、ブルーカラーと言われた、工場等での生産現場の熟練労働者たちが、生産工程のモジュール化と機械化によって職を機械に奪われ、さらに機械化により仕事は誰でもできるからと国内から、海外の新興諸国の人件費の安い労働者に仕事が移っていきました。それが、これからはホワイトカラーと呼ばれる事務職に及び始めていると思います。弁護士や公認会計士の失墜は、その先触れです。例えば、企業の経理の仕事は、かつては簿記とか会計の専門知識を必要とするエキスパートの仕事でした。しかし、決算とか基本的な経理事務はコンピュータソフトがやってくれます。また、業務の効率化が進むということはシンプルになるということです。そうなると、経理は複雑で専門的な仕事で、企業の中枢の奥深くでやられている仕事から、コンピュータ化と効率化によってスペシャリストの仕事から、外注もできる業務に変わりつつあります。そうなれば、新興国の安い労働力にとって代わられるのも、遠い将来のことではないと思います。これは、総務も人事も法務も、みんなそうです。日本国内の最低賃金とか賃金基準で払わなくてはならない給与は、新興国に比べれば、はるかに高額です。企業としては、同じ仕事をしていて、日本人であるということだけで高い給料を支払わなくてはならないということは不合理です。つまり、コンピュータ化、効率化、そしてグローバル化によって、日本のハワイトカラーは新興国の安い賃金の労働者と競争しなくてはならなくなるのです。近い将来は、というよりも、今、すでに始まっているかもしれないのです。そのとき、私も含めて、ホワイトカラーが生き残るためには、企業が高い給料を払っても欲しいと思わせるような高い付加価値を生み出すような人材であることが必要となってくると思います。新興国の労働者とは価格競争では絶対に勝てないのです。

さて、ここから本題です。これまで考えてきた、例えば、国際会計基準が過去の計算から将来への展望への方向性に転換したということです。そこでは、単に計算をするというだけでなく、経営の一翼として企業の方針にコミットする、それを人々が気が付かなかったようなことに形を与えていく、という作業が入ってくるのです。だから、会計にクリエイティブな要素が入ってくるのです。これは、私には、高給取りの日本を含めた先進国のホワイトカラーの生き残りの試行錯誤に見えてしまうのです。私を含めてホワイトカラーの人間は、いままで誰も教えてくれなかったようなことを自分で考えていかないと、生き残れなくなる正念場に立たされている、と思うのです。

2013年8月 4日 (日)

アンドリュー・S・グローブ「インテル戦略転換」(4)

第3章 コンピュータ業界の変貌

競争を引き起こす力が様々に変化する中で、最も対応が難しいケースは、一つの力が突出して強くなり、産業界における事業経営の本質を根本から覆すような場合である。例えば、単純な構成で簡単に手に入るマイクロプロセッサーによってコンピュータが作られるようになり、その結果パソコンが登場した。それによってコストパフォーマンスは、それまでの10倍にアップした。コンピューティングのあり方に起きたこの大革命は、コンピュータ・ビジネスにも重大な影響をもたらすことになった。

従来、コンピュータ産業は縦割りの業界だった。従来のコンピュータメーカーはそれぞれ自社内でチップを製造し、そのチップを搭載したコンピュータを自社で設計し、自社の工場で生産していた。そこにマイクロプロセッサーが登場し、続いてマイクロプロセッサー搭載のパソコン、すなわち「10X」の力が登場したのだ。「10X」の力は技術の進歩によって生じた。それまでは多数のチップで構成されていたものが、ひとつのチップに集約できるようになり、ひとつのマイクロプロセッサーであらゆるパソコンを作ることができるようになったのだ。時間が経つにつれてマイクロプロセッサーは産業構造を変貌させ、新しい横割り型構造を出現させたのである。この新しい構造では、一社ですべてを生産するというような企業は存在しない。

このような変革が進むにつれ、従来の縦割りコンピュータ業界で隆盛を極めていた企業は、次第に生き残りが困難になってきていることに気付いた。しかし一方で、新しい秩序が新規参入企業に飛躍する機会を与えることにもなった。コンピューティングの基盤が変化しただけでなく、競争の基盤も変化した。横割り型構造で競合する企業は、それぞれの領域で最大のシェアを獲得しようと競争するようになった。

産業が転換点にさしかかっているとき、従来の方法を実践してしまうとトラブルに直面することがある。その一方で、戦略転換点が切り開く新天地は、その産業の外に身を置いて来た者にも新規参入のチャンスを与えることがある。その例として、コンパック、デル、そしてソフトメーカーのノベル。この三社は、事実上ゼロからスタートして大企業になった。これらの会社に共通することは、横割り型になった業界で成功するためのルールに直観的に従ったことである。さらに二つの教訓を導く。その一つは、戦略転換点が産業界に吹き荒れているようなとき、従来の構造の中で成功している企業ほど変化に脅かされる度合いが大きく、変化に適応することをためらう度合いも大きくなるということだ。二つ目はどんな業界に参入するにも、確固たる地位を築いている企業の向こうを張って参入する場合は膨大なコストがかかるが業界の構造が崩れると参入コストは明らかに小さくなり、この例のような企業が生まれる可能性がでてくるということだ。

横割り型業界では、大量生産と大量販売が死命を制する。ここには独自のルールがある。横割り型コンピュータ業界の熾烈な競争で優位に立った会社は、業界における暗黙のルールを体現している。そのルールは三つある。第一に、他と比べても大差のないものを無闇に差別化しない、ということだ。顧客に実質的なメリットもないのに、競合企業を出し抜くためだけに改良するのはやめておくことだ。表面的に「よりより良いパソコン」を作りたいという願望に動かされたとしても、それらくことごとく失敗している。パソコンは良さは、互換性と切り離すことはできない。互換性のない「より良いパソコン」は、技術的に矛盾しているのである。次に、技術革新や何やらの根本的な変化が訪れたとき、文字通り扉を叩いて到来するチャンスをしっかり捕まえる、ということだ。最初に行動を起こす企業のみが、競争相手に勝つための時間稼ぎという真のチャンスをつかむことができる。とりわけこのビジネスにおける時間的な優位性は、最も確実なシェアを獲得する道である。逆に言えば、新しい技術の波に逆らおうとする企業は、たとえ努力を尽くしたとしても敗者になるということだ。そして第三に、市場に受け入れられる価格をつけること、販売する量を設定して価格をつけること、である。そして、猛烈に働き、その価格で利益がえれるようにすることだ。こうすれば規模の経済、すなわち巨額の投資が効率性、生産性を生み、その結果、大手供給メーカーになり、巨額の投資を回収できるチャンスが生まれることになる。

 

2013年8月 3日 (土)

プーシキン美術館展 フランス絵画300年(おまけ)

先日アップしたプーシキン美術館展に対する感想に、poemさんが反応してくれて、読んだら一目散に会場に言って見たくなるような、誘惑的な感想をアップしていただきました。興味のある方は、こちらから。ただし、読んだら、「今でしょ!」と言って美術館に行きたくなるので、取扱注意です。それでは、コラボ返し(何か柔道の技みたいですが)ということで、以前アップしたのは、味も素っ気もないものだったので、おまけとして少し書きたいと思います。以前書いたのは、こちら

Pu3美術展全般の感想は書いたので、いくつかの作品について書きます。前にも書きましたのが、もっとも印象に残ったのが、アングルの『聖杯の前の聖母』という作品です。多分、印象に残った大きな理由は、この作品自体のものもあるのですが、展示方法の点で、横浜美術館で展示室が移って通路を隔てて、新しい展示室に入ったところにブースのように囲われて展示されていたこの作品に、突然邂逅する様に展示されていた、ということによるところが大きいと思います。これは美術館の演出の勝利だと思います。それまで、ロココのサロンのようなチャラチャラした印象の作品(ただし、最近、私はバロックとか古典とかロココの絵画をよく見るようになっていて、実は、今回はプッサンとかロランを目当てにして来たのでした)を見せられてきたときに、突然のように、なんか神々しいというのか、出会いがしらのように一発でノックアウトということだったのです。

Img3e76fbc6zik3zjまるで、中世のイコンのように聖母を正面から描いて、シンメトリーの顔の輪郭と目鼻の配置の整った印象が崇高さを感じさせ、半眼のような半ば閉じた眼と角張ったように真っ直ぐに通った鼻筋がまるで仏像のような穏やかで、包容力を醸し出していて、筆触を感じさせない滑らかな描き方と、肌の色や質感が生身の存在であることを他方で感じさせるという、その顔(御顔といった方がいいかもしれません)の魅力です。あとは、アングル特有の少しだけ首を長くしたり無理なプロポーションをとらせて独特の女性美表現、フェチ寸前のパーツへのこだわりが隠し味のようになっていて、この場合は、顔を正面向かせて、身体を斜めにして首をねじらせて曲線を露わにさせているところがアングルらしいこだわりで、ひそやかなエロチシズムの仄めかしがスパイスとなって、なかなかこの作品の前を離れることができませんでした。

Pu2そして、その隣にジョゼフ・ペリニオンの『エリザベータ・バリチャンスカヤ公爵夫人の肖像』がありました。アングルを見て、その残像が残っているところで、この作品をみると、あたかもマリア様が現実の女性として現われたという印象でした。聖母の神々しさが抜けて、生身の美しい女性として再び現れたという感じです。で、筆触とか色遣いとか、おそらくこの画家はアングルの影響を受けているではないかと思いますが、意図的にか、デッサンが多少歪ませているところなんかバクリと言ってもいいと思います。この画家は発見だったと思います。ただし、この展示の流れでこそ生きるので、別のところで見ても印象に残るかどうかは分かりません。

以上、poemさんのような誘惑的な文章にはできませんでしたが(これ読んで、横浜美術館に行きたいとは思えないでしょう)、挑戦してみました。

あるIR担当者の日記~8月2日(役員報酬の開示を考える)

昨日の続きをもう少し。役員個人の報酬額を開示するかどうかという議論がありますが、単に報酬額を開示するというのではなくて、取締役Aさんは、こういうことができる人で、それが当社にとってなくてはならない、今期もそのおかげで、こういうことができた。その人を当社に引き留めるには、これだけの報酬が必要だった。あるいは、これだけの報酬を払うことで、今後、これ以上の業績の伸びが期待できる。具体例でいえば、日産のゴーン社長が高額の報酬を得ていても、日産をここまで建て直してきたことを見ていると、文句を言う人はいないし、ゴーン社長がいるから日産に投資するという人も多い。そういうことを役員報酬の開示にかまけて、アピールできる。
それを敷衍して考えると、株主総会招集通知の役員選任議題の議案説明で、顔写真を入れるとか末節の議論ではなくて、上述のような説明、この人はこういうことで企業に貢献した、してくれる、ということを説明するということを考えてもいいのではないか、と思った。それこそが、真の“開かれた総会”になるのではないか、とも。

2013年8月 2日 (金)

アンドリュー・S・グローブ「インテル戦略転換」(3)

第2章 「10X」の変化

企業の競争力を分析する場合、そのほとんどは変化のない状況下でのものだ。ある一時点において企業に影響を及ぼす複数の力を描き出し、それらの力がどう作用して、企業の望ましい、あるいは望ましくない状況を作り出すのかを説明するものだ。しかし、力のバランスに大きな変化が起きている場合には、この分析はあまり役に立たない。これらの力の一つが、例えば10倍もの規模に増幅されたとすれば、従来の競争力の分析では企業がどう動くかを理解する何の援けにもならないのである。

事業基盤の要素に変化が起き、それが桁違いの規模になっていくと、予測はことごとく裏切られることになる。風はやがて台風となり、波はやがて高波となるように、一つの競争相手はやがて熾烈な競争を生む力へと変わる。私は、六つの力のいずれか一つが大きく変化することを「10X」の変化と呼んでいる。要するに、力の大きさがそれまでの10倍になった状態をいう。企業は「10X」の力に遭遇すると、もはや自分の運命をコントロールできなくなる。企業にとって未経験のことばかりが起こり、そうなると従来の方法ではとても対応しきれない。まさに「何かが変わった」という状況なのである。

転換点とは何か。数学で言えば、曲線の変化率が変わる変曲点のことで、符号が変わるところだ。経営戦略に関しても同じことが言える。転換点に来ると、これまでの戦略的構図が消え去り、それに代わって新たな構図がうまれることになる。その構図にうまく適応できる企業であれば、より高いレベルに達することも可能だ。しかし、この転換点での舵取りを誤ると、ある頂点を通過した後に下降線をたどることになる。この転換点に差しかかって初めて、経営者は困惑し、「何かが違う。何かが変わった」と気づくのだ。つまり、戦略転換点とは、さまざまな力のバランスが変化し、これまでの構造、これまでの経営手法、これまでの競争の方法が、新たなものへと移行していく点なのである。

いつ戦略転換点が来るのかを正確に示すことは難しい。後から振り返ってみたとしても、難しいのだ。後から考えても特定することが難しいというのに、どうすれば戦略転換点を通過しているということが分かるのだろうか。実際には、戦略転換点を通過している人たちは、各自が違う時点で通過中であると感じるのだ。転換点にいる時の議論は残酷で厳しい。「もし、我社の製品がもう少し優れているか、もう少し安ければ、問題はないはずだ」とか「景気が悪いせいだ。設備投資が回復すれば、また以前の成長を取り戻すさ」という意見もでてくる。しかし、「この業界はすっかり変わってしまった。最近のコンピュータの使い方ときたら、いかれているとしか思えない」というひとがいても、その意見が取り入れられることはまずないだろう。

どのような状況が組み合わされば、戦略転換点になるのだろうか。多くの場合、戦略転換点はいくつかの段階を経て明らかになってくる。最初に、何かが違うという不安感がある。物事が以前のようには上手く行かなくなる。次の段階では、企業が取り組んでいるはずのことと、実際に内部でおきていることとのずれが次第に大きくなってゆく。こうした企業方針と行動の不一致が、今まで経験してきた混乱とは違うものだということの暗示なのだ。やがて、新しい枠組み、考え方、動きが生まれてくる。

戦略転換点を通るのは、死の谷の危険を冒して立ち入るというのが的を得ているかもしれない。従来の経営手法から新しい手法へと移行するための危険な綱渡りだからだ。経営者は、仲間の何人かは谷の向こう側まで一緒に渡りきれないと知りながらも、進んでいくのである。経営者の務めは、犠牲を承知でかすかに見える目的地へ向かえと号令を掛けながら進むことである。

形のない転換点を相手に、どのようにしたら適切な処置を講ずるためのタイミングがわかるのだろうか。残念ながら、これといった方法はないのだ。それし、全体像が見えず、データもそろっていない時点で行動を起こすということを意味する。この時ばかりは直観と個人的判断しか頼れるものはない。要するに自分の直観力を磨き、様々なシグナルを感知できるようにすればいいのである。戦略転換点とは、目を覚まし、耳を傾けるべきときなのである。

2013年8月 1日 (木)

あるIR担当者の日記~8月1日(財務報告の方向性)

統合報告のセミナーを聞いてきました。アメリカではアニュアルレポートについて財務報告だけでは、企業内容を理解できないというアンケート結果がでているという。財務報告についても、国際会計基準では過去の計算の報告から、事業の将来への展望を予測できる方向に転換するなど、企業会計についても従来の考え方から大きく変わってくるということが説明されました。そこでは、どうしても財務報告以外の非財務報告の充実が求められ、しかも財務報告と非財務報告との一貫性が必要となると。例えば、財務報告では企業年金の年金債務の内容が報告されています。これだけでは財務報告で、過去の計算の報告です。しかし、このような年金債務を企業がわざわざ負っているのは、そこに目的があるからで、その目的というのは従業員の福利厚生、もっと言えば、投資家としては、その効果がどこまで出ているのかを見たい、それは、従業員のやる気アップに企業年金が貢献しているのか、あるいは優秀な人材を確保するのに企業年金が機能しているのか、ということ。それは、つまり優秀な人材を確保し、従業員に活気があれば将来の企業業績に影響するだろうということです。

一方、日本企業でPBRが1未満である企業というのは、財務報告に対する信頼性がそもそもないと考えるべきという、厳しい一言。

具体的に、自社は、自分は何をしたらいいか、ということはすぐには考え付きませんが、現状に対する警鐘として参考になりました。これから、よく考えなければならない。

アンドリュー・S・グローブ「インテル戦略転換」(2)

第1章 何かが変わった

1994年インテルは、本格生産を始めた最新鋭ペンティアム・プロセッサーの欠陥が表面化し、一度は収束するかに見えたが、1週間後にIBMが搭載中止の発表によって、さらなる混乱に巻き込まれた。

この問題の処理にあたったのは、インテルに入社して10年目くらいの社員がほとんどだった。彼らの知るインテルは、着実に成長を遂げる企業だった。一生懸命働き、一歩一歩前に進めば、必ず良い結果が出るということを体験してきた者たちだ。それが今や、突然、成功を予測するどころか、目の前のことさえ予測できなくなったのだ。必死に抵抗する社員たちは不安を拭えず、恐怖さえ感じるようになっていた。また、この問題には別の側面もあった。仕事場だけでは収まらなかったのだ。社員たちは家に帰り、家族の夕食の席でも、パーティの席でも話題の種になった。このような変化は、社員たちにとってはつらいものだった。まして、翌朝もまた会社で対応に追われるとしたら、気を取り直すどころではなかったのだ。

その翌週、われわれは、それまでの方針を180度転換し、ユーザーの交換要求にすべて応じることにした。それは大変な決断だった。すでに数百万個のチップを出荷していたが、そのうちどれくらいが返品されて来るのか、推測することすら不可能だった。早速、体制を実質ゼロからつくりあげた。消費者との直接取引をしてこなかった我々は、ユーザーの質問にじかに対応した経験は全くなかった。それが突然、来る日も来る日も大規模に取り組まなければならなくなったのだ。最終的に、我社は巨額の損失を出さざるを得なくなった。実に、年間の研究開発費の半分、ペンティアムの広告費5年分にあたる金額だった。

この時以来、われわれは仕事への取組み方を全面的に切り替えたのである。

 

26年間というもの、我々の製造したものが製品として適切かそうでないかを判断するのは常に我々自身だった。品質基準も仕様も、決定するのはわれわれで、製品が基準に達しているとわれわれが判断した時、製品を出荷してきた。ところが、突然、あらゆる方面から「いつから製品評価が出来る身分になったんだ」とでも言いたげな視線を向けられるようになったのである。その上、我々がマイクロプロセッサーを販売してきた相手は、ユーザーではなくメーカーだったから、トラブルの際にも、メーカーを相手に、技術者対技術者で、会議室で黒板を使ってデータ分析をしていればよかったのだ。それが突然、25000人ものユーザーが毎日電話をかけてきては「新しい部品に替えてくれ」という。気が付いたときには、何一つ我社から直接買っていないのに、我社に対して激怒している人々への対応に追われていた。

最も受け入れ難かったのは、外から見た我社のイメージだった。私はまだ、インテルは創造的で活力溢れる、スタートしたばかりのベンチャーで、他の同様の企業より少し大きくなった程度の小回りの利く企業だと考えていた。しかし、世間は我社をいわゆるマンモス企業とみなしていたのだ。世間の目からみれば、そんな大企業が人びとを欺こうとしていると映っていたのである。一年ほどたって振り返ってみると、長期にわたり二つの大きな力が我々に作用していたことが分かる。第一に、製品に対する一般の認識を変えようとする我々自身の試みがあった。事件の数年前、我々は大々的な販売促進キャンペーンを開始していた。このキャンペーンの狙いは、コンピュータ・ユーザーに、コンピュータの中に入っているマイクロプロセッサーこそが、コンピュータそのものであるということを知ってもらうことだった。そういうわけで、ペンティアムに問題が生じたとき、我々の広告戦略がユーザーを我社に直接差し向けてしまったのだ。第二に、我社の急成長だ。大企業として強いアイデンティティーを持つようになった我々は、今までに体験したことのない不快な現実と格闘していた。ユーザーから見れば、我社は巨大企業になっていたのだが、残念なことに、大事件が起きてはじめて、我々はそのことに気付いたのである。もはや、今でルールは通用しなくなっていた。新しいルールが敷かれ、我々は大損害を余儀なくされた。問題だったのは、ルールが変わったことに気付かなかったということだけではない。さらに悪いことに、我々はどんなルールに従えばいいのかも分らなかったということだ。分かるのは何かがかわったということだけだ。この件が起こる以前は、すべてが順調に推移していたのだ。しかし、突如として、それだけでは不十分だということになったのである。

企業は、数ある暗黙のルールによって経営されているが、そのルールは時として変化するものである。それも大幅に変わることがよくあるのだ。しかし、ルールが変わったことを告げる警告などは存在しない。我社に何の前触れもなく忍び寄ったように、あなたの企業にも忍び寄るものなのだ。分かるのは、何かが変わったということだけ。大きくて重大な何かが変わったということだけで、それが何であるのかは、明確には分らない。

こうした現象は、よくある。ビジネスとは、他のビジネスに変化をもたらすものであるし、競争も変化をもたらすものであるし、競争も変化をもたらすものでもある。技術も変化をもたらすし、規制の導入や撤廃によっても大きな変化が起きる。その変化は企業だけに影響することもあれば、産業全体に及ぶこともある。したがって、風向きが変わったことを察知し、船を壊さないよう適切に対処する能力こそが、企業の将来には不可欠なのである。

 

私はペンティアム事件の本当の意味を、最後に理解した一人だった。何かが変わったことに気付き、新しい環境に適応しなければならないと理解するまでには、容赦ない批判の集中砲火が必要だったのである。我々は、やり方をすっかり見直し、いまや我社の名前が一般家庭でも知られており、巨大な消費財メーカーになったという事実を受け入れられるようになった。もしそれまでのやり方に固執していたら、新しい顧客関係を育むチャンスを失うばかりか、会社の評判や経営にダメージを受ける可能性すらあったのである。教訓として残るのは、われわれは誰でも変化という風に自分自身を晒さねばならないということだ。

 

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