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2013年8月22日 (木)

イチローさんの4000本安打

プロ野球選手の通称イチローが4000本安打を記録したということで、大変話題になっています。4000本もの安打を打ったという実績は凄いものだそうで、過去に4000本の安打を記録したプロ野球選手は数えるほどしかいない、という素晴らしい記録ということで、そのような記録を実績として残したイチローというプレイヤーが、その記録を残したということで称賛されています。

そういう素晴らしい記録をイチローというプレイヤーが残したことや、これに対して称賛の声が寄せられることにケチをつけるつもりは全くありません。私も、イチローさんには、他人事ですが、おめでとうという気持ちはあります。しかしです。プロ野球のファンではないので、よくは分からないのですが、その4000本安打の素晴らしさというのは、何をみればいいのでしょうか、ということなのです。素晴らしい記録ということだから、記録を見ればいいのでしょうか。記録を見ればいいのなら、イチローというプレイヤーのプレイを見る必要はないということなのでしょうか。つまり、それは、本質的なことではないということでしょうか。屁理屈をこねて難癖をつけていると思われそうなので、本筋の議論をしたいと思います。私は、プロ野球の醍醐味というのは、技量に秀でた人や体力などの能力が人一倍優れた人や経験やノウハウを蓄積させた人、その他、一般的に余暇に野球を楽しんでいる人には到底及びもつかないような、卓越した技量や超人的な動き、あるいは見とれてしまうような人間の動きの美しさ、あるいは戦術的な読みの深さなどを、ボールをめぐって一瞬のうちに見せてくれることだと思っています。だからこそ、ファンはその一瞬に出会うことを求めて球場に足を運ぶ、と私は思っています。プロ野球の魅力はそれだけではない、という意見もあって、私は、それを否定するつもりはありません。しかし、本質的な魅力は、そこで、あとは付加価値、つまりはオカズと思っています。ただ、プロ野球の魅力は多様なので、人によって様々な関わり方があり、私の言う本質がオマケだと言う人がいても、おかしくないことで、それがあることがプロ野球というものの豊かさであると思います。だから、イチローの記録だけを見ていて、イチローのプレイを見たことがないと言う人がいても、そういう楽しみ方があることは尊重すべきだと思います。

しかし、新聞とかテレビとかジャーリズムと言われるところや、人々に対して野球の解説をしているような人々は、そういう個人の限った楽しみに留まることは、本来、できないと思います。そこで、最初に言ったように、イチローというプレイヤーの記録が素晴らしいのなら、記録だけを見ていればいいのか、ということを問われているはずです。プロ野球は、こういうことだから素晴らしいのだという本質に、イチローの記録が触れるからこそ素晴らしいので、その関係を現時点で、だれも説明しようとしないのです。それが、何を見ればいいのか、という最初の問いかけです。例えば、プロ野球の魅力の本質4000本もの安打を残しているイチローの素晴らしさは、このようなイチローの身体の動きに表われている。イチローというプレイヤーの凄いところは、例えば、こういうところで、このように、一瞬において4000本安打の素晴らしさを見ることができる点だ、とかいうような議論が出てこないのでしょうか。私は、ある面でのプロ野球の本質的な魅力を、イチローの身体の動きというのは体現していると思います。そういうイチローを見るという、表層論的に論じてくれる人は、4000本安打を称賛する、ジャーナリストやプロ野球関係者には、いないのでしょうか。

イチローのインタビューやヒットを打って塁上で祝福を受ける姿と、バットを振ったり、守備で矢のような送球をするフォームの美しさと、どちらがイチローというプレイヤーの本質的な魅力なのか、どっちを見せたいのか、そこに流している人の思想が(本音のところで、野球を見下している)のが露わになっているのが、見えてしまうのです。

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