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2013年8月 6日 (火)

アンドリュー・S・グローブ「インテル戦略転換」(6)

第5章 われわれの手でやろうではないか?

インテルは、当初、業界で最初の企業だったため、チップ市場の実質100%のシェアを占めていた。その後、70年代に入ると他の企業も参入し始め、10以上の企業が業界でしのぎを削った。そして、80年代の前半、日本のメーカーが舞台に登場してきた。日本製メモリーの品質は、我々が実現可能と考えるレベルを越えていた。我々の最初の反応は、否定することだった。この種の状況に陥った者なら誰もがするように、われわれはその縁起でもないデータを激しく攻撃した。自分達自身でその報告内容に間違いがないことを確認して初めて、製品の品質向上に取り組み始めたのであったが、その時には既に大きく後れをとっていた。

ここで一番重要なことは、われわれが今まで通りR&D、すなわち研究開発に重点を置いていたということだ。つまり、われわれはテクノロジーを基盤としている企業であるから、すべての問題は技術的に解決できると考えていたのだ。当時我々の研究開発は、三つの異なるテクノロジーを扱っていた。ほとんどはメモリー開発ためのものであったが、1970年代に開発した別のデバイスの技術開発も、少人数のチームで並行して進められていた。マイクロプロセッサーである。どちらも類似したシリコン・チップの技術を用いて作られてはいるが、方法が異なる。マイクロプロセッサー市場はメモリー市場より低成長で小規模だったため、当時のわれわれは、こちらの技術開発にあまり重きを置いていなかった。大がかりなメモリーの開発はオレゴンの新しい施設で行われていたが、マイクロプロセッサーの研究開発者たちは、遠隔地にある製造部門の新しいとは言えない施設を共用していた。つまり、メモリーが最優先されていたのだった。

1984年の秋、そのすべてが一変したのである。ビジネスそのものが低迷し始めた。高品質、低価格、大量生産を武器とする日本製メモリーと戦っているうちに、損失は次第に膨らんでいた。しかし、経営は順調に推移していたので、プロ未亜夢・プライスをつけられるような魔法の製品を生む解決策を探し続けた。我々が粘り続けてこられたのは、資金的余裕があったからだ。だが、いったん業界全体が低迷期にさしかかり、他の製品でも巻き返しを計れなくなると、その損失額が大きな痛手となってきた。大損失を阻止できるような手立てとなる新しいメモリー戦略がいますぐにでも必要だった。

目標もなく迷っている状態が1年近く続き、1985年半ば、メモリー事業からの撤退を決断した。そこから、我々は辛く険しい旅に出た。正直なところ。メモリー事業からの撤退の可能性を仲間たちに話そうとしても、言葉を濁さずに口にするのには心底苦労した。インテルとメモリーとは、切っても切れない関係だった。自分たちのアイデンティティーを放棄することなどできるだろうか。この方針について切り出すと、同僚も私の言おうとすることを聞きたがっていないことに気付いた。

我社には宗教の教義にも似た二つの信条があった。そのどちらも、わが社の製造と営業の主軸であるメモリー事業の重要性に深く結びついていた。一つは、メモリーは「技術力の牽引役」であるという考えだ。つまり、我々はいつも、まずメモリーを使って技術の開発、改良を行ってきた。メモリーなら容易にテストを行えたからだ。最初にメモリーで欠陥を取り除き、その技術をマイクロプロセッサーや他の製品に用いていたのだ。もう一つの信念は、「十分な商品構成」だ。販売担当者が顧客に対して良い仕事をするためには、十分な商品構成が欠かせないという考えだった。もし、この体制が整っていなければ、顧客はそれを提供している競合他社から購入することになるだろう。この二つの強い信念があっては、メモリー事業からの撤退について、率直で理性的な議論が進められるはずがなかった。

このような大掛かりな改革は、もっと小さないくつもの段階を経て遂行しなくてはからない。と自分に言い聞かせた。ところが、数カ月のうちに、我々は避けられない結論に達してしまった。つまり、このような中途半端な状態でいることは、もはや不可能であり、経営側だけでなく組織全体がメモリー事業から一斉に撤退するという最終的な決意を固めなければならなくなったのである。まず、メモリー事業からの撤退を顧客に通知したが、顧客は撤退の可能性をある程度予測し、他社との取引を検討する段階に来ていた。感情的なしがらみを持たない立場の人たちにはこうした決断はもっと早く下されて当然だと映っていたのである。

ビジネスの基盤が根底から覆されてしまうような状況で、その時の経営陣が引き続き経営に関わって行きたいと望むならば、知的で客観的な部外者の目を持たなくてはならないのだ。経営者は感情的なしがらみにとらわれずに、戦略転換点をくぐり抜けるために必要なことをしなければならない。そして、我々が新たに考えなければならなかった問題は、メモリーから撤退した後、今度は何に力を注ぐべきなのかということだった。マイクロプロセッサーがその最有力候補だった。マイクロプロセッサーは古い生産工場の片隅で研究された技術を基に開発されたものだ。オレゴン州の最新鋭の工場で開発に取り組んでいれば、本当はもっと優れたものになっていたのだろう。メモリー事業からの撤退が決まり、オレゴン州の開発チームにマイクロプロセッサーを速く、安く、高品質に生産するためのメモリーの製造工程を組み替えるよう指示することになった。研究者たちは、メモリーへの思いはあったが、顧客と同じように、トップ経営陣がその問題に直面する前に、すでに避けられない状況にあることを感じ取っていたのだ。彼らの表情には、会社が力を入れてもいない製品にこれ以上取り組まなくても済む、という一種の安堵感さえ漂っていた。

 

メモリー事業の危機を経験して、それを乗り越えようと試行錯誤しながら、戦略転換点がどういうものであるのかを学んだ。それは、本当に個人的な体験だった。それまで体験してきたものの「10X」も強い力に直面した時、わが身の弱さと頼りなさを悟った。事業の何かが根底から変化し、それにのみ込まれ混乱に陥ったこともあった。過去にはうまくいったことが、もはやそうはいかなくなったとき、フラストレーションを感じた。まわりの人間に新たな現実を説明しなければならないときには、どうしようもなく絶望的な気分になって、そこから逃げ出したくなる衝動に駆られもした。そして、この先とうなるかわからなくても、新しい方向に向かって歯を食いしばって懸命に進めば、少しは気も晴れるということも分った。すべてがつらい経験だったが、私を経営者として成長させてくれた。

基本的な原則もいくつか学んだ。戦略転換点の「点」という表現は必ずしも正確ではないということも実感した。この転換期は一時点ではなく、実際には、長く続く苦しい戦いだったからだ。この例の場合、日本企業がメモリー事業で我々を打ち負かして、我々がメモリー事業から撤退し利益を上げるという、戦略転換点を乗り越えるまで、合計三年が費やされた計算になる。泥沼のような状況から逃れようと闘い、あらゆる側面から市場参入を図り、市場には存在していないニッチを探した。しかし、それは時間の浪費に過ぎなかった。赤字は膨らむ一方で、やっと適切な手を打とうとするころには、まわりの状況はさらに厳しいものになっていたのだ。立ち向かっていかなくてはならないものが何であるかは、たった一度の話し合いで句を突いて出たひらめきで実感していたはずなのに、それを実行し、成果を得るのには何年もかかった。

1992年には、マイクロプロセッサーの成功によって、我々は世界最大の半導体メーカーになっていた。メモリーの分野で我々を打ち負かした日本企業よりも、その規模は大きかった。

最後に、最も大切な教訓を述べよう。インテルの事業内容が変化し、経営陣がより高度なメモリー戦略を目指して議論を戦わせ、勝算のない戦争をどう戦えばいいか模索し続けていたころ、我々の知らないところで、組織の底辺を支える社員たちは、戦略転換を実行する準備をしていたのだ。そのおかげで、われわれは生き残り、素晴らしい未来を手に入れることができたのである。何年もの間、経営陣が特別な戦略上の方針として生産資源をより多く投入していたのだ。生産計画の担当者や財務の担当者たちは机を囲み、生産資源をどう配分するかで議論を続け、損失を出していたメモリー事業から、マイクロプロセッサーのような利益率の高い商品構成へと、シリコンウェハー製造能力を少しずつ移行させていたのだ。彼らのような中間管理職が、毎日の仕事をこなしながらインテルの戦略的な姿勢を調整していたのである。彼らの行動があったからこそ、撤退の決断がもたらす結果がそれほど深刻なものにならずに済んだのである。

この例が特別なのではない。第一線で働いている人々は、たいてい迫り来る変化にいち早く気づくものだ。過去の成功を通して築き上げた信念が妨げとなって、経営者が身動きできなくなっている間に、生産計画担当者と財務分析担当者は、客観的な視点で資源配分と数字に取り組んでいたのだ。その一方でわれわれトップは、景気の低迷や容赦のない赤字に晒されて初めて、過去を払拭し、全面的に再出発しようと勇気を奮い立たせることができたのだった。

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