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2013年9月18日 (水)

カンディンスキー展(5)~モスクワ1914~1917年─内なる故郷

Kandinskymoscowカンディンスキーはロシア人であったため、第1次世界大戦の勃発により、ミュンヘンを離れ、故国のモスクワに帰国します。最初はお勉強です。帰国後の10月革命を挟むモスクワでの7年間は、物心両面での困難、革命政権下での公職の多忙等が重なり、油彩作品の数は大幅に減少し、水彩画が増えることになります。カンディンスキー独自のこだわりのないおおらかな画面作りが、この時期は抑制され、緊張しながら様子を窺っているような趣を帯びる。線は震え、色彩は禁欲的となり、ミュンヘン時代の作品にあった開放感は、やや神経質に揺れ動きながら内に籠っていく自閉の感覚に取って代わられる。多数のモチーフが折り重なりながら畳み掛けるという点では以前と同じなのだが、ミュンヘン時代には、無尽蔵なエネルギーのストレートな発露と感じられたこの性格が、モスクワにあってはむしろ内なる衝動ののざわめきの抑えがたく不安な増殖を感じさせる。『コンポジションⅦ』が、崩壊の予感が影を差していたというものの、未だ帝国主義的ヨーロッパの体制がその豊かさを支えていた19世紀以来の精神風土に根差し、その世界の終焉の時に最後の炎の輝きのように生まれたのと対照的に、社会の瓦解を現実に目のあたりにし、行くべき道もいまだに定まらない混沌の中で描かれたロシア時代の作品では、沈潜する内向性とその切迫感に強いリアリティがあり、そこに見られる緊張と不安、そして慎ましげな希望への模索がある。

まず『モスクワⅠ』(右上図)を見ましょう。画像では分かりませんが、サイズは50×50㎝という、『コンポジション』に比べてかなり小さなサイズになり、キャンバスの地が透けて見えるほどに絵の具の塗りが薄くなっています。それを、上述の社会環境からの影響と見るか、ですが。また、建物や太陽の光、虹、群れをなして飛ぶ鳥などがそのものと分かるように描かれており、具象に後退してしまったのかとも考えられなくもないです。このように形象が描かれた作品を見ると、カンディンスキーという画家はデッサンの勉強はあまりしていなかったのか、と思えるほど下手なのではないか。悪いけど、この作品は、こういうのも描いたというものとして見ました。

Kandinskyblueそして『青い弧』(左上図)という作品。前述の『モスクワⅠ』に続いて、こっちは抽象画っぽいものに戻ってきた?ように見えますが、この作品でも中央に描かれているのは街の形であるような感じがあり、現実の形象を残しているような気がします。そのことを考えて、もう一度『モスクワⅠ』を見てみると、カンディンスキーは『コンポジションⅦ』を制作したことで、行き着くところまで行ってしまったというのと、ロシアという未だ芸術文化の異質なところで、一度原点近くまで戻って、もう一度抽象絵画を、異なった方向性で始めようとしたのかもしれないと、想像したりします。だから、『モスクワⅠ』のでは、中心は具象的な絵画というのではなくて、球を中心して建物を配置する構成にあったのであって、それを生かすために現実の建物を思わせる形象でないと、球体を取り囲んだ世界であることが見る者にわからない、そのために必要だったとも、考えられます。そうすると、具象であっても、抽象画の手法として具象の形態をパーツとして利用する。なんか面倒くさい考え方ですね。そう見ると、そういう方向から『コンポジションⅦ』とは、異なる方向の過程にある作品として『青い弧』を見ることもできるかもしれません。

Kandinskytasogare『暗鬱』(右下図)という作品です。この後、カンディンスキーは、よく似た傾向の作品を続けて制作しています。画面のサイズも『コンポジション』ほどの大作でなく、縦横1m前後のサイズになり、大きさで迫ることもなく、何よりも背景のグレーの色調が強く画面を支配して、『コンポジョン』にあったような様々な色彩が画面から跳び出さんばかりの緊張関係を示すということはありません。逆に、そういう活力というのがないまま、グレーを背景にして、それなりに色彩が配されていて、そういう飛翔がないだけに却って、『コンポジション』を見たものは閉塞感を感じるのではないでしょうか。暗いグレーの色彩と相俟って、不安な感じ、もっと言えば悲劇的な様相を感じさせます。全体として、『コンポジション』の広がりは宇宙的というのか、外へ拡がる方向性だったのに対して、この『暗鬱』という作品は、心理的というのか内面の感情の方向に向かっているように見えます。ただし、内面の深みへの思考はなくて、画面は平面的なのです。あまり、心理的な深読みのようなことはカンディンスキーには合わなかったのかもしれません。カンディンスキーという画家は徹頭徹尾、平面を制作し、平面でイメージした人なのかもしれません。だから、深みとか奥行といった感じは、彼の作品からは感じられません。

Kandinskygrey今回最後は『灰色の楕円』(左下図)という作品です。『暗鬱』以上に暗くて閉塞感があるのではないでしょうか。「灰色の縁取り」と作者自身が呼ぶ不定形の枠に閉じ込められているかのようです。しかも、色調はグレーに統一され赤や青も鮮やかさを失いグレーの混ざった鈍い色になってしまっています。鋭角的な形が重なり合い畳み掛けるような構成は、『コンポジション』には見られなかったもので、閉じられた空間で広がることができないと、ひしめき合うように折り重なるしかありません。しかも、重なりが立体的な深みに追求されることはなく、あくまで平面的に描かれているため、なおさら閉塞感が強まります。しかも、線は力強さがなく細身で、どことなく震えているように見えます。

こうしてみると、ミュンヘン時代の『コンポジション』から、モスクワに帰国してからのカンディンスキーは多かれ少なかれ方向転換をしたということは、確かなようです。最初のところで経済社会生活上の環境変化、あるいは文化状況の変化という環境変化のことを語りました。それ以外に、お勉強では『コンポジション』で行き着くところまで行ったので、別の方向を追求していかざるを得なくなったというようなことが言われているようです。それもあると思います。私がカンディンスキーの作品を見ていて実感として感じたのは、かれのイメージが徹頭徹尾平面的であるというのがまずあります。そのため、立体的な方向性というのが当初から考えられなかった。形状を重層的に描くという試みが為されていますが、それはあくまで表面的なところで行われているため、平面の閉塞感を助長させるだけの結果となり、奥行とか深みといった表現の広がりには至っていないという印象です。もともと画面の奥行というのは具象の世界で、奥行きのあるものを、そう見えるように平面であるキャンバスにらしく描くことで、見る者にそういう想像をさせることで生じる効果です。しかし、抽象画はそういうもととなる物体そのものを消失させてしまったので、もともと立体なのだからと観る者に奥行を想像させることは難しく、本質的に平面的にならざるを得ないところがあると思います。

それよりも、WHATということを否定して、HOWに特化したのが抽象画としたら、HOWという如何に描くかということは、実は、それ自体で独立していることではなくて、WHATという何を描くかということと不即不離にあるのではないでしょうか。描く対象があって、それをどのように描くかということがセットであるということです。このうちのWHATを取り払ってしまったことで、HOWの可能性もじつは閉ざされてしまったとも言えなくはないのでしょうか。というのも、カンディンスキー以外の抽象画家たち、例えばマレーヴィチはつきつめていって黒一色の作品というような絵画であることを自己否定してしまうようなものに行き着いてしまったし、モンドリアンはコンポジションの手法、つまりHOWをつきつめていきましたが、スタイル化してしまって、そのスタイルの目先を変えるという、悪く言えば手法に淫するようなものに至ってしまうわけです。抽象絵画というのは、始めた時点では画家にとって開放だったのかもしれませんが、伸び代というのか可能性を結果的に閉ざすような側面もあったのではないか。そこでの、WHATを最初に否定してしまったカンディンスキー自身も、画面のアイディアが際限もなく湧いてくるというわけでもないでしょうから、模索が始まるのは避けられないことだった。それがたまたま、モスクワという異なった環境に移った時期と重なったということではないでしょうか。これは、私の個人的な実感です。

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