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2013年9月12日 (木)

カンディンスキー&ミュンター 1901-1917展(4)

.カンディンスキー─抽象への道

Kmimp『インプロヴィゼーション6』(右図)という1909年から1910年にかけての作品です。カンディンスキー自身が「インプロヴィゼーション」という言葉について、「印象」や「コンポジション」とともに語っています。それによれば、「印象」は外的自然から受けた直接の印象が、素描的・絵画的な形態をとって現れるもの。「インプロヴィゼーション」は内面的な性格の事象が、主として無意識に、大部分は突然成立した表現。つまりは内面的な自然の印象。「コンポジション」は「インプロヴィゼーション」と似たような仕方で、極めて徐々に、作者の内面で形づくられる表現で、しかも作者が最初の構想に従って検討し、練り上げるものだということです。

制作年代をみれば、前回で見たムルナウの風景画と同じ頃のものです。つまり、カンディンスキーは、前回で見たように風景画を描いてから、更にもう一歩という段階を踏んで、抽象画に至ったのではないということです。このような抽象的な作品を描く、そのまた一方で抽象的な比重が高くなっている風景画を描く、その両方を同時併行で進めていたということになると思います。カンディンスキーは、はそれぞれで試しながら、表現を手探りで展開させていったということでしょうか。

この作品では、二人の人物と左背後の白い壁がそれと分かる形態を持っています。しかし、人物には表情はなく、どういう人なのかは分らないようになっています。左の人物の緑の頭と赤の顔、これに対して右の人物の緑の顔と赤い頭の対比。また右の人物の青い服と、左の人物のマントの裏地といった色彩の対比や二人の人物のあいだの曖昧な形のみられる融合のさせ方はかなり考えられている、という教科書的な説明でした。

このあと、カンディンスキーは、多数の「インプロヴィゼーション」を制作し、大作の「コンポジション」を制作、第1次世界大戦の勃発までの間、創作の絶頂期を迎えます。

この後の『コンポジション』等の作品は、後の国立近代美術館での「カンディンスキー展」で見ることができました

そして、第1次世界大戦により、カンディンスキーは、ロシアに帰国を余儀なくされ、ミュンターと別れることになります。

最後に、展示されていた中で、ミュンターの作品を数点貼り付けておきます。

Kmmeditation

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