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2013年9月29日 (日)

「竹内栖鳳─近代日本画の巨人」展(5)

Takefuji今まで述べてきたのは、西欧の風景を題材にしたものなので反則に聞こえるかもしれません。それで、近代以降の日本画でも取り上げられることの多い富士山を題材とした作品を見ていきたいと思います。1893年の『富士』(右図)という作品を見てみましょう。竹内の初期の作品ですが、横山大観の切手にもなった作品『富嶽飛翔』(左図)と比べてみると、竹内の特徴がよく分ります。横山の成熟した著名な作品と比べると巧拙の差はあるかもしれませんが、一番の違いと感じられるのは、横山の富士は洗練された線でスッキリと秀麗に描かれているのに対して竹内の富士はゴツゴツした感じで、線は重なり、輪郭もスッキリしない正反対の印象だということです。横山の描く富士は、一般的な日本人がイメージするステレオタイプに合致する、というよりも、彼の一連の作品が富士のイメージを定着させる役割を果たしたのかもしれませんが、成層火山のスッキリとした秀麗な姿で、その姿の美しさを表わしています。ただし、私のような日本画の素養のないものが見ると、銭湯の壁に描かれた富士山とおんなじという感じで、横山が作った富士の象徴的なかたちが独り歩きしてしまって、富士山型という山の形象を描いているようで、実際の山の存在感はあまり感じられないというのが正直な印象です。

Takefuji2笑い話ですが、チャーリー・チャップリンという喜劇映画スターは、チビでちょび髭にダブダブの背広上下にシルクハットとステッキでガニマタで歩くスタイルがトレードマークでしたが、ある時、彼のそっくりさんコンテストを開いて、当の本人が参加者の中に内緒で紛れ込んだらしいのですが、本人はコンテントで入賞することもできなかった、というオチがついた話があります。悪意で言えば、横山の描く富士は、そういうところがあります。綺麗ごとすぎるというのでしょうか。よく言えば理想としての姿です。これに比べて、竹内の作品はでは山の重量感というのが感じられます。このゴツゴツしたところは、こじつけかもしれませんが、セザンヌが故郷のサン・ヴィクトワール山を描いた作品(下図)を彷彿とさせるところがあります。竹内の富士には、山の理想的な形というよりも、彼が実際に見た富士の立体感とか重量感のような目の前の存在を描こうとしているように思えるところがあります。それが、うまくいっているかどうかは別として、富士を対象化している竹内の主観は明確に推し測ることができると思います。むしろ、この後で竹内本人を含め多くの富士を描いた作品がありますが、この作品以上に、モダンな作者の意志を感じさせる作品にあまり出会ったことはありません。Takefuji3_2


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