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2013年9月24日 (火)

「竹内栖鳳─近代日本画の巨人」展(2)

美術展でよく見る風景として、展示されている作品よりも、その説明のプレートの方に多くの人が群がっている情景によく遭遇します。“虚心坦懐に作品に触れる”ということの裏に隠された階級制、つまりはイデオロギーを思えば、あまり無責任なことは言えないのですが、それでも“説明なんか後回しにして、とりあえず見てみたら”と余計なお節介を言いたくもなります。私の場合は、まずは展示作品を見て、良い方面でも悪い方面でも印象に残ったものは、タイトルを確認したいので、そこを見ます。それは、不思議とこれを読む人は少ないようですが、最初に展示されている主催者のあいさつは必ず読むことにしています。ここには、その展示のコンセプトが、主催者がその画家をどのように捉えているか、という考えが明示されているからです。そのことを理解したうえで、展示を向かうと、作品を見ることもありますが、展示ということもみることができるからです。私が、いままで結構批判的なコメントをしていた展覧会は、大体の場合、このあいさつがおざなりだったり、形式的で主催者の肉声が籠っていなかったりした場合です。

Take1今回のあいさつでは、竹内を次のように説明していました。「栖鳳は積極的に他派の筆法を画に取り入れる一方で、定型モティーフとその描法を形式的に継承することを否定し、画壇の古い習慣を打ち破ろうとしました。その背景には、明治33年(1900年)のパリ万博視察のために渡欧がありました。現地で数々の美術に触れ、実物をよく観察することの重要性を実感したのでした。しかし、やみくもに西洋美術の手法を取り入れたのではないところに栖鳳の視野の広さがありました。江戸中期の京都でおこった円山派の実物観察、それに続く四条派の軽妙洒脱な筆遣いによる情緒の表現は幕末には形式化が進み、定型化したモティーフとそれを描くための筆法だけが残りました。栖鳳は実物観察という西洋美術の手法をもとに、西洋と肩を並べられるような美術を生み出そうという気概で、これら伝統絵画の根本的理念を今一度見つめ返そうとしたのです。」

Take2念のために、上のあいさつでは栖鳳と名前のほうで画家を示していますが、私の場合は竹内と苗字(ラストネーム)で示しています。それは、単に他人をファーストネームで気楽に呼ぶ習慣を持たないためです。カンディンスキーのことをワシリーとは呼びません。それと同じです。

さて、竹内は師匠について修行を続け1892年に『猫児負喧』という作品を出品したという時期から、彼の画家として独立したと見なしているようで、当の『猫児負喧』は現存しないとのことですが、この時期から期を画して展示を始めます。その初めのころ、1895年の作品として『百騒一睡』という屏風です。私は、日本画の屏風の作品を知っているわけではないので、どうしても最近みた速水御舟の描いた屏風と比較してしまいます。私は、絶対的な審美眼とか美意識のようなものは持っていない素人なので、作品を見るときは、どうしても他の諸作品と比べてみて、その違いからその作品の特徴とか好き嫌いを判断していきます。だから、その時に、どのような作品と比べるかということが実は私の作品を見るときの決め手となることがあります。たまたま連想した比較作品によって、私の中での作品評価が決められてしまうので、ここで私が書いている感想がいかに場当たり的でいい加減であるかということは、お分かりいただけると思います。さて、『百騒一睡』にもどれば、例えば、速水御舟の『翠苔緑芝』(右下図)と比べてみると、速水のが図案とかデザイン画あるいはイラストであるのに対して、竹内のは明白に絵画です。竹内の作品には作者がいて、そこに視点が存在しているのが明らかです。そして画面全体が空間として設計されています。だから、速水のポストモダンとこじつけられるスーパーフラットな画面に対して、いわゆる絵画(西洋画)を見慣れた眼、あるいは映画のような映像作品に慣れ親しんだ眼にもすんなりと入って行ける画面になっています。ということで、以前に見た速水よりも、竹内は遥かにモダンであるというのが私の第一印象でした。例えば、上側の4匹の犬が描かれているところ、空間的な奥行きが意識され、4匹の空間での位置関係が明らかになるように、画面での上下位置や背景の描き方に工夫がなされているのです。またまた比較するようですが、速水の作品では、平面的な形象が重なりをさけて並べてあるので、平面に同列に並んでいるようにしか見えません。竹内という人は、このような立体的な、(西洋)絵画的な空間設計を日本画の画面の中で違和感なくはめ込んでしまうことができるわけですから、構成力が卓越していたのではないか、と思ってしまいます。それが竹内の大きな魅力になっていると思います。つまり、この後も竹内の作品を見ていきますが、とくに屏風のような大規模な作品において、大胆でしかもすんなりと納得させられてしまうような画面構成に感心してしまうのが常でした。それが、31歳のときの『百騒一睡』ですでに完成されていたと言えると思います。

Hayamineko例えば上側の4匹の犬のうち親犬が目を閉じてうつむいている姿は、微睡んでいるようにも見えます。そこには平和な静けさを表しているようにも見えると言います。これに対して下側の刈田に落ちた稲藁に集まって争うようにこぼれた粒を啄む雀の群れはいかにも騒がしげです。この4曲1隻を左右に並べて置くと、左右で向かい合うように騒がしさと静けさが対照的に対置され、親犬が眠ったふりをしているのか、これから眠りを覚ますのか、それとも雀の騒がしさにも動かされず眠っているのか、様々な物語を喚起しています。細かいところを見ると、様々なことが言えますが、それは他の作品のところでも適宜触れていきたいと思います。

 

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