無料ブログはココログ

最近読んだ本

« 「竹内栖鳳─近代日本画の巨人」展(3) | トップページ | 八木雄二「天使はなぜ堕落するのか─中世哲学の興亡」(4) »

2013年9月26日 (木)

八木雄二「天使はなぜ堕落するのか─中世哲学の興亡」(3)

第2章 天使と秩序世界

天使については私たちの想像は愛らしいものになっているが、それはヨーロッパの中世人が思い描いた天使の姿とは全く違っている。中世キリスト教世界の天使は、まず男性的な姿を持つ天使である。日本人から見て異様なのは、天使の背中についている羽根が、鷲か雁の翼のような大型の鳥のがっしりとした羽根だという点である。彼らは神の使い、言い換えると、神の手足になって動くものたちである。聖書のある個所では、神の軍隊として天使の群れが描かれている。天使は神の言葉を特定の人間に伝える役割をもつこともあるが、神に味方して戦う「力強い戦士」として描かれることもある。

しかもキリスト教では、なんと天使の一部が堕落して悪魔になり、有名な「創世記」の一節にあるように悪魔が蛇の姿を借りて、最初の人間アダムの妻エバを誘惑したと考えられている。つまり人間が善人と悪人に分けられるように、天使も、本当の天使と悪魔に分けられるのである。旧約聖書では悪魔は神の目を盗む程度である。それがキリスト教の歴史とともに中世になると悪魔は本当に悪いものにされ、神にすら反逆されるものと考えられるようになった。いうまでもなくキリスト教の神は絶対的な力をもっている。したがって、神に反逆できる悪魔の存在、あるいは悪魔の能力は、理屈に合わず矛盾めいていて、私たちには想像しにくい。

さらに古代の教父たちの聖書解釈によれば、わたしたち人間も実は天使の一種である。天使の一部が堕落したのが悪魔の誕生である。古代の教父によれば、神は悪魔を懲らしめたあと、数が減少した忠実な天使を補うつもりで、代わりに人間をつくったという。それゆえ人間を堕落した天使の替わりとなる存在として、いわば天使の一種のように扱うストーリーが作られた。そんな人間も、結局、悪魔の誘惑に負けてしまった、というのがアダムとイブのストーリーなのである。堕落した天使=悪魔については、神は救いの手を伸ばさなかった。それに対し、天使の替わりにつくった人間については、堕落した時、神は特別にキリストを人間世界に送って人間をすくうわざを実施した。つまり人間は、悪魔の誘惑に負けて罪を犯し、源氏用のようになっている「不完全な天使」である。この不完全な天使は、神の救いのわざに答えて信仰を持つことによって、完全な天使と等しい価値を持つことができる。この世界観においては、人間は動物の一種ではなく天使の一種なので、動物や植物とは大きく隔たったものとして理解される。これこそがヨーロッパのキリスト教信者が見ていた世界である。

アウグスティヌスによれば、プラトン学派は、宇宙の全体が一つの生き物であるかのように考えていた。しかし正規のキリスト教世界では、宇宙を統一的に動かしているのは神であり、天使が神に仕えて天体などを動かしている、ということになる。すなわち、宇宙は一つの生き物のように動いて見えているが、それは宇宙全体が実際に一つの生き物だからではなく、むしろそれは無生物であり、ただ、宇宙をこのように動かしている魂をもつ霊的な被造物がいて、かれらが一つの神に仕えているからである。つまり、直接には神ではなく天使が宇宙全体を動かしていると考えるのがキリスト教世界観であり、宇宙それ自体を生き物のように見るのがアウグスティヌス時代のプラトン学派である。ただし、キリスト教世界は必ずしも霊肉の二元論ではない。神が世界を動かしているが、その世界にあるそれぞれのものは生きていて、その霊と肉とは別々のものでありながら、分かれがたく結びついていると見られていた。

とはいえ、自然的宇宙や動物などについての考察は、13世紀に入ってアリストテレスの作品全体が中世の知的なひとたちに知れ渡るようになって、はじめて中世の知的世界を構成するようになる。もちろん、それもひどく抽象的で、近代に見られたような多様な博物学的知識の裏付けがあるものではなかった。

 

« 「竹内栖鳳─近代日本画の巨人」展(3) | トップページ | 八木雄二「天使はなぜ堕落するのか─中世哲学の興亡」(4) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 八木雄二「天使はなぜ堕落するのか─中世哲学の興亡」(3):

« 「竹内栖鳳─近代日本画の巨人」展(3) | トップページ | 八木雄二「天使はなぜ堕落するのか─中世哲学の興亡」(4) »